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愛があれば何をしても許される  作者: 石月 ひさか
参・初めての気持ち
14/27

理由

部屋を去った鼓子花は、呆然としながら廊下を歩いていた。


愛していたから殺めた。


母様は父様に殺された。


その言葉だけが、ぐるぐると頭の中を巡る。


そして何度もそれを繰り返すうちに、やっとその意味を理解し、実感を抱いた。


死んでいるのかもしれないという疑問は、前から持っていた。


離縁で里に帰った可能性もあるが、亡くなってしまった可能性の方が高いだろうと思っていた。


母の死については、随分前から覚悟していたし、受け止められると思っていた。


だが、まさか自分の父親が自分の母親を殺していたなんて事は、一瞬たりとも考えていなかったのだ。


「どうして父様は……。愛していたからって、どういう意味なの?」


涙が次から次へと溢れてくる。


泣きじゃくりながら歩いていると、向かい側から静景がやってくるのが見えた。


静景はこちらに気付くと、足音を立てて駆け寄って来た。


「鼓子花様。一体何が」


肩を掴まれ、涙でぐちゃぐちゃの表情で見上げる。


「何故泣いているのですか。一体誰に――」


「静景さんっ……」


堪えきれず、胸に飛び込む。


静景は一瞬、体を強ばらせたが、突き放す様な事はしなかった。


「何があったのかお話し下さい。よもや城の何者かに――」


「愛しているのに殺すって何?」


表情は見えないが、戸惑う静景の様子がわかった。


鼓子花は着物を強く握りながら、もう一度問う。


「愛している人を殺すって何?そんな事ができるの?鼓子花にはわからない……。全然、わからないっ」


静景は腕を動かし、肩に触れた。そしてそのまま掴み、体を離す。


「それはどの様な意味合いですか。その涙と何か関係が」


「さっき、父様と伊兵衛様とお話しをしたの。母様の事を知りたくて」


「母親――?武時様の御正室の事ですか」


「そう。母様は鼓子花が小さい頃からいなかった。だから、それがどうしてなのか聞いてみたの。ずっと、病気で亡くなったか、離縁したのだと思っていたわ。だけど違ったの。母様は、父様に殺されていたの。その理由が、愛していたからだって……。そんなのわからない。愛していたから殺すって何?静景さんはそれが理解できる?」


改めて口にしてみてもわからない。


全く理解ができない。


話しているうちに、再び悲しくなり、涙が溢れてきた。


静景は軽く周囲を見回すと「こちらへ」と鼓子花の腕を引き、部屋へと歩いて行った。


連れて来られた静景の部屋は、ひどくこざっぱりした様子が彼らしかった。


畳に座ると、静景は顔を拭く為に布を手渡してくれた。


「急にごめんなさい。でも、全くわからなくて……。まさかそんな過去があったなんて思っていなかったから」


ぎゅっと布を握り締め、畳を見つめる。


静景は暫し黙り込んでいたが、不意に深い息を吐いた。


「武時様が御正室を殺めたという話は、私も初めて聞きました。私が仕官した時には、すでに御正室――鼓子花様の母君はおりませんでした」


静景が豊臣にやって来たのは幼少期だ。


鼓子花の記憶では、少なくとも三つの頃には母はすでにいなかった。


静景が母に会った事がないのは当然だと思った。


「鼓子花も今日初めて知ったのだもの。静景さんも知らなくて当然だわ」


あの様子から、少なくとも父は負い目を感じているのはわかった。


それに、いくら部下とはいえ、無用な話をする様な性格ではない。


鼓子花は深呼吸をすると、もう一度問う。


「静景さんには理解できる?父様が母様を殺めた理由。愛しているから殺したって意味」


「……」


静景はやはり無言だった。


何かを考えている様だったが、少しして口を開いた。


「理解は、できます」


「本当?なら教えて。鼓子花にもわかるように」


父と伊兵衛の口から伝えられただけでは、そこに隠された意図は全く理解できなかった。


だが静景ならば、きっと鼓子花が納得できる答えをくれる気がしたのだ。


「──男は強く在らねばなりません。武時様は今、何より力を欲しておられる。愛は己を弱くし、判断を鈍らせる」


父は確かに、普段からもっと力が必要だと口にしている。


この時代、家と国を大きくするには、知略か力が必要だ。


だが生憎、父には知略については恵まれなかったらしい。


父は力を欲し、誰よりも強く在ろうとしている。


それは鼓子花も昔からわかっていた。


「愛は人を弱くするの?どうして?」


「人を愛すると情が生まれます。しかし、情は人を弱めてしまう。鼓子花様にも、愛する者がいらっしゃるのでは」


愛と聞いて始めに浮かぶのは静景だ。


だがそんな事は言えず、二番目に愛している伊兵衛を想像して頷く。


「その愛する者が傷つく様を見れば、己も傷つく。嘆き悲しむ様を見れば、己も同じ感情を抱く。それが弱さです。相手を愛すれば愛する程、感情の共有も強くなる。そして一層、自身を弱める。──私はそう理解します」


