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奇妙な味のレストラン

うシロを見ルな

作者: 恵良陸引

 もし、今、この瞬間、この文章を目にしているひとがいるのなら、ぼくは、おそらくもう生きていないのだろう。だから、これはぼくの遺書ということになる。


 なぜ、こんなことを言っているのか変に思われるかもしれない。


 でも、これは事実だ。理由はあとで説明しようと思う。


 なによりも先に伝えたいのは、ぼくが体験している、この異常な状況だ。


 それをみんなに警告したいと考えている。


 「みんな」と言っているので、当然、特定の誰かに対してではない。これは誰にでも、そう、たとえば、ぼくのような平凡な者にでも起こりうる話だと伝えたいのだ。


――『平凡』。


 ぼくを説明するのに、これ以上に適当な言葉はないと思う。


 ぼくは地方から進学のために上京した20歳の大学生だ。通っている大学名は伏せる。ただ、門は赤くも白くもなく、赤レンガの図書館があるわけでもないことだけは言っておこう。


 親の仕送りと奨学金、そして、コンビニや居酒屋でのバイト。ぼくはこうして学費と生活費をまかなって学生生活を送っていた。


 朝、大学の講義に出て、昼、学生食堂で昼食。講義は4時で終わる日と6時で終わる日があり、4時で終わる日はコンビニへ、6時で終わる日は居酒屋へバイトに向かう。


 11時過ぎに帰宅。寝るまでの時間、レポートなどに取り組む……。そんなルーティンのような毎日。


 こんなことをあえて紹介したのは、とにかくぼくが平凡で、特筆するような事情も背景もないということ。ただそれだけを知ってもらいたいだけだ。


 そんなぼくに「あの出来事」が起きた。




 「あの出来事」――。それはとある木曜の夜、おそらく11時過ぎのことだった。


 ぼくはソファに身体を預けて、スマホでネットニュースを読んでいた。

 ソファと言っても高級なものではない。背もたれを倒すと、そのままベッドになるというもので、ワンルーム暮らしのぼくにとって、寝るのもくつろぐのにも使える便利なものだ。ベッドと言っても、ほぼ敷布団のようなものなのだが。


 スマホのニュースは、なんとなく習慣で読んでいるだけだ。

 木曜はシフトが入ればバイトに出かけるが、そうでないときは部屋で過ごす。

 特にしたいことがあるわけでなく、ただ気が抜けたようにスマホをいじっているだけだ。メッセージアプリで友人に連絡するわけでもない。向こうから通信が入ったときにやり取りするぐらいだ。熱心にやり取りはしていない。


 習慣的に、かつ相手に失礼にならないように、適度な「返し」をしている。友人は多くないが、その数を増やすことや維持することに積極的でないのだ。

 だから、通信が入ったことを示す「ポーン」という音がスマホから響いたとき、ぼくは少し面倒そうにメッセージアプリをのぞいた。

 スルーするつもりはないが、つまらないやり取りをする相手は遠慮したかったのだ。


 送信者はよく知っている大学の友人からだった。

 ただ、ここ一週間は顔を合わせていないし、メッセージのやり取りもしていない。

 なんとなく久しぶりだなと思った。彼が3日以上も空けてメッセージを送ってくるなど、これまではなかった。


 そのとき、頭の中に浮かんでいたのはそのことぐらいなので、ぼくは何の気なしにアプリを開いていた。

 せいぜい、何を送ってきたのかなと思ったぐらいだ。

 メッセージの吹き出しは大きいものだった。しかし、文章はいたって短い。


――後ろを見るのが恐い。

もう逃げられない。


 たった、これだけだ。

 そのあとは長い空白が画面の下まで続いている。画面をスライドさせて最後の行を表示させると、そこには


――うシロを見ルな


 とだけあった。


 ぼくはアプリを閉じた。

 くだらない。変ないたずらだと思った。


 違和感がなかったわけではない。


 その友人はくだらない冗談を言うことはあっても、ここまでひどい悪ふざけをするような人物ではなかったからだ。


 もし、このままベッドを倒して眠りにつけば、このあとのことは起きなかったのかもしれない。いや、それは確信して言えることではない。ぼくの身に起こっているのが超常的なことなのか、異常な犯罪なのか、今もわからないのだ。


