第三話の後編
この部分にて終わりになります。
拙く、面白いとは言えない作品ですが、そのうち矛盾がないか、全てちゃんと描写できてるか確認して更新します。
ありがとうございました。
「――――やめてくださいッ!!」
突然の見知らぬ男の土下座は、その場の空気を凍らせるのに十分であった。
そして、一瞬の時間稼ぎが、俺には必要だった。頭を下げたまま、まくし立てる。
「私はこの二週間ほど、彼女がその絵を描き続けて来たのを見てきました。作った当の本人からすれば、作品というのは自分の子供、自分自身です」
俺は彼女の美しい絵を持つ男性の顔を見上げ、語り掛けた。ある予想を心の内に積み上げて、それを刺激するように。
けどこの行為はある種、賭けだ。扉を隔てた先で耳を澄まし盗み聞きしていただけの断片的な情報を積んだだけの、確信などない賭け。
万が一、この眼前にいる男性が……彼女の父親が、クリエイターを否定しているのであれば、火に油を注ぐようなものになる。
今更そんな事が過っても、もはや遅いが。
「……自分が描いた作品、重い想いを指先や筆に乗せたそれを破り、捨てるのは彼女自信の否定となります。あなたはそれを――理解してらっしゃると思います」
「……ッ!君は、誰だ?」
思い当たる節というよりも、目を背けていた『現実』に改めて目を向けた、そんなような反応、刹那の思考ののち、訝しげに俺を見た。
それを口にするのに躊躇いは無い。
きっと驚愕に目を見開く後ろの彼女は更に驚くだろう。言葉の最初の一文字、その時点で簡単に想像がつく。
「代表作は『魔物と約束』の、彼女が尊敬してくれるライトノベル作家のれんさみうです。本名は宇佐見蓮、命さんの叔母さんが経営するカフェの常連でそこで彼女と出会いました」
叔母さんの話をしたところで「あの子はなんで邪魔ばかり……」と呆れた様子だ。
「――そうか作家さんか、では聞こう。人の家庭に首を突っ込んで何をしたい」
やっと気を取り直した彼女の父親は明確に俺を敵対視し始めた。眼光鋭く、俺を睨みその真意を問う。
一つでも間違えれば、俺は不審者として警察に突き出されるだろうが、素直に、誠実に、他意などないと言うように堂々と……そして彼女の言葉を代弁し問いに答える。
「大変失礼なのを理解した上で、病室での会話を聞きました。彼女は……葉牡谷命さんには、卓越した才能があります。人を惹きつけて見た人の人生を変えてしまうような力が」
深呼吸し、続ける。
「父親である貴方は若いころ、画家か物書きか、どちらかを目指していたのだとお見受けします。そこで大変な目に遭ったのも容易に想像ができました、が……」
一息に立ち上がる。身長は俺の方が少し高くほんの少しだけ威圧的に、今度は理解を示すのではなく否定する。けれどただの否定じゃない。やり方を大きく間違えてることを気付かせるよう。
「彼女をただ単に否定するそのやり方は、修復のできない溝を作ることになります」
彼女の父親は、強く、真っすぐに見据える私の瞳から、僅かに目を逸らした。
俺の手は無意識に彼が持つ、見惚れたあの美しい絵が描かれたスケッチブックへ伸びており、そっと受け取ろうとしたが、
「私たちは娘にあんな想いをしてほしくないんですっ!」
俺の言葉を聞いてまだ諦めていない母親が、奪われないようにスケッチブックを掴む。
絶対に離さない、強く固められた意志が前提の子供を守ろうとする力強い母親の姿で。
「気まぐれな人の意志と生まれ持った才能なんかで決まる未来よりも……自分で努力して掴み取る未来の方が幸せなはずなんです……!」
――なにかを、思い出したのだろう。彼女の母親の目からは涙が零れ始めていた。
「叶わない夢を追い続けてこ、こわれ、るくらいならっ――――さいしょから、やらないほうがいいです!」
昂った感情のまま言い切ると同時に彼女の母親は、膝からくずおれてしまう。
「おい!!」
心配そうに眉根を寄せた父親は、自身の嗚咽する妻の体重を支えるために体を寄せ、あっさりとスケッチブックから手を離した。
家族を守り続けた初老の男性の方は、少しだけ、震えていた。恐怖に、耐えるように。
「……もういい、やめてくれ」
彼は、妻の肩を支え、項垂れたままこちらを一瞥もせず、懇願するように呟く。足は病室を出ていこうとゆったりと扉に近づき、引き戸へ手をかける。
俺の予想は当たっていた。ただ詳細は分からない。
彼ら夫婦に一体何があったのか、なぜあそこまで彼女を否定するのか……
俺は、気休めにもならないだろうが、その哀愁漂う背中へ言葉をかける。
「……どうか安心してください。娘さんにはあなたにも私にもない本当の才能があります……あなたもかつて志したならわかったはずです。あの絵を見た瞬間に」
一瞬、本当に一瞬だけ、彼女の父親は足を止めた。だがそれだけだ、俺の言葉に耳を傾けただけでそれ以上は何もない。
静かに、出て行ってしまった。
「……ねえ」
ベッドに横になる彼女から声をかけられるまで、閉められた扉を眺めていた。
「あ、そうだ容体は!?」
あれだけ美しい絵を破られまいと高速で思考を回転させながら話していたものだから、全然彼女へ意識が向いていなかった! 彼女が驚くような速度で百八十度ターン、病院である事も忘れ、声が大きくなってしまった。
