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「入部希望者?」
「はい、もうすぐ来ると思います」
本当に!? と、僕の言葉に藤見先輩の顔が一気に明るくなった。
体育祭の後、僕は水沢さんに生徒会に入りたいという話を持ちかけられた。部員数は六人、そのうち一年生は一人と人手不足も甚だしいから、生徒会としてはもちろん大歓迎だろう。
誰より喜んでいるのは、
「俺の時代が来たか……」
さっきからやたらとシャツの襟を整えている環先輩。水沢さんが入ったからと言って環先輩とどうこうなるわけではないと思うが、絡むと面倒くさそうなのでそっとしておこう。
「にしても、良かったね古川くん」
「え?」
「一年生二人になったら、来年のことを考えると安心だしね」
「あ、たしかに……」
言われてみれば、このままいくと来年は二年生が一人。水沢さんが入ってやっと二人だ。
「まあ、一年生がいっぱい入ってくれるのを願うしかないよね……
三銃士みたいな裏方の仕事ならやるって人、いなくはないと思うんだけどね」
「ですね……」
……正直、十銃士くらいほしいところではあるけど。
そういえば、よくよく考えてみれば、時期会長はどうなるんだろう。
このままいけば、たぶん僕なんだろうけど……
「くそ、戦闘力が足りない……課金だ課金……」
……いろんな意味で、会長の後を継げる自信はない。
会長は普段はだらだらしてるとはいえ、なんだかんだ仕事は完璧にこなすってことを体育祭で思い知った。それにあの容姿、人の視線を集めるカリスマ性があの人にはある。
一方の僕は、教室の隅に一人でいれば存在を認知されないレベルの地味な男子。
僕が来年の入学式の挨拶をしたら、まあ間違いなく静かにはならないだろう。僕の話なんかに聞く耳はもたず、みんな口々に駄弁り始める地獄絵図が容易に頭に浮かぶ。
だとしたら、僕がやるよりは……
「し、失礼します!!」
ゴンゴンゴン! と物凄い音がしたかと思うと、次の瞬間、物凄い勢いで部室の扉が開いた。
慌ただしく部室に入ってきたのは、ふわふわした髪を耳の下で二つに結び、少し長めの膝丈スカートの、色白で華奢な女の子。
「水沢さん」
「あ、ふ、古川くん……!
あっ、えっと、失礼します!」
ぺこー、っと頭を九十度下げお辞儀をする。水沢さんそっちじゃないよ、そっちは壁。
緊張しっぱなしの新入部員に、藤見先輩はさも楽しげに笑いかける。
「入部希望の子、だよね?
そんなに緊張しなくていいよ、この前会った人しかいないから」
「えっ……」
水沢さんはふっと顔を上げ、辺りを見回す。環先輩、ここぞとキメ顔するのやめてすださい。
「あ、この前の……!
生徒会の先輩だったんですね、えっと……」
「あ、そういえば言ってなかったね。
私は藤見桜子、生徒会副会長をしてます。よろしくね」
先輩がにこっと微笑むと、結ばれた前髪がぴょこんと揺れた。このほわほわした二人が並ぶと和やかな空気が流れて眼福である。
さて、問題はここからだ。
「やあ、また会ったね……」
「あ、せ、先日はありがとうございます……!」
いいってことよ……と前髪を横に流すのは身だしなみばっちりの環先輩。モデル気取りの立ち姿にナルシズムを感じる仕草が非常に気持ち悪いですなんて言えない。
「えっと、お名前は……」
「環良悟、だ。俺のことは良悟先輩とでも呼ん」
「あ、この人のことは環先輩でいいよ。
私は名前で呼んでほしいなあ~」
う、うわあ……さらっと酷いブラック藤見先輩だ……仲間の恋愛フラグをいともあっさり折るリア充キラーだ……
笑顔の裏にどす黒い感情を抱えていそうで怖い。たぶんこの人は一番怒らせちゃいけない人だ。
「じ、じゃあ、環先輩と桜子先輩……で」
「わぁ、嬉しいなぁ、桜子先輩って!
