第八話 人狼少女はお人好し
奈々の目の前で、ポツリポツリと勝手に過去を語り始め、そして勝手に終わらせたこの男。
勝手に。そう。勝手になのだ。ここは重要なところである。
そんなことを考えながら、奈々は外に干された洗濯物を見る。今日は風が強いらしい。ガラス窓が、ガタガタと揺れた。
──洗濯物、飛ばされないと良いけど。
奈々は、ほうれん草に箸を伸ばし、咀嚼する。
「ふぅん? えーと、なんだっけ? あ、そうそう。そのライって男と酒場行ってどうしたの?」
「お前人の話聞いてたか?」
「いや、全く。だって、私、あんたの過去話してくれなんて頼んだ覚えないんだし」
「ぅぐっ」
「金しか脳がない奴のことが嫌いなのは分かったよ。けどさ、そんな内容話さなくても良くない?」
「げぅぐっ」
カエルが潰れたような声を出す目の前の男。本当に人なのか疑いたくなる。これで、髪色が緑だったりしたら面白いのだが、残念ながら目の前の男は、黒髪に藍色の目をしている。即ち、カエルではないと言う結論に至るのだ。なんてつまらない。
「ていうか、あんたの住んでた世界の方で、簡単に人を信じる方がいけないんでしょ」
「……」
目の前の男が、無言でサラサラと灰になった。もしかしてこいつも〝能力者〟なのか? と奈々は思ったけれど、どうやら幻覚だったようだ。瞬きをした瞬間元に戻った。
「確かに、そうだよ……、両親殺されて、んで俺を拾ってくれた奴を、簡単に信じた俺が悪いよ。……でもよ、そうしなくちゃ、生きていけなかったんだよ。復讐なんて大層なものやり遂げるつもりじゃねぇけど、俺はまだ、死にたくなかったから、……死ねなかったから、ライの奴に縋った。藁にも縋る思いだったんだよ……」
「実際、その藁は先に爆弾を括り付けてた訳だけどね」
奈々は乾いた口を潤すため、お茶を飲んだ。
目の前の男も話し続けたため、喉が渇いたようだ。奈々に一言入れてから、コップ一杯のお茶を飲み切った。
「……」
奈々達の間を、沈黙が支配する。もう、話題が全て尽きてしまった。
もし、沈黙と言う文字が人の形をとったら、奈々達の目の前にドッカリと座り込んでいるんじゃないか、と考えたくなるほど、音が無い。
ただ、食べるだけ、というのもアレなので、奈々は再び男の容姿を観察することにした。
黒髪に、藍色の瞳。服には若干返り血がついていて、奈々にとって少し気分が悪い。
体格が良いのが服の上からでも分かる。だが、やはり少しやつれているようにも見える。
今の目の前の男は、それこそそこらじゅうの不幸をペットボトルに詰めた状態のようだ。奈々がこのまま、ご飯食べさせてから家の外に投げてしまえば、翌日には死神にお世話になっているだろう。奈々のこの男への第一印象が、【死神みたい】だったのに、その死神が死神にお世話になるとは、それはそれで愉快な話だ。
(でも、何だかそれは胸糞悪いぞ……)
奈々は、思わずため息をついた。この空間に、ようやく音が戻って来たように錯覚する。時計に目をやれば、先ほどより時間が経っていた。
「……あんた、帰る場所あんの?」
「帰る場所……?」
奈々の率直な疑問に、逆に男の方が疑問を抱いたようだった。奈々は、肯定するように頷いた。もしかして、帰る場所の意味が分からないのか? とも考えたが、その心配はないようだ。
「んなのねぇよ。……確かに金は殺しの仕事で貯めたけど……日本の金ってよく分からねぇ。主に使い方」
「おいコラ待て」
男は、その藍色の目を伏せた。
長いまつげが、男の目元に影を落とす。美形の部類に入る男は、それだけで絵になった。
「え? てことは、日本に来てから、どうやって過ごしてたの?」
「……ここで出来た友人に、色々世話なってた。……でも、五日前から音信不通で」
