神様と、人と、
短編第3作品目になります。
いつもより少し長めとなっております。
楽しんでいただけたら幸いです。温かな目でお見守りくださいませ。
夏、某日、某時刻、某所神社。
我が神社自慢の石階段から軽快なステップで駆け上がってくる足音が聞こえてくる。
「かみさまかみさま!!」
大きな声とともに目前の格子が掴まれギシギシと嫌な音を鳴らす。
「いますか!?」
「………います」
「よかった! このなかくらいから、いるかわかんなかった!」
格子の向こう側にいる活発そうな少女の声が中に響く。
「…社は電気通ってないんだよ」
「そうなんだー。せまくない?」
「狭いな。でも窮屈ではない」
「そっか!」
「…とりあえず格子から手を離せ。また壊れるだろ」
「はーい」
少女は素直に格子から手を離すと、すっと下に消えた。
おそらく座り込んだのだろう。
「あっ! 7さい、小学1年生です!」
「…急になんだ」
「え? かみさまとはなすときはまず、ねんれいと、しょくぎょうを言うってきいたんだけど」
「どこで?」
「みんないってる!」
「いや、それデマだから。別に君たちの情報なにもいらないから」
「デマ?」
「あぁ…、デマっていうのは、なんというか、嘘? ほんとじゃない噂みたいな意味だ」
「そうだったんだ…。名まえとかのほうがいい?」
「いらん。個人情報は大切にしておけ」
今の日本人は面識もない知らないやつに簡単に名前を教えるほど個人情報の大切さに疎くなってしまっているのが否めない。友達の友達が自分のフルネームを知っているレベルらしい。
「かみさまはかっこいいの?」
「あたりまえだ。イケメンだ。そんな当然なことを聞くためにわざわざここまで来たのか」
「わざわざじゃないよ? お友だちとあそんだかえりについでに」
「……。そうか」
なぜか少しだけ落ち込んだ。
「それで、何の用だ?」
「…きょうがっこうで、〝戦争〟のことをならったの」
「そうか、もうそろそろ日本の戦争について思い出される日だったか」
「うん…。それでね、日本はいまは戦争をしてないけど、むかしはしてて、世界のどこかのくにではいまでもずっと戦争をしてるんだって…」
「…」
夏の涼やかな風が吹くとともに小さな沈黙が流れる。
今日は暑い。格子の外が白く明るいことから天気は晴れなのだろう。じめじめする。
「ねえ、かみさま」
「なんだ」
「なんで戦争はなくならないの?」
「知らん。我に訊くな。人に訊け」
「え~~っ!」
「戦争を始めるのも戦うのも終わらせるのも人だ。神ではない」
「なにそれ~」
少女は子ども特有の納得がいかないときのような話し方になっている。
「というわけで、これにて閉礼。世界のことを考え、優しくあれるあなたに幸あらんことを」
「ぶーーっ!! バイバイっ! また来るね!」
これ以上は面倒なことになりそうだったため強制的に話を終わらせた。
それにご不満だったのか、少女はむくれているようだったが、元気に再会の言葉を残し、軽快なステップで石階段を下りて行った。
石階段をドシドシと雑に上ってくる足音が聞こえてくる。
「おいっ、神!」
足音の主は社の前までくると、乱暴に格子を掴み、怒ったような口調で語りかけてきた。
「おい神、いるんだろ」
「………」
「なあ神」
「………」
「神…、様」
「なんだクソガキ」
「チッ、いるんなら返事くらいしろよ」
格子の向こうにいるのは礼儀を知らないクソガキだった。
「これにて閉礼。目上の者に対する礼儀を知らない生意気なクソガキに永遠の禍があらんことを」
「おいっ、まだ何も話してねーだろ! てか怖いこと言ってんじゃねーよ!」
「お前もはやくその手を離せ、ギシギシなってるだろうが」
「わかった、じゃあ離すから聞けよ」
