第27話 無限回廊
「起きてしまいましたか」
夜明け前の淡い光が降り注ぐ中、
アリスが無防備なこの俺を見下ろしていた。
…………。
なんで……俺の部屋にいるのか。
すると、アリスは俺の顔からその疑問を読んだのか、
「何でここに居るのかって顔をしてますね、簡単です。貴方の身体に私の使い魔を忍ばせていたのですよ」
そう言ってアリスは淡々とした様子で、自らの人差し指の上で淡く光る存在を見せつける。
アリスは続けて、
「昨晩、出現した大型エレメント……私も異変に気付いてすぐに現地へと向かっていた所、一瞬でしたが異常な密度の死の気配を感じました」
アリスは何をする訳でもなく、夜明け前の淡い光を浴びつつ、俺を見つめている。
その視線に俺は何も出来ない。
艶めいた黒髪が、淡くアリスの輪郭を浮かび上がらせる。
そんな俺を見てアリスは更に、
「その気配を感じた後、エレメントは瞬く間に崩壊した……私は確信しました、貴方がやったのだと。そしてすぐ、使い魔を走らせたのですよ」
そうか、死の気配……。
迂闊だった。
アリスはこの気配を嗅ぎ分けられるんだった……。
窓の外からは穏やかな雀の鳴き声が入り込む。
アリスは顔に掛かった髪の毛を指先でかき上げつつ、
「特定するのは簡単でした。エレメントが崩壊した後、周囲に発散していた濃い死の気配が何故か、吸い寄せられるようにして貴方の中へと収束していきましたから」
くそ……。
やはり、死の気配は俺の中へと収束してしまうのか……。
それにしても不味いな……。
俺たちの城がバレてしまった……。
身体も縛られ動かない。
淡々と話すアリスは隙がなく、考えがまとまらない。
俺の様子にアリスは、窓の外へと視線を逸らして、
「そろそろ陽が上がる頃です。行きましょうか」
行く……?
さらうつもりか……?
俺は縛られた身体のまま懸命に声を出した。
「どこに……連れて……行く……」
「どこでも良いではないですか。ここよりも静かな場所です」
と、そう言ってアリスは小さな声で何かを詠唱する。
すると、俺の体を中心に魔法陣が浮かび上がる。
そして次第に視界が白く染まっていく。
陽が昇ったのか朝焼けの光が、アリスの顔を照らす。
その顔にいつの日か見た笑顔は見当たらなかった。
何よりもどこか悲しそうな瞳だった。
アリス……。
それを境に視界が真っ白に隔てられ、段々と意識が遠のいていった。
意識が戻って最初に見えたのは、青く輝く魔法陣だった。
何だろう……これは……。
足元の石畳に魔法陣が描かれている。
そして俺は椅子の上に座っている。
頬に触れる空気はやけに冷たい。
湿ったコンクリートの様な匂いもする。
手足は一見自由であるのに、まるで拘束されているかの様に動かす事ができない。
面前の小さな石造りの壁も足元と同じ、魔法陣が
輝いている。
狭い部屋だ。
首もあまり自由が効かない為に背後は分からないが、側壁も同様の様だ。
「気分はどうですか」
その言葉と共に、アリスが前方の魔法陣からふっと現れた。
俺はアリスを見上げて、
「こう見えて寝起きは良いんだよ」
「そうですか」
アリスは俺から目線を逸らして、
「予め申し上げて置きますが、ここはもう反魔の領域の中です。貴方の無契約召喚でフェニックスを呼ぼうとしても無駄ですから」
だろうな。
はは……もう手の内はばればれか。
アリスは俺から目を逸らしたまま言った。
「こうしてても仕方ないですね、端的に言いましょう」
「…………」
「貴方をここで殺します。この私の手によって」
凛とした声色だった。
こんな台詞だと言うのに、俺は存外驚く事はなかった。
それよりもアリスのその悲しそうな横顔に俺は目を奪われていた。
俺がやってしまった事の結果だろう。
悲しいというより辛いのだろうか。
いや……というよりも何かに怯えているのか……。
分からない。
腕も足も全身の筋肉も自由が効かない。
アリスは続ける。
「確定した死が最後に待ち受けるとしても、貴方にはまず自分の罪を清算してもらう必要があります」
そして、アリスは指先を弾いた。
すると突如、周囲が真っ暗となり視界が失われた。
しかし、アリスの声は変わらずにこだまする。
「ここは私だけが支配する無限回廊です。現世から少しだけ隔絶されたこの領域では、外からの影響も受けず生も死も成立しない。しかしその存在は保持される……」
どういうつもりだろうか……。
俺は言った。
「悪いが難しくて、わかんねぇよ」
「つまり、こう言う事です」
突然、何かに右腕を掴まれる。
そしてーー
「っ!」
腕をねじり上げられ、嫌な音と共に身体中に激痛が走る。
