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 テストは無事、どの教科も見事に赤点を回避した。

 だけど落ち着いている暇なんてなくて、テストが終わればすぐに体育祭の直前準備が始まった。

 「新聞、良かったよ」

 藤見先輩にお褒めの言葉をいただいて、いい意味ですっかり調子に乗った僕は率先して仕事をした。我ながら、一年生にしてはなかなかの働きっぷりだと思う。

 他の資料の作成はまだ見ぬ他の三人の先輩たち(部室に来ず家で作業することから帰宅三銃士という異名があるらしい)がやっているということなので、僕は用具の準備などが中心だった。

 そして、肝心の当日の仕事は、

 「環と古川はアナウンス担当で」

 「アナウンス……ですか?」

 アナウンスとは、競技の様子を実況したり、得点を都度発表する仕事らしい。毎年一年と二年の一人ずつでやっているとか。

 「うーん、でも環くんは数少ない男子だから力仕事をお願いしたいな」

 「じゃあ桜子」

 困り顔の藤見先輩に、会長はびしっとするめいかを突きつける。

 「私は召集があるから厳しいかな……ごめんね」

 「……じゃあ、あの三人」

 「言っとくけど三銃士は無理だぞ。あいつらがそんな人前に立つ仕事を引き受けるわけがない」

 いや三銃士どんなだよ。

 「ちーちゃん、お願いっ」

 ぱちん、と両手を合わせてお願いする藤見先輩。小動物感が三割増ししてる。

 藤見先輩に弱いことに定評のある会長は、眉間に皺を寄せ、十秒くらい経った時、

 「……わかった」

 重い首を縦に振った。

 

 「これ、去年使った台本。

 だいたいこれ通りに読むから、軽く目通しといて」

 会長から渡された紙には、びっしりとアナウンスのセリフが詰まっていた。

 「……これ全部言うんですか?」

 「そう。だから競技に出る時以外は基本放送席にいる覚悟はしてて」

 けっこう大変だな。

 そう思ったけど、よく考えてみれば、会長とずっと一緒にいるってことだよな?

 これはなかなかラッキーなんじゃ……

 「会長がアナウンスとなると、こりゃいろいろ大変だな」

 「え、どういう意味ですか?」

 あの外面をお持ちの会長だから、さすがに公の場でスルメイカを食べながらアナウンスなんてことはないだろうし。ゲームしながらなんてことも考えにくい。

 「あー……

 まあ、普段こんな会長を見てたら忘れかけるけど、こいつ、こういう外見と外面だから男子に人気なわけよ」

 「え」

 「だから、会長目当ての男子がアナウンス席に寄ってくるってこと」

 話によると、去年召集係をやっていた会長の回りには人だかりができていて、進行に支障があったらしい。

 「そう、なんですか」 

 ……まあ、そりゃそうか。

 だって会長はこのルックスだから。

 会長を狙ってる男子なんて、校内だけでも山ほどいるんだ。

 「まあ、だれも相手にしてなかったけどな」

 体育祭マジックなんて俺が許さねえよ! と高笑いする先輩をよそに、僕はなんとなくモヤモヤしていた。

 会長から見た僕は、やっぱり、何十人といる取り巻きの一人にすぎないんだろうか。

 僕のしてることは、無駄なんだろうか。

 

 

 

 夢を見ていた。

 中学の頃の夢だった。

 

 「真樹、この資料間違ってる」

 「え? ……あ、ごめん」

 見たことのある景色で、夢かどうかわからなくなる。

 いやでも、これはきっと夢だ。

 僕の前でしかめっ面をしているのは、中学の時の生徒会長。家がまあまあお金持ちで、成績優秀、自分が正しいと思うことだけを信じるタイプの奴だ。

 彼のいる生徒会の空気はいつも張り詰めていた。

 彼は完璧だった。失敗して注意されても、反論の余地は一ミリもないくらい、何もかも正しかった。

 だからいつも、僕は自分が情けなくて、ただ間違えないように、失望されないようにって、必死に頑張った。彼に少しでも近づきたかった。

 それでも失敗ばかりの僕に、彼は冷たい目を向けた。

 たぶん、とっくに見限られてたんだな。

 

