可愛く、綺麗で
「ねえねぇ、元日の朝に予定とかある?」
「なんだよ急に……別に何も無いけど」
「ほんと!? よかった〜! じゃあ一緒に登山しない?」
「いやだ」
「えーなんで?」
そりゃあだって、学校一の美少女と呼ばれるユキと二人きりで出かけるなんて。変な噂が立つに決まってる。
「いやなもんはいやだ」
「それじゃあ理由になってないよ。予定ないなら一緒に行こうよ、ね? この通りだから!」
手を合わせて可愛くお願いしてくるユキ。
名前の通り雪のように白い髪が特徴で、俺の手入れしてない黒髪とは比べ物にならないほど綺麗だ。さらさらしてるし、今だって机越しにシャンプーのいい香りがする。
さすがにスリーサイズまでは知らないけど、上から順に抽象的に表現するなら、大きい、引き締まってる、ちょうどいい、ってところだ。
そんなこと考えてると本当の数字が知りたくなってきた。確か隣のクラスに、この手の情報に詳しい奴がいたはず。よし、後で訊いてみよう。
「……ダメ、かな?」
小首を傾げるユキに意識を引き戻される。
「いやこれは俺が君に興味あるからとかじゃなくて健全な男子高校生なら誰でも知りたいことで……ーーって、違う!!」
「ーーーーえ? き、君も私に興味持ってくれたの……?」
「ち、違う! これは口がすべってーーじゃなくて! なんて言うかその、今一瞬だけ魔王に洗脳魔法をかけられてっ!」
必死の言い訳にユキは笑みを返した。
「ふふっ、アニメの見過ぎだよ」
彼女がこれ以上質問してこないことを笑みで確信し、俺は安堵のため息を吐き出す。
「それより、元日の朝に私と登山しよ? お願い」
思考を切り替えて、言い訳を考える。
しかし、ふと。
教室には自分たちしかいないことに気がつく。
今なら登山を受け入れても、噂を流される可能性は低い。
俺だってユキと二人きりで外出してみたい。
ユキは小学校から同じ高校まで上がってきた唯一の友達。やっぱり他の女子と、いい意味で差別してしまう。
九年間も一緒の学校で育ってきたのに今まで一度も二人きりで外出したことのない方がおかしいのかもしれない。
「幼馴染と、一度くらいは外出してもいいかもしれないな」
「ほんと!? ありがと〜」
「感謝されるほどのことは何もしてないけど」
俺の照れ隠しを彼女は首を振って否定した。
「ううん。ほんと、ありがとう」
「いや、その、こっちこそ誘ってくれてありがと」
「山はなるべく君の家から近いとこにするね」
「いや、ユキの家から近いところでいいよ。俺は電車なりなんなりで向かうからさ」
再び、しかし今度はしっかりと俺の目を見て。
最高の笑顔で俺の心を襲った。
放課後の教室の窓から差し込む夕焼けが、そっと彼女を美しく彩って。
可愛い彼女に綺麗が合わさり。
それはもう、俺の大好きな二次元では絶対に見られないような可憐で尊い美少女が完成した。
彼女はどこか恥ずかしそうに俺の耳元まで近寄ってきて、囁いた。
「ありがと。優しいね、君は」
自然と俺も笑顔を返す。
それだけでやめとけばいいのに。
どうしてだろう。彼女の笑顔をみてると。
我慢できなくなる。頭が真っ白になって、人生で初めて女子の唇を奪いたいと思ってしまう。
「………………っ」
自分の唇を噛んで踏みとどまろうとする。でも何かしないとこの気持ちを抑えられなくて。
「お前も大概、優しすぎるよ」
口から漏れたセリフとともに、彼女のさらさらな髪の毛を右手で荒く撫で回した。
「……うぅ、っ。……は、恥ずかしいよ」
スカートを弱々しく掴みながら、溶けるような優しい声音で彼女は言う。
「今夜中には場所と時間メールするから……うぅ」
「わかった」
「じゃ、じゃあ私帰るよ?」
こんな可愛い女子高生を、こんな時間に一人で帰らせるわけにはいかない。
俺の右手を掴んで止めるユキの右手を逆に掴む。
驚いた様子で空色の両目を見開く彼女に一言だけ。
「家まで送るよ」
「あ、ありがと」
そうして俺たちは冬休み前最終日の学校を後にした。
***
ユキを家まで送り、電車で自宅へ帰ってきた俺は早速準備に取り掛かっていた。
「えーっと、お菓子とか必要なのかな……?」
よくわからないけど、板チョコを適当にリュックへ放り込む。
『…………で、年末年始は大変冷え込む予報です』
とりあえず電源だけつけておいたテレビから、そんなことを言う天気予報士の声が聞こえる。
「うーん、防寒具とか余分に持ってくか」
貼るカイロと貼らないカイロをそれぞれ二つずつ。そして薄い布切れのような毛布を小さく折り畳んでリュックに詰め込む。
「あんまり多くても重いだけだし、後は水くらいにしとくか……っと、忘れてた」
