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「覚悟しときなよ、生徒会って、楽じゃないから」
そう言った先輩の目は真剣だった。
……ように見えた。
「というわけで! 今日から正式に生徒会執行部の一員となりました、古川くんです。はい拍手!」
ぱちぱちー、と間の抜けた音だけが狭い教室に響いた。
なんでやねーん、と脳内僕がすかさず突っ込んだ。
「あの、これはどういう……」
「ん? どうもこうもないよ?」
いやいや待ってください先輩。
どう考えてもおかしいでしょ。
「なんで、三人しかいないんですか?」
あまりにシンプルな問いだった。
僕の知っている生徒会は、もっと活気に溢れていて、放課後は皆でパソコンに向かい、雑談をしたり、お菓子をつまみながらも仕事はしっかりこなして、
「そんなもん漫画の中だけの話に決まってんだろ」
……嘘だ……
だって新入生が入ってきたんだよ? 別に期待なんてしてないけど、普通はもっと歓迎ムードで迎えてくれるんじゃないんですか? 僕の常識が間違ってるのか?
「皆早く帰りたいからあんまり来ないんだよねー。
でも、仕事は家でとか休み時間にしっかり終わらせてくれるから、不満はないよ」
ええ……高校生ってそんなに冷めてるものなのか。人間関係希薄すぎるだろ。
「ま、理由はそれだけじゃないけどな」
ぼそっと呟く環先輩。
その視線の先には、柿ピーをつまむ美少女が一人。
「何」
「あ、いや、何もないでしゅ」
会長は興味がなさそうにすぐに視線をゲーム機に戻す。やけに生き生きした表情である。
……ああ、今でも信じたくない。
憧れた先輩が今目の前にいるというのに、何度目を擦っても、あの時の先輩とかかけ離れた姿になっている。それでも顔はやっぱりあの時の綺麗な先輩のままなのが逆に辛い。
「本当は二年は六人いるんだけどね。あとの三人はよっぽどのことがない限り部活来ないの」
そう言った藤見先輩は、別段怒っているわけでもなさそうだった。不満がないという言葉は本当らしい。
「ま、古川くんはちゃんと来てくれるよね?」
先輩怖いです……笑顔の圧力怖いです。
「言われなくても来ますよ、だって」
だって僕は、本来の僕の目的は……
「桜子、喋ってないで仕事しろよ。
私がゲームする分二倍働かないといけないんだから」
……やっぱり来るのやめようかな。
「もーちーちゃん、古川くんまだ入ったばっかりなんだからそういう発言は控えてよー」
入ったばっかりじゃなかったからいいのか……
生徒会の闇を見てしまった。表向きは才色兼備の生徒会長、しかし彼女の仕事をこなすのは他の執行部員。ゴーストライターならぬゴーストワーカー。完全にブラック企業である。
「ごめんね、古川くん、ちーちゃん、こんなこと言ってるけど仕事はちゃんとするんだよ。たまにね」
「いや最後になんか聞こえたんですけど……」
もうやだ生徒会こわい。
環先輩はというと「女の子を虜に☆ドキドキカフェデート特集」とでかでかと書かれた雑誌を開いたままご臨終されていた。
どうやら僕は入学早々学校の黒い部分を知り尽くしてしまったようだ。
「あ、そうそう、自己紹介がまだだったね。
私が副会長の藤見桜子です。よろしくね」
にこっと笑う藤見先輩。僕よりだいぶ背が低くて、結んだ前髪が噴水のように揺れている。
「環良悟……庶務……彼女募集中……」
環先輩は最後の力を振り絞り遺言を残して息を引き取られた。やっぱり彼女いないんだ……
「ほらほら、ちーちゃんも」
「私は前したって」
「いいからいいから」
ふてくされたような表情でゲーム機を置く会長。案外、藤見先輩には逆らえないのかもしれない。
「……生徒会長の都千景。よろしく」
会長はそう言うやいなや、はい解散解散、とカバンを担いでゲームをしまい始めた。
「ごめんね、ちーちゃん、照れ屋さんだから」
「はぁ……」
僕にはただ単に早く帰りたがっているようにしか見えなかったけど、藤見先輩が言うならそうかもしれない。そう思わせるものがこの二人にはあった。
「桜子、帰るぞ」
「うん、じゃあまたね古川くん。環くんはほっといて大丈夫だからね」
そう言って会長の隣に駆け寄る先輩。
僕もそろそろ帰らせてもらおう。
「かの……じょ……」
……お先に失礼しまーす。
「体育祭?」
休み時間。
陽斗が楽しげに僕のほうに寄って来たかと思うと、どうやら高校生活を彩る一大イベントの知らせのようだった。
「ああ!