 

 

 目が覚めると終点だった。

 

 駅員さんに促され、僕は電車を降りる。

 まだ重い瞼を擦り、夢で見た景色を薄ぼんやり思い出していた。

 

 あの頃、僕は何をしてたんだろう。

 何か生徒会に貢献したことはあったっけ。

 今だって、頑張って頑張って、近づきたくて、だけど、

 また、届かないんだろうなって、心のどこかで諦めてる。

 いや、届くわけないか。

 彼女は高嶺の花だから。

 

 

 

 高らかに鳴るお決まりのBGM。

 まだ始まったばかりだというのに、会場は熱気で包まれていた。

 赤、青、黄、緑の四組に色分けされた全校生徒は、皆それぞれに競技開始までの時間を過ごしていた。

 ハチマキを巻き合う女子。

 靴紐を結び直す男子。

 「ついに女子たちが俺の魅力に気づく日が来たようだな……」

 そして隣には、仁王立ちでニヤつく男子。

 前に話していた「係でもなく(中略)ギャップに惚れられモテモテ高校生活」大作戦に向けて頑張っているらしい。

 なんかこいつ、環先輩に似てきてないか……

 「どうでもいいけど、変にかっこつけようとしてヘマするなよな」

 「わかってるって!」

 俺本番に強いから! と親指を立ててくる。まだ春なのに八月上旬並みに暑苦しい。

 「陽斗、僕アナウンスあるから」

 「ん、じゃ、俺はしっかり一位取って女子にモテてくるわ」

 うぜぇ……うぜぇけど、こういう時は絶対に有言実行するからもっとうぜぇ。

 気合い十分な陽斗の背中を見送り、僕は放送席に向かった。

 そこにはすでに、会長がいた。

 「ん、来た、座って」

 急いで椅子に腰かけ、前に置かれた台本をもう一度確認する。

 視線だけを隣に向けると、会長は心なしかいつもより真剣そうだった。近くには僕しかいないけど、こういうどこから見られているかわからないような場では甲冑を装着するようだ。さきいかも手元にない。

 「じゃ、そろそろ始めるから」

 「は、はい」

 「あんま緊張しないでよ」

 そんなこと言われてもな……。全校生徒の前で、しかも会長の隣でアナウンスするなんて緊張しない理由がない。同じ長椅子に座る会長まで振動が伝わってるんじゃないかってくらい、さっきから動悸が収まらない。

 「全員、待機場所へ移動してください」

 くりかえします────とグラウンド響く鈴の音のような声に、僕は暫し聞き惚れていた。

 いったいどうやったら、普段と今でこんなに声が変わるのか。

 隣から奏でられる美しい音は、まさしく入学式の時に聞いたあの音。

 やっぱりきれいだ、なんて小学生みたいな感想しか出ないほどだ。

 「何ぼーっとしてんの、次、準備してよ」

 「あ、はい!」

 いまだ鈴の音モードの声で言われると本当に心臓に悪い。この声にちょっと厳しい口調で言われると何かに目覚めてしまいそうだ。

 そんな邪念を取り払うようにバサッと台本を捲り、自分のパートを探す。

 えっと、次は────

 「第一種目、綱引きに出場する生徒は、召集場所に移動してください」

 ……ふはぁ、と、全部言い切って、やっと息を吸えたような。

 たった一言だけでも、初めての生徒の前での活動となるとうまくいけば嬉しい。

 僕は満足して台本に顔を戻し、

 「馬鹿、」

 会長の焦ったような声を聞いた。

 

 え?

