8話 怪物からの提案
「何が、インターネットだ。こんな糞見たいな情報が役に立つか」コーツが腹立たし気に言う。
何しろ、ネットとい言葉がようやく世間に伝わりだした時代だ。大学や公共機関でさえ、インターネットを取り入れている所は少なく、コーツの欲しい情報があまりなかった。
「仕方ない。図書館で借りた本をスキャナーで読み取って、パソコンに入れるしかないな」
パソコンを新たに3台購入し、近所の人にも手伝わせて次々とスキャナーで本を読み取る。これをFDに記録し、メインのパソコンに移すやり方だった。
記録媒体の容量が小さく、何枚のFDを使わなければならに不便さはあっても、一度パソコンに情報が入れば後はコーツが瞬時に読み取れた。
ようやくコーツの求める情報を体に負担なく得られるようになったわけだ。
「今度は、生物に関するもっと詳しい情報が欲しい」コーツの要求はより専門的になる。
正直、勇策はコーツのやっていることに興味はない。だからコーツの知りえた情報は共有できるのだが、うっすらと頭に入る程度だった。
そして、一月後、コーツから次のように言って来た。
「ユーサ。肩を回して見ろ」
高齢の勇策は常に肩こりや背中の痛みに悩まされている。
コーツに言われて、腕や肩を回すといつもより、軽くなった感じだ。
「なんかうまく回せるな。痛みもあまり出ない」
「では、前屈をしてみろ」
言われる通りに、体を前に倒すと、手の先が脛あたりに届く。床に届いたのは若い頃の時だ。年寄りになったいまでは膝辺りがやっとの状態だった。
「これは、コーツのしたことか?」
「血流やリンパの流れを良くしてみた。ユーサがストレッチや柔軟体操を積極的にすれば、もっと良くなるぞ」
「これが、若返りの効果か?このままやっていけば、もっとよくなるのか?」
「ああそうだ。だが、限界がある。肌のシミや皺などは直すことができる。だが、人体は60兆*1もの細胞で作られていると言われる。俺の能力ではそのすべてに働きかけるのはできない。と言うよりも人間というか、殆どの生物が細胞が死ぬように出来ているんだ。俺にはそれを止める手立ては見つからない」
「ということは、やはり若返りはできないと言うことか?」
「そうだ。俺の能力で、ユーサの体を内部から変えられると考えていたが、全細胞が衰えていく現象は止められないことが分かった」
「そうか。そうだろうな」
コーツから「若返り出来るかもしれない。寿命を延ばせる」と言われ、一縷の望みを賭けたが、「やはり」と言う感だった。
「ただな。ユーサ。子供を作らないか?そうすれば、もっと生きられるぞ」
「何だって?」
思いもしない提案だった。
「ははは。おい。冗談だろ。儂をいくつだと思っている。儂の息子はもう使い物にならなくなっているし、女性を何十年も抱いてないぞ」
「そう、ユーサの性ホルモンは減少しているし、精子を生み出すこともできない。だが、ユーサの精巣には精子の細胞がまだ残っている。それを女性の体に移せば子供を作れる」
「人工授精をしろと言うのか。だがそんなことをして、子供ができたとして、何になる?」
「今の俺は、他の人間に移ることはできない。だが、ユーサの血の繋がりのある者なら、移ることは楽になる。」
「それは、息子の体に乗り移れるということか?」
「ああ、多少の危険はあるが、全くの他人よりはだいぶ楽になる。しかし、ユーサの子供の神経と接触するとおそらく・・・」
「おそらく、気がふれるな。そんなことは絶対だめだ。息子達の体を乗っ取ることなど許さん」
「だから、新たに子供を作れと言っているのだ。生まれたばかりの子供なら、思考能力がなく、精神を侵すこともない。俺とユーサの記憶を赤ん坊に乗り移らせればよい。そうなればユーサは生まれ変わることになる」
「・・・」勇策は少し考えに沈む。
「乗り移るのに危険があると言ったな。どんな危険だ」
「ユーサに壊された器官の修復がまだできてなく、他の生物に乗り移る能力が十分でない。寄生主側には必ず防御能力があり、それが障壁となって乗り移るのを困難にする。だが、ユーサに近い遺伝子を持つ者であれば、体質も近く、乗り移る障壁が低い。まして、生まれたばかりなら、防御能力が低いのでより楽になる」
「だが、儂の息子の体を乗っ取るのか」
如何に、まだ知恵を持たない子供であっても、許されることではない。
「その話は又後にしよう」そう言って話を打ち切った。
生まれ変わると言うのは魅力的だが、我が子を犠牲にしてよいのか。ただ、勇策に生きながらえたいと言う欲望も芽生えていた。
*1 2013年、イタリアの生物学者エヴァ・ビアンコニは論文「人体の細胞数の推定」を発表し、人体それぞれの器官の細胞数を、文献的・数学的なアプローチを使って統計的に計算し、成人の細胞数は37兆2000億個と推定した。ヒトの細胞数を論理的にきっちりと調べ上げたのは初めてだった。
ここでは通説通りの数値を使った。