 あのとき、ぼくはくるりと後ろを振り返った。


 ただなんとなく。振り返って見えたのは、白いクロス貼りの壁だけだ。

 ポスターもカレンダーも貼っていない、ただ真っ白なだけの壁。


 そこに、ひとの顔や目が浮かび上がっていたわけでも、真っ赤な血が流れていたわけでもない。異常なところはまったく見られなかった。


 後ろを見てしまったのは、「つい」としか言いようがない。後ろはつねに見えない場所であり、人間は本能的に警戒するものだ。


 そして、後ろに異常がないことを確認して安心する。


 ぼくの行動に咎めるべきものはなかったはずだ。


 背後の壁に異常が無いことを確認したぼくは、もうあのメッセージのことを忘れかけていた。そのまま横になると眠ったのである。


 翌朝、目を覚ますと、スマホのアプリに1件のメッセージが届いていることが表示されていた。昨夜の友人からだ。深夜に送ってきたらしい。


 この時点でも、ぼくは警戒心もなくアプリを起動させてメッセージを読んだ。そして、ぼくはたぶん、顔をしかめた。


――うシロ、見ちャったネ


 画面にはそう表示されていたのだ。


 このときの印象は「気持ち悪い」のひと言だった。


 背筋がぞわっとくる感覚とともに、スマホを持つ手が震えた。

 何だろう。何を言ってるんだ、こいつ。……そんなふうに考えていたように思う。

 ぼくが後ろを振り返ったのをどこで見ていたと言うのだろうか。

 同時にそんなことも考えていた。


 その考えはすぐに打ち消した。

 これはブラフだ。

 あんなメッセージを送られたら、つい振り返りもするだろう。そこを見越して送って来ていたのだ。そうに違いない。


 不快になったので、「何だよ、これ」とだけ返信した。

 しかし、これだけでは足りないと思い直し、「気持ち悪いぞ」と追加で送った。

 大学に向かうため、着替えをすませてスマホをのぞいてみると、ぼくが送ったメッセージに「既読」はついていなかった。


 1限と2限の間、昼休みとスマホをのぞいてみたが、彼がメッセージを読んだ形跡はない。

 もう、放って置くべきか考えていたころ、スマホがぶるぶると震えた。

 大学にいるときなどは音声をオフにしている。

 これは新しいメッセージが届いたことを教えていた。


 アプリを立ち上げると、相手は同期の女性からだった。昨夜に変なメッセージを送ってきた友人の彼女でもある。


 メッセージは友人のことを尋ねるものだった。最近、急に連絡が取れなくなったというのだ。ぼくに何か事情を知らないか聞きたかったらしい。


 あいにく知らないと返信しようと思ったが、指が途中で止まった。

 昨夜の変ないたずらのことがある。

 逆に彼の状況を知りたいと思った。ぼくはメッセージを打ち直して返信した。


――連絡がつかないって、いつから?

――4日前。


――その前は直接顔を合わせたりしたの?

――うん。


――そのとき、おかしな様子とかなかった?

――なかったと思う。でもなぜ?


 ぼくが立て続けに質問を重ねるので、彼女は奇妙に思ったようだ。ぼくは友人から送られたメッセージを転送して見せた。


――なに、これ?

