ただ、殺したい
「伊兵衛様亡き今、その命を継続する義務はなくなった。故にこれで終いだ」
突きつけられる言葉が容赦なく鼓子花を傷つける。
泣きながらも正気を保っていられたのは、まだどこかで嘘だという気持ちが残っている為だ。
だが静景は、そんな甘い考えを許してはくれない。
もはや用済みとなった人間には、僅かな情も希望すら与えてくれないのだ。
それに気付いた瞬間、何かが壊れてしまった気がした。
心の中の何かが、音を立てて崩れる。
「戯れの色恋擬きに、一喜一憂するな。今、武時様は酷く傷心しておられるだろう。仮にも血筋なのであれば、微力でも武時様の──」
「あはははっ」
我慢できず、声を上げて笑う。
可笑しい。馬鹿らしい。
全てを信じ、疑いもしなかった自分が。
「あぁ、良かった。やっぱり伊兵衛様の言う事は正しかったのね」
「なんだと?」
伊兵衛に関しては、ある種の信念を持って手にかけた。
だがあの後、ほんの僅かだが、戸惑いや後悔の念を抱いた。
愛する者を自らの手にかけるのが、本当に愛なのか。
自分はもしかして、とんでもない間違いを侵してしまったのではないかと。
だが今ここで、やっとそれが確証に変わった。
やはり、間違った事はしていなかった。
鼓子花は隠していた刀を握ると、ゆっくり立ち上がる。
これは以前、猫を殺めた時に使ったものだ。
あの後こっそり持ち帰り、自身の戒めの為に保管していた。
まさかこれを、また使う事になるなんて。
「よもや、それで自害でもするつもりか」
静景は眉を寄せ、刀を奪おうと手を伸ばす。
その瞬間、鼓子花は鞘から抜き取り、静景の腕を斬りつけた。
「っ……何のつもりだ」
こんな事になるとは予測していなかったのだろう。
あからさまに動揺しているのがわかる。
人を傷つけるのは平気なくせに、自分の傷には過剰に反応するなんて。
つくづく静景は自分勝手な人間だ。
だが、そんな人を愛してしまったのも事実だ。
そして今でもまだ、愛する気持ちを失う事はできない。
鼓子花は鞘を投げ捨てると、顔を上げて微笑んだ。
「伊兵衛様の言う事は本当だった。それに今なら、父様の気持ちも理解できるわ」
「何を言っている?気でも振れたか」
「静景さんには理解できないの?伊兵衛様のずっとそばにいたのに──」
刀を構え直す。
今、鼓子花が殺さねばならない人。
それは静景だ。
「伊兵衛様は鼓子花に教えてくれたの。愛しているからこそ、殺める必要もあるんだって。前は全く理解できなかったわ。だって愛する人には、生きてそばにいて欲しいと思っていたんだもの」
傷つけず、優しい言葉をかけてくれるのならば、生きてそばにいてほしかった。だが今の静景には望めない。
鼓子花を否定する。
鼓子花を容赦なく傷つける。
「──今度は静景さんを殺したい。死ねば鼓子花にひどい事なんか言わない。ずっと優しい静景さんのままだもの」
「今度は──だと?」
呟くと、眉を寄せて刀に手をかける。
「やはりお前が、伊兵衛様を手にかけたのか」
「そうよ」
隠すつもりなんて全くない。
伊兵衛を愛しているからこそ、苦痛から解放してあげたのだから。
あの時の猫の様に。
「己が何をしたのか理解しているのか!伊兵衛様を、自らの手にかけるなど──」
「伊兵衛様の事を愛しているからよ。そして静景さん。次はあなたの番」
刀を構え、襲いかかる。
静景は伊兵衛の様に弱ってはいない。
本気でいかなければ、わかって貰えないと思った。
案の定静景は自身の刀を抜くと、鼓子花の刀を受け止めて弾く。
「私を殺すだと?お前にその様な事ができると思うのか!」
「それでもするわ。ねぇ、鼓子花に殺させて」
もう、戸惑いも迷いもなにもない。
ただ、殺したい。
殺して、二度と悲しい言葉も傷付く言葉も口にできないようにさせたい。
それだけだ。