44話 コーツとの話
ソフト業界から介護業界、そして医者になることについてはコーツとの取り決めをしていた。
「私は勇策の時に、93まで元気だった。足腰は弱っていたが歩行が困難なことはなく、固いものは食べられなくても食事を楽しめていた。それからコーツが体の中に入り、私をより元気にしてくれたのは確かだが、自分の力で生きていられた。それは個人的な体質によるのかもしれないが、勇策自身が社会に関心を持ち生きていたからではないかと思っている。
ところが、多くの老人は日長一日、ただテレビを見て、日向に座り庭を眺め、体を動かすことはせいぜい散歩ぐらいだ。自ら、行動を起こし、社会に働きかけようとする姿勢がないと言える。
勇策は歳をとって、政界を引退したが晩年まで政治に関心を持っていた。かつての秘書たちを集め、その中から国会議員や地方議員にさせた者もいる。息子については匙を投げていたが、秘書たちを指導し成長して行くのを見守っていた。こういう勇策だったから、最後まで元気に暮らしていけたと思う。」
「ユージの考えはあっている。人間は余りに寿命が短い。短いにもかかわらず、無駄に生きている者が多すぎる。だからより一層、寿命を短くしているんだ」
「長生きのコーツと比較してもどうにもならん。ただ、人の老後の生き方については改善できると思う」
「確かにそうだ。老後の生活は改善できる」
「それで、私は介護事業に転身しようと思うが、コーツの意見はどうだ」
「異論はない。世界のネット業界が未熟な時なら、十分に俺とユージなら、この業界を牛耳ることが出来た。今でも特にネットに悪戯ぐらいならできるが、支配するのは困難だ」
「悪戯って、まだコーツは悪さをしようとしているのか?」
「いやいや、それはない。あの時のようにユージの身に危険が及ぶのはもうこりごりだ」
「それならいい。話は戻すが、このままソフト業界に関わっていても、ある程度の勢力は持てるかもしれないが、中心にはいられない。それどころか淘汰される危険の方が多い。とにかく私はソフト業界から身を引く。医者になることについても異論はないな」
「それが、分からん。俺の知識を生かせば、今すぐにでも寝たきり老人も元気にできる。ユージが別に医者にならなくても、今だって寝たきりを直せるぞ」
「駄目だ。それでは私が目立ちすぎる。私が寝たきり老人を元気にしても、当たり前と思われるような、誰からも怪しまれない経験を持たないといけないんだ。実績を示さなければ、世間から怪しまれる。怪しまれれば、誰かが私の身辺を探り、警察病院での取り調べよりも徹底的に調査される。そうなればコーツのことだって、見つかるかもしれない」
「分かった、ユージの身体をちょっと調べたぐらいでは俺が見つかりはしないが、ユージがそう言うなら目立たないようにしよう。だが、人間と言うのは面倒くさい生き物だな。ともかくだ、頑張って、ユージは早く医者になり、名医になってくれ。そうすれば俺の能力をもっと生かせるようになる。」
そして勇次は医者になるべく大学受験を目指すのだが、試験日までもう5か月しかなかった。
晶子にも手を借りたのだが、試験内容の資料を探すだけで時間がとられた。周りの者が心配になるほど、合格するか危うい状況だった。
ところが、志望校の合格発表には勇次の番号がしっかりとあった。
「まさか、一発で医大に合格するとは思わなかったよ。勇次は本当に頭がいいんだな」
「褒めてくれるのは嬉しいが、何も出ないぞ。」
「でもなあ、試験までほとんど時間がなかった。姉さんはどう思っていた?」
ここは勇次夫婦の暮らすマンション。伸二が少し前に生まれた姪の出産祝いと勇次の合格祝いに訪れていた。
「そうねえ、大して勉強したように見えなかったけど、パパは頭がいいから大丈夫だと思っていたわ」
晶子は子供たちに囲まれるようになってから、勇次を“パパ”と呼ぶのが多い。まだ勇次は晶子をママとは呼んでいない。
「そんな、のろけなんて聞きたくないよ」伸二がまぜっかえす。
「あら、伸二が先に聞いてきたからじゃないの」
晶子も若い夫が、大学の医学部を受験しようと言ってきた時に驚いたものだ。勇次ときたら晶子の教え子だったころは進学に興味を示さなかったくせに、会社経営を始め、その会社を売り払ったと思ったら、今度は大学に入ると言い出した。それも超難関と知られる有名大の医学部を目指すと言うのだ。
ただ、受験勉強を始めた頃、勇次が「試験問題の資料をみたら、高校の頃にやっていたのと変わりない。特に理数系は難しいと思えないよ」言ったので、そんなに心配しなかったのも本当だった。
その言葉通り合格したのだから「パパは本当に頭がいいんだわ」と思うしかない。
その後、談笑が続き、「とにかく、これでようやく時間がとれる。保養センターのことについてもこれから説明を受けるよ」話題を変えるように言う。
勇次は既に新規事業と新たな学生生活に頭を切り替えていた。