夢
鼓子花は夢を見た。
これは経験した事なのか、はたまた、ただの空想や願望なのかはわからない。
縁側に座る鼓子花はまだ幼くて、目一杯足を伸ばしても、爪先が地面につく事はなかった。
宙に浮いた足をぶらつかせ、じっと空を見上げる。
雲一つない晴天なのに、それが妙に恨めしく思えた。
真っ青な空を、数羽の雀が横切る。
まるで、一人ぼっちの鼓子花を小馬鹿にしている様に見えた。
「っ……」
それに苛立ちを覚え、手にしていたお手玉を振りかぶる。
当たるはずがない。
案の定お手玉は放物線を描き、ぽちゃりと池に吸い込まれていった。
「鼓子花」
その時ふと、穏やかな声が聞こえて振り向く。
そこには華やかな着物を纏った美しい女性が立っており、鼓子花の手元を見つめていた。
「何をしたのですか?」
「すずめが、鼓子花をばかにしたの」
そんなつもりは一切ない雀達は、近くの木に止まって絶え間なく囀ずっている。
鼓子花は庭先に飛び降りると、足元にある小石を掴んだ。
「おやめなさい」
「すずめが笑った。鼓子花をばかにして笑ったのっ」
だが鼓子花の力では、小石は木の上の雀には届かない。
再び地面の石の中に紛れてしまう。
「鼓子花……」
女性は、涙を浮かべながら雀を睨み付けている鼓子花をそっと抱き寄せた。
「雀は、あなたを笑ったりなどしませんよ」
「でも、わらったもの。鼓子花がいつも一人ぼっちだから、可哀想だって。あいされてない子供だってわらったの」
鼓子花は毎日一人きりで過ごしていた。
父は生まれてこの方、数回しか顔を合わせた事がない。
勿論、遊んでくれる事だってない。
広い屋敷の中でいつも一人きりで、世話をしてくれるのは、顔も覚える暇もない程の沢山の侍女達だ。
女性は優しく鼓子花の頭を撫でると、抱き上げて膝に乗せてくれた。
「あなたは皆に愛されていますよ。父様も母様も、皆、鼓子花が大好きなのです」
「……ほんとうに?」
恐る恐る問う。こちらを見て微笑む女性──母は、どこか自分に似ている。
「本当ですよ。父様は今、お国の為に頑張っていらっしゃるのです。とても御忙しいから、鼓子花に会いたくても会えないのですよ」
「それじゃあ……母様は?」
鼓子花の記憶では、母の姿はない。
今こうして抱き上げ、頭を撫でてくれているのに、その記憶がないのだ。
「母様は──鼓子花を抱き締めたくとも、してあげられないのです」
「どうして、してくれないの?」
「それは……」
不意に母の口元から水が流れ、鼓子花の頬に落ちた。
一瞬、涙かと思った。だが、指で触れたそれは生暖かく、嫌な臭いがした。
「なに、これ」
ぽたり……ぽたりと、滴が鼓子花を濡らす。そっと指で拭い、見つめる。
その色を見た瞬間、目を見開いた。
「それは……母様はもう、この世にはいないからなのです」
真っ赤に染まった指を見つめながら、視線を上げる。
「ひっ……いいいい!」
体が震え、歯がガチガチと鳴る。
見上げた先に、母の顔はなかった。
首から上だけがそっくり失われており、すっぱりと切られた切り口から、止めどなく血が溢れていた。
「あ、あ……あああ……」
言葉が出ない。
母の体はぐにゃりとまがり、縁側に倒れ込んだ。
鼓子花も体を投げ出され、尻餅をついてしまう。
「鼓子花姫様」
どこからか、阿利乃の声がした。
思わず顔を上げる。
そこには最早母の体はなかった。
代わりに、怨めしそうな表情を浮かべた首が三つ並んでいた。
それは、河内の──秋之進、 妻の藜、そして娘の阿利乃だ。
「あ、阿利乃姫、様……」
「鼓子花姫様。どうして武時様は、妾達を殺したの?」
首が問う。
だが、鼓子花には答えられない。
「ねぇ、鼓子花姫様。妾達はお友達になったのではなかったの?父様達はお友達ではなかったの?それなのに何故──何故、武時様は……」
「こ、鼓子花にもわからない。わからないの……!ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい!」
耳を塞ぎ、その場で踞りながら何度も謝る。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい……!」
耳を塞いでいるのに、血が滴る音が頭の中に響く。
そして、阿利乃や藜の悲鳴も。
泣き叫び、命乞いをする声。
秋之進の咆哮。
目にした事がないのに、閉じた瞼の裏に浮かぶ。
戸惑い、逃げ惑う河内の兵達。
それを追い、容赦なく斬りつける高野瀬の兵。
指揮するのは、父の武時だ。
隣には笑みを浮かべた伊兵衛が立っている。
家族を守る為、腹を決めた秋之進が刀を構えて迎える。
父も刀を抜き、そして──。