ついに俺が校内に名を轟かせる時が来たようだな……」
いや、そういうのいいから。
それより、体育祭となると生徒会のほうも結構忙しくなりそうだ。
まだ話は何も聞かされていないけど、たぶん先輩たちの間では準備が進んでいるんだろう。初仕事になるだろうし、気合い入れて頑張らないと。
「次のLHRで体育祭の係決めるらしいぞ。お前、やれば?」
「僕はいいよ……生徒会の仕事もあるし。そういう自分がやればいいじゃん」
「あ、そっか。うーん……でも俺、係でもなくそんなにやる気がなさそうなのになんかめちゃくちゃ運動神経いいぞ!? なんだあいつ!? キャー八田くんかっこいいー! っていうギャップに惚れられモテモテ高校生活を送る予定だからさ……」
「お前ひょっとして馬鹿なの?」
なんせ陽斗は見た目からして運動神経が良さそうだ。まあそれ以前の話だけど。
「うぉっ、チャイム鳴る」
キーンコーン……と、もう聞き慣れたチャイムと先生の声を聞き、僕たちは席に着いた。
その数分後、女子の係がクラス一男子に人気がある(らしい)水沢さんに決まった。
その数秒後、男子の係は立候補で陽斗に決まった。
「お前って単純だよな」
「素直って言ってほしいね!」
生徒会室は案の定静かだった。
生き返った環先輩と、資料を整理する藤見先輩、そしてさきいかをつまむ会長。
「あ、古川くん」
「こんにちは……」
いつも通り、というほど来てはいないが、前と同じく環先輩の隣の椅子を引く。
ふと藤見先輩の資料に視線を落とすと、体育祭の資料のようだった。やっぱり僕の知らないところで進んでいたらしい。
視線に気付いた藤見先輩が口を開く。
「あ、これ、体育祭のね。
本当は書記の仕事なんだけど、ほかにも資料がたくさんあるから私がやることになってるの」
「やっぱり体育祭って忙しいんですか?」
「うん、まあね。
ただでさえ人数も少ないし……」
先輩によると、一年は僕以外一人も入っていないという異例の事態らしい。
「俺たち庶務なんてほとんど雑用だから、いろいろと手伝うことも多くなるぞ」
真剣な顔で「体育祭で彼女を作る15のモテテク」を読んでいた環先輩が怪訝そうな顔で言う。その雑誌を読むのも雑用の一環ですか。
「あの、僕は何したらいいんですかね」
「会長挨拶」
「へ」
「会長挨拶」
ビシッ! とさきいかをこちらに向けられ、思わずのけぞってしまう。会長が仕事を放棄しようとしていた。
「い、いや、会長挨拶なんだから会長がするんじゃ……」
「だから、あんたが考えて私が言うんだよ」
ああ、またあの鎧を被るんですね……
ただの超絶美少女と化す会長をまた見れると思うとちょっとやる気が出る。
でも、それってゴーストライターって言うんじゃないでしょうか。
「ちーちゃん、挨拶くらい自分で考えてよ? 古川くんは他にしてもらうことあるんだし」
「めんどくさ……他って何なの」
「えっとね、アンケート作成だよ。まだ競技は決まってないけど、大体去年と同じにするつもりだから、各競技の可決。
そのアンケート資料を作ってもらうの」
用は、去年こんな競技をしたんですけど今年もこれでいいですか? という確認のための簡単なアンケート資料を作って配るらしい。
「体育祭係と連携をとりながら、できれば来週の水曜までに全クラスの回収、お願いしたいんだけど……
プリントの作り方とかは環くんに教えてもらいながらでいいかな」
「おー、了解」
「ありがと、じゃあそういうことで」
プリント作成、アンケートの配布と回収、係と連携。
いよいよ生徒会らしくなってきた。
「お願いね、古川くん」
「はい」
庶務古川の名を全校に轟かせるぞ!
「ほー、じゃあ俺らはお前が作ったアンケートを配るだけ?」
放課後、体育祭係会議後の陽斗に遭遇し、例の話をした。
その隣にいるのは、クラス一可愛いと噂になっている水沢さん。
ふわふわの長い髪を二つに結い、ぱっちりした大きな目で僕たちを黙って見ている。
たしかに可愛い。
だが、僕は同じ失敗を二度繰り返すような男ではない。会長の一件以来学んだ。見た目に惑わされてはいけないのだ。
「うん、まあそうなるな」
「えーなんかおもんねーな……あ、そのアンケート、俺らもちょっと手伝わせてくれ!
