表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

日本の終焉とがん遺伝子:乙編

 次の日の講演も、つつがなく終わった。


 今回の講演で、依楓は『癌撲滅大国日本』というフレーズ打ち立てた。医学研究として、日本は癌に並々ならぬ労力を注ぎ込んでいる。この流れに乗り、一気にこの世から癌を閉め出そう。そういう流れだった。


 今回の講演会場は、俺達の学生の頃に遊んだ場所に近くかった。講演終了後、俺達は講演の成功の高揚感を冷ますためになつかしい街を散策することにする。


 カラスも闇に解け始める夕暮れに秋の夜風が吹きぬける。すっかり変わり果てた町並みが俺たちを待ち受けていた。錆びたシャッターが軒を連ね、もぬけの殻となった建物が虚しい。開けたかと思えばそショベルカーが稼働する埋め立て地になっていて、青春の面影はどこにもない。


 どちらからでもなく、必死になって辺りを窺う。そして俺たちは、忘れ得ぬ思い出の地に巡りつく。

「あ、ここ。昔はゲームセンターだったよな」

 俺は立ち止まり、懐かしさに眼を細める。

「学生時代はここでクレーンゲームをして、しこたま景品を持って帰ったんだ」

「そうだそうだ、覚えている。誰が一番とれるかで競いあったっけ」

 

 依楓は昨日のことのように憶えていた。 

「斗真はクレーンゲームの神様なんて言われていたよな。あまりに上手すぎて『取りすぎるな』って店員に咎められた」

「そんなのお前らの勝手だろうって、気にも止めなかったけどな」


 依楓は懐かしそうに、右の口角を持ち上げた。


「今思うと、クレーンゲームで鍛えた器用さと運の良さが、今回の薬の開発に繋がったのかもな」

「そうだな。きっとそうだ」


 俺たちは結託して、くくっと口の中で短い笑いを転がした。そんな俺たちの思い出のゲームセンターは、更地と化していた。


 俺たちのゲームセンターが潰れた理由は二つある。

 一つは税金の増加や子供達の減少による問題。そしてもう一つは、高齢者がゲームセンターに入り浸るという事態を回避するためだ。

 俺たちはそれからネオンが灯る繁華街へと戻り、適当な居酒屋に入ることにした。


 店は小汚かったが繁盛していて、横の席では中年くらいのサラリーマンが会社の愚痴を肴に酒を酌み交わしていた。俺たちの横の壁には備えつけられたテレビがあって、野球中継が流れている。

 

 昔は凄まじいスラッガーだった選手が豪快に空振りし、悔しがっている姿が大々的に映し出された。


「俺たちが進む道は、これであっているんだろうか」


 講演での自信満々はどこへやら、依楓は苦悶の表情のままビールに口をつける。俺は冷や奴に箸を付けながら、依楓を励ます。


「今日の講演、大成功だったじゃないか。世の中には癌で苦しむ大勢の人たちがいる。それを救うことができる研究だ。これを誇らずになにを誇る」


 依楓は釈然としないようだった。俺たちの間に重たい沈黙が横たわる。


「俺はもう、あんな演技じみた講演はうんざりなんだよ。なあ、今のこの国の十五歳から四十九歳までの死因の一位はなんだと思う」


「それはお前、何かの病気じゃないのか」

「違う、自殺だ」


 その現実に、全身の毛穴が開いたと勘違いするほどの寒気が走った。俺の心に闇が立ちこめていく。

「いいか、斗真。よく訊けよ。今の日本では一年間に十万人が自殺している。この国の先の見えない不安感や閉塞感のせいだろうな。見事に俺たちの研究は的外れだ。俺たちが研究している癌は五十歳以降の死因の一位だ」


 あまりの戦慄に、俺は動かしていた箸を止めた。依楓はなにかから逃れるように一気にビールを飲み干し、グラスを乱暴に置いた。


「斗真も気づいただろう。今日来ていた聴衆のなかに若い奴らなんて、俺の眼にはほとんど映らなかった」


「それがどうした。自殺をそんなに止めたいなら、研究をほっぽり投げて臨床心理士になればいい」


 酔いも合わさり、歯切れの悪い依楓に対して俺は熱くなる。依楓は雰囲気を明るくしようと無理に笑ってみせた。その笑顔が痛々しい。


「違う、違うんだ。そういうことが言いたいんじゃない。ただ、空しいんだ。癌さえ克服できれば世の中を変えられると思っていた。誰もが安心して暮らせる理想の楽園が誕生すると信じていた。だが」


