偽り無き
それからというもの、静景は鼓子花の前に姿を現さなくなってしまった。
初めのうちは、喪に服しているのだろうと思っていた。
だが伊兵衛の死から数日が経過しており、家の中は徐々に日常に戻りつつある。
それなのに未だに静景は、鼓子花の部屋に訪れようとはしない。
(静景さん、どうしたんだろう。何故、鼓子花の所へ来てくれないの?)
畳の上に横たわり、ぼんやりと天井を見つめる。
一人で食べる食事は美味しいとは感じられず、毎日大半を残してしまう。
伊兵衛の死を嘆いているからであると解釈されているらしく、侍女から咎めの言葉を受ける事はないのだが。
(静景さんに会いたい。顔が見たい……)
恋仲になってから、こんなにも長い間顔を会わせないのは初めてだ。
いっそ、侍女に頼んで静景を呼び寄せて貰おうか。
そんな事を考えていたある日だった。
「静景さん!」
久しぶりに、静景が部屋へ訪れた。
あれから何度も会いに来てほしい、会いたいと願っていた為、その喜びはひとしおだった。
静景は相変わらず感情の無い表情でこちらを見つめ、中に入らずに立ち尽くしている。
「どうしたの?中に入って。どうして今まで来てくれなかったの?」
鼓子花はにこにこ笑いながら中に招く。
しかし静景はその場から一歩も動こうとはせず、目を伏せながらこんな言葉を吐いた。
「もう二度と、お前と共に過ごす事はできない。今日はそれを告げに来ただけだ」
「えっ……?」
意味がわからなかった。
何故、突然そんな事を言われるのだろうか。
意図しない所で、嫌われる事をしてしまったのだろうか。
全く身に覚えはないのだが。
「ちょっと待って。どうしたの?急に……。鼓子花と一緒にいてくれないなんて、どうして──」
もしかして、伊兵衛の死に何か関連しているのだろうか。
状況的にそれを疑わずにはいられない。
「もしかして、伊兵衛様が亡くなったからなの?だったら、鼓子花は待っています。だから、もう会わないなんて、そんな事は言わないで」
伊兵衛がいない今、鼓子花にはもう静景しかいない。
今静景を失ってしまえば、また昔──母が亡くなった時の様に、一人ぼっちになってしまう。
だが静景は、そんな鼓子花を見下すと、小馬鹿にする様に鼻で笑い一蹴した。
「何故私が、小娘の相手をせねばならぬのか」
「……」
耳を疑った。
いつもは丁寧すぎる静景の口から、そんな言葉が出るとは思っていなかったのだ。
「な、何を言っているの?だって、静景さんが言ったのよ。鼓子花の想いを受け入れてくれるって……」
無意識に、震える声で問う。
「今までの私は全て偽りだ」
「い、偽り……?」
つまりそれは、嘘だったと言うのか。
「お前の想いを受け入れる」と言ってくれた時も。
手を繋いだ時も。
心配してそばにいてくれた時も。
髪を撫でて慰めてくれた時も。
全部、全部、全部全部──。
「あ、あはは……。嘘よ、そんなの。鼓子花の事、愛してるわよね?だってそう言ったもの」
そんな言葉は、どうしても受け入れられない。
だがこちらを見下ろす静景の目は、今までにない程に冷たかった。
そして、言葉も。
「偽り等ない。紛れもない事実だ。 私はただ、伊兵衛様の命があってこそ、お前の相手をしていたに他ならない 」
「伊兵衛様が……?」
薄々、その事に気付いてはいた。
静景の様子がおかしい。
冷たいと相談すると、とたんに反応が変わっていたから。
きっと伊兵衛が助言をしてくれているのだろうと思っていた。
だがそこには少なくとも、静景の本心も含まれている。
ただ不器用なだけで、伊兵衛の助言により、鼓子花がどう感じているか理解した上で改善してくれているのだろうと思っていた。
だがそんな都合の良い解釈は、静景の表情を見れば異なっていたものだとわかる。
「私は武時様と伊兵衛様に恩義を感じている。故にお二方のご意向とあらばと受け入れた」
投げかけられている言葉の意味はわかる。だが、どうしても受け入れられない。
あの笑顔も、優しい言葉も仕草も、全て偽りだったなんて。
「うっ……うわぁぁっ!」
だがその証拠を突き付けるかの様に、泣き崩れる鼓子花に静景は一切優しい言葉はかけない。
触れもせず、見下ろしながら淡々と言い放つ。