な、水沢さん!」
「ちょっと陽斗、そんな強引な……」
「わ、私にできることならやるよ!」
突然の申し出に僕は困惑するが、水沢さんはまんざらでもない様子だった。
イメージよりほんの少し高い声。いや、高いというよりは、上ずっているというか、なんだか緊張しているようだった。さっきからすごい勢いで目が泳いでいる。
「私、暇だし、係の仕事もそんなに忙しくないし、その、古川くん、生徒会で忙しいだろうから、手伝いならいくらでもっ」
つっかえつっかえ、絞り出すように言葉を発し、言い終わった後は息切れしている。
あ、なんとなく察した。
彼女はたぶん、オブラートに包んで言えば人見知り、ストレートに言えば俗にいう「コミュ障」だったのだ。
これが会長みたいな表の顔だったら尋常じゃない演技力だし、さすがにその線はない。
いつも取り巻きに囲まれているから彼女のことはよく知らなかったが、普通の子らしいので少し安心。これでさきいか食べて暴言とか吐いてたら人間不信になるところだった。
「えっと、じゃあお願いします」
ここで断るのも申し訳ないので、ありがたくご厚意に甘えさせてもらおう。
僕が言うと、水沢さんはぱあっと表情を明るくし、にこっと笑って頷いた。
可愛い。
やっぱり女の子はこうでないと。
女の子というのは、優しくておしとやかで、なんだかふわふわきらきらしてて、いい香りがして、よく笑うものなんだ。
「手止まってるんだけど」
決して、さきいかの香りを漂わせてなんていないんだ。
「……はい、やります今すぐに」
翌日、環先輩に教えてもらってアンケートを作っていたわけだけど。
元々パソコンはそんなに得意ではないから、どうしても速く文字が打てない。
一方の会長は目にも止まらぬ速さで指を動かしている。これは腱鞘炎になってもおかしくないレベル。言うまでもなくパソコンではないが。
「会長のゲームスキル相変わらずだな」
「今レベル上げに専念してるから話かけるな」
「……承知」
話しかけただけなのに会長に冷たくされ、デート特集記事を見た藤見先輩にも呆れられ、また妄想の世界に逃げる。これが負のスパイラルか……。
「いいんだ……俺はおっさん系女子とチビに相手にされなくてもすぐ可愛い彼女をつくってやるからな……」
チビ、と言われた瞬間藤見先輩がどす黒い笑みを湛えて振り返った。怖い。怖いです先輩。その辺のホラー映画とは比にならない寒気を感じます。
「あっ……そういや一年にすごい可愛い子いるらしいな!!」
命の危機を感じたのか、先輩が慌てて話を逸らす。巻き添えをくらうのはごめんなので話に乗る。
「可愛い子ですか」
「そうそう、たしか水沢ゆい? とか言ったっけな」
「あー、僕と同じクラスです」
「は!?」
なんだよそれふざけんなよ!と理不尽に怒られる。僕は何も悪くないんですが。
「えっと、ちなみに体育委員です」
「……ほう」
「あと、流れでアンケート作成を手伝いたい、と言われました」
僕が呆れ半分で言うと、先輩は勝ち誇ったらような笑みを浮かべた。
「オッケー分かった、可愛い後輩よ。
入部したばかりでこんな大役、さすがに大変だろ? ここは先輩に任せなさい」
「え、いや、アンケートくらいなら作れますけど……」
「いいんだ遠慮するな、どうせ俺は超暇してるから」
「えっと……」
「環ー、暇なら会長挨拶文書かしてやるよ」
「え」
目を丸くする環先輩。
断る口実を考えようとしても、時すでに遅しだ。
さきいかを手にした先輩に勝る者なし。
「……承知」
先輩が涙目になっているのは、きっと、燻製の香りが鼻についたからに違いない。
「真樹ー」
四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴るやいなや、陽斗は僕のところにやってくる。もうパンを半分くらい食べ終わっているのはなぜだ。
「あれどうなった? アンケート作るとか言ってた」
「あー、あれは……」
昨日の放課後、環先輩の熱烈指導のかいあってかアンケート作成はすぐに終わった。彼女ができないという愚痴を聞かされながらの仕事は案外捗る。早く帰りたいという気持ちが作業効率を格段に上げるようだ。
「なんだよー、俺することねーのかよ」
「ごめんごめん……。
とりあえず、一年の分のアンケートの配布頼む。今日のホームルームで説明して配って明日のホームルームで回収、っていう流れで」
「まーいいけどよー。じゃ、他のクラスにも配るのな」
「うん」
他クラスの分は僕が配ってもよかったけど、陽斗のほうが人脈も広いし。これでこいつの働きたい欲が満たされるんならウィンウィンだ。
