1. 崩れ落ちる日常
「はぁ……。最後のチャンスだったのに……」
リビングの隅でしゃがみ込んで、ため息をつく。
その理由は言うまでもなく、魔法使い適性が無かったからである。
「トキカ、いつまでも落ち込んでないで、夕食の準備を手伝いなさい」
「だって私も魔法使いになりたかったんだもん!!」
「そんなこと言ったって、結果は変わらないわよ」
「うぅ……」
そう簡単に受け入れられない。だから、落ち込んでいるのだが……
しかし、結果は変わらない。それは事実である。
(……そうだよね。落ち込んでちゃだめだよね。決めた! 明日から新しい目標を探そう!!)
そう考えると、気持ちを切り替えて夕食の準備を始めるのだった。
* *
「おお、今日はいつもより豪華な夕食だな」
「当たり前でしょ。もしかして今日が『精霊祭』なの忘れてたの?」
思い出したかのように納得した顔の父を見て、母は呆れていた。何せ、一年で最も大切な祝日とされている日を忘れていたのだから……
『精霊祭』
魔法を司る精霊に日々の感謝をする日である。
争いの絶えない各国の王たちが、この日だけは休戦して、中立都市にある大神殿に集まって祈りを捧げる。
それほど大切にされている日であり、小さな村では夕食が豪華になる程度のイベントだが、人々の暮らしは魔法に大きく助けられているので、魔法が使えなくても疎かにはできなかった。
「でも、去年よりも食材が豪華だよね?」
夕食の手伝いをしていたときから感じていた疑問を思わず口にする。
「それは……多分、気のせいよ!」
何かをごまかすような言い方をする母だったが、おそらくは今日の結果を励ますために奮発してくれたのだろう。
そして、父には適性結果をまだ伝えていなかったのに、それを見て察したのか、そっと頭を撫でてくれた。
「早く食べよ! 今日は私もお料理したんだから!」
「それは楽しみだな」
そう言って席に着き、食事を始めた。
(夢は絶たれたけど、新しく探せばいい。
私は一人じゃない、パパとママが応援してくれる)
両親の励ましと、優しさを受けてそう思う。
これなら何があっても頑張れる気がした。
* *
「なんの騒ぎだろう?」
食事が終わり、くつろいでいると外から人の声や物音がしてくる。
「こんな時間になにかあったのか? ちょっと確認してくるな」
何事かと、父が様子を見に行ったが、数分もしない内に慌てて帰ってきた。
「大変だ、王都が、マルアス城が襲撃されたらしい」
「「えっ……?」」
すぐに意味が理解できなかった。それは母も同じだったようで、困惑した表情をしている。
「街も襲われたらしい。王都から村まで逃げてきた人たちの話を聞いて、大騒ぎになってるようだ……」
「もしかして『ネプシャ』なの?」
「詳しい話は聞けなかったが、ネプシャで間違いない」
「そんな……。今日は精霊祭なのにどうして……」
『ネプシャ』
マルアスから南方にある隣国で、この国との争いが最も激しい敵国である。
トキカは状況を掴めていないが、両親はある程度の現状を察しているようだった。しかし、それでも休戦を約束している精霊祭の日を狙ってきたことに疑問が残るようで、頭を抱えている。
「そもそも、王城を制圧したのなら、それ以上は一般人や街を襲う必要は無いだろう。領土や物資を奪うのが目的じゃないのか?」
「まさか、この国を滅ぼす、とかじゃないでしょうね……」
