三つの首
朝餉が済み、軽く食休みをした鼓子花は、侍女達を集めて身支度を整えていた。
普段は小袖が大半で、滅多に打ち掛けは羽織らない。
だが、勿論着る物がないわけではない。
一人娘の鼓子花は何かと(主に伊兵衛から)買い与えられており、今まで一度も袖を通した事のないものが沢山ある。
「外出する時はどんな格好が良いのかな……。もしかして、袴の方がいい?」
何着目かの着物に袖を通し、鏡を見ながら呟く。
いつもは全て侍女に任せきりで無関心だった為、こんな時にはどんな格好をすれば良いのか全くわからない。
「確かに袴は動き易いとは思いますが、せっかく意中の殿方とのお出かけですから。いつも通り、同じ色合いのものを合わせましょう。帯はこちらを。被衣は──必要ございませんでしょう」
「これで、大丈夫……?」
鏡に映る自分の姿は、いつもとあまり変わらない。強いて言えば着物が見慣れない色合いである事と、薄化粧をしてもらったくらいだ。
侍女は胸を張って頷く。
「姫様はそのままでも充分お可愛らしいですから。ご心配召されずとも大丈夫ですよ」
「う、うん……」
今までの癖で、伊兵衛にも見てもらいたいと言いかけた。だが、朝から城を空けているのを思い出す。
暫し悩んでいたが、女の服装の事は女の意見が間違いないだろうと思い直し、いそいそと静景との待ち合わせ場所へと向かった。
「お待たせしました」
やって来たのは屋敷の門の前だ。
そこにはすでに静景が立っており、こちらを見ると穏やかに笑んだ。
庭先に下りれば目と鼻の先だが、離れた場所で待ち合わせる必要はないだろうと、この場所を指定されたのだ。
門の前に立つ静景の格好は、先日とはまた違う色合いの着流し姿だった。
藍色──正しくは紺鼠色だろうか。落ち着いた色合いがよく似合っている。
「行くぞ」
静景は踵を返して歩き出す。
鼓子花も後に続き、真っ直ぐ続く下り道を歩く。
歩きながらふと、刀にかけていた手に視線をやる。
男の人らしく角ばった指をしている。きっと、鼓子花の手よりも二回り以上大きいだろう。
(手……繋ぎたいな)
伊兵衛はいつも、一緒に歩く時は手を引いてくれた。
それは幼少期からずっとで、今も変わらない。
だが今鼓子花が握りたいのは保護者の手ではない。
恋仲の、静景の手だ。
「静景さん」
「なんだ」
「手を……繋いでも良い?」
静景は僅かに顔を強張らせた。
恐らく、なんと返事をすればいいのかわからず悩んでいるのだろう。
これは怒っている顔ではない。
段々、表情から心情を察することができるようになってきた。
「あ。だ、駄目ならいいの」
このまま悩ませておくのも申し訳なく思い、手を引く。が、その瞬間、腕を引かれて強く握り締められた。
「これで、良いか」
初めて触れた静景の手は、思っていたよりも大きく、暖かかった。
「あ、ありがとう……ございます」
心臓が高鳴る。
自分からねだった事なのに、今すぐ手を振りほどいてしまいたくなる程恥ずかしくなってきた。
(ど、どうしよう。静景さんと手を繋いじゃった……。誰かに見られていない?変じゃない?)
