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私の中の怪物  作者: 寿和丸
3部 医者になる
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58話 佐竹教室

勇次の大学生活は女性にまつわることが多くあったが、授業は順調にこなしていた。

特に2年になると、実習としてモルモットなどの解体などが行われた。ほとんどの学生は生き物にメスを入れたことなどない。多くが、血を見ただけで顔が引きつり、メスを持つ手が震えている。それに対し、勇次だけは鮮やかと言えるほどの手際を見せた。ほとんどの学生が血管と神経さえ区別もつかない中で、一人、手順に従って切り分けていた。

「桐谷君は高校で生物実験をしていたの?」と実験仲間が聞いてくる。

「実験のビデオを見せられたから、やり方を真似ただけだよ」

「僕だって見たさ。でも実際にメスを持つと違った」友人は生きた実験動物にメスを入れることに躊躇してしまった。

勇次は大胆とも言えるほど、メスを入れるのだが、手元は狂ってなかった。血管を良く見分け、傷つけないようにして分けていく。

その為、勇次は内臓組織ごとに綺麗に切り分けていくのだが、友人たちがやった後は組織や血管を傷つけてしまい、血が噴き出し、組織と組織が入り混じっていた。


これは勇策の戦争体験もあって、流血惨事を体験していたことが大きい。勇次は多少の流血などに怯まないだけの度胸が身についていた。そしてコーツの知識が加わる。動物の組織が頭に入っているから、メスを間違えなかった。それに勇次は器用だった。

前に「ピンセットだけでなるべく小さな折り紙を作りなさい。」と課題が与えられたことがある。この時も勇次ひとり、指先に乗れるほどの鶴を作り上げていた。

「梶谷君は本当に手先が器用なんだ」と友人たちは感嘆していた。

この見事な勇次の手さばきを、佐竹教授の助手が見ていた。

「2年の学生で、成績はトップで、手先が大変器用な者がいます」と教授に報告した。

教授は、学会で注目される研究結果を発表し、心臓循環器系の権威でもあった。

「そんな優秀な学生なら、是非教室に入れたいな」

普通、医学部の学生は5年や6年になって、卒業論文をまとめようとする時期から、教授などの指導を受けるために、担任の教室に出入りを許されるものだ。まだ2年の学生が教室に呼ばれることなどありえなかった。

ただ、佐竹は大学でも大きな発言権を持っており、彼の言葉はそのまま通ることが多い。勇次はすんなり佐竹教室に受け入れられた。


「ノーベル賞を取ったレイモンドは学生に実験をやらせ、その実験結果がまちまちなのにも腹を立てず、根気よく指導した。その結果、血管を弛緩する物質を発見し、それがノーベル賞に繋がった。僕も実験を何より重要と考えているし、君には大いに期待しているよ。」

招かれた時に教授から直々に言われた。言葉通り、佐竹は実験に向き合っていたし、ささいなミスで実験が失敗するのも許さなかった。普段は温厚な物腰で学生と接していても、いざ実験となると手抜きすることは絶対しない姿勢だ。

それが教室の中の雰囲気にもでて、教室の中は笑い声も起こるほど和気あいあいなのだが、実権最中は緊張感がみなぎるのだ。

勇次は教室では一番学年も若く、年齢も低かったが、素直に受け入れられた。この教室の特徴として、殆どの学生は手先が器用で、優秀なことだった。教授から与えられる課題に応えようと手を抜かない姿勢は勇次にも多くの影響を与えていくことになる。

現代医学は急速に進んでいるが、まだまだ未知の領域が多くある。思いもよらぬ物質が、代謝に影響を与えていることがまだまだ実験で見つかっている。

勇次はこの教室で、しごかれ、多くの経験をし、学んでいた。


学問とは不思議なもので、学べば学ぶほど分からないことが見えてくる。

勇次は入学して1年の頃は、教養課程ということもあり授業内容がありきたりで、テニスに打ち込むほどだった。それが佐竹教室に行くようになると、もうテニスなどやってられなくなった。分からないことが増えてきて、もっと勉強したくなる。またもっと勉強に打ち込み、佐竹や助手の意見を参考に自分なりに実験を考えるようになった。

「惜しいな。同好会の沢井や他の女に声を掛ければ、勇次に簡単になびくぞ。あの女たちなら、お前の子を何人でも産んでくれる。」とコーツは本当とも冗談とも言えぬことを言っていた。

「冗談ではない。晶子と由香との家庭を持つだけで大忙しだ。これ以上女性と関係など持ちたくはない」

あれから由香は完全に立ち直っていて、人気に陰りは見えてない。

そして今は勇次の子を身ごもっている。スタイルの良い彼女がインスタに丸い大きなおなかを投稿して反響も呼んだ。近い将来に、勇次は二人の女性の家庭を往き来しなくてはならないのだ。

家に帰って、子供の面倒も見なくてはいけなかったし、晶子や由香のご機嫌も取らないとならなかった。

本心は研究室に閉じこもり、もっと生き物の構造をもっと知りたいくらいだった。意図した成り行きではないが、若い時に二人の女性との家庭を持った以上、これを最後まで守り抜くことが自らの使命と位置づけしていた。

この他にも伸二や中村との事業についての会議も重ねなくてはならなかった。これほど忙しい経験は過去にしたことがない。

「出来ることは手を抜かずに全力でやる。折角、勉強が面白くなっているんだ。学校も家庭も全力を傾ける」若いからやれたことでもあった。


それでも勇次は研究者の道に入るつもりはない。伸二たちにも次のように言っている。

「浮世絵の葛飾北斎は、90歳になっても絵筆を握っていた。あと5年したらもっとよい絵が描けると言っていた。晩年は浮世絵から肉筆画に移り、より創造的な絵を描き続けた。だからこそ、生きることに執念を燃やし長生きしたと思っている。創造的な人生を送ることで、生き甲斐が生まれ、人生に張りが出来る。ただ生きているだけでは仕方ない。

僕は、保養センターでは、入所者に年をとっても創造的なこと生産的なことをして、生きることに張りを持って貰いたいんだ」

それは勇策の経験から言えることだった。

勇策は政治家を引退しても、政治に関心を寄せ、自分の秘書だった者を国会議員や市長にしていた。93で死ぬまで、政治力を発揮したのだ。

「保養センターでは、入所した人がなにかやりがいを見つけ出せるように手助けしたい。そのような保養所にしたいと思っている」

勇次の目標は、研究者ではなく、医者になって寝たきり老人を無くすことだった。


そして中村と伸二に進めて貰っている事業は大きな壁にぶつかることもなく、順調に拡大していった。


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