学校のカバンから怪我の応急処置用のポーチを取り出す。
怪我になるようなことはしないはずだけど、万が一に備えることは大切だよな。
俺はリュックの外ポケットにポーチを入れる。
「後は水だけだな」
俺は台所へ向かい保存用のペットボトルを四本取り出す。両手に二本ずつ持って部屋へ戻ると、机の上でスマホがメールの受信音を鳴らしていた。
「ユキか、思ったより早いな」
左手の腕時計で時間を確認するが、まだ八時を過ぎたところだ。正直あと二時間くらいは来ないと思ってた。
水の入ったペットボトルをリュックに入れ、足速に机へ向かってスマホを手に取る。
【時間:朝4:00】
そして続く山の名前。初めて聞くその山の名前を俺はインターネットで調べた。
***
「明けましておめでとうっ!」
「明けましておめでとう……ふわあぁっ、朝から元気だなユキは」
「君の方は、新年早々眠そうだね」
「そりゃ、まだ三時半だからな」
「私の方が早く来ようと思ってたのに、まさか君がこんなに早く来てるなんて」
「ほとんど変わらなかっただろ」
「それでも君の方が早かったよ」
俺はまた大きくあくびして瞼をこする。すると不意に俺の頬が引っ張られて。
「そろそろ起きてください!」
「ふぁい」
自分の頬を小さく膨らませて怒るユキの姿が俺の意識を少し覚醒させた。
「よろしい!」
頬から手を離した彼女がそう言う。
「じゃあ早速、登山開始しますか!」
「その前に」
元気満々な彼女を右手で制す。
「山にも意識があるんだ。だから登る前に一度お祈りをしないと……って、インターネットに書いてあった」
「へー。いろんなこと調べてくれたんだ。ありがとね」
俺たちは山に向かって背筋を伸ばし、両手を合わせて、目を瞑る。
(安全に登って降りれますように)
左目を開けて彼女を確認する。集中し過ぎているのか、口まで動かしていた。
しばらくして口が止まり、そして笑みに変わる。
「じゃあ行こー!」
「行きますか!」
辺りはまだ暗い闇の中、俺たちの登山がついにスタートした!
「それで、入り口ってどこだっけ?」
「……おいおい」
俺はため息を吐きながら彼女を登山口へと案内した。
***
「それにしても寒いね」
「だな。厚着して来てよかったよ」
「ほんとにね」
体感温度だが、余裕で氷点下は切ってるだろう。登山開始から十五分でもう肺が凍りつきそうだ。
「ねぇ、暗くて離れちゃうとまずいから、その。……手、繋ごう?」
彼女の提案に俺は左手を伸ばして答える。
「……ありがと」
二人の手袋越しに、ユキの手の温度が伝わってくる。
ーーーー冷たい。
「防寒具貸そうか?」
「ううん。大丈夫」
「……辛くなったら言ってよ?」
「うん」
霜の降りた獣道を一歩一歩慎重に歩いていく。
気温はもっと下がっている。山も中盤に差し掛かり、俺もそろそろ休憩したくなってきた。ユキとは会話を保ったまま登っている。だからこそ、段々声に張りがなくなってきてるのは気のせいじゃないはずだ。
「ペース落とすね」
「うん、ちょっと助かるかも」
振り返ると彼女は白い吐息を出していた。手が繋げるほどの距離にいれば、ユキが今疲れていることくらいわかる。
「いや、一回休もう」
「うん」
返事の短さも証拠の一つだ。
適当な岩を見つけて彼女を導く。
「水、飲めるか?」
「うん、大丈夫」
ユキは寒さで震えた手をリュックに向かわせる。ペットボトルを一本取り出して、キャップを外そうとするが、
「ごめん、ちから入らないや」
「ほ、ほんとに大丈夫か?」
ペットボトルを受け取り、手袋を外した右手でキャップを回す。
「ありがと」
同じように手袋を外した右手で受け取る。そして水を少しずつ口に流し込む。
「ハァ、ちょっと落ち着いたよ。ありがとう」
「いや、俺もそろそろ休憩したかったし」
俺も自分のペットボトルから水を飲みながら、彼女を一瞥する。
身体を小刻みに震えさせて体温を上げているみたいだが、足りない。
俺はペットボトルをリュックに戻して彼女の右手を取る。手袋越しだとよく分からなかったが、相当冷えていた。
「あはは。山頂まで頑張ろうとしたんだけどね」
「無理するなって。山頂まで行くことより、ユキの身体の方が大切だよ」
「でも山頂まで行かないと私の夢が……」
「夢?」
「ううん。なんでもない。それよりも今はあったまりたいな」
「だから」と続けて、ユキは俺のアウターのチャックを下ろした。その中に彼女は頭を潜り込ませる。
「ちょっとだけ」
「いや、あったまるまでいくらでもいいよ」
「もう、バカ。温度も大切だけど、それよりーー」
「……それより?」
もう一度、「バカ」と。
俺なにか悪いことした?