「………」
黙っていると、クソガキは格子をわざと強く揺すってみせた。
「あーー、もうわかったから! 話くらい聞くから早くその手を離せ!」
壊されるのはもう二度と御免なもんでクソガキの脅しに屈してしまった。
「17才、高校二年だ」
「名前は」
「名前? 名前がいるとか聞いたことがないぞ。いるのか?」
「ああ。名前と、あと住所も。マンションなら何号室かも必要だ」
「おめーそれなんか復讐する気だろ!?」
あたり前だ。
「うるさいクソガキだな。それで話ってなんだ。手短に頼む」
「まずクソガキっていうのやめろ。…まあ、その、なんだ」
「なんだ」
「…お袋とのことなんだけどよ。神なら知ってるかもしれねーが、うち、母子家庭なんだよ」
「知らねーよ。そこまでお前らに興味ねーから」
「……、なんか冷たくね?」
「いいから続けろ」
「とりあえず座っていい?」
こっちが了承もなにもする前にクソガキのシルエットが下に消える。
じゃあ訊くなよ。
「俺高校に通ってるんだけど、弟も今年高校受験を控えててさ。それで、そろそろ家も経済的に厳しくなってくるんだよ。弟は俺と違って出来がいいから、ちゃんと高校に行って、いい大学に行って、しっかり就職して親孝行してほしいんだ。お袋もそろそろいい歳だから身体にも気を使ってほしい。そのためにも、俺が高校辞めて稼ぎに出たほうがいいんじゃないかと思ってるんだが、高校中退者がちゃんとした職にありつけるかもわからない…」
「ふむ」
長い話がひと段落し、蝉の鳴き声が主張してくる夏の風物詩。ここに風鈴があればなお風情があったものを。
「なあ、神様」
「なんだ」
「神様は、どう思う」
「は?」
「…え?」
「つまるところ、何が言いたいの?」
「いや、だから、俺はこれからどうしたいいものかと…」
焦っているのか、もごもご答えてくる。
「それこそ知らねーよっ! ここは子供相談センターでも職安でもねーんだよ。神社なんだよ。そんなこと考えてねーで弟の合格祈願でもしてろ!」
「そんなつれないこと言うなよぉ」
「気持悪いなぁ。だいたいそんなことを神に訊くなよ」
「困ったときの神頼みってやつだ」
クソガキの表情はわからないが、おそらくドヤ顔なのだろう。声でわかる。むかつく。
「本当に大事なことを神なんかに頼むな。神は基本無責任だからな」
「あんたもか?」
「我はどちらかというといいほうだ。どこかの神は人の話さえ聞いちゃいないからな」
「だったら…」
「だからといって我のほうからは直接的にどうこう言うつもりはない。自分の今後に不安があるのなら学校の先生にでも相談しろ。母親の身体が心配というのなら共に一連の検査にでも行け、職が欲しいというのならハローワークにでも行け。弟の受験が不安だというのなら、その時はちゃんと話を聞こう。我にはそれくらいしかできない」
「…なんだかんだ優しいじゃん」
「聞くだけだがな」
「それでもさ…」
クソガキが立ち上がることによって目前に影ができる。
「それでも、ありがとな。こんな話恥ずかしくて他人にはできなかったんだよ。でも神様にはなんか話せるような気がしたんだ。実際話してよかったよ。そうだよな、自分のことだ。責任もって自分自身で決めていかなくちゃいけないよな! 神様、ほんとありがとな。感謝してる…」
少年の口調に先ほどまでの刺々しさはなく、どこか決意を持った、柔らかなものとなっていた。
「そこに立たれると影になって日差しが入ってこなくなるから、どいてもらってもいい?」
「………」
「聞こえてる? 暗いんだよね。はやくどいてもらえるかな?」
「…お前、モテないだろ」
「は? お前よりはモテるから。なんたって神だぞ? 元日とかすげーから。年に一回とんでもないモテ期くるからね我」
