第四話 人狼少女は見下す人は嫌い
今回、少し短めです。
『正確には盗られたかなぁ…?』と小さな声で呟く湊人。
『盗られたって、一体どの段階で盗られたんですかね』と、思わず返す奈々。
湊人は、あっけらかんとした様子で『さぁ?』と笑っている。
──駄目だこいつ。
「さて困った…、あの中にはお金もだが名刺も入っている。これでは、僕の家に帰れない」
「そうですか。私には関係無いので帰っていいですかね? 自殺未遂者に見えたので関わりましたが、本来ならこうして関わるのはお断りしたいですから」
奈々は素晴らしい程の作り笑顔で湊人に言った。印象アップ待った無しの完璧な笑顔だ。
だが、そんな笑顔に対抗するように笑顔を浮かべた(目は笑ってない)湊人は、哀愁漂う声を上げ、表情を変えつつオーバーな動きを取り入れ言った。
「僕の家があるの、月桜市の駅から、かなり離れた場所にあるんだよね……、財布がないから、ICカードも無いし、だからと言って切符も買えない。携帯もさっき充電が切れちゃった……」
『あぁ。僕はもう友の待つ故郷へ帰れないのかっ』なんて言いながら、奈々に詰め寄る湊人。
先ほど指輪を落としたお婆さんは、既に姿を消しているので、人目を気にする必要がないのを良いことに、騒ぎまくっている。
近所迷惑だと騒ぎたいところだが、この辺りにある家と言えば奈々の家しかない。
──目は語っている。僕と共に財布を探してくれと。
それにも動じず(内心動じまくりだが)無反応の奈々に、湊人は思い切り詰め寄った。
なまじ顔が良いだけに、近寄られると迫力が凄かった。
長身のイケメン年上男性に見下されたつるぺた低身長少女に残された道は──、
「わ、分かりました!! 手伝います! 近い! 離れてください!」
財布探しを手伝うこと他なかった。
★☆★
橋の近くの側溝の中や、鞄の隅から隅まで探すも、湊人の財布は見つからないままだ。
この人、財布無くしたなんて嘘じゃないのか? なんて疑い始めた頃、湊人の声が聞こえた。
「信濃ちゃん」
「なんですか?」
やけに音を殺した声なので、奈々も声を潜め湊人に近づく。湊人の目は、橋の下に向けられていた。
「財布、どうやら落としたんじゃないみたいだよ?」
突然のことに、顔が面白いことになる。ポカン…、となったのだ。擬音が付きそうなほど。
そして直ぐに理解した奈々の身体が、脳が指令するより速く、湊人に攻撃を仕掛けた。
──私の苦労返せやゴラァ!!
目が、夜叉のようだった。
そんな奈々の拳を受け止めながら、湊人はニコリと微笑み人差し指を唇に当てる。
普通の女子ならキャアキャア騒ぎそうなその姿だが、その手の事に興味が殆どない奈々は、湊人を鋭く睨みつけながら口を閉ざし、拳に込めた力を緩めた。
「話し声、聞こえるかな?」
その言葉に疑問を抱きつつ、奈々はそっと視線を落とし、耳をすませた。
風のそよぐ音、鳥の鳴き声、川のせせらぎ……、そんな自然に満ちた音の中……人の声が聞こえた。
若い男女の声。…どうやら、河原を歩いているらしい。
その二人の会話に、奈々と湊人はそろって耳をすませた。
「てかよぉ、駅前で財布すった男。あいつがよ、漸く気が付いたみたいだったぜ? あの男の鈍感っぷりには、腹が痛かったぜ」
「えぇ? マジぃ? 笑えるんですけど。おっさんがここに来るんじゃねえよって話よね〜。つか、ここもここよ。田舎すぎ。マジあり得ない。コンビニもないなんてさぁ」
あの男女は、橋の下で会話をしているようだ。ギャハハと下品に笑う声も聞こえてくる。女の方の女子力と言うものが、疑われるような笑い方だ。女子力皆無のこの私さ! と自負する奈々もこんな笑い方はしないだろう。
橋の隅からチラリと手元が見えた。視力の良い奈々には、その財布の中に、湊人の免許証が入っていたのが見えた。あの財布で間違い無いのは確実か、と奈々は息を吐く。