でも今は真面目にユキを温めないと。
俺はユキの背中に手を回して抱き寄せる。周りに人がいないのは、幸いとしか言いようがない。
「あったかい」
「だな」
しばらくして彼女の体温と元気が戻り。
日の出まであと少しとなった今、俺たちはペースを上げて登り始めた。
「こんだけ速いと、自然と身体もあったまってくるね!」
「元気いっぱいだな」
「そりゃあそうだよ。だって君に抱かれちゃったし」
「誤解を招くような言い方はやめろ!」
いつもの感じが戻ってくるにつれ、ペースもどんどん上がっていく。
繋いだ手を時には離して岩を登り、坂に戻るとまたすぐに繋ぎ。霜が雪に変わり始めて、山も終盤に差し掛かった。
「にしても、ほんと静かだね」
「ここまで静かだとかえって幻想的な感じするけどな」
「たまーに後ろ振り返ると、街の景色がすっごい綺麗だもんね」
「お前、俺が頑張って山頂までみないようにしてるのにそーゆーこと言うな! 余計みたくなる」
「元日だからこんなに灯りがついてるのかなぁ? すっごく綺麗!」
「だからやめろって!」
そんな会話を広げながらユキを俺の隣まで引っ張る。小さな肩を右手でそっと抱き寄せて。
「やっぱり冷えてるじゃん」
「えへへ、バレちゃった」
「バーカ。冷えてるなら言えっての」
彼女を隣に抱きながら歩くこと数分。
「「着いたああああああーーーーっ!」」
息を揃えて叫ぶ。
小さな岩の上に二人で腰掛けて、俺はリュックから板チョコを二枚取り出し片方をユキに渡した。
同時に小さく噛り付く。
日の出まであとわずか。空は段々色を変え始めていた。
「あの」
ぽそり、と。
白い吐息とともにユキが呟く。
「どうした?」
ユキは俺の服の裾をほんの少しだけ、しかし力強く握った。
「この山、高かったでしょ」
「ああ。まさかこんな高いところを選ぶなんてな」
「ほんとはね、もっと小さいところにするつもりだったの」
「そうなんだ」
「でも、お父さんとお母さんに訊いたら、この山がいいって」
「……どうして?」
意図が掴めず、思ったことをそのまま口にする。
「この山はね、お父さんがお母さんにプロポーズした山なんだって」
照れくさそうに呟くユキ。
今年最初の日の出も、もう顔を出し始めて。
世界が太陽に包まれ、同時に彼女が俺に言った。
「私と付き合ってくれる?」
思わず日の出から目をそらして彼女を見つめる。美しい白髪はオレンジ色の光に染まり、可愛く微笑んだ彼女を綺麗に照らしていた。
空色の両目は真剣そのもので、それでも可愛さを隠しきれていなかった。
答えはもう決まっている。断るなんてありえない。こんな幻想的な場所で、天使のような優しい美少女に告白されて断るはずがない。
彼女のプロポーズに答えるには、ただ返事するだけでは足りない気がした。
だから俺はーー
「ーーっ!?」
彼女の小さな唇を、自分の唇で奪った。