「それモテるとは違うだろ」
「うるさい童貞」
「なっ! 童貞関係ないだろ!? 」
少年は再び格子を掴んで揺すり、ギシギシいわせはじめた。
「おいっ! やめろ! お前ら我んところの格子になんの恨みがあるというんだ! それ以上はやめて、まじで壊れるから。 この前修復されたばかりだから。 我≪われ≫が怒られちゃうから!!」
「…ふんっ」
格子から手が離される。
少しは見込みのあるやつかと思えば、やはりただのクソガキだった。
「あーあ、感謝して損した! やっぱり俺あんたのこと嫌いだわ」
「奇遇だな、我もだ。早く住所と名前を言って帰れ」
「チッ、じゃあな」
日差しを塞いでいた影が遠のいていく。
優しい夏の光が中に差し込んでくる。
「おい、少年」
「…なんだよ」
先ほどよりも遠くから声が返ってくる。
「自分一人の問題ではない。家族の問題だ。自分一人がどうこうして家族全体を変えられると思うな。自意識過剰だ。烏滸がましい。その考え方は一歩間違えばただの自己満足となってしまう。独り善がりだ」
「………」
「今一度家族の在り方を見つめ直せ。家族一人一人が個人的に他己利益の追求をしたところで、その先に一本の幸せの線路へと繋がる分岐器など存在しない。下手をすれば脱線事故を起こしてしまう。だから、切り替えろ。相談しろ。話し合え。各々の線路を一本にするにはそれしかない。家族とはそれだけ密接な関係であるのだ。少年の悩みは家族の悩みだ。そうだろう? では家族が悩んでいるときに少年は無関係者でありたいか? 違うだろう。共に悩もうとするはずだ。逆もまた然り。よかったな、少年が悩んでいれば家族も共に悩んでくれるぞ。こんなにいいことはない」
少ししゃべりすぎたか、汗が水滴となって顎から落ちる。相も変らぬ蒸し暑さ。
「ははっ、なにも言わないんじゃなかったのかよ! でも、ありがとうな!」
石階段を下りていく足音は上って来たときよりも大分軽く聞こえた。
「…これにて閉礼。自身より家族を大切に想う心優しい少年に小さな試練と幸福があらんことを」
石階段をゆっくりと上る聞きなじみのある足音が聞こえてくる。
「神様、いつも町を見守ってくださりありがとうございます。ささやかなものですが、これ、うちの畑で採れた野菜です。おいしいですよ」
「………」
「それでは、また来ますのでね」
老婆は社の前に野菜をいくつか置いて一礼し、本殿のほうへ行った。
本坪鈴を鳴らし、手を合わせる音が聞こえた後、そのまま石階段をゆっくりと下りて行った。
石階段から聞き覚えのある騒がしい足音が聞こえてくる。
「おーい、神様ぁーー!!」
「………」
「いるのはわかってるんだから、観念して出てきなさーーい!!」
「出ていきたいのはやまやまだが、残念なことにこの社には扉がないのでな」
「あらそう。なら私があなたをそこから出してあげましょうか?」
「勘弁してくれ。そう言って以前お前がこの格子を壊したことが今でもトラウマだよ」
「その節はどうもお騒がせしました」
騒がしい少女は深々と頭を下げる。
我にとって、この神社にとって一番厄介な奴が来てしまった。
「どう? 元気してる?」
「前にお前が帰ってから、今日ここに来るまでの間はわりと元気だったよ」
「五日間は、元気だったんだね~!」
「よく覚えてるな」
「しょっちゅう来るから。五日も期間が空いたのは久しぶりだったからね」
言っているとおり、こいつは最低でも三日に一回、ひどいときは二週間くらい毎日この神社に来ることもある。
「しょっちゅう来るなよ。…制服か?」
「そう、よくわかったね!」
「お前がそんなひらひらした服を着るのは滅多にないからな。それこそ制服くらいのもんだろ」