「……」


その言葉は、不思議と鼓子花の中にすっと下りてきた。


伊兵衛が――否、静景が傷つけば鼓子花も傷つく。


静景が悲しめば、鼓子花も悲しい。


負の感情の共有は、即ち弱さだ。


愛するが故、己の身に起こっていない事で一喜一憂する事となる。


それを断ち切る為に父は――。


「じゃあ、父様は本当に母様を愛していたのね?愛していて、母様の悲しみや嘆きを共有してしまうから殺したの?」


「それは武時様が語られた事ではありません。これはあくまでも私の持論です。武時様は御正室を愛されていた。それ故に自ら殺めたと仰るならば、その可能性が考えられるという話であるだけです」


「そう……」


正直、まだ納得はできないし、受け入れられる事でもない。


だが先ほどよりは、少しだけ意味が理解できた様な気がした。


「ありがとうございます。父様が母様が憎くて殺めたわけではないと、ちょっとだけわかった気がしました。静景さんに聞いてみて良かった」


呟くと、布を握りしめたまま立ち上がる。


「少し、自分でも考えてみる。すぐに納得するのは難しいけれど……。でも父様の愛情が本物なら、きっと納得できる気がするの」


静景は立ち去る鼓子花を止めなかった。黙って見送ろうとしている。


鼓子花は障子に手をかけると、ふとある事が気になって振り返る。


「静景さん」


「はい」


「静景さんも、殺してしまいたい人はいる?」


それがどんな意味なのか、当然わかっているだろう。 暫し考えた後に頷く。


「それ故に、私は武時様の仰る意味合いが理解できました」


「そう。……そうなのね」


静景自身、同じ理由を持てば殺してしまいたい程愛する人がいる。


だからこそ、鼓子花の言葉だけで意味を説明できたのだ。


(静景さんが愛している人って誰?)


本当は口に出して問いたかった。だがその答えが、期待するものではなかったら。


もしも見ず知らずの女の名前が出たら、きっと今の鼓子花には耐えられない。


「教えてくれてありがとうございます」


その為、敢えて聞かずに部屋を後にした。


鼓子花が立ち去ると、同時に襖が開き、伊兵衛が部屋へとやって来た。


「様子は見させて貰ったよ。さすがは静景殿。上手く鼓子花に説明してくれた様だね」


静景は黙ってその場に膝をつき、目を伏せる。


「まさか、日和殿の事を問われるなんてね。正直、もう少しまともな回答をすべきだったと、僕も武時殿も後悔していたんだ。だけど君がきちんと鼓子花に理解できる様に言ってくれて助かった」


「いえ。あれは私の解釈に過ぎません。恐らく武時様には、もっと深い意味合いが」


「事実がどうであれ、鼓子花が納得したのならばそれで構わない」


きっぱりと言い放つと、伊兵衛は鼓子花が立ち去った方に視線をやる。


「鈍い君でも、さすがに鼓子花の気持ちには気付いているだろうね」


「……」


個人的に痛いところを突かれた様な気がし、思わず黙り込む。


だが伊兵衛はもともと静景の返事は求めていないのか、構わずに続けた。


「そろそろ年頃だ。興味を持つだろうとは思っていたけれど、まさか相手が君だなんて」


伊兵衛の言う通り、鈍い静景であっても、鼓子花の抱いている感情には気付いていた。


鼓子花はあまり、心の声を言葉にしない。だがその代わり、目で語るのだ。


そんな風に見つめられたのは初めてである静景にも、すぐわかる程に。


「鼓子花様のお気持ちは、一時の気の迷いであるかと存じます。私など相応しくありません」


だが求められても、静景にはそれに応える器量も力量もない。


そして、武時の血を引く娘を相手にするという覚悟も。


だが伊兵衛は、初めから静景の意思などは聞いていなかったのだ。


「君の心など聞いてはいない。静景殿。それともまさか、君は武時殿の娘に思いを寄せられながら、それを無碍にするつもりだったのか?」


「……」


穏やかだが突き刺す様な言葉に、静景は目を見開く。


「君には引き続き鼓子花の相手を任せよう。これは命令だ。明日にでも鼓子花の気持ちを確認しておいで。──当然だが、決してあの子を傷つける事などないように」


「畏まりました」


命だと言い放たれれば選択肢はない。


俯きながら、静景は無意識に拳を握り締めていた。

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