ね、環くん」
「おっおう……」
いやほんと……やめてあげてくださいほんと。環先輩半泣きだから。
完全に環先輩を手のひらで転がしている藤見先輩はさておき、水沢さんは奥の方へと足を進めた。
部室の一番奥、広げられたスルメイカ特盛セット、そこに座するは絶世の美女。
「こ、この前はありがとうございました!
水沢ゆいと申しみゃす!」
……噛んだ。盛大に噛んだ。
若干怯えながらも挨拶する水沢さんは、おそらくかの残酷な真実を知らないであろう。
僕にはそれを伝える義務がある。
「都千景です。よろしく」
「よ、よろしくお願いします!」
ぺこぺこと頭を下げる水沢さんに耳打ちする。
「ちなみに、この先輩は会長だよ」
「あ、そうなんだ……え?」
え? とぱっちりした目を真ん丸にし、数秒間考えを巡らし、
「……えええ……!?」
案の定、期待通りの反応をしてくれた。
「そりゃびっくりするよね」
「は、はい……
入学式で挨拶されていた時とは、その、ちょっと違うと言うか……」
「ちょっとどころじゃねぇぞ」
水沢さんの反応に、先輩方は僕の時と同様に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。新手の詐欺だな……と思いつつ、僕も僕で彼女の反応を楽しんでいたからなんとも言えない。
「ゆいちゃんが入ってくれて本当に助かるよ。変な先輩もいるけど、気楽に仲良くやっていこうね」
……言われてますよ環先輩。
いつものメンズ雑誌は見当たらず、どこから持ってきたのか英字新聞を開いている先輩。そのうち、「この記事面白いな」とがっつり読み出すあたり、黙ってたら見た目もいいほうだし頭も良いしさぞモテるだろうに。
キリッとした眉に全体的に少し濃いめの顔は、お世辞じゃなく普通にかっこいいと思う。クールな秀才路線も十分狙えたはずなのに、いったい何がどうなって今に至るのか、答えは謎に包まれている。
とりあえず、水沢さん、ファイト。
生徒会の簡単な説明と水沢さんの噛み噛み自己紹介を終えたところで、今日は解散となった。
藤見先輩と会長はそそくさと帰り、僕は水沢さんと二人で帰ることに。
「生徒会って、あんな感じなんだね……
これから、すごく楽しみ!」
目を輝かせてそんなことを言われると、なんだか僕も嬉しい。
「僕も、水沢さんが入ってくれてよかった」
「えっ……え?」
来年のこともあるけど、これで環先輩も多少は静かになるはずだしな。
本心から言ったつもりだったが、水沢さんはなぜか動揺して、
「あ……あの、私は寄る所があるので……! また明日!」
……水沢さん、そっちじゃないよ、そっちは行き止まり。
夏休み、という大きな楽しみがあれば、それまでの数日間なんて一瞬だった。
それからはこまごました活動をのんびりと続け、いつしか水沢さんは先輩方の前でもコミュ障を発症しなくなったところで、ついに待ちわびた夏休みがやってきた。
夏休み中は生徒会の活動は少なく、たいがい文化祭関連の簡単な取り決めやボランティア活動程度だ。
だから、みんな時間を持て余しているわけで。
「新歓も兼ねて、みんなで遊園地に行きましょう!」
夏休み初日の活動後、突然藤見先輩の提案があった。
「いいんじゃね、どうせ暇だし」
「みんな大丈夫?」
僕と水沢さんは強く頷き、藤見先輩と環先輩は顔を見合わせる。
ゲームに没頭していた会長はというと、
「私、遊園地好きじゃないからパ」
「ちーちゃんも行くよね?」
「……わかった」
……うーん。これが裏ボス。
会長に選択権を与えない独裁者。強い。
「それじゃ、予定立てよ! 予定!」
シャキン! とさっそく紙とペンを掲げノリノリな先輩を見ると、会長もなんだかんだで嬉しいんだろうと思う。
体育祭であんなことを聞いたからなのか、会長のみんなを見る眼差しがやけに優しく感じる。
いや、たぶん、元々こんな目をしてたんだろうな。
「桜子、これ生徒会のスケジュール」
会長がどこからかプリントを取り出す。やたらと白い部分の面積が多いように見えた。
「ありがと。えっと……じゃあ、みんなの予定ある日教えてね」
とは言ったものの、みんな夏休みの予定なんてほとんど埋まっていなかった。夏休みに遊びに行くような勝ち組は最初から生徒会なんざ入ってねえよ……という声が聞こえたけど空耳だと思いたい。
そのおかげで予定はすぐに決まったが、なんというか、悲しい。
「やったぜ……やっと夏休みの予定が一つできたぞ……」
泣き笑いする環先輩、友達いないんですね……。
そんな同情ムードのまま、部室のカレンダーのマスが一つ埋まった。
それからは、のんびり行き先や最寄り駅の確認なんかをして。
「じゃ、これで決まりね!