ただ……問題はあの子。
「あっあの! 私も何か……何かお手伝いを……」
問題なんて言ったら失礼だけど、彼女の体育祭準備への意欲はなかなかもので、あれ以来陽斗と話すたびにこちらの様子を伺っている。自意識過剰かもしれないけど、机からプリントを取り出すたびに視線を感じるほどだった。
そして今日、ついに接触してきたと。
「気持ちは嬉しいけど、もうアンケート作成終わっちゃって……」
感謝の意を見せつつやんわりとお断りする。
「じゃあ、他の作業を……! 他にも何か、やること、あるよねっ」
なんだこの子……すごいぐいぐい来るな……
クラス一の美少女にそこまで言われて断ったら、他の男子に殺られるそうな気がしなくもない。
弁当に毒盛られたりしたら嫌なので、お言葉に甘えよう。
「じゃあ、アンケートの結果が出て大まかなことが決まったら体育祭新聞を作るから、手伝ってもらっていいかな……」
「も、もちろん!」
「俺もやるぞ!」
水沢さんも一緒となると俄然やる気の陽斗。
そんなこんなで、新聞係、結成。
その旨を環先輩に伝えると。
「そんなに意欲あるなら生徒会に引き込めよおおおおお!」
……案の定、めちゃくちゃ食いついた。
「お願い! 古川くん古川きゅん古川おにいちゃん! ボクこんな怖い女しかいない殺伐とした生徒会嫌なの! 癒しがほしいんだよおおお!」
「環先輩が一番怖いです」
いや、ほんと……比較的穏やかな藤見先輩にあんな鬼のような表情にさせる環先輩のポテンシャルは尊敬に値するけど、今はそんな能力発揮しなくていいですから。落ち着いてください。
「手伝いたい、とは言っても生徒会に興味あるようには見えなかったので……
できるだけ頑張りますけど」
ほんとう……? と生まれたての小鹿のような目で見てくる先輩、そろそろ面倒くさい。
「環うるさい」
「くそ会長……お前ほんと見た目だけの女だな……」
シュンッ。
先輩がそう言った直後、何かがものすごいスピードで頬を掠めた。
ほのかに残る薫製の匂い。
間違いない、これは。
「ごめん、手が滑った」
天使のような笑顔と真っ直ぐ降り下ろされた右手。
あ、あかん……。こんなベタすぎるセリフを使う人本当にいるんだなーとか思ってる場合じゃない。スルメイカという凶器を持った先輩を止められる者などもう一人も……
「ちーちゃん、食べ物粗末にしちゃだめだよ」
「「……いたあああああ!」」
隣を見ると環先輩が胸を撫で下ろしていた。初めて気持ちが通じ合った気がしたが、よく考えたら元凶は先輩なので冷ややかな視線を送っておいた。
「まったく……環くんもいらないこと言ってないで仕事して」
コツン、と軽く環先輩の頭を小突くと、藤見先輩はまた机に向かい始めた。
その姿を見て会長もしぶしぶ仕事に取りかかる。
なんだかんだ、生徒会を牛耳ってるのは藤見先輩みたいだ。
アンケート集計の結果、去年行った競技はすべて可決され、早速新聞に取りかかれることになった。
「ごめん、二人とも」
「いいっていいって!どうせ俺今日部活ないし」
「わ、私も、帰宅部だから」
放課後。
すっかりがらんとした教室の中央で机を合わせる三人組。
クラス一の美少女と男二人だと修羅場に見えなくもない。
「それで、俺らは何したらいい?」
「えっと、分担して原稿を考えてほしいんだ。もう内容はおおかた決まってるし」
新聞に載せるのは、日時や競技の内容なども基本情報と、競技場の注意、あとは生徒会からの力を合わせて頑張ろうーみたいなメッセージ。
どれにしてもテンプレがあるから、三人でやればすぐに終わるだろう。
「んじゃ、やるかー!」
えいえいおー、と間の抜けた掛け声の後、僕たちは作業を始めた。
三分くらい経った。
「……今日、天気良いな!」
「そ、そうだね!」
……びっくりするほど会話が続かない。
普段は誰にでも話す陽斗も、水沢さんの前だと緊張しているらしい。僕も気まずくて黙っていた。
シャープペンシルと紙が擦れる音だけが教室に響く。
再び訪れた沈黙を破ったのは水沢さんだった。
「も、もうすぐテストだね!」
「え? あ、そういえばそうだな!」
そういえば、あとテストまで二週間くらいか。僕もすっかり忘れてた。
「うちの高校は二学期制だし、一回一回が重いから頑張らないとね」
「そ、そうだよね……。
私、入試もギリギリで合格したから、これからついていける不安で」
水沢さんがそう言うと、陽斗がニヤっと嫌な笑みを浮かべた。
「お前、入試の時寝坊したよな!」
「なんで嬉しそうなんだよ……。
一応普通に間に合ったし、てか入試のことなんてあんまり覚えてないよ」