――気持ち悪い。


 彼女は続けて返信してきた。


 彼女も友人のメッセージに異常なものを感じていた。


 そのあとしばらくやり取りを続けてみたが、彼女からは大した話は聞き出せなかった。最後に会ったときの友人に、何ら異常な様子を見出すことはなかったのだ。


 彼女は結局、直接友人の部屋を訪ねてみることにした。

 彼もぼくと同じように都内でひとり暮らしをしているのだ。


 ひょっとすると身体の具合が悪いのかもしれないと考えたようだ。

 正直なところ、彼があの異常なメッセージを送ったのが体調不良のせいだとは考えにくかった。


 しかし、それも彼女が直接確かめればはっきりすると思ったので、それ以上のことは伝えなかった。ぼくは彼女との通信を終えると、再び講義に戻った。


 3限を終えたころ、スマホを確かめると彼女からメッセージが届いていた。

 それにはひと言、「直接話していい?」とだけあった。


 何だろうと不安に思いながら電話をかけてみると、彼女にはつながらなかった。

 その後、二、三回かけ直したが、彼女が出ることはなかった。


 4限が終わり、このあとはコンビニでのバイトが控えていた。

 彼女には「バイトが終わったら話そう」とメッセージを送って、住む部屋のあるマンションに向かった。


 現在住んでいる部屋と、バイト先のコンビニは自転車で15分ほどの距離だ。

 部屋は大学のほうが近いため、バイトには部屋に戻ってから自転車で向かっている。ぼくは自転車にまたがるとバイト先のコンビニへ急いだ。


 10時にバイトを終えると、すぐに自分のスマホを取り出した。

 友人あてのメッセージは相変わらず既読にならない。彼女のほうは6時ごろ既読になっていた。

 ぼくは彼女に電話をかけた。


 「ごめんね、電話してもらって」

 今度は彼女につながった。

 「どうしたの。あいつに何かあったのか?」

 ぼくが尋ねると、一瞬間が空いた。


 「……ひょっとすると、なんだけど」

 彼女は言葉を選ぶようにぽつりぽつりと話し始めた。


 彼女が友人の部屋を訪ねたとき、友人はそこにいなかった。


 古いタイプのワンルームマンションなので、部屋の前に直接行くことができる。

 彼女は彼の部屋の前でインターフォンを鳴らしたが反応がなかったので、念のためドアノブを回してみたそうだ。


 ドアにカギは掛かっていなかった。

 彼女は室内に入ることにした。彼が部屋の中で意識を失って倒れているかもしれないと考えたのだ。


 部屋をのぞきこんだ彼女はあまりの光景に思わず両手で口を押えた。

 友人の姿はそこになかったが、おびただしい量の血が床一面に広がっていたのだ。


 彼女はすぐに警察を呼んだ。


 駆けつけた警官たちも部屋の様子を見て、ただごとではないことを理解した。

 間もなく大勢の警官が集まり、彼の部屋はひとであふれかえった。

 彼女は警察で事情を聞かれることになり、その間、ぼくからの電話に出ることができなかったのだ。


 「あいつは結局見つからなかったのか?」


 「見つからなかった」

 彼女の答えはシンプルだった。


 警察は両隣の住人にも事情を聞いていた。

 彼女は細かいところまで教えてもらっていないが、どちらの隣人も異常に気づかなかったということらしい。大した話が聞けなかったそうだ。


 「じゃあ、警察はなにもわからなかったの?」

 「うん。だから、彼の実家に連絡して、採取した床の血が彼のものと一致するか確認するんだって。私、彼の血液型なんて知らないし」


 それはぼくも知らない。


 あと、気になったのは、あのメッセージの件だ。

 ぼくは彼女にメッセージの件を警察に話したか聞いてみた。


 「伝えた。画面も見せた」

 「それで、警察は?」

 「あなたに事情を聞きたいって。たぶん、もうすぐ連絡があると思う」


 ぼくのスマホには見たことのない番号からの着信が数度入っていた。どうやら、それが警察の番号らしい。留守電に設定していなかったのでメッセージは入っていない。


 「たぶん、連絡はあったみたいだ」


 ぼくは知らない番号から着信があったことを伝えた。


 「間違いない。それ、警察の番号よ」

 彼女は友人について、何か新しい情報があればしらせて欲しいと警察から電話番号を伝えられていた。その番号と、ぼくにかかっていた番号が同じだったのだ。


 「じゃあ、これから電話してみる」

 「何かわかったら知らせてくれる?」

 「いいよ。それじゃ」


 ぼくは電話を切ると、すぐに着信のあった番号に折り返してみた。

 それはやはり警察だった。


 警察はぼくから明日にでも直接事情を聞きたいと話してきた。

 事件性は高いが、まだ断定できるほどではなく、警察もそれほど急く様子はなかった。


 明日は土曜なので、午前中は空いている。

 ぼくは明日の朝うかがうと話して電話を切った。


 そのとき、「どうした?」と背後から声がかかり、ぼくは飛び上がった。

 振り返ると、バイトの先輩がタバコをくわえて立っていた。

 手には大きな袋をぶら下げている。ぼくが電話をかけていたのが、コンビニの入り口から反対側の壁際だった。

 すぐ脇に鉄柵で閉じられた大きなゴミ箱があり、先輩はゴミの片づけついでにタバコの休憩を取ろうとしていたのだ。


 「い、いえ、ちょっと電話を……」

 ぼくは言い訳がましく答えながら頭を下げた。


 後ろからいきなり話しかけられ、背筋が強張ってしまっている。

 ぼくは背筋の違和感で顔をしかめつつ、自転車にまたがってその場を退散した。


 自分の部屋に戻ってソファに身体を預けると、さっそくスマホを開いて友人からのメッセージを確かめた。

 ぼくからのメッセージはようやく既読に変わっていた。

 22時12分。ちょうどぼくが家に帰っているころだ。その時間にぼくのメッセージを開いたらしい。

 そして、同時に……。


 あのメッセージが消されていた。


 画面には友人が送信メッセージを取り消したことが残されている。

 だから、あのメッセージが来ていたことは事実だ。


 だが、それはもう見ることはできない。


 見て気持ちのいいものではないので、あれがなくなってホッとする一方、警察に見せるものがなくなって困惑した。

 彼女にメッセージは転送していたものの、あれがぼくのいたずらということにされれば面倒だ。

 なにせ、元のメッセージが消えてしまったのだから。


 それに、ぼくから送ったメッセージの既読時間も問題だ。

 今日の22時過ぎ。つまり、警察が彼の捜索を始めて数時間以上が経っている。


 彼は部屋に大量の血痕を残して失踪していた。

 彼が無事であるかわからない状況で、彼のスマホが操作された形跡がある、ということだ。


 これは何を意味するというのか。


 ぼくは再び背筋がぞわっとした。

 おそらく、彼の身に尋常でない事態が起きている。

 そして、彼のスマホは彼自身の手にはないのだ。


 じゃあ、誰の手に?


 ぼくはスマホを閉じた。

 今のは想像でしかない。

 事実とするには根拠が少な過ぎる。


 ぼくは「絶対違う、絶対違う……」とつぶやきながら立ち上がった。

 どうすればいいのか、どう考えればいいのか、まるでわからない。


 部屋の中をうろうろ歩き回り、本棚から明日の講義のテキストを開いたりする。

 結局は諦めたようにソファに座って膝を抱えるだけだ。


 心に湧き上がる不安を抑えることができない。

 具体的に何かをされたわけでもないのに、背筋の強張りは強くなる一方だった。


 かたわらに置いていたスマホに目をやると、画面上に通知が届いたことを示すマークがついていた。メッセージアプリに誰かが通信を送ってきたのだ。


 おそるおそる開いてみると、やはり友人からだった。


――いイね、そレ。ソうさレルと、背後ニ立テなイ。


 「何だよ、何なんだよ!」

 ぼくはスマホを持ったまま立ち上がった。

 慌てて右手を向く。

 そちらはベランダにつながるサッシがある。

 全面をカーテンが覆っているので外からはのぞけないはずだ。

 それなのに、このメッセージはぼくが部屋の中を歩き回っていたことを指摘している!


……背後に立てない? 背後に立てないって何だよ?

 まるでこの部屋にいるみたいじゃないか!


 ぼくはさっと後ろを振り向いた。

 そこにあるのは昨日と同じ白い壁だけだ。

 壁を見つめながら深い息を吐いたが、それは安堵のため息ではない。

 本能的に自分を落ち着かせようとしていただけだ。


 そこで、ぼくはハッとしてスマホに目をやった。

……まさか、これなのか? ぼくはこれに監視されているのか?