朝の9時に現地集合で!」
はーい、と間延びしたみんなの返事を聞いて、藤見先輩は満足そうに頷いた。
それから数日は、夢心地だった。
生徒会で遊びに行く、という体だが、つまりは会長と(あと水沢さんと藤見先輩と環先輩と)遊びに行くということだ。
要は、とんでもないことだ。
これは神様が与えてくれた一世一代のチャンスだ……と思いながら布団に入る。
そんな夜を数回繰り返して、ようやくその日はやってきた。
時計の針が八時半を指した。
三十分前行動ができる僕、優秀。
「すごい混んでるなあ……」
開園は九時だっていうのに、門の前には大勢の人が並んでいた。みんな、この遊園地のマスコットキャラの着ぐるみを着たり、白衣を着たり、喪服を着たり、民族衣装を着たり……ちょっと待て雲行きが怪しいぞ。
なにはともあれ、みんな期待に胸を膨らませて来ていることには変わりなかった。
空もよく晴れて、絶好の遊園地日和だ。
にしても、まだ誰も来ないな。
僕が早すぎるとはいえ、先輩方、ギリギリに来そうだな。
たぶん会長は藤見先輩と一緒に来るだろう。
環先輩は、気合い入れて来るだろうし、
水沢さんは……道に迷ってそうで心配。
気がつけば、生徒会のみんなことがちょっとずつわかってきてる。
それが少し嬉しかった。
「お待たせー!」
時計の針が八時五十五分を指した頃、先輩方がやって来た。
環先輩は、Tシャツにジーパンという極めてシンプルな服装。
藤見先輩は、袖口がふわっと広がった白いTシャツにベージュのキュロットという、清楚だが元気な印象を与える服装だった。
そんな二人の後ろを歩くのは、そこにいるだけで人目を引くような美少女。
その姿を見たら、もう、自然と呼吸するのを忘れた。
白と黒のボーダーのTシャツに、真っ白なロングスカート。
いつもはボサボサの髪は、綺麗にまとめて高い位置で一つに結ってある。
まごうことなき超美少女だ。
正直、会長ならジャージかスウェットで来る可能性もゼロじゃないと思っていたけど、そんな心配はまったく必要なかったらしい。たぶん藤見先輩がなんとか働きかけたんだろうけど。
「あとはゆいちゃんだね」
先輩はきょろきょろと辺りを見回す。前髪がぴょこぴょこと揺れる。
「まだ来てないみたいですね」
「どっかで迷ってそうで心配だな……」
同じく。
にしても、ここは駅のすぐ近くだし案内の目印も多いから、よっぽどじゃないと迷わない気がする。
水沢さんがよっぽどなのか否かは置いといて、彼女は真面目だから、事前に行き方をしっかり確認してそうだし。
まさか、と思って携帯を見る。
「あっ」
一件連絡があった。
水沢さんからだ。
「『昨日の夜から熱があって今日は行けなくなりました。せっかく新歓として企画してくださったのにごめんなさい』」
と、先輩方に伝えておいてください、と、最後に両手を合わせて頭を下げる絵文字が打たれていた。
「ええ! 今日の主役は一年生なのに……」
「わかってたら最初から中止にしてたのにな……」
どうしよう、と輪になって頭を抱える。
入場ゲートが開き、長蛇の列は少しずつ前に動き出した。
後ろの方にいる僕たちもそのうち動き出すだろう。
沈黙の中、口を開いたのは会長だった。
「ここで行くのやめたら、逆に気を使うんじゃない」
たしかに、正論。
自分の熱のせいで新歓が中止になったとなると、申し訳ないと思うだろう。最近入部したばかりの水沢さんならなおさらだ。
ギリギリに連絡をしてきたのも中止にし難い状況を作り出すためだったのかもしれない。そう思うと、水沢さんの気持ちを台無しにするのもどうかと思った。
にしても、遊園地好きじゃないから、と言っていた会長がそんなことを言うのは少し意外ではあったけど。
