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彼らは売れてない

 ここは一人の老人が切り盛りする寂れた古本屋。

 客なんて全然来ない。先週なんかは四人しか来店してなかった。

 そりゃそうだ。ここから数十メートルも歩けばでっかい本屋さんがあるだからな。

 おいらだって最初はそこにいた。煌々とした照明、お洒落な本棚、はきはきとした接客。

 こんなカビ臭い古本屋なんて誰も来やしないさ。


『さてと、今日はもう閉めるかな』


 店主が閉店準備を始める。

 今日も客一人来なかった。

 まあいいか。ここの暮らしは案外悪くない。住めば都ってやつだな。

 シャッターを閉める音が聞こえる。夜が来た。

 これからはおいら達の時間だ。




「狂気のホラー小説君よぉ、俺達今日も買われなかったなぁ」

「しょうがないだろ、野球のルールブックくん」


 おいら達は本だ。作ってくれた人は覚えてるけど、どこで生まれたかはとんと見当がつかない。

 おいらを執筆したのはとあるロックバンドのボーカルの人らしい。音楽も出来るし小説も書ける。マルチな才能を持ってるって帯に書いていた。おいらの生みの親はそんな人。

 完全決定版なんだぜ。


「別にいいじゃないか。買われなくたって」

「何でだよ。俺達は本なんだから買われた方が幸せだろ?」

「買われちゃったら皆とはお別れしちゃうんだ。そんでもって飽きられたら別の古本屋に売られるか、もしかすると捨てられちゃうかもしれないんだぜ?」


 そうだ。おいら達古本はまだ幸せな方さ。

 確かに誰かに読んでもらいたいって思うけど、捨てられるかもしれないって怯えながら生きていくぐらいならこのまま埃を被ってでも古本屋の本棚に陳列されてた方がまだマシってもんさ。


「まぁ、確かにそうかもしれないな」


 納得したのかは分からないけど、野球のルールブックくんは一応同意してくれた。

 こいつも随分読み込まれたんだろうか。日焼けした表紙と丸くなったカバーの角は見るものに彼の歴史を感じさせる。


「そういえば聞いたことなかったけどさ」

「何だい?」

「お前はここに来る前はどんな人に読んでもらってたんだ?」

「そういえば話してなかったね」

「俺の方がここに来るのが遅かったからな」


 ここに来たばかりの人、じゃなくて本は大抵が自分を買って読んだ人のことを以前からここにいた先輩の本達に話す。

 ある本は俺を売りやがってっていう怨み言とか、どれだけ大切に読んでくれたかっていう自慢話だったりする。

 ちなみに野球のルールブック君は前者だった。それはもう怨み辛みをおいらにぶつけてきたもんさ。もし彼が人だったらおいらは二、三発は殴られてたかもしれない。憂さ晴らしで。

 でもそんなやつだっていずれは元持ち主のことなんか忘れて、ここの生活に馴染むんだ。

 おいらも確かそうだったな……。


「おいらを買ってくれたのは中学生くらいの男の子だったよ」

「へぇ、でもお前って内容結構エグいんだろ? 男の子って大丈夫かよ」

「ハハハ、それくらいの年頃の子はそういうのにハマるらしいよ。向かいの本棚にいる、中高生に人気の週刊マンガ雑誌さんが言ってた」

「ふーん」

「それにその男の子はおいらを書いたロックバンドのボーカルさんのファンでもあったらしいんだ。男の子の部屋はポスターやCDでいっぱいだったよ」


 そのロックバンドは八十年代後半から九十年代後半にかけて活躍していたそうだ。二つ隣の本棚にいる日本ロックバンド音楽史さんから聞いた。

 おいらは表紙からして結構狂気性に満ちているんだけど、その男の子はおいらを見つけるやいなやとっても嬉しそうだった。他の小説くんによく書かれている、はち切れんばかりの笑顔ってやつはああいうのを言うのかもしれないね。

 大事そうにおいらを抱えてレジまで足早に歩いていく。小銭で重そうな財布から五百円玉を出してお釣りを受け取ったら、袋にも入れずにそのまま手掴みで帰っていったんだ。


「本当に嬉しかったんだろうね。ものすごい握力で掴まれたよ」

「ハッハッハ! よっぽどだったんだろうな!」

「めちゃくちゃ痛かったなぁ。見てよホラ、この裏表紙のところ」

「どれどれ?」

「これこれ、握られた時の痕なんだよね」

「アッハッハ! めっちゃグシャってなってんじゃん!」

「そうなんだよ。でもこれぐらいおいらのことを求めてくれてたって思うとさ、何だかこの痕も誇りに思えてくるのさ」


 男の子は家に帰るとすぐに自分の部屋にこもった。おいらを読むためにね。

 そんなにページ数は多くないんだけど、漢字が苦手なのか辞書を引きながら読んでたよ。何回も何回もおいらと辞書を往復してた。

 普通に読めば多分二時間くらいで読みきれると思うんだけど、男の子は五時間ずっとおいらを離さなかった。途中で飽きることもなくずっと読んでた。ずっとね。


「そしたらさ、二百ページを越えた辺りで泣き出したんだよ」

「え? お前ホラー小説なんだろ?」

「まあそういう要素もあるわけさ」

「へえ、泣けるホラー小説ってよく分かんねえな」

「それだけおいらを書いた人の文才があったってことさ」


 ぽたぽたとおいらの上に涙をこぼしてくるんだ。普通は嫌さ。本なんだから水気はご法度だよ。

 でもね、なんだか柄にもなくつい綺麗だとおもっちゃったんだよね。

 別に色んな人の涙を見たわけじゃないけど、男の子の涙はさ、何て言うかこう、純粋においらだけのために泣いてくれてるっていうかさ。分かんないけど。


「ここだよ。このちょっと萎びたページ」

「おおー、確かに濡れた痕だなこりゃ」


 鼻水まで垂らして感動してくれたんだ。本冥利に尽きるよ。


「そんで男の子は日付が変わる頃においらを読了したってわけさ」

「ほえー、そっかぁ。俺はただの競技規則を並べただけの本だから全部は共感できないな」

「ハハハ、そうかもね」

「けどさ、確かに嬉しいよな、かぶりついて読んでくれるってよ」

「うん、本当にね」

「でもさ、そんだけ感動したってのに売るなんて薄情な奴だよな」

「仕方ないよ、小説なんてただの物語、フィクションなんだから。毒にも薬にもならない娯楽なのさ」


 おいらもここに売られた頃は彼が言うように薄情なやつだって思った。あんなにおいらに夢中だったのに。

 でも気付いた。おいら達本はただの娯楽に過ぎないんだって。

 もし明日世界が滅びるって言われれば本が求められることもない。悲しいけどね。


「はぁぁ、やっぱり読んでもらいてぇよ」

「そうだね」

「どっかにいねえかなぁ、俺にかぶりついて読んでくれる奴がよぉ」

「そうだね」

「そんでもってずっとずっと読み込んでくれたらなぁ」

「そうだね」


 何処かにいたらいいな。

 おいらを愛してくれる人が。

『狂気のホラー小説』君は実在の書籍をモデルにしています。

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