表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛があれば何をしても許される  作者: 石月 ひさか
参・初めての気持ち
11/27

良い影響

それからすぐに静景は部屋へとやって来た。


腰には刀を携え、まるで今すぐにでも戦へおもむきそうな格好だった。


室内に入ると刀を脇に置き、寝具の横に腰を下ろす。


「こんな格好でごめんなさい」


小袖姿で髪もぼさぼさな自分の姿を恥ずかしく思う。


せめて身なりを整えてから迎えれば良かったと後悔した。


静景は気にする様子もなく、鼓子花の目を見ながら問う。


「伊兵衛様より、体調が優れないと伺いましたが」


「うん。ちょっと……色々あって」


恐らく猫の一件は聞いていないだろう。


不本意であっても動物を殺めた事を知られたくなくて言葉を濁す。


静景は「そうですか」と呟くと、僅かに目を伏せた。


「食事はとられているのですか」


「ううん。食欲がなくて」


あれ以来、食べ物を口にすると猛烈な吐き気をもよおす様になってしまった。


勿論、肉はいっさい口にできない。


「何か腹に入れるべきでは。でなければもたないでしょう」


「それはわかってるけど……。どうしても食べたくないの」


寝たきりで更には食事もとっていないのだから、日に日にやせ細り、体力も失われていく。


それはわかっていたが、生理的嫌悪感からどうしても食べ物を受け付けないのだ。


静景は、障子を開けて外に控えている侍女に何かを伝えた。


そして間もなく、二人の侍女が二つの膳を持って部屋にやって来た。


「何……?」


侍女は何も答えず、ただ黙って二人の前に膳を置いて立ち去って行った。


それを見届けた後、静景が答える。


「食事です。僭越ながら、暫く共に致します」


「えっ?」


目を丸くしていると、静景はおもむろに茶碗を手にし、食事を始める。


鼓子花はその様子を、ただ黙って見つめていた。


静景はお世辞にも上手そうに飯を食う人間ではない。


恐らく生命や体力を維持する為のやむを得ない摂取作業とでも思っているのだろう。


だが不思議と、誰かが飯を食っている様子を見ていると、自分も食べたくなってきた。


恐る恐る、冷めかけた汁の入った椀に手を伸ばす。


口を付け、少しだけ味噌汁を飲んでみた。


「美味しい……」


無意識に言葉が漏れた。


「美味いと感じられるならば、どうぞそのまま続けて下さい」


やはり体は食べ物を欲していたらしい。


一度欲が湧くと止められず、鼓子花は邪魔な髪の毛を後ろで縛り、次は米に手をつける。


そして時間はかかったが、用意された膳を平らげる事ができた。


それから静景は、毎日夕餉時には足繁く鼓子花の部屋に通った。


言葉通り、食事を共にする為だ。


初めは無言だった時間も、少しずつ会話をはさむ様になってきた。


とは言っても鼓子花は部屋にいるだけな為、話をするのはいつも静景だった。


内容は、今日一日どんな事をしたかの報告など、他愛もない話だ。


それでも鼓子花は楽しかった。


そして初めて、誰かと一緒に会話をしながらとる食事は美味しいものだと気付いたのだ。


そんな日々を過ごし、いつしかそれが当たり前になりつつある頃だった。


「体調はどうだい?」


久しぶりに伊兵衛が部屋にやって来た。


あの猫の件以来、伊兵衛の顔を見るのは久方ぶりだった。


「体調は大丈夫です。元気よ」


言葉通り、今の鼓子花の体調はすこぶる良かった。


恐らく、毎食きちんと食事をとっている為だろう。


血行もよくなって手足が冷える事も少なくなったし、体を動かす事も億劫ではなくなった。


今日もつい先ほどまで、散歩の為に庭を一周りしてきた所だ。


伊兵衛は笑みを浮かべると、鼓子花の頬に触れる。


「確かに、前より顔色が良いみたいだね。元気そうで安心した」


「ありがとう。伊兵衛様は、今までどうしていたの?」


あの事件の直後は、自責の念で顔を出せないのだろうと思っていた。


鼓子花自身も、あんな酷いことをさせた伊兵衛には会いたくなかったし、それが当然だと思っていた。


だが時間が経ち、考えが変わってきた。


確かにあの猫は、あのまま治療をしていても助からなかった。


ならば早いうちに楽にしてあげるのが本当の愛であり、猫の為にもなったのかもしれない。


やり方は少々強引だったが、鼓子花にそれを理解させる為にやむを得なかったのだろう。


「実は色々と立て込んでいてね。なかなか会いに来られなくてすまなかった。静景殿とは仲良くできているか?」


「うん。色々とお話をしてくれるし、鼓子花もしているわ」


いつの間にか、静景ととる食事の時間が一日の中で一番楽しみなものになっていた。


やはり、誰かと言葉を交わし、意思の疎通をはかる事は楽しい。


静景も今では、時折笑みを見せてくれる様になった。


そう答えると、伊兵衛は嬉しそうに笑った。


「そうか。君が静景殿と仲良くなりたいと言っていたから彼に頼んだんだ。どうやら正解だった様だね。最近では静景殿にも良い影響が出ている」


「良い影響?」


もしかしたら、鼓子花と同じく食欲が出た事だろうか。


食事の中には、どうしても食べられないものや、その日の体調によって食べきれないものがでる事がある。


以前までは申し訳ないと思いつつ残していたのだが、静景がそれでは礼儀として良くないと言いだし、代わりに食べてくれる様になったのだ。


そのせいで、静景は自分の分と鼓子花の残りを平らげる事が多い。


それは結果的に良い影響を与えているらしく、昔より体力がついたとぼやいていた。


だが、伊兵衛が言っていたのはそんな事ではなかった。


「雰囲気がね、少し柔らかくなった気がするのだよ。以前は絶対に同席しなかった奉行達との茶会にも顔を出したり、部下とも交流をはかるようになってね。きっと君の影響だろう」


「?」


そう言われても、いまいちピンとこなかった。


静景に対して影響力があるとは思えないし、何かした覚えも全くなかったからだ。


「鼓子花は何もしていないと思うわ。それに、静景さんはもともと優しい人だと思う」


何せ、たった一度、しかも伊兵衛の命により渋々同乗した娘を気にかけ、足繁く部屋に通ってくれるのだから。


きっと静景はもともと優しくて、思いやりのある人なのだ。


「君の中での静景殿の印象がそうなのならば、敢えて否定するつもりはない。現に彼は今、とても君を気にかけている。毎日毎日一緒に食事をとるなんて健気でもある。それに、君にちゃんとご飯を食べさせているのだから」


僕ですら苦戦するのにね。そう言い、伊兵衛はどこか少しだけ寂しげに笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