 依楓の中から溢れてくる心の叫び。俺はそれを黙って聞くことしかできなかった。


「世の中は変わってしまった。働く人数が足りないから若い奴らは必死に働いて、なんとか社会を回している。でもそんな若者に時間的、経済的余裕はない。結婚なんて夢のまた夢だ。そうするとまた子供の数は減る。それなのに俺たちは命をながらえさせる医療ばかり発達させていく。悪循環だ」


 そう、医療こそが少子高齢化現象の影の立役者だ。


 でも人はそのことを口にしない。なぜなら人には情愛がある、絆がある、思いがある。大切な者の死を簡単に受け入れられるはずがない。

 依楓は誰よりもその意味を知っていて、すべてを投げ出し、研究にその身を捧げてきた。そして依楓は理想の楽園に辿り着いたはずだった。


 しかしその眼に映る世界は、楽園ではなかった。

「俺は分からなくなってきた。これからも医療が発達していけば、医療費はまた跳ね上がる。今国会では七十兆円を超える医療費が採決されようとしている。でもな、高齢者を救ったところで彼らが社会に貢献することは難しい。感情論を除けば医療費に金を費やすことは避けるべきだ」


 依楓の言っていることは過激で、今の常識では受け入れられないだろう。すべての命が平等で救われる必要がある。それは依楓も分かっているはずだ。


「それでも。今を苦しんでいて、俺達の助けを求めている人々はごまんといる。お前はその人たちに死ねというのか」

 沈黙がそのまま、答えに代わる。

「お前は馬鹿だよ。本物の」

「なあ」


 伏し目がちだった依楓は俺の眼をまっすぐ見据えた。その依楓の瞳は幾重の色にも輝いている。高校二年生の時に母を見つめていた依楓の瞳も、きっとこんな色だったんだろうな。


「生きるためには、必要なものが多すぎる。すべての人間に資源や資金は、そもそも行き渡らないんじゃないのか」


 依楓の言うことは多分正しい。でもだからと言って、命を切り捨てるなんて話は受け入れられない。命の線引きなんて、人間に出来るわけがない。


「そうだとしても、依楓の言うようにはならないさ。もういいから飲もう」


 俺は依楓の空いたグラスにビールを注いでいく。きっと依楓も俺も酒が足りないからこんな湿っぽい話題になるのだと、自分に言い聞かせながら。

 それでも、依楓は笑わない。


「人はいつになったら死という壁を超えられるんだろうな。いつになったら、医療は限界を認めて撤退するんだろうな」

 そこでテレビの画面は切り替わり、緊急中継が始まった。

 化粧が派手なアナウンサーが、青ざめた顔でニュース原稿を読み上げる。その声は震えていた。


「トップニュースです。今日、政府関係者が来年にも、移民などで増え続ける人口に苦しむ諸外国を支援する名目に、海外から大量の子供たちの受け入れを認める声明を発表しました。私達が掴んだ情報によりますと、少子高齢化により労働人口が激減し、経済が停滞している我が国に新しい風を入れるためということです。しかし、海外の子供達を大量に受け入れることによる言語的、宗教的問題や、彼らの生活の保証などの問題は棚上げされており、我が国の混乱は避けられないものとなっております」


 その中継が流れ、俺たちの頭は真っ白になる。


 ついに、その日が来た。

 上の層が減らないなら、下の層を増やせばいい。その数合わせのために、海外の子供を利用する。小学生でも分かる答えだ。でもー


「……細胞だ」

「どういうことだ」


 依楓は笑っていた。その笑顔は、狂気のそれだった。


「細胞は集まって組織を作り、臓器を、そして人を作る。それと一緒だ。人間も集まって組織を作り、社会を、国を作る。そして、癌化は細胞から始まる。つまり、悪い影響を及ぼす癌細胞さえなければ、この国は」


「おい、依楓。しっかりしろ」


 俺は依楓をテーブル越しに肩を掴み、揺り動かす。依楓は夢から覚めたように眼を大きく見開いて、歯をガチガチ鳴らしていた。


「なあ。俺達はなにを守ろうとしていたんだろう。眼の前の命か、自分の生活か、それとも、この国か」

「すべてに、決まっているだろう」

「俺は、この国が日本人の手によって守られて欲しかった。でも、もう無理なんだろうな。皆が選んだ終焉だ。日本は今日、ここに終わった」

 依楓はそうして顔を伏せた。


一時間後に、終幕編を掲載します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