「それもそうだね……
じゃあ、ゆいちゃんにはお土産いっぱい買って帰ろう!」
そうしよう、と全員の合意の下、僕たちは中へと足を進めた。
数分後、ようやくゲートを抜けると、中の熱気とじりじりと照りつける太陽で陽炎が揺れていた。前後左右どこを見ても人、人、人。マップを探そうにも動いたらすぐ迷子になりそうな状況だ。
「これじゃ何個乗れるかわからないね……」
「俺はジェットコースターだけは意地でも乗るぞ」
「同感。あ、あれ! あれだよね、新しいジェットコースター」
藤見先輩が見上げる先には、異様な存在感を放つ超巨大なジェットコースター。コースはぐねぐねと好き放題に曲がっていて、到底人が乗る物とは思えない。
「……私は、下で待ってる」
「えー、ちーちゃんも乗ろうよー」
いや、遠慮する……と怪訝そうに拒否する会長の顔は心なしか青ざめていた。
「会長、もしかしてジェットコースター乗れねえの?」
「は、そんなわけないでしょ」
……ええーなんか今めっちゃ早口だったんですけど……
めっちゃ目泳いでるし……
なんとなく事情は察したが口にすれば殺られる、ということはみんなが容易く推測できたので、誰もそのこれ以上は追求せず。
そっぽを向いたっきりこっちを見ない会長が可愛いかったので、もうなんでもいいです。
「よっしゃあ並ぶぜええ!」
「並ぶぞー!」
拳を高く突き上げノリノリなご様子なのは、一生徒会の副会長と庶務。
対する会長ともう一人の庶務は、乗る前からぐったりしきっていた。
「二人とも元気出して、盛り上がっていこうよー!」
アーユーレディ? と人差し指をこちらに向ける藤見先輩。明らかに様子がおかしい。この人はこんなキャラじゃなかったはずだぞ。
会長は、
「何その暑苦しいテンション……」
なんて言いながら、結局は乗るんだった。
「あー楽しかった!」
「二周目行こうぜ」
「いやちょっと休みませんか……」
まだまだ元気が有り余った様子の二人を尻目に、会長は倒れ込むようにベンチに座った。
ジェットコースターは予想以上の迫力だった。
最初はカタカタ……とゆっくり上っていき、落ちたかと思えば息つく暇もなくまだ上り、また落ち、ぐねぐねと曲がっては高速で進む。何より最後の落下はほぼ垂直で、生きた心地がしなかった。
おそらく絶叫系は相当苦手であろう会長は、初っぱなから気を失ったように一言も発さなかった。絶叫されるよりよっぽど心配になる。
会長の様子を見るとさすがの二人も心配したようで、悩んだ結果、少し早めの昼食をとることになった。
「あそこ、売店あるから行こっか」
「んじゃ席取りしてくるわ」
そう言うといかにも慣れている風に店まで走っていく環先輩。今まで生徒会でどんな待遇を受けていたかは一目瞭然だ。おそらく体にパシりの動きが染み付いているんだろう。
「ちーちゃん、立てる?」
「……するめいか」
「うーん、さすがに売店にそれはないと思うなあ」
会長の無理な要求に困り顔をする藤見先輩の後ろで、僕は思わずガッツポーズをした。
僕だって、少しずつ学習してるんですよ。
「会長」
「なに……
……って、それ……!」
ま、眩しい……! と目を覆い歓喜する会長と僕を交互に見、先輩は嬉しそうにくすっと笑った。
人の心を掴むには、まず胃袋を掴むべし。
僕が持ってきたするめいかは、五種のするめいか特盛セットだった。
「私にくれるの、ていうかくれ」
するめいかを前にした会長は、さっきまで気力を失っていた目を爛々と輝かせ立ち上がった。
いか……いか……とうわ言のように繰り返す先輩をそのまま売店までおびき寄せる。そこではすでに環先輩が席を確保してスタンバっていた。
