地獄
翌朝、目覚めた俺はなんとも言えない懐かしい気分になっていた。それは他でもない、昨夜見た夢が原因である。俺がまだ小学生の時、まだ心から笑えていた時の夢だった。あの頃は、俺みたいな奴らが集まってよく鬼ごっこをしていた。あいつらは今元気でやっているだろうか。そう考えるとまた懐かしい気分になってくる。しかしそれと同時に、少しの寂しさも感じるのだった。
ひとまず俺は冒険者としての初仕事をしよう、と冒険者ギルドへ行った。そこでは冒険者の仕事が斡旋されていて、そのほとんどがモンスターの狩猟だ。ちなみにエリスは他のことで忙しいらしく、はじめに少し顔を出したら抜けてしまうらしい。どうやら本格的にパーティとして活動し始めるのは明日からのようだ。
「あ、パール、おはよう!」
「おはよう。」
俺よりも先に来ていたらしいエリスはこちらに手を振って呼びかけてくる。誰かに笑顔で呼ばれたのなんて、何年ぶりだろうか。ついそんな感想を抱いてしまうほどそれは新鮮なものであった。
「そうそう、実は私、パールに一つ言わなきゃいけない事があってね?それで今日来たんだ。」
「言わなきゃいけないこと?」
「うん、実は私ね…」
そういって彼女は俺の耳に口を近づけると、
「王女なんだ。」
「…えっ!?」
驚いて彼女の方を見ると、そこにはイタズラが成功した子供のような笑顔を浮かべるエリスの姿があった。
「…まさか、冗談?」
「いやいや、本当だよ?やっぱり君には言っておかないと!って思ってさ。秘密は良くないし。」
「俺にはってことは、普段は隠してるの?」
「そうなの。バレちゃうと色々と騒ぎが起きちゃうからね?」
なるほど。まあ彼女が身分を隠している理由は分かった。分かったんだけど、エリスが王女、エリスが王女ねぇ…
「ちょっと、なにその目は?さては疑ってるなー?」
「そりゃ、まあ、ね?」
「本当なのにー。ほら、あそこにおっきいお城があるでしょ?白いの。」
「あるな。…うん?まさかお前あそこに?」
「正解!あそこに住んでるんだよ!」
そう言って彼女が指差す先には、彼女の言うように大きな城があった。それはまさしく王家の者が住んでいそうなほど立派な建物で、それと比べられるような建物は周りには存在しない。
「おいおいマジなのか。」
「そういうこと。まあ今日はこれを伝えに来ただけだから私はこれであのお城に戻るけど、応援してるからね?初仕事頑張って!」
「お、おう。さんきゅな。そっちこそお仕事頑張れよ。」
「ありがとー!」
やはり王女ともなれば面倒なお仕事があるんだろうな。彼女が俺の言葉を否定せず感謝だけ述べたことで何となくわかった。これはマジだ。どう考えても嘘を言っている雰囲気じゃなかった。
「まあ、エリスがどんな立場の人間であろうと、俺のやることは変わんねえけどな。」
そう呟いた俺は早速、仕事を得るためギルドの中へ入っていった。
「準備はいいな?」
「いつでもおっけいっすよ。しかし旦那、こんなことしたら国が敵になりまっせ?」
「そんなことは分かっている。なんだ、怖気付いたのか?」
「まさか、たかが城一つ燃やす程度で、この俺が怖気付くわけないじゃないっすか。」
「なら良い。じゃあ、やってこい。」
「了解っす、旦那。」
そんな怪しい会話は人通りの少ない路地で行われていた。彼らが何をしようとしているのか、それを把握している者は現状、僅かばかりしかいない。
会話の相手を旦那と呼んだ彼はすぐにその場から消え去る。そしてその周辺でなりを潜めていた数十人もの影もまた、それと同時に消え去る。
「金さえ払えばなんでもやる連中だとは聞いていたが、まさか本当にやるとはな。」
一方旦那と呼ばれた男はその場に残り、一人不気味に笑い出す。
しかしそれを見ながら笑う男がまた一人。
「これ、チクったら幾ら手に入るかな。」
そう言う彼は、まるで死んでいるかのような青白い体を持ち、これまた真っ白な髪の毛を持つ、異様な姿形をしていた。それは人間とは違う、何か別の生き物に感じられるほどであり、そのせいか、体からはとてつもない殺気を感じる。
それは彼もよく分かっているのか、自身の体に纏わる殺気をうまく操って先ほど旦那と呼ばれていた男へ向けると、彼の方へと歩き出した。
「ねえ、少しお話聞きたいんだけど、今時間ある?」
「王女様、おかえりなさいませ。」
「うん、ただいま!」
自身の家でもある城に戻ったエリスは、すぐさま自室に籠もって書類整理に取り掛かる。それは今彼女が一番頭を悩ませている仕事であり、一番解決が困難なものでもあった。
「裏の何でも屋、シャドウ。それが不審な動きを見せている、ね。」
彼女を悩ませているのは他でもない、この国の暗部で稼業を営む何でも屋の事だ。彼らはずいぶんと前から危険視されている。それは金さえ払えばなんでもやるという店のモットーが存在するからだ。これまでにも要人の暗殺や誘拐など、証拠は掴めないものの、これまで起こってきた数々の未解決事件には彼らが関わっていると言われている。