いや、まあ……寝坊したのは覚えてるけど。
先に私立の受験があったから、本命の公立受験のときはちょっと気が緩んでしまった。
まあ受かったもん勝ちだしな。
「私、受験のことよく覚えてるけどなぁ」
「マジ? 俺なんも覚えてねえわ」
「……忘れるわけ、ないよ」
「え?」
そう呟いた彼女は、一瞬、どこか寂しそうに見えて。
目を伏せると、頬に長いまつげが影を落とす。
すごく、綺麗だ。
「大事な日だもん、忘れないよ」
柔らかな微笑みを浮かべ、彼女は止まっていた手を動かし始めた。
受験は人生の節目ってよく言うからな。
「さ、ちゃちゃっとやって帰るか!」
ほんのり汗ばんだ手でシャーペンを握り直し、僕たちもまた作業を始めた。
「終わったー!」
作業は一時間も経たずに終わり、まだまだ元気が有り余っている陽斗は一人楽しそうだ。
「お前、一日授業受けてよくそんな元気残ってるよな」
「当たり前だろ? 授業でしっかり睡眠とってるからな」
こいつ……。もう完全に目つけられてるだろ。二人で歩いてるときやたらすれ違う先生からの視線が痛いのはこのせいか。
水沢さんも半笑いだった。
当の陽斗は相変わらずで、どっか寄って帰ろーぜなんて言いながら一人で盛り上がっていた。
こいつはほんとに馬鹿だ。
そう思いながらやっぱり付き合ってしまう僕も、やっぱり馬鹿かもしれない。
「モックでいい?」
「どこでも」
男二人ならこんな確認もなく適当な店に入るけど、クラス一の美少女も一緒となると慎重に選ばないといけない。
と思いつつ、おしゃれなカフェなんて知らないから安定のファーストフード店へ。
モックでダメなら万策尽きる。実際は十策くらいしかないんだけど。
「じゃ、じゃあ、ありがとう、私はこれで……」
「え、水沢さん?」
そんな僕たちの葛藤を知ってか知らずか、水沢さんは一人で帰ろうとしていた。
「もしかして、モック嫌だった……?」
やっぱり、女の子を連れていくならおいしいパンケーキの店くらいは下調べしておかないといけないのか……。ジェントルマンには成りえなかった。
「え、私も行っていいの……!?」
「え」
……なんだ、やっぱ美少女もモック好きじゃん。
「俺コーラとポテトとチーズバーガー」
「じゃあ、私は紅茶で……」
友達に奢ってもらうことになってもこの遠慮の無さ。水沢さんが女神に見える。
モックはわりと空いていた。
立地の問題もあるかもしれないけど、放課後は僕たちの同年代の学生が数組いるくらいで、特別騒がしくもない。長居しても怒られない。
だからここでドリンク片手に長時間駄弁る、という節約コースが学生の定番なんだけど。
「おーい、ポテトLサイズなー」
「ほ、本当に奢ってもらっていいのかな……」
手伝ったお礼、という名目で僕が奢ることになったわけだが、陽斗の態度がやたらでかいのが癪に障る。
「くそ……最近貯めてたのに……」
待ち時間は長くはなく、すぐにトレイを渡された。ポテトの香ばしい香りが鼻腔を擽る。
席に向かうと、陽斗とばっちり目が合った。どうもこっちに助けを求めているようだ。
こいつのコミュ力をもってしても水沢さんと二人きりはきついのか。僕だったら精神が削がれる。
「真樹お前! 遅い!」
「ごめんごめん」
いつもなら言い返してるところだけど、怒りながらも安心しきった表情の陽斗が面白いので適当に謝ってやる。以外と可愛いところもあるらしい。
「はー、やっぱりこれに限るな!」
コーラ片手に風呂上がりのおっさんみたいな台詞を吐くの陽斗。三人なら大丈夫という余裕の現れか。もうちょっとゆっくり注文したら面白くなってただろうな……と後悔しつつ、よく冷えたメロンソーダを口に運ぶ。適度な炭酸が体に染み渡って、疲れて重くなった瞼をこじ開ける。
「俺ちょっとトイレるわ~」
飲み始めて早々、謎の造語を残して去っていく陽斗。小学校の国語から教え直してあげたい。
いや、それより。
今度は僕が、水沢さんと二人きりだ。
「ごめんね、自分から手伝いたいって言いながら、奢ってもらったりして」
ちょこん、と紅茶のカップに右手を添え、申し訳なさそうに言う。
最初はあんなに目が泳いでいたのに、今はずいぶん落ち着いている。慣れたら大丈夫なタイプなのか。
「いいよ、助かったし」
僕も無難な言葉を返す。助かった、というのは本心からだった。一人だったらもっと時間がかかっただろうし、つまらなかったはずだ。
「……ありがとう」
ふわっ、と、花が咲いたような笑顔。
薄桃色に染まった頬と綺麗な瞳。
可愛い。
女の子はやっぱり、笑顔が一番だ。
「頑張ろうな、体育祭」
「うん!