 以前、スマホが乗っ取られてプライベートをのぞかれる事件があったそうだ。

 何らかの方法でスパイ系アプリを送り込み、それを介して相手をのぞき見るのだ。

 スマホを時計替わりにスタンドに立て掛けるひとは多い。ぼくもそのひとりだ。


 そして、スマホにはカメラが標準装備されている。

 スマホのカメラがぼくの一挙手一投足を映しているのであれば、相手にぼくの動きは筒抜けだということだ。


 ぼくはスマホに登録されたアプリを確かめた。

 あまりアプリをダウンロードしないので、すぐに検めることができた。


 それらを見る限り、スパイアプリが入っているようには見えなかった。

 もちろん、何か別のアプリに偽装されている可能性は残っている。

 ぼくはスマホにカバーをかけて机の上に置いた。

 そうすれば、万が一のぞかれていたとしても、ぼくの様子を見ることはできないはずだ。

 こんなことをしたのは自分がシャワーを浴びるためだ。スマホが原因でないにしても、この用心は必須だと思った。


 しかし、用心したから安心できたわけではない。

 シャワーを浴びている最中、自分の背中が気になって仕方がなかった。

 特に頭を洗っているときはドアに自分の顔を向け続けた。

 いや、身体を洗っているときだって不安だった。

 ドアの高い位置にすりガラスがはめ込まれているが、そこから影が映りはしないかとひやひやし通しだった。


 部屋に戻ると、念のためサッシのロックを検める。

 シャワーを浴びる前にロックしたつもりでいたが、実際はどうだったろうかと気になったのだ。

 サッシのロックはがっちりと止め皿にかかっていた。

 ぼくはようやく胸を撫でおろした。


 そんなぼくを蒼ざめさせたのは、スマホのアプリに通信のマークがついていたことだった。行方不明の友人からだ。


 アプリを立ち上げると、そこには「うシロ、気にナるヨネ」とあった。


 もう我慢できない。

 ぼくは友人あてに電話をかけていた。

 あのときのぼくはどうかなりかけていたと思う。

 腹を立てながら、相手が出ることを恐れ、同時に、これが友人からの悪質ないたずらであればなどと願っていたのだから。

 これだけの感情が入り乱れると、自分が何をしているのかもわからなくなる。

 今にしてみれば、よくそんなことをしたと思う。


 電話は数コールして反応があった。相手が電話に出たのだ。

 「もしもし!」

 間の抜けた言い方だが、ぼくはたしかにそう切り出していた。

 「これまでのはいったい何だ? ふざけてるのか!」

 相手は何も応えなかった。

 無言のままだ。

 ただ、外にいるらしく、自動車の通る音などがかすかに聞こえている。


 「もしもし! 何か言えよ!」

 ぼくは友人の名も呼びながら大声をあげた。それでも相手は応えない。

 いらいらしたぼくの耳に、別の音が聞こえてきた。

 踏切の音だ。

 ぼくは呆然となってスマホを耳から離した。


 踏切の音は外からも聞こえている。

 ぼくの住んでいるマンションのそばを西武新宿線が通っている。

 現在、西武線は踏切を無くす高架・地下鉄化工事が進められているが、ぼくの近所はまだ踏切が残っている。

 聞こえているのは、その踏切の音だ。


 そして、同時にスマホから聞こえている踏切の音もそれだった。

 同じタイミングで鳴り出し、同じリズムで音を響かせている。


……近くにいる!


 ぼくはとっさにカーテンを開けた。

 ぽっかりと暗いベランダが目の前に広がる。


 そこには誰もいなかった。


 ぼくはロックを外し、スマホを手にしたままベランダへ出た。

 ぼくが住んでいるのは7階建てマンションの5階だ。

 1階入り口はオートロックで自由に出入りができないようにしてある。

 ぼくはベランダから顔だけ出して見下ろした。

 眼下には黒々とした道路が横たわっている。青白い街灯があたりを照らし、その下を何台もの自動車が行き交っている。

 自動車の通り過ぎる音も、スマホから聞こえる音とリンクしていた。


……どこだ? どこにいる?