「会長、お前それ……」
環先輩は一瞬戸惑いとも感動ともとれる微妙な表情を見せた後、
「……そうか。古川、よくやった。
今日をもってお前をするめいか調達係に任命する」
……そんな優しい目で見られてもやりませんから。
ハンバーガーにポテトという、それこそモックで食べるのと変わらない昼食を済ませた後は、アクティブな先輩二人はさらに元気になって次に乗るアトラクションの目星を付けていた。
「次これ乗ろうぜ」
「なになに……急流すべり? いいね! 乗ろう!」
そうと決まればさっさと行くぜ! とノリノリの二人とは対照的に、するめいかを手にした会長は普段通りの外ヅラオフモードに切り替わっていた。
「二人も行こうよ!」
「あ、えーと……」
「私は遠慮する。三人で行ってきて」
ここでするめいか食べてるから、と言いながらひらひらと手をはためかせる会長の目は、二人の方を見ていなかった。
ただ、足元を見つめていた。
……僕はいつもそうだ。
ほんの少しのどうってことない表情の変化とか、仕草とか、そんな細かいことでも考えすぎてしまう。
悪く言えば被害妄想が激しいってことだし、良く言えば気配りができるってことかもしれないし。
だから僕は思ってしまった。
ああ、きっとこれはチャンスなんだ。
逃したらきっと後悔するやつだ、って。
だから言った。
「僕も、ここに残ります」
え、と隣から微かな声が聞こえた。
僕は続ける。
「僕もそんなに絶叫得意じゃないので、ここでゆっくりしてます」
本当? と申し訳なさそうにする先輩に僕は黙って頷いた。それが意味するものを肯定だけじゃないことを悟ってくれたのか、先輩は環先輩と向こうの方へ向かった。
二人きり、だ。
「……」
袋の中に手を伸ばす会長の手が止まる。
「……行かなくていいの」
「いいです、絶叫系苦手なんで」
「……ふーん」
それだけ言うと、会長はまたするめいかを頬張り始めた。視線の先には二人の向かうアトラクション。大きな水しぶきを上げて進むトロッコのような乗り物を僕は目で追った。
なんだかすごくキラキラしてた。
水に濡れながら無邪気にはしゃぐ人たちの姿は、眩しくて、輝いていて、
ふと会長の横顔を見ると、その顔がほんの少し寂しそうに見えて、
……もしかしたら、羨ましいのかもしれない、なんて。
面倒くさがりな会長だから、今日だって疲れて休んでるのかなって思ったりもしたけど、実は絶叫が本当に苦手で、乗れるなら乗りたかったり、なんて。
本当は二人が眩しくかったりなんて。
まあ、全部僕の妄想なんだけど。
でもこうして周りを見ていると、時間を忘れて楽しんでいる人たちは別世界に生きているように見えてくる。
キラキラ輝く世界の中で、僕はたった一人孤独に生きているような感覚になる。
だけど、今は一人じゃない。
会長は二人を眩しく思っているかもしれないし、僕だってそう思ってるけど。
でも、僕にとって一番眩しいのは、
「会長」
目映い光が僕の顔を照らして、
「観覧車、乗りませんか?」
会長は、「なんで?」とも「嫌だ」とも言わなかったし、嬉しそうに微笑みもしなかった。
ただ黙って頷いて立ち上がった。
「……どこ」
「えっと、あっちです」
指差した先には観覧車の上の部分が少しだけ見えていた。
会長は何も言わず、僕もただ、何も言わず歩き出す。僕の斜め後ろ辺りを歩く会長は、今どんな顔をしているかわからない。
なんとなく振り向いちゃいけない気がしたから、とにかく無心で入場ゲートへと向かった。
券売機で二人分のチケットを買っている間も、会長は僕の斜め後ろでずっと黙っていた。
だけど不思議と、沈黙は辛くなかった。
「二名様ですねー、はーい、次お乗りくださーい」