 と、状況が飲み込めないまま、

 台本を改めて確認し、直後、血の気が引いていくのがわかった。

 「……っ訂正します、第一種目、徒競走に出場する生徒は、召集場所に移動してください!」

 くりかえします────

 まるでつむじ風の中にさらされた鈴のように、涼やかで、だけど焦った声が聞こえた。

 

 間違えた。

 すぐにわかった。

 あの時、ページを捲ってしまったから。

 

 「……っ、すみません……!」

 急いで謝ったけど、グラウンドを見渡すともうすでに何人かの人は移動し始めていて、大半の生徒は間違いに気づいて困惑していた。

 要は、失敗したんだ。

 始めての学校行事の仕事。

 何より────

 「あの、会長……」

 前屈みの体勢から力が抜けたように、会長は椅子にふっと重心を戻した。

 ほんの少し長椅子が揺れる。

 「すみません、最初からこんな……」

 謝らないと、ちゃんと謝らないと、

 

 ……また、見限られる

 

 ドクン、と心臓が大きく波打ち、冷や汗がこめかみを伝る。

 言わないと、

 ちゃんと仕事をこなして、貢献して、少しでも届くように、

 わかっているのに言葉が出なくて、

 

 「……馬鹿じゃないの」

 

 ……冷や汗が氷になって地に落ちた。

 一瞬にしてそれくらいの寒気が走る。

 会長の声は今まで聞いたことがないくらい冷たくて、涼やかなんてものじゃなくて、

 ……だけど、不思議と温かかった。

 「会、長」

 恐る恐る顔を上げると、会長は怒っているどころか、むしろ晴れ晴れとした顔つきだった。

 「あの……」

 「何、そのいかにも申し訳なそうな顔」

 「あ、えっと」

 思わず目を逸らした。

 どんな顔をすればいいか、わからない。

 「……初めてなんだから、これくらい想定内。

 早く切り替えて次はしっかり言ってよ」

 くすっ、と、小さく笑う。

 会長のこんな顔を見るのは、初めてだった。

 「……怒って、ないんですか」

 「この程度で怒ってたら会長なんか務まらないでしょ。

 大体、何のために一、二年で組んでると思ってんの」

 会長はそう言うと、また台本をペラペラと確認し始めた。

 僕はしばらくぼーっとしていた。

 さっき一瞬見せた笑顔は、私に任せてって、サポートするから、って、そんな意味が込められている気がして。

 いつもの無表情でも、作られた笑顔でもない。

 初めての表情。

 藤見先輩や環先輩しか知らないかもしれない。

 いや、僕しか知らないかもしれない。

 会長のいろんな表情がもっと見たくて、もっと近づきたくて、

 もっと会長の近くに行きたくて、

 「……な、何」

 「え? ……って、っうお!」

 はっと我に返ると、机の上に小さく置かれた会長を包み込むように、僕の手が重ねられていた。

 「す、すみません!」

 慌てて手を離し、前を向き深呼吸。

 何やってんだ……!

 落ち着け僕……!

 

 一旦頭を冷やせ。

 

 とにかく冷静になって自分の行動を振り返ってみて、

 振り返って……

 ……僕、本当何やってんだ。

 穴があったら入りたいとはまさにこのこと。

 あろうことか会長の手を握るなんて、大胆にも程がある。

 会長、怒ってるよな。今度は確実に。

 「あの……」

 声をかけようと横を向くと、会長はまた資料を捲っていた。

 その横顔は、逆光でよく見えなかった。

 

 

 

 体育祭は無事に終わった。

 「優勝は、青ブロックです」

 わあっと一部から歓声が上がり、青く輝くハチマキが宙を舞った。

 会長の結果発表を聞いた青ブロック会長が前に出て、会長に一礼する。心なしか頬が赤い。ニヤニヤしている。

 会長にご無礼を働いた(?)僕にとやかく言う権利はないけど、なんかむかつくな。

 ……手、柔らかかった。

 さきいかを食べて、ゲームをして、散々こき使われている先輩の手が、あんなに柔らかいなんて。

 もちろん、知るはずもなかった。

 

 

 

 「反省とお疲れ様会はまた後日!