「ネプシャの勢力が分からないが、さすがに攻めてきた兵士だけじゃ難しいと思うぞ。強力な魔法使いが前線にいるなら可能かもしれないが……。
いや、貴重な魔法使いを戦場に送って、自国を手薄にするはずがない。それに、もし戦場で倒れたら損失が大きすぎるからな」
「でも、今日は精霊祭だよね……」
両親の会話を聞いていたトキカが、思わず呟いた一言に両親は衝撃を受けた。
精霊祭。本来であれば『攻める』ことも『攻められる』ことも無い日である。
これまで、精霊祭を最も重要としてきた三つの国は、一日限りの条約により、争うことは無かった。
しかしネプシャは攻めてきた。
攻められないと安心している心の余裕、中立都市に向った王の護衛で人数の減った王城の兵士。そこに全戦力で攻めれば……そう考えると寒気がした。
「本気でこの国を滅ぼす気なのか……
もしそうだったら、この村も襲われる可能性があるぞ」
可能性の話であるが、決して低い確率でないことはトキカにも理解できた。
そして、うろたえるトキカを他所に両親の動きは早かった。
「逃げましょう。もし予想が当たっているなら、急がないと……」
「そうだな。荷物をまとめて、すぐに出よう」
両親は、食べ物やお金など必要になりそうな物を素早く準備していく。
「トキカ、逃げるわよ」
「う、うん……」
早々に準備も終わり、両親に言われるがまま手を繋ぐ。
こうして実感がわかないまま、暗い道を歩き始めた。
* *
東に向かって進み、かなりの距離を歩いた気がする。
近隣の村でも騒ぎになったのか、同じように逃げる人たちが多く、周囲には大勢の人が歩いていた。
村では逃げる際に、考えすぎだと笑う人もいたけれど、半数以上の人は逃げることを決めていた。他の村でも同じくらいの割合なのだろうか?
そんなことを考えながら歩いていたが、そろそろ体力が限界になってきた……
「トキカ、少し休むか?」
「うん!」
「じゃあ、あっちの方で座わりましょ」
疲れが顔に出ていたのか心配されたので、道から少し外れた場所で休むことにした。
(どこまで歩くんだろう……)
少し休憩したら落ち着いてきたので、気になっていたことを聞いてみる。
「ねえパパ、みんな同じ方向に歩いてるけど、どこに行くの?」
「この道をずっと歩いた先にある中立都市だよ」
存在はもちろん知っていた。だが物好きが移住するか、商人が取引で行くような場所なので位置までは知らなかった。
そんな場所を目指すのは、マルアス国内に居るよりも中立都市の方が安全だと誰もが思ったからである。なにより、精霊祭に参加している国王が居るのだから、助けを求めるなら行くしかなかった。
ここまで三時間ほど歩いたが、このペースだと更に六時間近く掛かるようなので、充分な休憩を取って、体力が回復してから立ち上がった。
「もう大丈夫!」
「それじゃあ、行きましょうか」
「そうだな。ゆっくり行っても朝までには着けるだろうから、焦らず行こうか」
そう言った父の手を取り、動き出そうとした、その時だった……
「奴らだ! 早く走れ!!」
後方から誰かが叫んだ。
その直後、何かが爆発したような音が響き渡たる。振り向くと、遠く後ろの方で人が倒れ、地面は燃えていた。
突然の出来事に、悲鳴を上げてパニックになる人や、膝から崩れ落ちて動けない人もいる。
そんな人たちを、後ろから迫ってくる敵兵たちは容赦なく剣や槍、そして魔法を使って殺していく。
「嘘でしょ……」
「あの炎は魔法……なのか?
