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私の中の怪物  作者: 寿和丸
4部 今日の花を摘め
61/89

61話 C国での学会

「レディ、アンド、ジェントルマン。今日は僕の公演にお越しいただいて有難うございます。

僕はここにきて、ドクター=カジタニから健康についていろいろなアドバイスを貰って、こうして元気に暮らしていけるようになった。ただ、ドクターから『生きているだけで満足してはいけない。趣味とかスポーツなどに興味を持った方がいい。できれば創造的な人に喜びを与えるようなことをしたほうがいい。』と言われた。

僕に出来る、人に喜ばれ、創造的なものは何だろうと考えた時、ピアノを思いついたんだ。

僕の生まれた家は貧しくてピアノを持つことも、ピアノを習うことも出来なかった。ピアノが弾ける人が憧れだったんだ。そこでここに来て、ピアノを習おうと決めた。ここにはピアノ教室があって、誰でもピアノを習うことが出来る。そして、僕は今日、皆に練習の成果を見せたくてリサイクルをすることにした。

そして、これは永年、僕を支えてくれた妻に捧げようと思う。妻の名はエリーです。曲名は当然、“エリーゼのために”です。では聞いてください。」

そう言って弾き始めたピアノはまだ拙くて、お世辞にも上手いと言えるものではなかった。ただ、懸命に弾こうとする彼の姿、ミスしても最後まで弾き終えたことに万雷の拍手が起きた。特に彼の妻はもう泣きださんばかりに彼の胸に飛び込んだ。

この動画にもたくさんの“いいね”が付いた。また、人生の晩年になっても新しいことに挑戦する彼の生き方に、共感する人も多かった。

勇次の保養センターに入所する人の中にも新しい習いごとをする人が増えていく。

「これから、もっと多くの教室を開かないとなりませんね」中村は嬉しい悲鳴を上げていた。


◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇

勇次の保養センターでは月に一度の割合で、それぞれの部署の責任者が集まり、幹部会議を開いている。

議題はその都度変わり、通常は総合責任者の勇次は聞き役に徹していたが、会議の終わりころに発言をした。

「来月、中国で国際医学界の学会が開催され、僕も行くことが決まった。留守中はよろしく頼みます」と簡単な連絡をした。

「それは危険ではないですか?」発言したのは保安担当の小林だった。彼は警備会社にいたのをスカウトした人物だった。

勇次の進めている保養センターは一戸建ての家に住む生活を前提にしている。従って、家を買ってまで老後を過ごそうと思う人は相当、余裕資金のある人に限られた。

金持ちが多く集まることになり、どうしても保安・安全面には注意を払う必要があった。

「警備会社と契約しただけでは安全は保障されません。ここで万一にも犯罪事件が起これば、評判を落としますし、ここを離れる人も出るでしょう。そのためには職員一人々々が保安のことに意識を持たないといけません。と言って、職員全員が常に警戒心を持てと言うのではなく、日ごろの心構えが重要なのです。

例えば道端に煙草の吸殻が落ちていても、ここは掃除が行き届いてないと分かる。窓ガラスが壊れた家があれば、管理が行き届いておらないことになる。もし不審者が見附ければ、その家を忍び込めないか、隠れ家に出来ないか考えるものです。

私の言う、警戒への心がけは日頃の掃除や整頓が重要と言うことです。」

そして、プロの目から見ての提言も出してもらった。一つは年に一度の避難訓練、一つは保安チームの結成などだった。

「空き家が近くにあれば、犯罪の温床になりかねません。周囲の空き家は積極的に買い取ってください。」と言われ、保養センター周囲には空き家はなくなっている。

また保安担当の責任者がいることは、ここの安全をアピールすることにもなった。


その小林が中国行きに疑問を持った。

「少し前ですが、北海道の先生がやはり会議に中国から呼ばれたのですが、滞在中にスパイ容疑で逮捕されました。日本政府の抗議で何とか釈放されたのですが、拘留期間は5カ月に及びました。例え、中国からの招待とはいえ、何が起きるか分からないと考えた方が良いです。」

「そうですね。私も小林さんの意見に賛成です。万一にも院長が数カ月も不在になればここの業務は立ち往生します。今から断るわけにはいきませんか?」そう言ったのは中村だ。

勇次は保養センター近くに循環器と内科の医院を開き、院長になっている。勇次が心臓手術の名医であることはよく知られ、その勇次が保養センターにいることは評判でもあった。ここの保養センターが他との違いは、名医を抱えているかどうかでもあった。

もし勇次が不在ともなれば、保養センターへの入所希望者が激減するのは目に見えている。中村が反対するのも当然だった。

勇次は小林の意見を聞いて、少し、外国の政治情勢や治安に無頓着だったと気づいた。

「実はこの会議は佐竹先生との共同発表の場でもあるんだ。今から出席を断るのは難しいと思う。」弁解するように言った。


勇次は大学の5年の時、実験で心臓や脳の再生に関わる物質を発見した。これまで心臓や脳の細胞は生まれてから再生することはないとされていた。それが、勇次によって覆されたのだ。脳や心臓の難病の治療にも役立つ画期的なものだった。これはコーツのアドバイスもあったから見つけられたものだが、勇次のたゆまない努力の結果でもあった。

佐竹教授はこれを自分の功績とせず、勇次との連名で発表してくれた。

大学の研究室とは開かれているようで、閉鎖的な空間でもある。教授の地位は絶対的と考えられ、逆らうものはいない。教授が弟子の成果を我が物として発表しても、弟子は泣き寝入りするしかない風潮さえある。まして、学生などは奴隷のようなタダ働きの存在であり、蟻のようにこき使われてもおかしくないし、論文発表など許されてもいない。そんな中で、佐竹は勇次の功績を奪うどころか広めてくれたのだ。学生の論文は世間で注目されることなどないが、佐竹との共同論文だったので、勇次の名前は広く知られるようになった。そして、この論文は海外でも多くの研究者からも引用されるまでになっている。

それだけに勇次は佐竹には感謝をしていた。その佐竹から同行を求められたので、断りにくいのだ。

「それならば、私が同行します」小林は反対など言わせないぞと強く言い切った。

「ええ、是非、小林さんに行ってもらいましょう」出席者の全員が支持し、小林の同行が決まった。


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