「うわっ、失礼だなぁー…。そっ、今日学校だったの」
いつも通り、少女は社の前面を背もたれにし、座る。
我もいつも通り、社の中から社の前面を背もたれにして座る。
板一枚を隔てて背中合わせ。二人が会話をするときのいつもの習慣。
「たしか高校は今夏休みではなかったか? 補修か? 馬鹿だから」
「違いますから。中間登校日だったんです! あと私こう見えて成績優秀なんですよ! 前にも言いましたよね?」
「そういえばそんなこと言ってたな。話半分に聞いてた」
「うわひどい!」
袋を開けてなにかを頬張る音が聞こえる。おそらくお菓子。いつも通りだ。
「それで、今日はなんのようだ?」
「いつものようにこう答えます。用がないと来てはダメですか?」
「いつものようにこう答えます。駄目ではないが迷惑ではある」
「むー、相変わらずひどい~」
「ひどくない」
西日が差し込む夕暮れ。橙色に染まる空がなんだかもの悲しさを送り込んでいるように感じる。
蝉たちは子供たちに家に帰れと言わんばかりに必死に鳴いている。
夕日と蝉の鳴き声は人に哀愁漂わせる二つの神器みたいなものだと思う。
「ねえ、神様。お願い、やっぱりここで働かせてよ」
「何度も言うが、無理なんだって。ここで働けるのは先祖代々この神社に仕える家系の血縁者だけって決まりなんだよ」
「どうしても…?」
「どうしてもだ。残念ながらな」
それがこの神社唯一の厳しい決まりだった。
我が決めたわけではない。いつのまにか、知らぬ間にそんな決まりが定着していた。その決まりは代々今まで受け継がれてきたものであるから、そう簡単に変更することも適わないものなのだろう。
「そっか…。はあぁ~~、いいなー美虎ちゃんはここで働けて。うらやましいことこの上ないよ。毎日のように神様に会えるんだからさ! うらやましーなー」
「お前もほぼ毎日のようにここに来てるだろうが」
「…そこにだけ反応するんですか、そうですか」
「なにが言いたいんだ」
「べーつにー!」
聞きなれた拗ねたような口調。どことなく流れる静かな時間。沈黙の中にある気遣い。花が咲いた時のような、夕方の縁側で緑茶を飲んでいるときのようなほっとする空気感。そのすべてが心地よかった。
「両親は元気か?」
「うん、無駄に元気だよ。お風呂でいつも歌ってる」
「そうか」
「この間サッカーボールを買ったんだけどさ」
「弟にか?」
「ううん、自分に。それでリフティングの練習してたんだけど、あれ思ったより難しいね。頑張っても5回くらいしかできないんだよ」
「あれは難しいぞ。蹴鞠は昔よくやったが、苦手だったな。すぐ手を使いたくなる」
「ふふっ、蹴鞠って時代を感じるねぇ。そう、あれやってるとき手を使えないってすっごい不便だってしみじみ感じるよね。それで結局飽きてサッカーボールは弟にあげたのよ」
「喜んでたか? 姉からのプレゼントに」
「それがねぇ、弟、野球派だったらしくあんまり喜んでもらえなかったんだよねぇ。少しは嬉しがってたけどさぁ」
珍しくしょげているように聞こえる。
「サッカーボールで野球すればいいだろうに」
「そうなの! 私もそう言ったの! お姉ちゃんは小さい頃リカちゃんの着せ替え人形を持ってなかったから、代わりにお父さんの三菱零式艦上戦闘機五二型《みつびしぜろしきかんじょうせんとうきごじゅうにがた》を着せ替えて遊んでたんだからサッカーボールで野球くらいいけるよ! って」
「三菱零式艦上戦闘機五二型をどう着せ替えて遊んでいたのか気になるところだが。弟はなんて?」
「サッカーボールをバットで打ったりなんかしたら手首もっていかれるよ。だってさ」
「弟何才だっけ?」
「9才。小学三年生」
「…意外と冷静なんだな」
「かわいいけどね~」