 ぼくは目をこらしながらあちこちを見回した。

 こちらを見上げている人物。探しているのはそれだ。


 道路の脇に細い舗道があり、何人ものひとびとが歩いているが、立ち止まっていたり、こちらを見上げていたりするような人影は見当たらない。

 何かの偶然で、本当は近くに誰もいないと思い始めたころ、西武線の黄色い車両が視界に入った。


 電車が間もなく通過するのだ。

 ゴトゴトという電車の音が大きくなってくる。

 スマホからも電車が通過する音が聞こえていた。

 これも同じリズムだ。


 間違いない。電話の相手は確実に近くにいる。


 少なくとも外の音が聞こえる範囲に。


 「おい、お前! どこにいる! いいかげん気持ち悪いことやめろ!」

 ぼくはスマホに怒鳴ったが、相手からの反応はもちろん、何の音も聞こえなかった。

 通話はいつの間にか切れていたのだ。

 ぼくは汗で滲んだ手でスマホを握りしめた。


 ぼくは部屋に戻ると、今すぐ警察に連絡して相談するべきかどうか考えた。

 アプリのメッセージを確認すると、さっきまでのメッセージはすべて消されていた。

 アプリには取り消されたという事実しか残っていない。


 ぼくはため息をついた。


 この状態で通報しても、警察がまともに動いてくれるとは思えなかった。

 冷静になってくると嫌な事実が見えてくる。


 今のところ、ぼくに実被害がない。

 いや、被害を示す具体的な証拠がないのだ。


 友人の彼女に転送したメッセージが唯一の証拠となるのだが、それをぼくの『でっち上げ』ではないと証明することができない。

 そこを突っ込まれたとき、ぼくは逆に変な疑いをかけられかねないのだ。


――どうしようもない……。


 何をどうすればいいのか、このときのぼくは何も思いつかなくなっていた。

 ぼくは絶望に近い気持ちでソファにもたれ込んだ。

 そのまま天井に顔を向けて目をつむる。

 それ以外にぼくのできることはなかった。




 ふと気がつくと、カーテンの隙間から陽の光が差し込んでいた。

 いつの間にか寝入ってしまっていたようだ。

 恐怖で眠れないと思っていたが、疲れた頭や身体が睡眠を欲したらしい。


 ぼくはのろのろとスマホに手を伸ばし、画面をのぞきこんだ。特に何か目的があったわけではない。習慣というか、反射的な行動だ。

 時刻は7時を少し過ぎていた。7時間以上も眠っていたのか――。

 自分は意外とのんき者なのかもしれないと思った。

 ぼくのスマホは昨夜から沈黙を保ったままだった。


 何の通信も入っていないし、着信の履歴もない。

 もっとも、電話がかかったのなら、さすがに目が覚めたはずだが。


 洗面台の前に立ち、顔を洗い、薄く伸びたひげを剃ったころ、スマホが鳴り出した。

 手に取ってみると、友人の彼女からだった。


 「……どうしよう?」

 電話に出ると、狼狽した彼女の声が聞こえてきた。

 何の前振りもないので答えようがない。

 「どうしようって?」

 それが精いっぱいの返事だった。


 「今朝、警察から電話があったの」

 「何って?」


 「あの部屋で見つかった血、人間のものじゃないって」


 「へ?」


 彼女だけでなく、ぼくも狼狽した声を出してしまった。

 「だから、あの部屋で見つかったのは、あのひとの血じゃないって」

 「いや、それ、どういうこと? わかるように説明して」


 彼女からの説明はとりとめがなく、理解するのに時間がかかった。

 それらを要約すると、部屋で見つかった血液は人間ではなく、動物の……、おそらく犬の血液らしいとのことだった。

 そういうことは簡易的な検査ですぐわかるそうだ。


 「だとすれば、どういうことなんだ?」

 「警察は、あのひとの悪質ないたずらじゃないかって考えているみたい。でも、そんなこと信じられない。あのひと、けっこう悪ふざけもするけど、ここまで悪質なことってしなかったじゃない。そうでしょ?」


 ぼくは相手に見えないとわかってはいたが、スマホを手にしたままうなずいた。

 「そうだな。あいつはそんな奴じゃない」

 「でも、警察はあのひとを疑っている」

 「仕方がないよ。警察はあいつのこと、何も知らないんだから。でも、それだと、警察はあいつの捜索を打ち切ってしまうのか?」

 スマホ越しに彼女が首を振る気配があった。

 「ううん。警察は引き続きあのひとを捜すみたい。でも、行方不明者じゃなくて、動物虐待とか、まるで容疑者扱いで……」

 あいつの部屋に動物の血液が大量にまかれていた。警察の対応がそちらへ移るのは不思議ではない。

 「ね? どうしよう……」

 彼女は最初の質問を繰り返したが、ぼくには何も答えられなかった。

 ただ、あいつを信じて待ってあげてと言うだけだ。

 それでも、彼女はいくぶんか落ち着いたらしい。

 ぼくに礼を言うと通信を切った。


 一方で、ぼくは沈黙したスマホを手に狼狽したままだ。

 これから警察に行って、これまでのことを説明するつもりだったが、何を話したらいいかわからなくなっていたのだ。


 心の中はひと言で混乱。それも大混乱の状態。


 ぼくに、こんな悪質ないたずらを仕掛けたのが友人なのか、それ以外なのか、ぼくはまったく判断がつかなくなっていたのだ。

 それで警察に供述する内容は変わるのか?

 変わるだろう。


 これら一連の不快な出来事が、友人ひとりの他愛のないいたずらだったら、ぼくは怒るだろうけど警察に強く訴えるまではしない……と思う。


 違うな。


 したくない、と思うだろう。


 つきあいが深いわけではないが、それでも、彼は友人なのだ。


 でも、これがまったく赤の他人のしわざだとしたら……。


 ぼくは絶対に許さない。


 第一、友人の安否の問題がある。彼は行方不明で、彼の持ち物が他人の手にある、ということだ。とても、いたずらでした、という簡単な状況ではない。

 それこそ、警察には徹底的に捜査してもらい、犯人を捕まえてほしいと思う。


 ぼくは、この振れ幅の大きい問題に直面し、どう考え、どう行動すればいいのかわからなくなったのだ。

 自分自身のことを優柔不断だと思っていなかったが、結局、ぼくは結論を出すことができなかった。


 だから、結果はこうなった。


 ぼくは当たり障りのない受け答えだけをして、警察署を出てしまったのだ。

 警察は警察で、どうも予断があったのではと思われる。

 彼らはぼくのスマホを調べようともせず、ただ話を聞くだけで終わらせてしまったからだ。


 どうも、友人を動物虐待の事案で取り締まる方向で捜査しているようなのだ。

 この事件に、正体不明の何者かが絡んでいるなど、まったく考えていない様子だった。


 ただ、ぼくの態度も、彼らの予断を覆すものではなかった。

 そういう意味では、ぼくも共犯だったといえる。


 警察署を出たのは夕方前のことだった。

 バイトの時間が迫っている。

 ぼくは警察署に停めていた自転車にまたがると、そのままバイト先に向かった。

 そのときのぼくの心はひと言で空虚だった。

 あるいは、思考が停止した状態、のほうが正確だったと思う。




 月曜日。


 この週末、特に異常に見舞われることはなく、ぼくは朝を迎えることができた。

 ただ、不安な気持ちを押し殺すこともできず、目を覚ますなりスマホをのぞき込む。


 画面には何の通知も見られなかった。当然、あの、不気味なメッセージも。正直、ほっとした。


 今日の講義は2限からだ。ゆっくりと出かける準備をして学校に向かった。


 大学の構内はあちこちにベンチが置かれている。天気のいい日は、それらに腰かけている学生が多い。ただ座っている者もいるし、スマホを眺めているだけの者もいる。ノートを膝に広げて勉強している者は少数だ。