「今現在、空腹で死にかけって?」
奈々は少し呆れてしまった。
目の前にいるのが大人の男でなく、右も左も分からない幼い子供に見えてきてしまう。決まりが悪そうに縮こまり、視線をせわしなく動かしている姿は、まるで叱られているガキ大将だ。盆栽でも壊したのだろう。
「なんか、あんた見てらんない」
「は?」
「放置してたら死にそう。ダンボールの中の子犬みたいに」
「あ?」
「うち広いし、もうここ住んだら?」
「……はあぁああぁあぁあぁ!?」
家の壁を揺らすほどの絶叫。反射的に耳を塞いで助かった。
強化されている聴覚のせいで、普通の倍以上の音を聞き取れる奈々は、他の人の絶叫で頭が痛くなる。不意打ちは、勘弁してほしいものだ。
奈々自身、自分の台詞の重大さに気がついてはいないようだった。
「おまっ! 何言って……っ」
「だってそうじゃん! 金の使い方分からないやつ外にほっぽり出せって!? 私はそこまで鬼になれないよ?!」
「初対面の相手を、容赦無く殴り飛ばすやつを鬼とは言わないのか。初耳」
「殴るぞ」
失礼極まりないことを言われたが、そこは奈々の海より広い寛大な心で無しにしてあげた。
目の前の男は、毒づきながらも顔を赤くして奈々を見つめている。先ほども思ったが、男は女慣れをしていないらしい。
「だってあんた、私みたいのに欲情なんてしないでしょ?」
「そ、そりゃあしねぇけど」
「来ても撃退できるけど」
「しねえよ!!」
男は立ち上がり、肩を震わせながら奈々を鋭く睨みつけた。顔が赤いせいで、対して怖くはないが、その目には明らかな『羞恥』と『怒り』の色が宿っている。
「お前!! 年頃の娘が! 何言ってんだよっ!」
「んなこと言われても、恋人いないし、恋人いない歴=年齢だし」
「知るか!! んな情報要らねぇよ!!」
「落ち着け」
「落ち着けるか!! 第一、今日出会ったばかりの俺達が、ルームシェアなんておかしいだろ!! しかも他人だぞ!? た、に、ん! 意味分かるか?!」
「つながりのない人。もしくは、他の人。自分以外の人。これが他人」
「その説明求めてねぇ!!」
遂に男が崩れ落ちた。比喩ではなく、本気でキノコが生えてきそうなほどどんよりとした気配を纏う男。目の前で頭を抱える男が、先ほどまで恥ずかしがって怒ってた人と同一人物に、奈々には見えなかった。今ならば、男が実は一般人でしたと言われても納得してしまいそうだ。
(それにしてもどうする。目の前のこいつを本人の言うまま追い出したら、きっとそのままその友人とやらが見つからず、餓死するよね)
奈々の家の近くの林で遺体が見つかったという、衝撃ニュースは勘弁して欲しい。奈々はお化けは苦手なのだ。
奈々も奈々で頭を抱えて唸っていたら、男のある言葉を思い出した。男は、他人だからおかしいと言ったのだ。だったら、他人でなくなってしまえば良いというだけだ。
「ちょっと、生きてる?」
「あ? 生きてるに決まってんだろ……」
少し疲弊した様子の男。顔には先ほどより色濃く疲労の色が見えており、顔色も少し悪くなっている。
この顔色が更に悪くなる様子を思い浮かべると少し面白いが、それより先に提案をしなくてはならない。
「他人がダメなら、なにか関係を持とう?」
「はぁ!?」
「なんでも良い。ルームシェアするのに必要な関係を持とう」
「……んだよ、それ」
奈々は、箸を置いて立ち上がり、男の前まで移動した。
その痩けた頬を両手で掴み、前を向かせる。
奈々の橙色の目と、男の藍色の目がお互いを映し合う。
「私と、友達になろう?」
「……は?」
掠れた声が、風がガタガタと揺らす窓の音にかき消された。
2017年5月7日改稿しました。