あ、あの、その……」
「ん?」
水沢さんは、何か言いかけて、また目を逸らしてしまった。その手は小さく震えているように見える。
「あの……
古川くんって、賢いよね!」
「え」
唐突だった。
「いや、そんなことないよ」
謙遜とかじゃなくて、わりと本当に。
入学してまだ日は浅いけど、周りの人と比べても良くも悪くもない、って感じだし、お世辞にも賢いとは言い難い。
「そんなことあるよ!
授業とか、見てたら、わかるから」
本当にそんなことないんだけどな……。
それより、
「急になんで?」
これが一番の疑問。
仮に百歩譲って僕が賢かったとしても、だからどうしたっていうんだ。赤面しつつの「私、知的な男の子って、好きだな……」の一言から恋が始まるなんてことはまずありえないし、その真意は想像もつかない。
「あ、そうだね、急に変なこと言ってごめんね」
「いや、全然! それはいいんだけど……」
「あ、えっと……
もうすぐテストだから」
「うん?」
「勉強、教えてもらえないかなって」
「……」
……男子諸君。
まずは一旦目を瞑れ。
そして想像しろ。
放課後のファミレス、美少女と二人きり、勉強会のお誘い……
「えええええええええ!?」
そりゃ、思わず叫んだりもするって。
「ご、ごめん、そんなに嫌だったなんて、その」
「え、いや違う違う! ちょっとびっくりしただけで! 僕でいいなら是非!」
なんだこれ……。僕は今日の星座占い一位だったんだろうか。
まさか、水沢さんに誘われるなんて。
「教えられるほど賢くないけど、僕でいいなら全然付き合うよ」
言った……! これはあくまで勉強会のお誘いだ、平常心を保ち、別に深く考えていませんよ感を出しつつ言えた。さっき叫んだ時点で手遅れな気もするが。
「本当? ありがとう……!
じゃあ、次の月曜日とか、どうかな」
「月曜は……いける!
またここでいい?」
「うん!」
ふわっと……心なしかさっきより嬉しそうな表情で笑った。
僕みたいな地味な男子が、クラス一の美少女の笑顔をタダで独占していいのか。ごめんな男子達。
そうこうしているうちに、陽斗が戻ってきた。
「うっ……わり、腹痛くて」
「全然いいよ大丈夫か? お腹冷やさないように冷たいものは控えて。帰りももしキツかったら家まで送るから」
「お前そんなジェントルマンだったっけ?」
疑いの視線を向けられてもいい……今の僕は女神のように清浄な心持ちである……。
それからは、勉強のことやらクラスのことやら他愛もない話をして、気付けばかなり時間が経っていた。
「あ、もうこんな時間だね」
「そろそろ出るかー」
散らかった机の上をのそのそと片付けて店を出る。外はもうすっかり暗くなっていた。
「じゃあ、今日はありがとう」
「こちらこそありがとう。暗いけど大丈夫?」
「あ、俺送ろうか!」
「ううん、お母さんが駅まで来てくれるから大丈夫。ありがとう」
じゃあ……と控えめに手を振り僕たちと反対側に歩き出す。僕と陽斗も駅に向かった。
「は~、やっぱ本当可愛いな」
「だな」
「なんつーの、前言ってた生徒会長さんは高嶺の花! 近寄りがたい美少女! って感じだけど、水沢さんはもうちょっと身近な美少女って感じだよな」
「……近寄りがたい、か」
思わずはは、と笑う。
その高嶺の花がゲームとさきいかで生きてるような人だって知ったら、陽斗はなんて言うんだろうな。
陽斗だけじゃない、他の人たちも。
あの日、壇上で挨拶をした会長に見とれた人たちは、きっとまだ陽斗と同じようなイメージを抱いてる。
会長の本当の姿を知ってる人は、どれくらいいるんだろう。
「水沢さんは可愛いから俺なんか興味ないってわかってるけどさ、わかっててもさ、
もしかしたら手が届くかもって思っちまうんだよ」
……その気持ちは、わからなくもない。
水沢さんは実はかなりのコミュ障で、僕みたいな地味な男子にも優しくしてくれて、思わず勘違いしてしまいそうになる。
だけど会長は違う。
おっさんみたいな性格で、ゲームが好きで、だけど、どうしても届きそうにない。
たとえ会長の本性を知っているのが生徒会のメンバーだけだったとしても、その数少ない人の一人になれていたとしても、会長は遠い気がして。
わからない。
会長のことが、わからない。
僕はどうしたら、彼女に近づける?