湊人も気付いているらしい。そして同時に、怒っているらしい。かなり顔が怖い。激怒した夏実並だ。
湊人が長い指で、橋の下を指差す。
どうやら湊人の手自らで懲らしめるつもりらしい。
湊人が、白衣を羽織った。
──仕方ない。行くらしい。
このまま帰るのもありだが、流石にここまで来て帰るほど、奈々は無情ではない。
──何より、あの男女の会話に腹が立った。
老人は邪魔だ──とか、調子乗ってるよなあのブス──とか、もう聞いているこっちが苛立つ話をしているのだ。差別。ダメ、絶対。というか、この美しい奈々の好きな街(村に近い)を馬鹿にしたことが許せない。
湊人が橋から躊躇いなく飛び降りた。
二、三メートルはある高さから余裕で飛び降りれるあたり、かなり怒っているらしい。身体能力の高い奈々ならまだしも、湊人が飛び降りた事に、奈々は若干人は見た目で測れないものだな、と苦笑した。
──さて、私も挟み撃ちするか。
奈々は、湊人が飛び降りた方とは、反対方向から飛び降りた。ガサリっと音がなる。
「…お、お前──!」
「え? 何? 此奴誰?」
「さっきの財布すったやつだよ!!」
奈々の存在には気付いていないらしい男女。
どちらも髪を染め、都会の派手なギャルみたいな印象を持たせる二人だった。
「本気で言ってんの?! あたし逃げるか──、いつの間に!」
女の方が振り向いてようやく、奈々の存在に気が付いたようだった。奈々はニヤリとドラマに出てくる悪役顔負けの笑顔を見せた。
「さて、僕の財布…返してくれる?」
女の方がぺたんと膝をついた。ガタガタと身体を震わせている。
──ようやく自分らのやった事に気付いたようだった。
女の長い派手な色の巻き髪が、肩から滑り落ちた。
「俺は知らねえよ!!」
腰を抜かすまではいかないが、怯えた男が此方に走ってくる。
そこは逃がさぬように、奈々は軽く足に力を込め、男に飛びついた。
突然のことに体重を崩した男は、『ぐぁっ』と奇声をあげ、後ろに倒れる。
すかさず奈々は、馬乗りになった。
「私の知り合いの財布、返してもらえます?」
静かな声で問いかければ、あっさりと降参の声をあげて財布を湊人に放り投げた。チビの女にあっさり負けて良いのか、何て被害者の湊人は考えてしまう。
「わっと、…うん。全部入ってる」
受け取った後、中身をすかさず確認すれば安心したように湊人は息を吐いた。よっぽど大切なものが入っていたらしい。『お帰り僕の財布ううううう』何て頬ずりをしている。これには全員ドン引きした。
奈々が男の体から降りれば、男は女の腕を掴んで逃げていった。
その姿に、『人間助け合いだねぇ』と呟く湊人は満足げに頷いていた。
「信濃ちゃんありがとう、お陰で家に帰れるよ」
「まぁ、乗りかかった船ですし。ほとんど強制でしたけどね」
湊人は、財布から何かを取り出すと奈々に差し出した。
「そろそろ仕事に戻らなくちゃ、僕の同僚が困るからね。これ、僕の名刺」
困惑しながら受け取れば、その名刺には〈アマリリス所属 宮守湊人〉と、黒い文字でデカデカと書かれ、電話番号が記載されていた。
「何かあったら電話してくれて構わないよ。まぁ、忙しかったら出られないかもだけどね?」
湊人は、そう言いながら片目を瞑った。慣れたようなウインクだった。星が飛んだ気がする。それをはたき落としながら、奈々は軽く睨みつけた。それじゃ言うなよ、と言いたげな顔だ。
それに対して驚くわけでもなく、湊人は白衣のポケットの中から時計を取り出し、時間を確かめる。
「あぁ、そろそろ時間だ。それじゃあ、また今度、ね?信濃ちゃん」
湊人は心からの笑顔でニコリと笑うと、奈々に手を振り、駅の方へ走っていった。
「……アマリリスって、聞いたことのない会社」
奈々の、本当に小さな呟きが、突然吹き荒れた風にかき消された。