「び、びっくりした……え、えとちょっと睡眠不足で倒れちゃったんです」
肩を飛び上がらせるほど驚いていたが、俺はその言葉を聞いて、全身の体が抜けるような安心感に脱力してしまう。
何か大病だったら、と心の隅で思っていた事が実現しなくて、心底よかったと思う。
「ふぃー……」
「その、色々起こりすぎて処理できてないんですけど……まずパソコン、置きっぱなしですよ?」
困惑気味の苦笑を浮かべた彼女は、地面に置かれたパソコンを指さして言う。
「あ、ああそうでしたね……踏んで壊れたらやばすぎます」
これまでの作品やらなんやらが詰まった命より大切なノートパソコンだ。それを広い、脇へ挟む。
「……そんなに心配でした?」
顔を上げて、彼女へ視線を戻すとなぜか唐突に上目遣いをしながら、小悪魔っぽい顔をする彼女、だが俺はそれよりもここ二日間ほどの心を吐露してしまう。
「そりゃそうですよ!カフェの店主……葉牡谷さんの叔母さんも知らないと言ってましたから」
そう俺が言うと、葉牡谷さんは一つ笑い、
「楽しかったんです。絵を描くのがあまりにも」
気恥ずかしそうに入院理由を口にした――――それがあまりにも、ここ二週間ほどの、彼女のイメージ通りで驚いてしまう。
「ちなみに一日どれくらい寝てたんです?」
見れば彼女の目の下には隈が出来ていた。ここ数日、会っていたが全然気付けなかった、本当にそれが理由であるらしい。
そして俺の言葉に、彼女は微かに頬を染めた。
「えーと……驚かないでくれますか?」
「まあできる限りは」
「……寝てないんです」
「え」
――その返答に、絶句に近い声が出た。寝ていない、というのは要するにちゃんとした休息を取っていないということ。
「そりゃあ両親も怒りますよ……」
前髪をかきあげながら呆れた溜息がつい、出てしまった。
葉牡谷さんはそれを聞くと、申し訳なさそうにしょんぼり、言った。
「ご、ごめんなさい」
「あっ、悪いとは……いや、悪くないわけじゃないんですけど……睡眠はとらないと大変なことになりますから」
少々説教じみた言葉になってしまったが、俺もたまに徹夜はしてしまうので、強くは言えない。彼女は……無理してほしくないが。
他愛もない会話、拒絶されるんじゃないかと怖かったが、そんなこともなさそうで、手に持っていたスケッチブックを彼女に差し出した。
「――――二度もありがとうございました、れんさみう先生」
彼女はそれを受け取り、俺の作家としての名義を言いながら深々と頭を下げる。ベッドで上半身だけを起こした形だが、彼女の凛とした態度と言葉が、感謝していることがひしひしと伝わる。
顔を上げると小首を傾げて問うてきた。
「なんで隠してたんですか?」
「うーん」
少しだけ考え、俺は彼女が言っていた言葉を思い出し、答えた。
「……恥ずかしかったんです。憧れと言ってくれたのに、ここしばらくまともな作品を連載できてなかったし、いちおう覆面作家だったので」
あー、と納得したように声を出す彼女、わかってくれたのだろう。再び彼女は顎を触り、不思議そうな顔をした。
「でも一番気になってたのは、なんで明かしてくれたのかなって」
「葉牡谷さん、いえ……命さん」
彼女の名を口にし、かつて会社で働いていた時のようにかかと、背筋、指先までをピンと整え、さきほどの彼女よりも深く、頭を下げる。彼女が感謝してるよりも更に自分が感謝をしていることを示すため。
唐突な言葉に目を点にする彼女、俺はその心の内を伝える。
「俺が目指した意図を理解してくれて、俺のファンでいてくれた。君がそうであったように俺も君のその才能に惚れたんだ……頑張ろうと、思えたんだ」
いつか、れんさみう先生にこの絵を見せたいと彼女は言った。別の道を示してくれてありがとうと伝えたいとも言った。
もちろん感謝もあるが、彼女の絵が世に出ればまさに須臾ほどの時間も待たずして、広まる。ここで失うにはあまりにも光り輝く才能、だが本心は……一人占めしたかったのかもしれない。
一個人として、俺に尊敬してくれていて、絵を描き続ける、彼女を。
ああやって眺めのいいカフェの一角で、文字や絵の話に花を咲かせ、楽しそうに笑う彼女を――嘘偽りはないが、全てを話すこともないだろう。
「あと一週間経てば俺は帰ることになる。それに、一瞬の思い出にしたくなかったんだ」
「……どういうこと?」
ぽかんとした彼女が聞き返してくる。俺は、言葉を間違えたことに気付き、これじゃまるで告白してるようだ。顔が熱くなるのを感じ、視線をずらす。
「いや、だからその……葉牡谷さんの才能なら、すぐにこの界隈で有名になると思うから、えと」
オロオロする俺に、葉牡谷さんがクスクスと笑い「ごめんなさい」と言った。
「いいたいこと、わかってますから。私も楽しかったです、例え宇佐見さんが私の尊敬する人でなくとも、そう思ってました」
……少し前に出会った頃からの、いじわるなところも変わりない。
だが彼女は育ちのよさを感じさせる所作で、ベッドの上で恭しく頭を下げ、まるで結婚の挨拶のように言った。
「不束者ですがれんさみう先生……いいえ、れんさん、これからもよろしくお願いします」