それからも他愛のない話が続く。迷惑だと言っておきながら、なんだかんだこいつとの会話を楽しんでいる自分がいるんだと思う。認めたくはないが。
「夏休みは楽しんでるか? 死なないように死ぬほど遊べよ? もったいねーから」
「ほどほどに楽しんでるよ~。ここ一週間はちょっと忙しかったんだけど、これからまた暇になるから嫌というほどここに遊びに来るね! 覚悟しときな!」
「いやさ、夏休みにまで毎日のように神社に来るなよ、もったいない。 悪いことは言わない、おとなしく家に籠って夏休みの宿題でもするか友達と海にでも行ってろ? な?」
ガシッ、という音が頭の上からする。上を向くと、背もたれの格子が掴まれていた。
「…壊すよ?」
「まじごめん。勘弁してください。壊したらまた我もお前もあの鬼に怒られるぞ?」
以前こいつが格子を壊したときは我も一緒にこっぴどく叱られた。そのうえ一週間ほど供え物兼食事を半分にされた。苦い思い出。神様なのにこの扱い。
「いやーそれだけはほんとに勘弁願いたいね。ありゃほんとに鬼だよ。同い年とは思えない! 神社の子なのに鬼だよあの子は。……いや、悪いことをしたのは私たちなわけだし美虎ちゃんが怒ってもしょうがないというか、あたり前というか、怒ってくれたのは私たちの為なのであるからして、私は美虎ちゃん大好きだよ! とりあえず神様謝って!!」
「どうした急に、…ごめんなさいいっ!!」
察しがついた。
「なにを急に謝っているのですか、神様。何か悪いことをしたのですか? 私は怒ったほうがいいのでしょうか、なんたって鬼ですからね」
察した通りだった。美虎がいた。
夏の暑さのせいではない汗が背中から自然と溢れ出す。
「み、美虎ちゃん怒らないで。鬼っていうのはただの比喩表現だからっ!」
なんのフォローにもなっていないフォローがされる。
「そ、そうだぞ美虎。ただの比喩だ!」
もうとりあえず続いておいた。
「…自分たちが何を言ってるかわかってます?」
「制服も可愛いけど、巫女服似合ってるね…」
「さ、さいこー…」
「見慣れてますよねぇ?」
「「はい…」」
もう無理そうだった。地獄を見ることは覚悟しておこう。
神だけど。
神なのにな。
「はぁ、もういいです。怒るほうも体力使うんですから…。」
捨てる神あれば拾う神あり。助かった。神が神に拾われた。
「蒼子、もういい時間なのだから帰りなさい。可愛い弟があなたの作る夕食を待っているはずよ?」
「そうだった、はやく帰らなくちゃ! じゃあね美虎! また来るね神様!!」
「おう」
蒼子はいそいそとお菓子の袋を鞄にしまって、走っていく。
石階段を下りていく足音は蝉の鳴き声にも負けず、相変わらず騒がしかった。
「どうでした? 蒼子との時間は」
美虎がきれいな笑顔で尋ねてくる。夕日と重なって神々しい。
「退屈にはならなかった。…いや、有意義な時間だったかな」
「あら、今日は素直なんですね」
「なにを言う。我はいつでも素直だ」
社から出る。
一瞬蝉の鳴き声が止む。
夕日を全身に浴び、大きく息を吸い込み吐き出す。全身に爽やかな空気を感じる。外はこんなにも素晴らしい。日本もまだまだ捨てたもんじゃない。
「もう出てきてもいいのですか?」
「ああ、もう参拝客も暇人も来ないだろう」
「神様がそう言うのであれば、そうなのでしょうね」
「外の空気は美味いな。社の中は空気が淀んで深呼吸なんてできたもんじゃない」
「だから格子を壊したというわけではないですよね」
笑顔のはずの美虎からは黒いオーラが見えた。
「そ、そんなわけがないだろう。だいたい壊したのは我ではない。あいつだ!」
「ふふっ、わかっていますよ。でも可愛いじゃないですか、蒼子。理由が理由なだけにそんなに怒れないですよ」