「ひとまずは監視を続行させて、なんとか奴らをあぶり出す必要がありそう…」
「お、王女様!!」
「ね、って、ん?そんなに慌てて、どうかした?」
彼女がちょうど自分の考えをまとめて始めていたところで、彼女に仕える王国騎士団の者が部屋の前で彼女を呼んだ。
「すぐに避難をして下さい!この城に何者かが火を放ちました。炎はすでに城の大半を焼き尽くし、もう避難経路はいくつかしか残されておりません!」
「っ!まさか、シャドウの動きっていうのはこれの…」
「ご名答。」
次の瞬間、ドアを開け彼女の目の前に現れたのは王国騎士団の者ではなく、いかにも怪しげな仮面を顔に付けている、男だけだった。
「あ、あなたは、何者ですか。」
「え?それはほらさっき君が言ってたじゃない、シャドウだって。」
「っ!やはりあなた方の仕業だったのですね。」
「おやおや怖いねー。まあ安心して?僕には君を殺すつもりは無いから。僕たちが指示されたのはこの城への放火だけさ。」
「ならば何故ここに?」
彼女の疑問も当然であろう。放火のみが目的ならわざわざ危険なこの場所にまで出向いて来る必要はない。一体何を企んでいるのか。そう考える彼女の足は小さく、震えていた。
「ん?いやあ特に理由は無いんだけどね?うん。ただ、君がどういう人なのか知りたくてね。うん、君可愛いね。」
「こんな状況で何をとぼけた事を…」
「いやいや君が可愛いってのは本心さ。ってあれ?僕なんの話をしてたんだっけ?」
異常だ。これまでの会話を踏まえてエリスは彼をそう判断した。今すぐにでも逃げないと死ぬ恐れがあるというのは彼も同じはずなのに、それを気にする素振りはなく、悠長に話し続けている。その口調からは一切の焦りや恐怖は感じてこない。
しかしエリスは別だ。男がドアの前にいるせいで彼女までもがこの場から脱出できずにいた。もう火の手はこちらまで迫ってきている。そんな彼女は焦りを隠し切れない。
「何が目的かは知りませんけど、そこを退いてもらえませんか!」
「…ん?ああ、もしかして邪魔だった?それはそれはごめんね。」
「…それならば早く退いて欲しいんですけど。」
「でも僕が退いたところで、君に逃げる場所なんてもうないよ?火はもうこっちまで来てるみたいだし?」
「なっ!そんな…」
もうすでに逃げられないほど火が回ってきているという事実にエリスは絶望を露わにする、しかしそれならば一体、なぜこの男は逃げようとしないのか。彼の目的が本当にわからない。
「あなたは自殺願望者か何かなんですか?」
「この状況でまだそんな事が言えるなんて、さすが王女様だ。心が強い。だけど残念ながら僕は自殺希望者ではない。」
「ならなんで…」
「あっ!!僕の仮面が溶けてる!そんなっ、僕の仮面がっ…」
「……え?」
これまで男の動揺した姿などは一度も見れなかったが、ここにきてようやくその姿を見る事が出来た。しかしそれはなんともしょうもないものであり、エリスの思考が一度止まってしまうのも仕方がない事だろう。
「…ぇ、え?仮面?」
「そう仮面、僕の仮面が溶けちゃった。」
そう言って仮面を火の中に投げ捨てると彼は満足そうな笑みを浮かべて再度こちらを向く。
そこにはこれまで見れなかった人懐っこい笑顔が浮かべられており、彼がまだ若い、青年であることも分かった。おそらくエリスと同じくらいの年頃だろう。
「まああんな仮面、百均で買った安物だからどうでもいいんだけどね?」
「百均?百均というのは…」
「仮面が無くなった事だし僕はもう行くから、じゃあね?」
「えっ?」
そう言うと彼は、姿を消した。エリスにとっては何が何だかさっぱり分からない。ついさっきまでいた彼が一瞬で姿を消したのだ。
「転移魔法?いや、それならなんで魔力を感じなかった?いや、今はそんなことより逃げな…い……と…」
そう呟いて冷静になる彼女であったが、すぐにまた冷静ではなくなる。火の手が、すぐ前まで迫っていたのだ。
もうすぐ死ぬ。そんな思考のみが彼女の頭を埋め尽くし、絶望に襲われる。気づいたら彼女の目からは涙が出てきていた。
「…ぁつい、あついよ…」
そう呟く彼女は一人ぼっちで、哀れな、死を前に何もできない小動物のようであった。
そして炎はついに彼女の体まで届き、身を焼き始める。
恐怖で声も出ず、痛みすらも感じられなくなった彼女が最期に考えていたのは、昨日であったある男の子のことだった。
パールは無事に生きる意味を見つけられるかな。私が生きる意味だって言ってくれたのに、私がすぐに死んじゃったら、また彼をあんな悲しい顔にさせてしまうかな。なんだか、申し訳ないな。
死にたく、ないな。
生にまだ未練がある彼女も遂に思考を止めた。少し冷静になった瞬間、また痛みを感じてきたのだ。そして身を焦がすような痛みを感じる。
包まれる炎の中で彼女は、泣き叫んだ。