30話 電車事故
勇次は駅のホームで電車が来るのを待っていた。
マンションと会社とは2つ駅が離れており、いつも電車で通勤している。と言っても朝夕のラッシュアワー帯から外れていて、今のホームいるのは100人もいない。
「間もなく急行電車が通過します。黄色い線より内側でお待ちください」とアナウンスがなされる。
ほどなくして、警笛と共に電車がやって来る。
今しも電車が通過しようとする間際、勇次は後ろから強く押された。
踏みとどまろうとしたが、完全にバランスを崩していて線路に転落してしまう。
人が転落する様子を運転手も発見する。咄嗟にブレーキを掛け、「キキー!」という車輪とレールの摩擦音。だが、とても急には止まれない。
落ちた勇次の前には警笛を鳴らした電車が迫ってくる。
「左に転がり込め!」コーツからの指示がくる。
並行する線路にも電車が走ってきており、とても路上を渡り切れるものではない。
反射的に勇次は身体を壁にぶつけるようにして、ホームデッキの下に潜り込んだ。
線路とホームのわずかなすき間。
「少しでも壁にへばりつけ」コーツに言われるまでもなく、勇次は頭から足先まで、壁に擦り付けた。
すぐ脇を、車輪が通る。
頬に電車からの風圧がきつく、髪の毛が強く流れる。
「できる限り体を引っ込めろ。電車に少しでも触れると、引きずり込まれるぞ」
言われなくても分かる。もし、何かが電車に当たれば、引きずりこまれ、その後のことは想像したくない。
「ギー、ゴー」身動きもできない勇次の耳に、電車の音がやけに大きく聞こえる。それでいながら、心臓音が不思議と聞こえる。
「1秒、2秒、・・・」時計の進みがやけに遅い。
時間にして数十秒も経過してないのに、永遠の時と感じられる。
それでも、巨大な鉄龍は通過していき、目の前は明るくなった。
「きゃー」と言う女性の悲鳴。「誰か落ちた」という怒号。駅のホームは一瞬で騒然となっていた。
電車はホームを50メートル以上過ぎて止まった。
駅員やホームにいた男性客が下を覗き込んだ。
彼らの脳裏にはばらばらになった肉体がレールに散乱しているのではと悪い予感が浮かんでいた。
ところが、レールには惨事を物語るようなものは何もない。
ほっとしながらも、ホームの下を覗き込んで探した。
すると、もぞもぞとした動作で若い男が出てきた。
「君、大丈夫か?」「ええ。問題ありません」「とにかく、事情を確かめたいので話を聞かせてくれ」駅員に寄り添われて、事務室に行った。
「電車が通り過ぎるのを待とうと、ホームの中ほどでいたら、背中を強く誰かに押され、線路に転落した。ホームの下に上手く避難できたので、怪我をしないで済んだ」この説明に駅員も納得した。
また、「ホームで利用客がもつれ合っていて、ホームに転落した」という運転手の証言とも一致する。
「幸い、誰も怪我がなく、電車に遅延が発生しただけですので、大きな問題にはならない」と鉄道会社側に判断された。
小一時間してから「気を付けてお帰り下さい」と言われた。
ところが駅に出ると、勇次は刑事と名乗る者から呼び止められてしまう。
「お手数とは思いますが、事故当時の事情をお伺いしたいので、同行をお願いします」物腰は柔らかいが、有無を許さない態度だ。
いかめしい顔つきの者達に囲まれるようにして、勇次はパトカーに乗り映るしかなかった。
そして、着いた先は警察病院だった。
「怪我はされていないと伺っておりますが、念のために診察を受けていただきます」ほぼ強制的に、様々な検査を受けることとなった。
公安室は梶谷勇次に手が出せない状態だったが、監視活動は続けていた。そこに、駅での事件が発生する。
勇次を線路に突き落とした者達は2名。騒ぎが大きくなる前に駅から逃亡しており、監視カメラの死角を利用したのか映ってない。明らかに荒事に手慣れた機関、組織の人間と思われた。
「直ちに、梶谷勇次を保護しろ。頭がいいと言っても少年だ。一人になっただけで、不安になり、自白もするだろう」公安室長はこれを好機と捉えた。
「ですが、何の令状もなく、連行するのは批判を受けます」
「だからよ。未成年者を保護すると言うなら、どこからも批判は来ないだろう」
室長は暴力組織から民間人を守るという名目を立てて、勇次の連行を指示。
「梶谷勇次を警察病院に保護している間に、彼の身辺を徹底的に調べろ。彼を部屋から出すな。面会も許すな。携帯もパソコンにも触らせるな。
ここ最近、ゴーストは米国公的機関のシステムに出没した報告がない。空き家のパソコンを押収して以来、ほぼ活動してないと言える。これは、ゴーストが我々の捜査を怖れ、自重しているのかとも見える。
ここで、勇次に何もさせない状態において、このままゴーストが出没し無かったら、勇次がゴーストである可能性が一層高まる。
勇次を保護して、ゴーストがいなくなれば、何年でも保護を続ける。その間に勇次がゴーストである証拠を探し出す。」
官房公安室の室長は断固とした口調で言い切った。