「いや我には十分怒ってたように見えたけどな」
「そうですか?」
「ああ」
箒を渡される。共に境内の掃除をしろということらしい。構わないが。
「蒼子にも姿、見せないんですか?」
掃除の手を止めることなく会話を続ける。
「あたりまえだ。神の姿など人に見せられるわけなかろう」
「蒼子にも、ですか?」
「ああ。あいつを特別扱いするつもりはない」
「あらら、あんなに懐かれているのに」
「…なんだ、お前はあいつを特別扱いしろというのか」
「いいえ、そういうふうに聞こえたのでしたらすみません」
そう広くはない境内を二人で掃除する。深緑の季節故落ち葉はあまりない。代わりに蝉の亡骸が多く見つかる。寂しいものだ。
「神というのは本来実在してはならないんだ。認知はされど実在しない対象、それが神という存在だ。被信仰対象であり非信仰対象でもある。神が実在するとされたとき、人々は心の拠り所を一つ失うことになる。実在しないから頼りにするということもあるのだ。人はすべての原因、要因、現象を物質的にとらえられないことがある。最後の神頼みがいい例だろう。人は自分と周りのものを認知したうえで、最後の最後で目には見えない神聖的なもの、神にまで頼るほど強欲だ。それは悪いことではない。人はとりあえず神という存在を知っており、すべての願いが神によって叶うものではないといことを少なからず理解している。だからこそ頼る。神に願うこと、頼ることはすべての人に平等にあたえられた権利だからだ。願うことに対してなんの請求もない。神を一つの、ほんの些細な心の拠り所となってもらうだけでメリットはあれど特質したデメリットというものはないからな。そしてそれは反対方向にも向く。つまり、神のせいで、というわけだ。神が悪い。大切な人の病気、急死。天候の悪化、農業の不作。天災。その原因を神のせいにすることによって人は精神、心の安定を図ろうとする。それが決して神のせいではないと理解していてもだ。神とはそれほど曖昧な立ち位置に存在しているのだ」
「…つまり、神様が実在することによって、実在しないということで成立していた人の一つの心の拠り所という曖昧な立ち位置が揺らいでしまうということですね?」
「簡単に言えばそういうことだ。だからあいつもそうだが、美虎の一族以外の人に姿を見せるわけにはいかないのだ」
「会話はよろしいのですか?」
「会話はいい。それくらいの干渉では影響もでないだろう。現に我は運命を左右するような指摘や助言は行っていないからな。それに我が寂しいだろう!」
「最後のが本音のようですね。わかりました」
か、神とは常に存在し、実在してはならない。それは大変なことだ。人の心が生み出したまがい物と捉えられても仕方がないと思う。
「神ってのもこう見えて大変なのだよ。人は神を頼りにするだけ頼りにして、基本的には人生の大きな要因にはしていない。神社に信仰しにくるのも元日程度。寂しいものだよ」
「たしかに、そうですね」
掃除を一通り終え、社に向かう。
「だが、同じだけ嬉しいこともある」
社の前に置いてある茄子を手に取り、近くの水道ですすぎ、一口齧る。みずみずしくとても美味。太陽と、人のぬくもりの味を感じた。
「美虎も食べるか?」
「いただきますが、とりあえず夕飯にしましょうか」
「そうだな」
太陽もそろそろ沈んでしまう空が赤から紫に変わる時間。人も神も変わらず家に帰る時間。
夏の暑さを背中に受け止つつ美虎と共に本殿へと帰る。
「これにて閉礼。まだまだ捨てたもんじゃないこの国の人々にさらなる幸があらんことを」
もしかしたら続編を書くかもしれません。
その時はどうかまた温かい目でお見守り下さいませ。
評価、感想ございましたら、どうぞよろしくお願いします。