息が上がる。
身体は一切の言う事を聞かない。
おそらく肩の関節が外れた。
落ち着け……。
アリスの術中に嵌ってはならない。
俺は強烈な痛みを必死に耐え忍ぶ。
アリスの声が聞こえる。
「察しましたか? この無限回廊の中で、貴方の罪の分だけ私が罰を与えます。貴方の罪はとても一回死んだ程度では償えませんから。死は最後に取っておくとしても、この空間で死と同等の苦しみを無限に味わって頂きます」
はは……。
一回死んだ程度……か……。
好都合だ……。
この暗闇だと死んだ事にならないのならば、何も怖くない。
死と同等だと。
俺に取っては死とは雲泥の差だ。
殺されなければ、いくらでも可能性があるのだから。
それよりも、絶対にアリスに殺されるわけにはいかない。
俺はこの世界を救うと決めたんだ。
生きて、抗っていくと決めたんだ。
悪役だろうがな……。
焼ける様な痛みが肩口にのしかかる。
ここで終わってはならない。
大丈夫だ……。
絶対に理性を失うな。
シオンとアリスのために。
必ず何処かに突破口があるはずだ。
視界に映るのは暗闇のみ。
身体の自由も効かない。
自分がどこを向いているのかすら分からない。
アリスの声が聞こえる。
「余裕そうですね、なら……これはどうですか?」
右足がゆっくりと勝手に内側へとねじれていく。
「っ……」
股関節が軋む。
激痛が身体を支配する。
鼓膜が張り詰める。
そして、足から嫌な音が聞こえた。
骨が折れたのか、関節が外れたのか分からない。
熱い……。
息が上がる。
あまりの痛みにまぶたが痙攣する。
心臓の音が、鼓膜に響く血の流れが、やけに大きく感じる。
周囲が無音のせいか。
落ち着け……。
冷静さを失うな。
アリスのペースに飲まれるな。
耐えろ。
痛みに。
するとまた、アリスの声が聞こえた。
「あまり、痛がらないのですね」
「いや痛えよ。発狂してやろうか」
「その余裕……いつまで持ちますかね」
今度は左腕が掴まれる。
そして、ゆっくりと腕が逆側に曲げられていく。
肘の関節が悲鳴を上げる。
「……っ……」
肘からもまた嫌な音が聞こえた。
おそらく折れたのだろう。
尋常じゃない痛みで頭の中が真っ白になっていく。
馬鹿でかい自分の鼓動のみが耳に馴染んでいく。
いつまで続くのだろうか、これは。
耐え切れるか。
いや、耐えなければならない。
喉の奥が熱い……。
脈打つ様な鈍い痛みが全身に伝う。
諦めるな……。
必ず何処かに突破口がある。
冷静になるんだ。
この世界を救うと誓ったんだ。
生きて、足掻いていくと決めたんだ。
アリスを救うんだ。
「堪えてるつもりでも、息遣いで分かりますよ」
「痛えって言ったつもりだが」
「強情ですね本当に、ならばこれはどうですか」
すると真っ暗だった視界の中、急に目の前にアリスが現れた。
淡く光をまとっている。
そして俺の体もアリスと同じ様に光をまとっていた。
辺りは闇に包まれているのに、俺とアリスのみ光を放っている。
揺らぐ視界の中、アリスの手には剣が握られている。
アリスは変わらずに張り詰めた様な表情をしている。
少し重そうなまぶたには疲れが滲んでいた。
あまり寝れてないのだろうか。
それもこれも俺がした事か。
アリスの目の前で俺は、国王を殺してしまったのだから。
いつだったか、あの泉で見せてくれた溌剌とした笑顔を俺は奪ってしまった。
面前のアリスは俺に剣の切っ先を向けて、
「貴方に切られた兵士の痛み……思い知って下さい」
アリスはゆっくりと間合いを詰める。
剣先が不規則に振れる。
そして、迷いなくその刀身が俺の脇腹を貫く。
「うっ……」
「流石に声が出ましたか」
アリスが俺を見下ろしている。
あまりの痛みに顔の筋肉が歪みそうになるのを俺は懸命に堪える。
ペースを握られるな。
感じてるのは、痛みのみだ。
死ぬ訳ではない。
そこを取り間違うな。
痛みくらい造作もないだろう。
死ぬことに比べたら。
痛みで震えそうになる体を俺は抑えつける。
突き刺さるその刀身に、一切のくすみは無い。
頭の中が白く濁る。
焦ってはならない。
意識を強く持て。
塞ぎ込むな。
俺は平静な顔を保ってアリスを見返す。
アリスは言った。
「辛そうですね」
「そうでも、ないさ」
「とてもそうとは思えませんよ」
「お前が抱えてる痛みに比べたら、どうって事ない」
「揺さぶりを掛けてるつもりですか?」
俺は答えない。
するとアリスは、刺さった剣を引き抜いて今度は俺の肩口を突き刺した。
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