80話 世紀の町、ゲーリー市
話の辻褄が合わなくなり、79話を改めました。御面倒ですが、前話に戻ってからお読みください。
大変ご迷惑おかけしました。
「何がいけないのです?」思わず聞き返す。
「覇権国と言うのは偶然に経済力と軍事力を手に入れたのではない。
時の運、地の利、国民の質、組織、行政などが上手く組み合わさって、他を圧倒する経済力と軍事力が得られた。
イギリスが18と19世紀に世界の覇者になったのも必然の経緯がある。まず世界に先がけて産業革命が興ったのは、たまたまイギリスには良質な石炭と発想力のある技術屋がいて、蒸気機関を生み出したからでもある。それまで水力や人力に頼っていた紡績業者は、安定したエネルギー源が得られて、繊維を安く大量に生み出せた。さらにイギリスには世界に植民地があり、ここにも大量の繊維を売りさばけた。なにより、野望と統率力のあった指導者がいた。
フランス、イタリア、スペイン、オランダ、ドイツ、ロシアなどはイギリスと同じ程度の潜在力のある国だったが、指導者、優秀な国民、地下資源、植民地などいくつかが欠けており、出遅れた。」
「しかし、そのイギリスも今では覇権国とは言えず、経済力や技術においては日本、ドイツに後れをとっている。その原因は何かと言うと、第一次世界大戦でドイツと争って力を使い切ったこと、石炭に替わり石油がエネルギー源になったことも大きいが、一番は国民が勤勉でなくなったということだ。
“英国病”とも呼ばれるイギリス国民に蔓延する無気力感、怠惰な勤務態度により生産性が落ちだした。それが覇権国病だよ。
そして、アメリカもイギリスの二の舞になろうとしている。」
「“覇権国病”によってですか?」
「そうだ。アメリカは覇権国になったことで、金が世界から入って来て、国民は何もしなくても豊かな生活が享受できるようになった。だが、その生活を続けるようになって、国民は勤勉でなくなり、生産力が落ちてしまった。アメリカ人も怠惰な国民になってしまったのだ。」
スミスはここで一息入れて、また話し出す。
「シカゴの南50キロの所にゲーリーという町がある。20世紀始め、当時世界最大の製鉄会社USスチールが暮らしやすい住居環境を整え、社員に与えた。当然、多くの優秀な者が全国から集まった。
そこは五大湖に面し舟運と鉄道網が整い、鉱石、石炭の原料を低コストで集め、製品もスムーズに運べる。しかも大都市シカゴの近郊だから人も集めやすい、製鉄工場には理想的な立地だ。
USスチールは工場の近くを区画整理し、庭付きの広い一軒屋、上下水道、電気ガス完備の理想的な住宅を造った。当時考えられる理想的な住居として設計建築され、しかも勤務先が近く通勤時間は短い、社員にとっては夢のような勤務地だ。
ゲーリーという町の名前も当時のUSスチールの会長の名前から来たものだ。USスチールの為のUSスチールの町だった。
この町は20世紀の初めには“世紀の町”と呼ばれた、しかし、20世紀の終わりには“殺人の町”となった。アメリカ最悪の犯罪都市になってしまった。」
「そんなことがあるんですか?」100年足らずに理想的な町から最悪な町に、信じられない話だ。
「USスチールの経営が傾き、社員の給与が上がらなくなった。一つの企業だけに頼り切った自治体の悲劇だ。
暮らしに困るようになった住民が犯罪に走り出すのはよくある話だ。
ただ、この町は建設当初から犯罪都市になるべく要素を抱えていた。」
「それは・・」
「製鉄業は綺麗で楽な仕事ばかりではない。職場によってはきつい、汚い、危険な仕事もある。そんな所では誰も働きたくない。特に白人には嫌われた。そこで南部から黒人を呼び、3kの職場で働かせた。3kの仕事を黒人に押し付けた。しかも黒人の住宅は狭く汚く電気ガス水道が整っておらず、白人の区画とは川を隔てた場所に建てられた。もし黒人地区で暴動が起きても工場や白人地区には川で防御する計画だった。
ゲーリーは最初から人種差別を前提に造られた町だった。」
「そんなことが・・」
「最初からゲーリーは白人と黒人が対立するように造られていた。USスチールの景気が良ければ、悪い面も目立たない。しかし経営が悪化すれば、住民はすさんだ気持ちとなり、人種対立から犯罪は激増する。
まあ、今は治安も大分良くなったとは聞いているが、当時は殺人が日常茶飯事と言ってよかった。
思えばゲーリーはアメリカを象徴する町だ。アメリカの縮図といってよい。良いことも悪いことも一番先に目立ってしまった。」
「南北戦争以来、アメリカは人種差別がいつも問題になっている。いや建国時からその病巣を持っていたのだ。
現在のアメリカは人種差別をタブー視する風潮にはなってはいる。だが、アメリカの病巣は深くより悪化している。
アメリカは“自由な国”“希望を叶えられる国”と言われた。誰もが自由に活動でき、希望を叶えられると考えられた。」
「“考えられた”ですか?」
「そう、昔は誰もが自由で富を築けると考えられた。しかし今では一部の者しか富を得られないし、ほとんどの者は富を得る機会もない。
階級社会の対立はイギリスにもあったが、アメリカはより顕著だ。この対立を解決する目途が全く見られない。
下層社会に生まれた者はまず十分な教育が受けられない。しかも有色人種には偏見が根強くある。だからスポーツ選手や歌手など特別な才能がなければまず富を得るのは難しい。
時が進むにつれ、アメリカの階級社会は強固になっており、階級を越えることは難しくなっている。経済格差は広まるばかりだ。
昔のアメリカは自由とチャンス(機会)の国だった。失敗しても何度もやり直しができた。社会が失敗を認める寛容さがあった。
それが今は失敗するともうやり直しができにくくなっている。」
「悪化しているのですね。」