きょろきょろと辺りを見回す。
落ち着かない様子に、静景は手を引いて歩きながら訝し気な表情を浮かべた。
「どうした。私達の後を追っている者など居らぬぞ」
「そ、そうじゃなくて……。大丈夫、です」
顔が熱くなり、上げる事ができない。
高鳴る鼓動が聞かれまいかとどきどきしながら、腕を引かれるまま歩き出す。
城下町への道のりは、思っていたよりもずっと長かった。
曲輪を出て石段を降り、足場の悪い砂利道を進む。
城は思ったよりも高台に作られていたらしく、ちょっとした山を下山している様だった。
「足元に気を付けろ」
「はい」
毎日人々が使う道の為、決して険しいものではない。だがあまり出歩かない鼓子花にとってはなかなか堪えるものだ。
ただ下っているだけなのに息が上がる。
最初は恥ずかしがっていた右手も、繋いで貰って良かったと思えてきた。
もしも静景の手がなければ、今頃転んでしまっていただろう。
「静景さん……町は、まだですか?」
「あぁ。ここから更に東に下る。恐らく半時も──」
呟いた時、勝鬨らしき声を耳にした。
「誰かいるのかな?」
左右にはまだ木々が並んでおり、人がいるのは見えない。だが、声や物音から、沢山の人がいるであろう気配は感じた。
静景はそちらを見ると、ぴたりと立ち止まった。
「どうかしたの?」
まさか、敵襲なのだろうか。それとも山賊や野武士だろうか。
恐る恐る問うと、静景は「よもやお戻りになられたのか」とぼやき、手を繋いだまま、そちらに向かって歩き出す。
「ま、待って。そっちに一体何があるの?」
どんどん先に先に進む静景に、なんとかついて行く。
そして道が開けた瞬間、視界に入ってきた光景に、鼓子花は目を丸くした。
目の前には古びた寺があり、沢山の兵が群がっていた。
そして上座の中心には、父──武時の姿が。
「父様……。お寺で何をしてるのかしら」
格好から、戦から戻ってきたのだろうという事はわかった。
何故か、いつも傍にいる伊兵衛の姿がない。
静景は意識的か無意識か、鼓子花の手を離すと、その場に立ち尽くし、目の前の様子を見つめている。
一人の兵が、何かを持って父の前に跪く。
そして、それが何であるか理解した瞬間、鼓子花は小さな悲鳴を上げた。
兵がつかんでいたのは、目を半開きにした生首だった。
よく見ると、周りにも沢山の首が台に乗せられている。
「あれは……何?」
わかっているのに、一目では人間の首とは思えなかった。
皆一様に目を閉じ、中には綺麗に化粧を施されているものまである。
まるで大きな人形の首を飾り立てている。そんな光景に思えたのだ。
唖然と立ち尽くす鼓子花に、静景は淡々と語る。
「あれは首台だ」
「くびだい……?」
「戦で討ち取った敵兵の首級を検ずる為に、あの様に首台に並べる。本来は戦場近くで行われる事だが……持ち帰られたのだろう」
「……」
言葉は理解した。だが意味が頭に入ってこない。
それでも、あそこにある首は皆、間違いなく人間のもので、高野瀬との戦に敗れた者達なのだということは理解できた。
「武時様と伊兵衛様は、兵を連れて出陣されていたのだ」
「そう、なの。だから朝からいなかったのね。相手は誰なの?」
自分でも不思議な程淡々と言葉が漏れた。
人の死体を見るのは初めてなのに。
本当は恐ろしいものであるはずなのに、全くそう思えなかったのだ。
それは、彼らが美しく化粧を施されているからか。それとも、見ず知らずの人ばかりだからか。
鼓子花は晒された首を、一つ一つ確認していく。
そしてその中にあり得ないものを見つけた。
見た事のない男達が並ぶ中、ひときわ目立つ女の首。
それは先日遊びに行った、河内の長女・阿利乃と、その母の藜だった。
そしてよく見ると、その隣には 河内当主の──。
「あ、あ……阿利乃様っ!」
それに気付いた瞬間、鼓子花は悲鳴を上げていた。
兵達はぎょっとした表情を浮かべて振り返る。
「な、なぜこちらに姫様が!」
「お待ちください、姫様!」
皆が止め、足が縺れるのも構わず、首台に駆け寄る。
「あ、阿利乃姫様っ……!藜様ぁぁぁ!」
触れる前に静景の腕が伸び、鼓子花の腕をつかんで引き寄せる。
「いやっ……どうして……どうして、阿利乃姫様……どうしてぇぇっ」
ここに並ぶ首は皆、高野瀬の兵に殺られた者達だ。
兵達は挙兵の命がなければ動かない。独断で河内に攻め入り、討ち取る事はしない。
そして、命令を下すのは、父──高野瀬武時以外にあり得ない。
「どうして……どうして、どうして……!」
父と河内は幼少期からの友人ではなかったのか。
つい先日茶会に招かれ、友情を確かめあったのではなかったのか。
何故、阿利乃は鼓子花と友人になったのか。
攻め入り、殺してしまうならばなぜ──。
「ああぁぁぁぁっ!」
鼓子花は髪を掴みながら絶叫し、その場に倒れ込んだ。
そしてそこで、ぷつりと意識が途絶えた。