 今日は皆ゆっくり休んでね!」

 体育祭が終わっても、生徒会にとっての体育祭はまだ終わらないらしい。

 藤見先輩の言葉で、部員は皆口々に、疲れたー、今年も彼女ができなかった、と気だるげながらも満ち足りた表情で解散した。

 僕はというと、なんともいえない気分だった。

 あろうことか会長のお手に触れてしまい、初仕事も失敗すると言う黒歴史を作ってしまった。いや、先輩との思い出は白歴史というべきだろうか。もっと言うと純白歴史くらい。

 「お疲れー、帰ろうぜ!」

 「陽斗……ごめん、今日はまだ生徒会の仕事があって」

 「うわ、大変だな……

 じゃあ先帰るわ! 俺の武勇伝は明日聞かせてやるからな!」

 ……面倒事が増えた。

 いったい何をどうしたらそうなるんだ、ってくらい土で汚れた背中に小さくごめん、と謝った。嘘をついてしまった。

 本当は仕事なんてないけど、今日はなんとなく帰りたくなかった。

 ……行きたい場所があった。

 

 三階の突き当たりにぽつんと在る、カーテンで外からの光を遮られた部屋。

 中の様子は見えないけど、今日は仕事もないから誰もいないはずだ。

 こっそり借りてきた鍵を穴に挿し込んだところで、ふとあることに気づいた。

 開いてる。

 教室が開いてる。なんで? 閉め忘れ? と一瞬パニックになりかけたが、冷静になって考えればすぐにわかることだった。

 一仕事終えれば、なんとなく帰りたくなる場所。

 入部間もない僕でさえそう感じるんだから、先輩なら尚更だ。

 鍵を抜き、そっと扉を開け、僕はそこに広がる景色に暫し目を奪われた。

 

 絶世の美女。

 

 そんなことを思ったのは人生で二回目だ。そしてそれはどちらも同じ人。

 窓際の机に腰掛け、絹糸のような髪は風に靡き、物憂げに窓の外の夕焼け空を見つめている。

 

 「会長」

 僕が歩み寄ると、会長は目を見開いた。

 時間が静止したように風がぴたりと止む。

 「……さっきの話聞いてなかった?

 今日は活動休みだけど」

 「……会長こそ」

 本当はわかってるくせに、そんなこと言うなんて会長らしくない。なんて言葉はぐっと飲み込んで、僕は会長の二つ後ろの机に腰掛ける。

 校庭を見下ろすと、有志で集った屈強な運動部員達が片付けを進めてくれていた。進行から何までいろいろと働いた生徒会は参加不要らしい。数年前にある生徒の申し出で始まった制度だと藤見先輩が言っていた。

 それからしばらく沈黙が続いた。

 僕が来ても、会長は変わらず外を見つめていた。まだ帰りそうな様子はない。

 

 会長は今、何を考えてるんだろう。

 どんな思いで、外を見ているんだろう。

 

 僕は国語がわりと得意だ。

 「この時の主人公の気持ちを50字程度で答えよ」系の問題も苦手じゃない。記述にしてはなかなかの得点率だと思う。

 だけどそんなの、できたって意味がない。

 今目の前にいる人の気持ちが知りたいのに、彼女の透明な瞳からは何も読み取れない。

 ただ真っ直ぐに、外を見ている。

 

