俺、子供に完敗する
シェアハウスに住み始めて二週間。
俺の生活スタイルは何一つ変わっていない。
中里に紹介されたシェアハウスの住人とは、歓迎会で挨拶したっきり会っていない。ほとんど部屋から出ていないので会いようもないのだが。
大学生の松永智幸は、実験が忙しいとかで泊まり込みが多く、そもそもシェアハウスにいないことが多いらしい。
トラックドライバーの坂崎豊も、仕事でほとんど家にいないそうだ。
子持ちのシングルファーザーでありサラリーマンの古沢和也とその息子和樹は、俺と全く生活リズムが被らないため会わない。彼らは朝早く、夜も早い。それに、俺は子供が苦手なので、バタバタと子供が走るような音が聞こえると遭遇しないようすぐに自室に逃げ込んでいる。
とりあえずここにいれば衣食住はなんとかなる。家から一歩も出ない俺は昼食がなくても平気なので、ご飯のために外に出る必要もない。
これなら実家と変わらない生活ができると思った俺は、いずれ働く必要があるとしてもまだいいだろうと思い、従前通りダラダラとネトゲをして過ごしている。
たまに中里から意味ありげな視線を受けることがあるが、プライベートに立ち入らないのがここのルールらしいので、多少居心地の悪さは感じるものの気にしないことにしている。
とはいえ、やはり避け続けることは不可能だった。
用を足して部屋に戻ろうとしたとき、ちょうど帰宅した和樹と遭遇した。
「えっ!?」
和樹は俺を見て驚愕の顔をした。
一体なんだと思いつつも、俺は小学生相手でもまともに会話することは不可能なのでおかえりすら言えない。
「おじさん平日なのになんで家にいるんだ?」
子供から放たれた言葉に俺は固まった。
子供は残酷である。だから苦手なのだ。
心底不思議そうに尋ねるその顔には、皮肉や悪意というものは一切ない。ただ、疑問を尋ねただけなのだろう。
「もしかして仕事してないのか?」
和樹は容赦なく俺の心を抉ってくる。よくもまあ、そんなデリケートな話が聞けるもんだ。子供だからか。子供なら何言っても許されるのか。
俺が頬を引きつらせていると、中里がやってきた。
「おー、和樹おかえり。おやつ食うかー?」
「たべるー!!」
和樹の関心がおやつに移ったのを察し、俺はこの流れでこっそり退散しようとこそこそと部屋へ戻ろうとした。
しかし、お子様はそれを許してくれなかった。
「あっ! おじさん! 質問答えてない! なんで家にいるんだ? 中里の兄ちゃんは家で仕事してるけど、おじさんも家で仕事してるのか?」
「あっ……と……俺は……」
なんてことだ。この子供は俺を逃してくれない。
顔からどんどん血の気がひいていくのがわかる。ネット上なら、働かないといけないなんて負け組だな、とか言えるのにリアルだと何も言えない。
言え、言うんだ、俺の口。
そう思っても、俺の口はパクパクと動くだけで、意味ある言葉を発してくれない。
「大人なのに仕事してないのか? あっ俺それなんていうか知ってる! 「ゴクツブシ」って言うんだろ?」
「こら和樹。どこでそんな言葉覚えてきたんだ」
「クラスのまりちゃんが、お父さんがお母さんに「仕事もしないゴクツブシが!」って言ってお母さん出ていったって言ってたんだ。だから仕事してない大人はゴクツブシなんだろ?」
まてまて、会話の内容がヘビーすぎる。多分その意味をこのお子様はほとんど分かっていないのだろうが。
突っ込みどころ満載だが、当然俺は何も言えない。
中里は和樹の話を聞いて、どう話したもんかと困った様子である。
「和樹、仕事をしてない大人のことを穀潰しっていうわけじゃないんだ。その言葉はあまりいい言葉ではないから外では言うなよ」
「そしたら仕事しない大人のことはなんて言うんだ?」
三人の間に沈黙が流れる。
中里はチラッと一瞬目だけを俺に向けた。
俺はその視線を受けて、羞恥で顔がどんどん熱くなる。
「そうだなあ……和樹、そういうことはお父さんに教えてもらうことなんだ。だから俺からは言えねえなあ」
逃げた。中里は逃げた。
そりゃ俺の目の前で言えないよな。気を遣われていることに、俺は惨めな気持ちになった。
「ふーん。そしたらお父さんに聞こうっと。でもなんでおじさん仕事してねえの? 大人には……えーと……キンロウノギムがあるんだろ? お父さんが言ってたし。俺みたいな子供は勉強するのが仕事だから働かなくていいって。おじさんは大人だから働かないといけないんじゃねえの?」
和樹の猛攻が止まない。これ狙ってやってないんだよな? わざとじゃないんだよな?