 ぼくはベンチで時間を過ごす習慣がないので通り過ぎるだけだ。無言で彼らの前を歩いていく。

 そこへ、「あ、待って」と急に声がかかってきた。見ると、ベンチからひとりの女の子がベンチから立ち上がっている。髪を短くそろえた、小柄な女性だ。名前は出てこないが見覚えはある。


 ぼくが立ち止まると、彼女は硬い表情で近づいてきた。不安そうな表情に、ぼくの胸の奥も少しざわついた。

 彼女は「ちょっと聞きたいんだけど……」と、遠慮がちにぼくの名前を口にした。「〇〇君だよね?」


 ぼくは無言でうなずいた。確認ができて安心したのか、彼女の表情から硬さが和らいだ。


 「じゃ、じゃあさ、あの子のこと知らない?」


 「あの子って?」


 ぼくはオウム返しに聞き返した。それは昨日電話で話した友人の彼女のことだった。この女の子は彼女の友人だったのだ。


 「昨日から連絡取れなくなっているの」


 嫌な予感がしたが、ぼくは何気ないふうに「それで?」と話の先をうながした。

 「ううん。ひょっとしたら大したことないかもしれないけど、最近、あの子から変な話聞いているの。知ってる?」


 ぼくはあいまいにうなずいた。

 「彼氏のことで警察に行ったって聞いているの。何か気持ちの悪いことが起きたって……」


 「あんまり詳しいことは知らないんだ」

 ぼくは少し嘘をついた。事情は知っているが、友人の部屋をこの目で見たわけでないから、こう答えるのが無難に思えたのだ。


 ぼくの答えに彼女は落胆したようだった。

 「……そう。ただ昨夜から急に連絡が取れなくなって気になったの。もしかしたら、あの子も変なことに巻き込まれたんじゃないかって……」

 「警察がそのままにしないよ」

 安心させるようにぼくは答えたが、これは完全な嘘だ。あの『事件』に対する警察の反応は鈍く、具体的に動いているとは思えない。ただ、それはぼくの態度にも原因があると言える。ぼくは半ば保身的な感情からそう答えてしまったのだ。


 そんな、ぼくのいいかげんな答えに、彼女は安心したように息を吐いた。

 「そうだよね。何かあったら警察が動いてくれるよね」

 逆に、ぼくは息苦しくなってきた。自分でもわかるぐらいしかめ面になっている。早くこの場から立ち去ろう。そう考えたときだった。腰からスマホがぶるっと小さく震えた。SNSからメッセージが届いた反応だ。

 ほとんど反射的に、ぼくはスマホを取り出して画面を見つめていた。

 そこには、


――いイ顔、シてるネ


 と、あった。


 思わず顔を上げてあたりを見渡す。

 何人もの学生がぼくのかたわらを通り過ぎていく。誰もぼくに視線を向けていない。

 離れたベンチに腰かけている学生たちは顔を上げることすらなく、自分の世界に入っている。


 校内に立ち並んでいる樹々のひとつにもたれている学生と目があったが、それはぼくが視線を向けたからで、彼は「何見てるんだ」というふうに、少し不快そうな表情を見せた。ぼくはすぐに視線をそらした。


 やがて、ぼくに話しかけてきた女の子と視線を合わせた。ぼくの突然の態度に、怯えと不安の入り混じった目でぼくを見ている。


 「あ、いや、ごめん。何でもないよ」

 ぼくは取り繕うために穏やかな口調で話したが、彼女の表情は変わらなかった。

 「じゃ、ぼく、行くね」

 ぼくは早口で言うと、その場から駆け出した。逃げるように。


 講義室に入ると、一番後ろの一番窓際に座った。とにかく、背後に誰かいるような状況、また、誰かが背後を通る状況にしたくなかったのだ。

 講義室は続々と学生が入ってくるが、ぼくの近くには誰も座っていない。

 ぼくはスマホを取り出して画面を検めた。


 メッセージは消えていた。


 ぼくが読んだことを確認して消したということか。

 いや、少し違う。

 今回、ぼくはスマホの通知画面からメッセージを確認した。このSNSアプリの場合、このメッセージは既読扱いにならないはずだ。それなのに、相手はぼくがメッセージを目にしたことを知っていたのだ。間違いない。


『このメッセージの送り主は、ぼくのすぐ近くにいる』!