やけに語尾を伸ばしたがるチャラい従業員に導かれ、黄色いゴンドラに乗り込む。狭い機内に、会長と向かい合わせに座る。お互いの膝が触れ合いそうな距離だ。
会長は窓の外に視線を向けている。あの体育祭の日と同じ目だった。
……これは、話しかけちゃいけないやつだ。
生徒会で数ヵ月間過ごして、なんとなく、距離の取り方がわかってきた。
藤見先輩なら、話すのが好きだから、話しかけてくれるのを待って適度に相槌を打ったり。
環先輩なら、雑誌を読んでいる時は何かツッコミを入れれば嬉々として内容を説明してくれたり。
そして、会長は。
……あの人と一緒にいて、わかったことがある。
会長は、伝えたいことがある時は、絶対に目を見て話すんだって。
面倒くさがりなのに、大事な仕事の連絡とか、個人的なこととか、大事なことは目を逸らさないで言う。
あの体育祭の日の会長の綺麗な瞳とその中に映る自分の姿を、僕はまだ覚えてる。
だから、
「……っ」
会長の視線が僕を捉えた時、思わずぐっと身構えた。
この目を、僕は知ってる。
「あのさ」
「……なんですか?」
あくまで不意討ちに驚いているのを装った顔で、窓の外に向けていた体をゆっくり前に戻す。
観覧車はまだ半分も上っていない。
「……この前さ、なんで会長になったのかって、私に聞いたじゃん」
まさか、今さら口止めでもされるのか。
桜子たちには絶対言わないでよ、となぜかちょっと怒り気味で話す会長の姿はすぐに想像できたけど、たぶん、きっとそんな話じゃない。
勇気を出して聞き返す。
「き、聞きました。
それが、何かあるんですか?」
「別に、大したことじゃないけど」
大したことじゃない、なんて前置きをする時はたいてい大したことが多い。逆もまたそれ。
そんな面倒くさい前振りを入れるなんて会長らしくない。
らしくない、ってこの前も思ったな。
体育祭の時だっけ、もう何のことか覚えてないけど、
らしくないんじゃなくて、こっちが本当の会長かもしれないな。
ちょっと余裕が無くて、ちょっと面倒くさくって。
会長はまた口を開く。
「じゃあさ、あんたはなんで生徒会に入ったの?」
「ぼ、僕ですか」
ガタ、と小さく機体が揺れる。
突拍子のない質問に、思わず声が上ずった。
だって、会長が僕のことを聞いてくるなんて、今までほとんどなかったから。
業務連絡でもない、必要事項でもない、ただ、会長が僕に興味を持ってくれている。自惚れだなんて考えは僕の頭にはなく、ただただ、どうしようもない嬉しさが胸にこみ上てくる。
「僕が生徒会に入ったのは……」
そう言いかけて、やめた。
なんせ、僕の入部動機は、決して純粋なものじゃない。会長に近づきたいなんて不純な動機、本人の目の前で話せるわけがない。
口を閉ざした僕を不審に思ったのか、会長は黙って小首を傾げる。その表情はさっきからずっと変わらない。
僕は黙っていた。
会長も、黙っていた。
……どうしてだろうか。
僕はこの沈黙が嫌いじゃなかった。
弾んでいた会話が突然途切れ訪れる気まずい沈黙とは違う。
苦手な人と対面した時の冷戦のような沈黙とも違う。
あえて言うなら、温かな沈黙だった。
これは僕の勝手な想像だけど、たぶん、母子家庭で育った会長の家庭では、食卓に沈黙が訪れることも少なくなかっただろう。
毎日、仕事に家事に育児にと頑張る母を少しでも休ませてあげたくて、静かで温かな沈黙で自分を女手一つで育ててくれた大切な人を包み込むように。
そんな空気が感じられた。
黙っていてもいい。
言いたいことは素直に言えばいい。
会長の涼しげな表情は、そんな優しさを湛えていた。
……ああ、今なら、言ってもいいかな。
「僕が生徒会に入ったのは、会長がいたからです」