月曜日はすぐにやってきた。
「じゃあ、行こう……か」
「う、うん」
二人きりだとなんだかぎこちなくて、初めて話した数日前に戻ったみたいだった。
モックで二人で話した時を思い出して……とイメージトレーニングしても、やっぱり緊張はする。二人して変な歩き方をしてるような気がする。
これはだめだ。何か話さないと。
「あ、あのさ」
「うん」
「……あ……
今日、いい天気だったね」
「そ、そうだね!」
……違う、そうじゃなくて!
なんで僕はもっと気の利いたことが言えないんだよ……
水沢さんがあたふたし始め、何か言いかけた時、
「あれ、古川くん?」
春の優しい風がどこからか運んできたように、そこに神が舞い降りた。
「本当助かります、教えてもらえるなんて」
まあ、助かった理由はそれだけじゃないんだけど。
あの後、偶然にも環先輩と藤見先輩、そして会長と出くわし、勉強会に参加することになった。ありがとうございます。ありがとうございます。
なんだか惜しいことをした気もしたが、正直安心もした。女子と二人きりなんてハードルの高いことはまだ僕には早かったみたいだ。
「どこでするの?」
「えっと……モックで大丈夫ですか?」
「モックは俺の第二の故郷だ。かまわん」
何しろあそこのモックは店員さんが可愛い……と天を仰ぐ環先輩には見向きもせず、僕たちは店に足を進めた。
モックはやっぱり空いていた。
僕たちは一番奥の席を陣取り、奥のソファーには左から会長、藤見先輩、環先輩と並び、手前の椅子には僕、水沢さんと並んだ。
「俺ジンジャーエール」
「野菜生活」
「じゃあ、私は紅茶お願い」
「わ、私も紅茶で!」
下っ端とはいえ、さも当たり前のようにパシりにされる可愛そうな僕。あれ、僕いっつもパシられてない?
「ジンジャーエールと、野菜生活と、紅茶二つと……コーラで」
財布の中の小銭を探る。
と、そこで気づいた。
「六百円になります」
……お金が、足りない。
手元にあるのは百円玉が三枚と五十円玉一枚。ちょっと足りないとかいうレベルじゃない。普通に足りない。
「あ、すみません、ちょっと待ってください」
助けを求めようとテーブルの方に視線を送る。死界になっていてよく見えない。
「……っ」
首を精一杯伸ばして向こうの様子を伺うと、なんとか端の会長と目が合った。
視線で必死に訴える。
「……」
会長は何か言いたげだったが、状況を察してくれたのか、財布を持ってこっちに近づいて来た。
財布からおもむろに千円札を取り出すと、ぶっきらぼうにカウンターに置く。
「す、すみません」
「後で私の分も払ってね」
最高級の営業スマイルを向けられたら、返す言葉がない。
受け渡しを待つ間、なんとなく気になっていたことを聞いてみる。
「会長、野菜ジュースとか飲むんですね」
「どういう意味」
「いや、その……普段おつまみとかばっかり食べてるから、健康に気をつけてるような感じには見えないというか……」
「なかなか失礼なこと言うな……」
初めて見る会長の呆れ顔。
細めた目はどこか遠くを見ている。
「うち、父親いないから。
私が体調壊したら困るでしょ」
……すっ、と、
まるで挨拶でもするように、さらっと重大なことを打ち明けられた気がする。
こういう時は、嫌なことを言わせてごめんなさい、って言うべきなのか。
会長は涼しい顔をしてるけど、辛くないはずがない。
「あの……」
「言っとくけど、別に気にしてないからね」
「え」
いつも通りのツンとした口調。
強がりじゃない、本心のように感じた。
「父親が死んだのは小学生の時だし。
もう慣れた、てか、忘れた」
「そう、ですか」
そこでちょうどジュースが運ばれてきて、慌ててトレイを受け取る。
会長はテーブルに向かおうとしていた。
「あの、会長」
前に出した右足がぴたりと止まり、行き場をなくしたようにつま先で床をなぞる。
「どうして今、来てくれたんですか」
……いつもなら、面倒くさい、って切り捨てるところなのに。
「別に、親切心とかじゃないから」
会長は続ける。
「うちの高校の生徒が店に迷惑かけた、なんてことになったら面倒でしょ。
生徒会で呼び掛けとかしなきゃいけないかもしれないし」
別にそれだけ、とまた歩き出す会長の背中を見つめる。
歩く姿は百合の花、ってこういうことを言うんだな。
「……そうですか」
面倒くさがりかと思えば、本当は親思いだったり、優しかったり、
会長のことは、本当にわからない。
「じゃ、始めるよー!」
いえーい、と藤見先輩はなぜかノリノリだ。
「にしてもごめんね、急に部外者が参加しちゃって……
遠慮とかいらないからね、先輩だからわからないことは聞いてくれていいからね!」
「あ、ありがとうございます!」
「そうだぞ、わからないことはどんどん俺に聞け」
環先輩、この期に及んで後輩女子の気を引こうとするのはやめてください。
「古川も聞けよ?
