約束したこと
翌日。
今日は休みのはずなのに、朝餉の時間になっても、静景は中々姿を現さなかった。
(どうしたんだろう。もしかして忙しいのかな?)
目の前には、いつも通り二人分の膳が並んでいる。
初めは出来立てで湯気を立てていたのに、今ではすっかりご飯も汁も冷め始めている。
よく考えれば、毎日必ず一緒に食べると約束したわけではない。
いくら休みでも、静景には静景の予定もあるのだから、一緒に食べられない日もあるだろう。
これ以上無駄に待つよりは、先に食べてしまった方がいいだろうか。
そんな事を考えていると、廊下から足音が近付いてきた。
思わず、椀に伸ばしかけた手を引っ込める。
すると、がらりと障子が開け放たれ、息を切らせた静景が飛び込んできた。
「お、おはようございます。──大丈夫?」
よほど急いできたのだろう。
珍しく息を上げている。
「野暮用で遅くなった」
静景は息を整えると、足早に席に着く。
「大丈夫よ。そんなに急がなくても良かったのに」
「お前を待たせていたのだろう」
「うん。でも、待ってはいたけれど、約束していたわけではないし──」
来てくれたのはとても嬉しい。だがそれが静景の重荷になるのは本意ではない。
そう伝えたいのだが、どう言えば良いかわからなかった。
「何を言っている。朝餉と夕餉を共にすべきだと言ったのはお前だろう。私もそれには同意した筈だが」
確かに昨日、朝餉や夕餉──時間の共有の話しはした。それと共に、話し方についても。
確かに静景は、あの時わかったとは言ってくれた。
だがそれが食事に関しても同意したものだったとは。
「飯が冷めるぞ」
いつの間にか静景は箸を片手に食事を始めていた。
やはり彼は、他の人とは少し違った感性を持っているのかもしれない。
そんな事を考えながら、鼓子花もぬるくなった汁に口をつけた。
てっきり今日も、会話らしい会話もなく、ただ顔を突き合わせて飯を食うだけになるだろうと思っていた。
だが、何故か今日の静景は違った。
鼓子花が何か問う間もなく、今日の天候や気温などについて饒舌に語った。
どれも他愛もないものだったが、彼の口からそんな話題が出るのが意外だった。
唖然としながら見つめていると、不意に静景は空を眺め、目を細めた。
「良い天候だな。後程、共に城下へおもむくか」
思わず、手にしていた糠漬けを落としてしまいそうになった。
「今、なんて言ったの?」
「今日は暇を頂いている。後程、城下へおもむくかと言った」
「城下……」
鼓子花が住む土地には、そこそこ賑わいのある町がある。
訪れたのは小さな頃、恐らく祭か何かを行っている時に一度きりしかない。
記憶は定かではないが、とても華やかで楽しかった覚えがある。
そんな所へまた──しかも静景と一緒に行けるなんて。
「今日は、お祭りか何かがあるの?」
「政りだと?お前は政を好むのか」
「まつりごとって言うよりは……お祭り、かな?小さい頃に一度見たきりだけれど、とても素敵だった覚えがあるの。また、それを見られればいいのだけれど」
屋敷にこもりっぱなしの鼓子花は、華やかな行事とはほぼ無縁だった。
その為、以前の様に父について国を出るだけでも、大きな行事になるのだ。
「祭に関しては私は把握していない。だが、そのような様子は見受けられなかった。ならば、城下へおもむくのは控えるか」
「ううん。行きたいっ。絶対に行きますっ」
お祭りがなくても、せっかく静景と二人で城下へ行けるのだ。
これはきっとお祭りよりも貴重で、楽しい事に決まっている。
(まさか静景さんが誘ってくれるなんて。やっぱり伊兵衛様はすごい)
会話を楽しむ──というのとは少し違うかもしれないが、昨日のあの様子に比べると大きな前進には変わりない。
昨日はあんなに冷たくて悲しい時間を過ごしたのが嘘のようだ。
静景の機嫌も良く、穏やかな表情でこちらを見ている。
「早く飯を食え。時は待ってはくれぬぞ」
「はいっ」
鼓子花も終始上機嫌で、用意された朝餉をあっという間に平らげてしまった。