 ぼくと彼女とのやり取りを目にしているから、「いイ顔、シてるネ」などと茶化すメッセージが送れたし、ぼくがそれを確認したことを直接見たから、そのメッセージをすぐに削除できたのだ。


 冷静な分析ができたが、同時に息がつまるような感覚が胃の底からのど元にかけてせりあがって来た。思わず手で口を押さえる。


 戸口に目を向けると、あいかわらず学生たちが入ってくる。ただ、ぼくに視線を向ける者はほとんどいない。たまに、ぼくに視線を向ける者はいるが、その目に何らかの感情は見られない。ただ、ぼくを見ただけだ。


 そもそも、この講義室にまで『何者』かがいるとは限らない。しかし、いないともいいきれないのだ。

 ぼくはおそるおそる後ろを振り返った。いないはずだと思いながらも不安に駆られたのだ。

 一番後ろの席だから、背後は壁しかないはずだ。しかし、そこに人影が見えて、ぼくは腰を浮かし、すぐに下ろした。

 人影に見えたのは、ある講師の公開講座を案内するポスターだった。


 気が滅入っている。

 2限の講義は最後まで聴いていられなかった。

 ぼくはそっと席を立つと、後ろの出入り口から出ていった。講義室は3階で、講義棟を出るまで、ぼくは何度も背後を振り返った。


 ひょっとすると、ぼくの後を誰か追ってくるのではないかと思えたからだ。

 幸い、誰もぼくの後をつける者はいない。ぼくは外へ出ると、ほとんど駆けるようにして大学からも出ていった。講義室ではぐずぐずしていたのだが、いったん出ていくと心に決めると、一刻も早くここから立ち去りたくて仕方がなかったのだ。


 歩きながら考えた。


 すぐ警察に行くべきか。行くべきだろう。


 でも、どうやって自分の置かれている状況をわかってもらえる?

 はっきりしているのは、現在、ぼくの友人が行方不明で、彼の携帯から気味の悪いメッセージが届くということだ。しかし、そのメッセージはすでに削除されていて、今確認することはできない。


 何か脅迫された? いや、何も脅されていない。


 何か盗られた? 何も盗られていない。


 確かなのは、この数日、気味の悪い思いをさせられているということだけ。しかも、それを具体的に提示できる状況にないのだ。警察が動いてくれるようには思えない。

 一方で、ぼくは何者かが狙われている。相手にどのような危害を加える考えがあるのかわからない。しかし、まともな考えでないことは確かだろう。


 警察は動いてくれない。でも、身に危険は迫っている。


 ぼくはスマホを取り出すと、連絡が取れなくなっているという友人の彼女に電話をかけてみた。異変を伝えてきた女の子の杞憂であればと願いながら。


 彼女は電話に出なかった。電話に出られないという機械的な女性のメッセージが聞こえ始めたところで、ぼくは携帯を切った。


 ぼくの周囲は異常な空気で歪み始めている。


 でも、ぼくの日常に大きな変化はない。


 だから、バイトも通常どおりにこなさなければならない。

 その日の夕方、ぼくはコンビニのバイトに向かっていた。


 部屋を出る前、ぼくはなんとなく自分の部屋を振り返った。


 玄関から廊下、すぐに部屋。突き当りは全面ガラス窓のサッシ。

 日当たりのあまりよくない部屋なので、夕方になるとけっこう暗い。


 扉を開けたぼくの姿がサッシのガラスに映っている。


 向こうのぼくは不安そうにぼくを見つめ返していた。


 ぼくはガラスのぼくに背を向け、扉を閉めた。



 バイトをしている間、ぼくはどこか上の空だった。


 おかげでレジを間違えそうになったことが二三度あった。


 機嫌を損ねた客に頭を下げながら、ぼくは心の中で「くそっ!」と罵る。


 この時間帯で、別に何かをされたわけではない。だが、ぼくの心は完全にぐらついていた。

 これ以上、何かをされると、ぼく自身、何をしでかすかわからない。

 そんな危機感を募らせていた。


 レジでの失敗以外は、これといった失敗もせず、ぼくはその日のバイトを終えた。


 自転車にまたがり、自分の部屋があるマンションへと向かう。


 夜もふけてきた時間だが、帰り道はひとも車の往来も多い。

 都市は、なかなか眠ろうとしない。


 でも、ぼくにとっては、それがありがたかった。

 誰に監視されているか不安はあるが、それでも、ひとりでいることの怖さに比べれば、まだ、ましだと思ったのだ。


 そう。このときまでは。


 マンションのすぐ近くまで自転車を走らせたとき、ぼくはふと、マンションを見上げていた。

 たまたまだ。何か、予感があったわけではない。


 ぼくの部屋があるあたりに明かりが灯っていた。


 ぼくは両手に力を入れ、自転車のブレーキを握りしめた。

 信じられない思いで自分の部屋を見上げる。


 ぼくは出かける前、自分の部屋を振り返って様子を見ている。

 そのとき、ぼくの部屋はたしかに明かりは点いていなかった。

 部屋は薄暗く、寂しい状態だった。

 別に電気代を気にしてとか、節電であるとか、そんなことを気にしていたわけではないが、ぼくは自分の部屋を確かめてから出かけている。


 それに、ここ数日の出来事から、戸締まりだけは以前よりも慎重になっていた。

 誰かが勝手に部屋に入って明かりを点けることなどできないはずだった。


 ぼくはスマホを取り出すと、震える手で警察に電話した。


 とにかく、このまま自分の部屋に戻るのが怖い。


 ぼくは必死で状況を伝え、誰かに来てほしいと訴えた。


 数分後、近くの交番から警官がふたりやってきた。


 ぼくは警官たちにマンションの下から自分の部屋を指さした。

 見間違いではなく、ぼくの部屋に明かりが点いている。


 警官たちは、別にぼくの言っていることを疑う様子も見せず、一緒にマンションに入った。


 自室前の扉の前に立ったとき、警官がぼくを止めた。


 「ドアの様子に異常は見られませんか?