あんなことを出来る奴がいるなんて……」
「と、とにかく逃げましょう」
「……このまま逃げても、追い付かれて全員殺される。
逃げ切るには違う道……森を目指すしかない」
「で、でも、森には兵士ですら手に追えない危険な魔物がいるんでしょ……」
「だが、森の方に向かえば自分たちも危険だと考えて追ってこない可能性もある。
だから、このまま進むよりはマシだと思う」
「……そうね」
母は少し躊躇したが、他に案は無かったようで覚悟を決めて、トキカと手を繋いだ。
「よし、追われなければ森の中まで入らず様子見、追われたら危険だが森の奥に入るぞ」
「分かったわ。トキカ、少し走るから手を話しちゃ駄目よ?」
母の言葉に頷くと、繋いだ手に力を込めた。
その昔、マルアス国でも森の魔物を討伐するべく兵士たちが戦闘を繰り広げたが、数多の犠牲を出して森の開拓を諦めたと言われていた。
必ず魔物に出会うとは限らないが、そんな森に向かうのだから不安になる。
そして、ほとんどの人は中立都市に向けて走っていく。それを見ると更に不安になった。
周囲には、森に行くべきか迷っている人もいたが、自分の考えを信じた数人が覚悟を決めて走り出すと、続くように森のある北を目指して移動していった。
北に向かって走っているが、徐々に悲鳴や泣き声が聞こえてくる。
遠くに見えていたはずの敵兵が、先ほど休憩した辺りまで来ているのだろう。
「どうして、こんなに追ってくるのが早いんだ……」
おそらく、自分達が走るよりも早い速度で人を殺しながら追ってきている。誰もがそんな現実に目を背けたくなった。
恐怖で体が震えてくる。それでも、早く逃げなければ自分たちも殺される。
死から逃げるように、震える足で走り続けた。
* *
全力で走った。
体力の続く限り走り続けた。
「も、もう、無理……」
「トキカ、大丈夫!?」
「しばらく走れないかも……」
「あまり無理はするなよ。
そうだな、この辺りで少し休もう」
可能ならゆっくりしたいが、長時間休むわけにはいかないので少しだけ休憩することにした。
充分な休憩を取る余裕が無いことを申し訳なさそうにする両親だったが、トキカとしては、自分の体力が少ないせいで移動が遅くなっていることを謝りたくなった。
しかし、今は嘆いている場合ではないので休むことに専念し、ある程度の体力が回復した時点で移動を始めた。
「少し離れたけど追ってきてないわね。
声も、さっきの道を進んだ先の方から聞こえてくるし……」
「囮にしたみたいで申し訳ないが、こちらも安全な道ではないからな……。
それに、異常なほど追ってくるのが早いからまだ安心はできないぞ」
「……そうね。森まで、歩いてあと二時間くらいだし、トキカも辛そうだから、このまま歩きで行きましょう」
「ああ。――トキカ、ごめんな。次は少し歩いたら休憩にするからな」
そう言って父は頭を撫でてきた。無理をさせて申し訳ない気持ちと、よく頑張ったと褒めてくれる気持ちが伝わってくる。
頑張って良かった。ずっと辛かった心が軽くなった気がする。
絶対に逃げ切ろう、そう思う気持ちはより強くなった。しかし、現実は無慈悲だった。
「おい、あっちにもいるぞ」
(えっ……?)
知らない男の声が聞こえ、頭が真っ白になる。
「お前らは向こうに逃げた奴等を追え。俺はこっちの3人を始末してから合流する」
「「了解」」
素早く指示を出して、確実に全員殺そうとする兵士の手際は、想像を絶する恐怖だった。
「くそっ……見つかったか。
このままじゃ追い付かれる。俺が時間を稼ぐから、二人で逃げろ!」
――受け入れられない選択。しかし他に方法は無かった。
「……分かったわ」
「パパ……そんなの嫌だよ……」
涙で視界が歪む。
このままじゃ全員殺される。だから父は自身を犠牲にすることを選んだのはトキカにも分かる。
でも心が分かってくれない。叶わぬ願いだとしても、それでも家族揃って生きたいと願ってしまう。
だが、現実は、共に生きるどころか、別れを言う時間すらも無い。
父が稼いでくれる時間を無駄にするわけにもいかず、辛い気持ちを一生懸命に抑えて、最後に笑顔を見せて父と別れた。
どれだけ気持ちを抑えても溢れる涙は止まらず、ひどい笑顔だったと思う。でも、それが私に出来る精一杯のありがとうだと思ったから。
→続く