なんたって俺、賢いからな……」
「はぁ……」
デート特集の雑誌を携帯する先輩にそう言われたって、にわかには信じがたい。
しかし、どうやら本当だったらしく。
「環くんは本当に賢いよ。
定期考査はずっと学年二位だし」
「え、そうなんですか……!?」
「ふっ、二位ってところが俺らしいだろ」
失礼だけどそれには納得。
「この学年は一位二位は固定だからねー」
「い、一位の方はすごいんですね……!」
「うん、まあこの人なんだけどね」
ぶふぉ、とコーラを吹き出す僕。
肩をぽんっと叩かれた会長は、ちょっと照れくれさそうにやめて、と溢す。
「い、一位の方と二位の方が夢の共演……!」
いや待て、水沢さんそんなキャラだったっけ。
おそらく目の前にいる気だるげな美少女が生徒会長だとは気づいていないんだろう、彼女はキラキラした瞳で会長を見る。
まさかゲームばっかりしてる会長が学年トップの頭脳の持ち主なんて思ってもみなかった。
考えてみれば、この人が生徒会長なんて面倒くさい仕事を黙って引き受ける理由がない。成績がいいからか、外面を良くしすぎたあまり勧められたんだろう。
なんにせよ、こんな秀才揃いならたっぷり教えてもらう他に手はない。
「そろそろ課題やります」
僕はノートを開き、解きかけの問題集をパラパラと捲り始めた。
の、だが。
「そういやさー」
「どうしたの、ちーちゃん」
「部室のするめいかの在庫なくなったから買ってきて」
「だってさ、環くん」
「俺かよ……」
「高いほうな」
「……絶対いつか一位取ってやる……」
「言ったな、負けたら三種のいか特盛パックな」
「いや待て一旦落ち着け考え直せ」
……思いの外、先輩方がうるさくていらっしゃる。
まあ勉強会なんてそんなもんだよなーと思いながら水沢さんの方を見ると、こちらも苦笑いだった。
ごめん、本当。
こんな厄介な先輩たちを引き連れてきてしまって本当にごめんなさい。
「そんな、全然大丈夫だよ!
教えてもらえて、よかった」
結局あの後も三人のマシンガントークは続き、わからないところは教えてもらえたものの集中できたかと言えばできなかった。
それでも水沢さんは嫌な顔一つせず、嬉しそうに微笑んでいた。
当の先輩たちは、今からさきいか買いにいくぞーだのなんだの楽しそうだ。どうやったらあのテンションを長時間保てるのか。
「じゃあ、私たちはこっちだから」
「俺はこっち」
「あ、じゃあ」
「みんな解散ですね」
モックから少し歩いたところで、僕たちは散り散りになった。切れかけの街灯が僕らを急かすように照らす。
「じゃあ、また」
誰からともなく歩き出し、コンクリートと靴の擦れる音は、次第に自分だけのものになる。
「また、か」
また、明日も生徒会室にはあの先輩たちがいる。
あのドアを開ければ、いつもと同じ笑い声が聞こえてくるだろう。
今日一緒にいてわかったことがある。
三人は特別なんだ。
一年間一緒に生徒会の仕事をやってきて、一緒にいろいろな苦労を重ねて、ああやって騒いだりしながら、ずっと一緒にいた三人なんだ。
そこに僕の入る余地なんてあるのか?
ましてや、会長に近づこうなんて無理なんじゃないか?
会長が僕のことをあの二人と同等に思ってるなんて、そこまで自惚れてはいない。
でも、僕は会長の本性を知っていて。
会長の家庭のことも今日知って。
僕は会長にとって何だろう。
会長は僕のことを、どう思ってるんだろう?