 会長は、体育祭に思い入れがあったりするんだろうか。

 生徒会長挨拶の原稿を人に書かせようとして、会議中も隙あらばするめいかをつまんで、

 だけど、

 今こうしてここに来ていることに、どういう意味があるのだろうか。

 いや……そもそも会長は……

 「……なんで、会長になったんですか?」

 不意打ちの質問に、会長は少し驚いていた。

 思わず口から出た言葉に、言い方が失礼だったかも、と後悔する。

 会長の橙色の夕日に向けられていた瞳は僕の姿を捉えた。

 何かを探るような視線だった。

 「……どういう意味?」

 「あ、いや、えっと……

 会長はその、面倒事が好きじゃなさそうっていうか……だから、なんで会長になろうと思ったのかな、って……」

 「……なんで、か」

 会長はまたグラウンドを一瞥し、

 「先生に頼まれたから。

 私、成績いいし、部活もやってないし。

 それだけ」

 ああそういえば……会長は、テストはいつも学年トップだって勉強会の時に聞いたんだった。

 別に自慢するふうでもなく、そのことに意味を感じていないように言うから、嫌な気はしなかった。

 ただ、会長がとても遠く感じた。

 「じゃあ……なんで、面倒くさがりの会長が、こうやって毎日ここに顔を出してるんですか?」

 僕の率直な質問に、会長は答えを拒むように顔を背けた。

 

 ……思えば、いつもそうだった。

 僕が部室に行くと、会長はいつもそこにいた。

 愚痴を言いながらも、ゲームをしながらも、いつもあの一番奥の席に座っていたんだ。

 別に会長だからって、面倒くさいなら来なきゃいい。サボろうと思えばいくらでもサボれる。

 なのに、なんで。

 「……ほんと、ずかずか踏み込んでくるね」

 会長は笑った。

 照れくさそうな笑顔は、初めて見る。

 「すみません」

 謝ったって本当は、悪いなんて思ってない。

 目の前の彼女は、近づいたと思っても、気づけば遠くに行ってしまいそうで、

 一定の距離を保とうと思うなら、それでいいんだけど、だけど、

 近づきたくて。

 もっと近づいて、遠くに行ったってまた追い付けるくらい、会長のことを知りたくて。

 僕は黙って応えを待った。

 少しして、会長は口を開いた。

 「……好きなんだ」

 

 ドクン、と心臓が跳ねる。

 

 「好きなんだ、この場所が」

 

 会長はそう言うと、今度はちゃんと僕の目を見て、薄く微笑みを浮かべた。

 僕はドキドキしていた。

 それが自分に向けられたものじゃなかったとしても、この人の好き、という言葉は、僕の心を掻き乱す。

 「桜子は、大事な幼馴染みだから。

 最初はそれが一番の理由だった」

 カチ、カチと時計の音だけが響く。

 下校のチャイムは夜が明けてもならないんじゃないかと錯覚するほど、今この瞬間は一瞬の永遠のようだ。

 「でも、気づいたらここが、皆のいるこの場所が、私の居場所だって思うようになってた」

 「……会長」

 だから……と先輩は机から静かに下りる。スカートの裾から華奢な太ももが覗いて、思わず目を逸らす。

 「だから、大切にしたい」

 

 ……ふっ、と、微笑んだ顔は

 あまりにも美しくて、僕のこの陳腐な語彙力では形容できないような、

 まるで何年も待たれていた蕾が花開いたような、

 いや……ただただ、単純に、どうしようもなく綺麗だった。

 

 「……ずるいですよ、会長」

 「ん?」

 僕の小さな呟きは、会長の耳には届かなかった。

 会長は本当にずるい。

 僕は彼女が、好きだとか、大事だとか、大切にするだとか、そんな言葉をこんなにも自然に使う人だなんて思っていなかった。

 たぶん、こんなことを話してくれるのは今だけなんだろう。

 それだけ体育祭は、会長にとって大きなものなのかもしれない。

 自分がトップに立って作り上げるものですら、この人は大切に思っているんだ。

 血色の良い唇から零れるその言葉のひとつひとつを、僕は耳に焼き付けようと思った。

 「……そろそろ出るよ」

 会長はそう言うと、僕に背を向けてドアの方に歩いて行った。

 ふと窓の外を見ると、ちょうど片付けが終わったところだった。

 机を整え、早足で会長の方に向かう。

 

 僕はわからない。

 ドアに手を掛けたその手にできたペンだこの意味も、

 山積みだった未整理資料の行方も、

 「何してんの、閉めるよ」

 だけど、一つだけわかったことがある。

 「……はい、会長」

 僕は会長が好きだ。

 この人の、飾らないところが、大好きだ。

 

 

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