 錠の周囲に違和感はありませんか?」


 ぼくは警官にうながされるまま扉の様子を探った。


 「たぶん……、変わりはないです」


 ぼくはそう答えて、カギを差し込んでみた。


 カギはスムーズに曲がり、カチンと音を立てる。

 ロックはちゃんとかかっていた。


 「開けてみます」


 ぼくはゆっくりと扉を開いた。


 部屋には、警官と一緒に入った。


 明かりの点いた部屋で、ぼくはただ立ち尽くした。


 部屋に何の異常も見られなかったのだ。


 「何も盗られていませんね?」

 警官は念を押すように尋ねる。


 一応、クローゼットの扉も開いて中を検めたが、何かを盗られた様子はない。


 ユニットバスも異常なし。冷蔵庫を開いてみたが、そこにも変化はなかった。


 ただ、明かりが点いていただけだった。


 しかし、ここまでくると、警官たちの表情も冷めたものになっている。


 どうせ、明かりを消し忘れたのを大げさに騒いでいるだけだろう――。


 口には出さなかったが、警官たちがそう考えているのは明白だった。


 警官たちは書類に何やら書き込むと、それ以上、部屋を調べることもせず、そのまま帰っていった。


 警官たちの態度は終始丁寧で、ぼくを責めるようなものは何ひとつなかったが、ぼくは居たたまれない気持ちになっていた。


 ぼくはどうかしている。


 何、バカなことをやっているんだ。


 心の奥で自分を責める。

 この時点で、ぼくは自分が明かりを消し忘れて出かけたのだと思いかけていた。


 それ以外に、この状況を合理的に説明できるものはなかった。


 スマホから着信の音が鳴り、ぼくは何気なく取り上げて画面を見つめた。反射的な行動で、何も考えていなかった。


――明カり点けタの、ぼくダヨ


 ぼくは思わずスマホを放り出していた。

 そして、床に落ちたスマホを慌てて拾い上げ、画面を再び確認する。


 まだメッセージは残っていた。


 ぼくはそれを震える手でなぞっていた。


 読み間違いでも、勘違いでもない。


 こいつは、カギがかかっていたはずの部屋に入り込み、明かりを点けて立ち去ったのだ。


 ぼくはスマホを握りしめたまま、部屋を飛び出した。

 何もかも置いたままで。


 振り返ることも、何かを取りに戻ることも、決してしなかった。


 いや、したくもなかった。


 ぼくは、あの部屋のすべてから逃げ出したのだ。



 外へ飛び出したとき、ぼくは世界が一変したことに気づいた。


 あたりは相変わらずひとが行き交い、車は走り回っている。


 だが、その中に確実にぼくを悪意で見つめる目が存在する。


 あの男かもしれない。あの女かもしれない。いや、今、ハザード点けて停まっている車の中の者かもしれない……。


 疑念の洪水に押し寄せられて、ぼくは恐怖感で胸を締め付けられた。


 自分の部屋には戻れない。

 でも、ここにいるのも恐ろしい。


 ぼくは、そのまま走り出した。

 恐怖に顔を引きつらせたぼくを見て、すれ違う何人かがぼくを振り返ったようだった。


 でも、ぼくはそのひとたちの顔を見ることも恐ろしく、そのまま駆け抜けた。


 ぼくはもう、後ろを振り返ることができなくなっていたのだ。




 そういうわけで、ぼくは今、寝泊まりが可能なインターネットカフェにいる。

 周囲を壁に囲まれた狭い部屋で、この文章を打っている。


 あれから友人にも、友人の彼女からも連絡はない。


 ふたりの身に何が起こったのか、ぼくは知らない。


 ただ、ぼくもまた、同じトラブルの渦中にあるのだという確信を持っている。


 何をどう対処すれば正解だったのか、ぼくにはわからない。

 そして、もう手遅れなのだと思う。


 ぼくに迫る悪意は、確実にぼく追い詰め、その見えない手でぼくの首を絞めようとしている。


 これを読んだ誰か。


 ぼくを助けてください。


 これがぼくの身に起きた異常のすべてです。


 この異常の原因を解き明かし、ぼくを悪意から救ってください。


 自分は無関係だと思わないでください。

 これは決して、ぼくだけの問題ではないはずです。


 この悪意が、ぼくを消せば終わるとは思えない。


 唐突に、無差別に、匿名で攻撃する――。


 世の中の仕組みが、それを容易くしてしまっている。


 ぼくの身に起きたことは氷山の一角ではないでしょうか。


 繰り返します。


 これを読んだ誰か。


 ぼくをwy¥亜hdphでkン;rf@@、、」dd



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読んダ?














この作品のレシピ:

夜、ひとりシャワーで頭を洗っていると、背後に誰かがいるのではないか、という感覚。

そんな感覚を持ったことはないだろうか?

この物語が生まれたきっかけは、そこからではある。

しかし、このプロットをまとめていたとき、一種の既視感を覚え、本棚を探っていると、フレドリック・ブラウンの『後ろを見るな』(「まっ白な嘘」創元推理文庫収録)と、仕掛けが同じものだと気づいた。

パクるつもりはなかったが、読み比べていただくと「仕掛けが同じ」という意味はわかってもらえるだろう。

そんなわけで、タイトルを『うシロを見ルな』としたのは、ブラウンへの敬意を込めてのものだ。

内容的にはまったくの別物なので、単純に比較していただいて問題ないと思う。

また、作品としてはメタ的な形でテーマを仕込んだ。

これまでの短編とは異質なものになったと自分では思っている。

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