目の前の彼女は、近づけば近づくほど、心の奥深くに秘めた優しさが表れてくる。
会長を覆っていた外面と言う名の鎧は、彼女のそんな部分さえも覆い隠していた。
「僕は、会長を追って生徒会に入りました」
……だから、他の人には見えないでくれ。
本当の彼女は。
「……がっかりしたでしょ?」
「正直、最初はしましたけど。
今は、今の会長が良いです」
……なにそれ。
と小さく溢すと、会長は綺麗に揃えられていた脚を軽く崩してまた外を見た。逆光でその横顔はよく見えない。
「あ、もう頂上過ぎてたんですね」
ふと気づくと、観覧車はもう頂上を回っていた。スピードはかなりゆっくりだから、案外長くここにいたようだ。
二人きりの時間ももう終わり、か。
藤見先輩と環先輩、どうしてるだろう。
体を前に傾けて窓の外を見る。
その時、機体が大きく揺れた。
ガシャン。
と嫌な音がして、僕たちを乗せたゴンドラはふりこのように波打った。
体勢を保てず、思わず前に倒れる。
その先には会長。
「……いってて……」
「……っ」
幸いにも怪我はなく、ほっとして顔を上げた瞬間、
撫で下ろしたばかりの胸が大きく跳ねた。
「……!」
僕の両手は、会長の両耳のすぐ側あたりを通り壁に押し付けられていた。
近い体。
鼻と鼻がくっ付きそうな距離にお互いの顔がある。
狭いゴンドラの中で、体温が一気に上がって行くのを感じた。
「す、すみません!」
慌てて飛び退くと、勢いで膝の裏を椅子で打つ。でも、今はそんなこと構ってられない。
顔、近かった。
死ぬかと思った。
大きな瞳は水晶のように一点の曇りもなく透き通り、真っ白な肌、筋の通った鼻、目に入るすべてが美しくて。
ごめんなさいごめんなさい。こんないい思いをしてごめんなさい神様。どうか僕を許してください。
代償として与えられたのは暫しの気まずさだった。
会長は目を合わせてくれない。
今は僕も、顔を見れない。
……神様、
こんな贅沢言わないから、今のままでいさせてください。
高望みなんてしないから、このままで。
「お待たせー!」
タッタッとサンダルを鳴らしこちらに駆け寄ってくる人影が目に入った。満足そうな笑顔に、アトラクションの水しぶきで濡れたのか、髪からは水が滴っていた。
「ずっとここにいてくれたの? ごめんね」
藤見先輩が申し訳なさそうに言う。背が低いから必然的に上目遣いになり、世の男はこういう子に庇護欲を掻き立てられるんだうなーとしみじみ思う。
でも今の僕は、会長のことで頭がいっぱいだ。
「いえ、僕たちは観ら……」
観覧車に乗りました、というと、藤見先輩はどんな顔をするだろうか。
たぶん、この人もこの人で会長が大好きだから、嬉しがるだろうな。
なんて思っていたけど、結局その答えは出なかった。
「桜子」
……会長が、藤見先輩の腕を引いたから。
まるで、僕たちの会話を遮るように。
「ご、ごめんねちーちゃん、待たせすぎちゃって……」
想定外のことだったのか、先輩は焦ったように会長のもう一方の手を取る。
「怒ってないよ。それより、そろそろ出ないと電車混むんじゃない」
対する会長は顔色一つ変えず、出口の方を指差した。たしかに、もう少し経てば皆帰り始めて混雑するだろう。早めに出るのが賢明だ。
「……?
……そうだね、そろそろ帰ろっか」
会長のさっきの行動の意味はわからないままで、僕たちはゆっくり歩き出した。
楽しげに急流すべりの話をする藤見先輩の隣で話を聞く会長。その斜め後ろを歩く。
何かが少しずつ動き出しているような期待を胸に抱きながら、
「あ! おみやげ買わなきゃ!」
あー、と声を揃えて笑い合える、こんな今が変わってしまうことが、僕は少し怖いんだ。