28話 一軒家のパソコン
「業者には通信サーバーの記録提供は既に求めてある。おそらくスライマン諸島のサーバーを経由したのは身元を隠したいからだろう。こうなれば、過去1年以内に国内からスライマン諸島とつながりを持った者をかたぱっしから洗い出せ。」
日本国内からスライマン諸島を利用した件数は300万件を超えており、これとアメリカ国防省にまでつなげたハッカーを探すことになった。膨大な作業量となり、担当者たちは手分けして、洗い出していった。
捜査は難航を極め、殆ど日夜問わず連日不休で、捜査活動が続いた。そして、アメリカからの要請から3週間後、公安室は遂に怪しき情報源を突き止めることに成功する。
「都内K区西本町の個人住宅から、数百回、スライマン諸島に発信された記録があります」
数百の交信など、決して多いものではない。漫画や雑誌などを違法コピーし、これをマニアに向けて発信して、広告料を稼ぐ者など一人でトータルすれば10万件以上のアクセスをスライマン諸島のサーバーにしていた。だが、逆に警察などは今度の犯行は、犯罪組織などに関りの無い者が、興味本位に及んだ可能性があるとも見ていた。
「組織的な工作なら、破壊工作なども仕掛けてくるはずだ。しかし、今回は全くその形跡はない。個人のネットマニアが面白がって、国防省に入り込んだ可能性がある。この線に沿って見つけ出せないか」
そして、浮上したのが一軒の民家から通信記録だった。
「その家の持ち主の素性は判明したのか?」
「はい。家主は73歳の独居老人です」
「73の老人がハッカー?あり得んだろう。大体、そんな老人がネットをやれるのか」
室長が疑問に思うのも無理ない。一人暮らしの老人が、ハッカーになって、最高に厳重だと言われているアメリカ国防省内のコンピューターに忍び込むことなど考えられることではない。
そして、この老人の家庭環境が判明して、もっとあり得ないことが分かってくる。
その老人は息子夫婦、孫息子の5人で暮らしていたが、孫がまだ小学生の時に、息子夫婦が相次いで病死し、その後は男手一つで育て上げた。
そのことに孫は感謝していたのか、成人になって会社員として働きだしても老人と暮らし続けていた。ところが、2年前に息子に昇進と名古屋への転勤の話が持ち上がった。
世話になった祖父を一人にしておけないと、孫息子は祖父と一緒に名古屋への引っ越しや、昇進を諦め転勤を断ることも検討したようだ。
「お前が偉くなるなら、俺はここでまだやれるからお前は名古屋に行ってこい」と強く祖父に後押しされ、後ろ髪を引かれる思いで転勤した。
「せめて、おじいちゃんとは連絡をいつも取っておきたい」と孫は祖父にスマホを与え、更にパソコンを手ほどきしてメールのやり取りも出来るようにした。
それ以来、祖父と孫はメールと電話で連絡し合い、更には孫も出来る限り帰って来ていた。
この時点で、この家から違法なメール配信など出るはずもなかった。
その上に、半年前に孫が交通事故で無くなり、祖父は葬式の喪主をするなど気丈な態度を見せていたが、49日を過ぎた頃から寝込む様になっていた。
これを心配した近所の人が、家庭相談員に連絡し、祖父は養護施設に入ることになった。
つまり、この家は半年前から、誰一人いない状況になっていた。
電気、ガス、水道も遮断され、この家に誰も住めない状態になっていた。
ところが、この家からスライマン諸島に繋がっていたのは確かだった。捜査は完全に行き詰まった。
「この家はまだ、電話や通信サービスの契約は残っているのか?」
「契約は解除されてなく、ネットは今も繋がっていて、通信料金も銀行口座から引き落とされています」
「そうすると誰かが、この家に忍び込んで、パソコン操作をしていたに違いないな。その家を張り込んで侵入者を捕えろ」
公安の多数が、この家周辺に潜んで、ハッカーの現れるのを待つことになった。
とこらが、一週間経過しても、その家に近づいたのは、新聞やNHKの勧誘員だけであり、後は野良猫しか現れなかった。
「馬鹿な、誰一人来ないなんてありえるか?」
「室長、通信会社に張り込んでいる者から、サーバーとこの家のパソコンと接続していると連絡がありました」
「何、我々の監視を潜って、誰かが家に忍びこんでいる?直ちに、乗り込んで犯人を捕まえろ!」
「まだ、裁判所から家宅捜査の許可が下りてません」
「そんなものはいい。後から何とでもできるから、家に押し入って犯人を捕らえろ!」
指令を受けて、現場の捜査員たちは直ちに玄関と台所口から捜索に入った。
ところが、さっきまで、犯人がパソコン操作をしていたはずなのに、家には誰一人いなかった。
何人もの捜査員が取り囲んでおり、その目を盗んで家から出られなかったはずなのに、ハッカーの影も形もなかったのだ。