中里が再び俺をチラッと見た後、小さくため息をついたのが視界の端に映った。
「和樹。今日のおやつは俺お手製のプリンなんだ。俺も早く食いてえからさっさと手え洗ってこい」
「やった! 俺プリン大好き!」
中里も限界だったのだろう。あからさまに話題を変えて話を終了させた。
幸い和樹の関心はプリンに移ったようで、和樹はバタバタと洗面所へ走っていく。
残された俺と中里の間に、なんともいえない空気が流れる。チラリと中里の様子を伺うと、中里は眉を八の字にして困ったような顔をしていた。
俺はいたたまれなくて、何も言わずに部屋へ戻った。
俺は和樹の質問に何一つ答えられなかったし、何も反論することができなかった。
今までネット上では何度も引きニートのくずでえぇえすとか言っていて、そのことを気にしたことなんてなかったのに。
俺は、あんな子供に侮られるのか。いや、あの子供にそんなつもりはなかっただろう。そんなのはわかっている。
けれど、お前は義務を果たしていないダメな大人だ、そう言われた気がした。
コンコン。
落ち込んでいると部屋がノックされた。
「野口さん、今いいか?」
それは中里だった。
俺は正直誰にも会いたくなかった。けれど、小心者の俺は、無視する、という選択肢を取ることもできない。だって、部屋にいることはバレているのだから。
「……はい。なんですか……?」
渋々ドアを開けると、そこには気まずそうな様子の中里がいた。さっきのフォローをしにしたのだろうか。放っておいて欲しい。
「和樹な、あれ悪気ないから。あいつ何でもすぐ聞くんだよ。だから気にすんな」
案の定中里はフォローしたきたようだった。
励まされると、余計惨めな気持ちになる。俺は何も言えない。
「あー……実はな、野口さんの母親から、話は聞いてんだ」
俺が黙って俯いていると、中里の口から俺の母親の話が出てきた。
俺はどきりとする。一体あいつは何を言ったんだ。
「もともとあんまり人と接するのが得意じゃないんだろ? それで引きこもっちまったって聞いてる。すげえ心配してたよ、野口さんの母親。本当はこのほぼ下宿みたいなとこじゃなくて、自分のことは全部自分でやるシェアハウスに入れようと思ってたらしいんだ。でも、いきなりそんなことしたら野口さんは三日ともたないって。だからうちを選んだんだと。うちならとりあえず飯は食えるからな。その上で、ここの住民全員に挨拶してったよ。何卒よろしくお願いしますって。お節介かもしんねえけど、折角ここ来て一歩踏みだしたんだし、ちょっと外出てみたらどうだ」
思っていたのと違う内容で驚く。
母親は俺が如何にダメな人間であるかを伝えたのだと思っていた。ボロクソに言われたのだと思っていた。
けれど、中里に語られた内容はある意味で正解で、正解ではなかった。それは、俺を案じた母親の話だった。
俺は、母親に見捨てられたんだと思っていた。
でも、まあそれも仕方ない。なんていったって十五年だ。ひたすら自室に篭って、外との関わりを絶って、そのくせ親に対してずいぶんな態度をとっていた。世話になっておきながら、母親を馬鹿にしていた。思い返せば、見捨てられて当然だわ、と思っていた。
ただ、反面腹も立てていた。俺を産んだのはあんただろう、生産者は最後まで面倒みろよ、何で途中でほっぽりだすんだ、と。
中里の話を聞いて、言葉が出なかった。母親は真剣に俺のことを考えていたのか。見捨てられたわけではなかったのか。
「ま、俺に何ができるってことはねえけど、相談くらいはのるから。そんだけだ」
驚きすぎて何も言えない俺に、それだけ言って中里は去っていった。