52話 警察の取り調べ
勇次の尿検査により覚せい剤が検出された。有名大学の学生が覚せい剤を使用したことに、警察組織は敏感に反応し、翌、早朝から勇次は尋問される。
「私も、どのようにして薬を飲んだのか説明できません。ただ、昨日、キャサリンからコーラを受け取り、変な味と思いつつ飲み干した。それ以後は記憶があいまいになっている。彼女の部屋に行ったことも、どのような行動をしたのかもはっきりしてません。ただ、彼女の部屋で,彼女から肉体関係を迫られたようだ。そこでケンカとなり、彼女の部屋を出て、タクシーを使ってすぐ警察に来た」と説明する。
「ふーむ」この話を警察の担当者は信用しなかった。
ただ、覚せい剤を服用した者が、自ら出頭することはあまり聞いたことがない。受付で「女から薬を飲まされた」と言って倒れ込んだのも事実だ。
もし話が本当なら、キャサリンが非常に疑わしく、彼女が証拠品を隠してしまう恐れもあり、キャサリンの家に捜査官を派遣することにした。
キャサリンは勇次から足でベッドから蹴り落とされたショックが大きく、なかなか寝付くことができなかった。
「勇次は薬で私の言いなりになるはずだった。普通の男なら裸で女とベッドの中に入れば、やることは決まっているでしょう。なのに勇次は私を蹴ってベッドから落とした」
ありえない屈辱だった。彼女は若く、自分の容姿にも自信があった。男を虜にするなど簡単と思っていた。それだけに勇次から受けた屈辱で、一晩怒り狂っていた。
そのため、警察が捜査に入った時もまだ寝ていた。
寝ぼけ眼で警官を部屋に迎え入れた時も、何で捜索されるのか理解できなかったようだ。
そして彼女のバックから薬が見つかり、ようやく事の重大性に気付いた。
「これは、友人から預かっていたもので私のものではない」と弁解するが、警官に聞き入れられることはない。
「署に同行願います」と緊急逮捕される。
でも取り調べにおいて、彼女は「弁護士を呼べ」の一点張りだった。
「どこから薬を入手したのか」と説明を求められても、何一つ言わない。
これは手を焼きそうだと担当官は覚悟するしかなかった。
一方の勇次は、キャサリンが薬を所有していたことで容疑が晴れ、帰宅を許される。
「ただいま」帰宅すると、妙子や伸二も駆けつけていた。
晶子は当然として、妙子や伸二も随分心配していたようだ。
「夜になっても、帰らないなんて、あなたからしたら珍しいわ。電話もくれないなんて心配したのよ」
「本当よ。晶子さんから勇次が帰って来なかったと聞いた時は心配したわ」
「どうして、連絡もくれなかったんだ。おまけに警察にいると聞いて慌てたよ」
「心配かけて済まなかった」弁解やら言い訳をひとしきりする羽目になった。
その後伸二と二人きりになり、詳細に事件のことを説明する。女に騙されて部屋に行き、肉体関係を迫れたなんて、妻や母の前で言えはしない。
「そうなると、そのアメリカ女が怪しいな。ただ、目的は何だ?」伸二は一通り聞き終わると疑問を口にする。
「僕と肉体関係を結ぼうとしたことは確かだ。」
「勇次と関係を持って、金を強請ろうとしたのか。ただ、それだけで薬を使うかな?それに随分、性急なやり口だな。薬をどうやって手に入れたのかも気になる。入国した時に持ってきたとしても、来日してひと月経つんだろう。その間、使わないでいたことになる。入学した動機もよく分からないし、どうしてテニスの同好会に入る?プロテニスを目指そうとした人物なら、普通は正式な部員にならうはずだ。まるで、最初から勇次をターゲットにしたようじゃないか」
「やはり僕を狙っていたと考えていいな」
「彼女の狙いははっきりしない。ただ何か背後に組織のような物を感じるぞ」
伸二とはその後も対策を相談し合った。
そのころキャサリンに対して警察の取り調べは行われていたが、拘留から二日経つと、突然取りやめとなった。
「どうして、捜査は打ちきりなんですか?」担当者は上司に顔を真っ赤にして食いついていた。
「外務省から彼女を強制帰国させる通達が来たんだよ」
「え!外務省から?」
「もう我々では手に負えないと言うことだ」
担当官は黙って受け入れるしかなかった。
◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇
アメリカ国防省の一室ではキャサリンの報告書を読んでクラークが嘆息をついていた。彼はキャサリンが日本の警察に薬物不法所持の容疑で捕まると知り、国防省を通じて強制帰国命令を出させていた。
「彼女には荷が重すぎたのか。日本なら危険なことは余り起きないだろうし、大学生を取り込むことなら容易いだろうと考えていたが。梶谷がテニスをやり始めたと聞いて、年齢も近いしキャサリンなら打ってつけと思ったのだが、甘かったか。」
「彼女のやり方は少々強引だった。ひと月近くテニスの練習をしたのに、一度も飲食を共にできなかった。それで焦って、強引に薬を使うことにしたようだが、もう少し待っても良かった。何より薬を見つけられたのは迂闊だった。やはりエージェントとしては経験不足だったな。」
「あの薬は何人もの被験者を使って、効用は確かめてある。薬を飲んだ者は意識が無くなり、他人の命令に従うようになるはずだ。それなのに梶谷は正気を保っていたと言うのか。どんな体質をしているんだ。」
「彼がゴーストであるか結局判明できなかった。ただ、特別な才能の持ち主であることは間違いない。こちらに取り込むことは失敗したが、まだ、我々の存在や目的は気づかれてないはずだ。やり直す機会がいずれまたある」
ともかく、失敗は受け入れて、次の機会を待つことにした。