第四十三話 墓地に闇三体
ある人の生き方が非合理だといって反対するのは手前勝手なでしゃばりではあるまいか。
なぜなら、そのようにいうことは、その人の信念確定の方法が自分のそれとは違う、
ということをいっていることにすぎないからだ。
~ルソー~
案内された部屋は、華美で高級品に溢れているものではなく。かといって貧相で失礼に値するものでもなく。
寝具と机、そして本棚と化粧棚が置かれている。どれも装飾は施されてはいないが、しっかりとした作りで悪いものではない。
窓は一つ、夜はここから月明かりが差し込むのであろう。今は昼間であり、窓からは木にとまった雀の姿が見えた。
いろいろ言ったが、とどのつまりごく一般的な客室だった。
逆言えばこれほど自分が休まる部屋はない。
庶民代表と言っても過言では無いこの波才。そんな金持ちっぽい部屋に案内されても、緊張で逆に胃が痛くなってしまう。
「何でお前はそこまで嬉しそうな顔をする。目新しい物は無いと思うのだが」
「孫権どのの慧眼には感服しました。まさかこの私の希望を声に出さずして察するとは……」
「……蓮華様は別にお前の希望をくんだわけでは無いと思うぞ」
流石孫権!俺ら凡人には理解できない事を平然とやってのける!そこに痺れる憧れるぅ!
「目を輝かせるのは結構だが……(この男、見当違いか?冥琳様が評した『毒』というには少し……演技なのか?)」
目で見る限り、目の前の男には脅威は愚か、とてもではないがあの雪蓮様と打ち合える武人とは思えない。
「(試してみるか……)」
そう思い剣に手を僅かにかけ、背を向ける波才へと眼を細めた。
だがそれは扉を叩く軽い音によって塞き止められる。
「失礼します。お茶を持って参りました」
「おお、ありがとうございます」
口内で舌打ちを隠しながら、彼女は扉の前に位置する体をずらし、侍女を先へと促した。規則正しい、仕込まれた動きで侍女は机の上にお茶を並べていく。
「甘寧さんも飲まれますかな?」
「……結構だ。時間になったら迎えをよこす」
波才の誘いを断ると、足早に立ち去っていく甘寧。
扉が閉まりその足音さえも聞こえなくなると、波才はお茶と共に運ばれてきた茶菓子と共に寝床へと寝転がった。
侍女がお茶を入れ終わった事を見計らい、波才はわざとらしい大きなため息をついた。
「甘寧のやつ、えらく私の事を嫌っているようだ。腹の隠し合いは苦手と見える」
う~あ~と声を上げながら何がしたいのかしきりに寝具を寝転がる。まるで幼児のようなその行動を、侍女はまるで無いものを扱うが如く無視した。
「孫権さんは肩が堅い堅い、あれ本当に雪蓮の妹ですか?あ~もしかしてそこら辺を上手く分けちゃったから二人はああなのでしょうか。もっとも王としての采配は見た限りは上手い具合に分けられていませんが……」
一人何がおかしいのか笑う。聞く者が聞けば反意があると捉えられてもしょうがない。
そう、聞く者が聞けばの話だが。
「よくぞ絶妙な瞬間に来てくれました。あのままでは更に余計な不信感を煽ってしまったでしょうに」
「……はい」
「現状としてここの様子は?」
「……待機しているめぼしい将は孫権、周泰、甘寧です。兵力は周辺からかき集めても二千、高く見積もっても二千五百ほどかと」
「ふ~ん、隠しているのでそこまで兵は多くはないのか。むしろそれほどの数を集められることが恐ろしいと見るべきなのかもしれない」
微妙に頬を引き攣らせる波才は彼女に懐から紙を取り出して手渡す。無表情で侍女は手渡された紙一瞥して丸めると、胸の間へとねじ込んだ。
既にこの土地に孫策の妹が隠れ忍んでいることなど、黄巾党時代から掴んでいることであった。隠そうとすればするほど、波才は踏み込んでいく男である。いざという時に備えてここに明埜の配下を放っていた。
「明埜様からここでの指揮を任されております」
そう言ってその侍女はどうの入った礼を私に示す。随分とこなれているようだが、一体どれぐらいの期間ここで働いていたのだろうか。
そう言えば彼女は明埜の真名を許されている。珍しいことだと波才は目を見開いた。
明埜が真名を呼ばせるのであれば、彼女の腕は立つと見て良いのだろう。それ以上に、ここで私に彼女をあてているということは明埜が自分の替わりとして置いたと見るべきか。
「明埜様同様に私をお使いください。明埜様に及ばないまでも、死力を尽くし望む次第」
「それは明埜の命令だからですか?私だからですか?」
「失礼ながら、聞くに及ばないかと」
その言葉に思わず波才は笑いを零す。
淡々と言葉を述べてるが、その中身は実に無駄がなく、虚偽が感じられない。
随分と面白い人材だ。明埜が見つけていなければ、自分が彼女を召し抱えていただろうに。改めて目の前の女性に向き直ると、波才は静かに笑う。
彼女であればきっと今回の仕事をやり遂げてくれるに違いない。
「期待させてもらいますよ?」
「この任に報いられるよう、私の全てを貴方の下に」
ただ、ちょっと真面目すぎて苦手かもしれない。
普段から不真面目でちゃらんぽらんな空気の中で過ごしてきた波才。この空気になれず、オチはないものかと人知れず汗を流したのであった。
■ ■ ■ ■ ■ ■
「それで単経殿。……いや、波才殿とお呼びした方が良いでしょうか?」
「そうかしこまらなくて結構。そうだなぁ、まだ単経って呼んでくださいな」
「(……まだ、か)解りました」
軍議には、甘寧・周泰・孫権。そして波才によって開かれた。
もっとも今回は顔合わせという役割が大きい。名は高名なれど、所詮は外部の人間。どこの馬の骨ともしれない男を素直に認められるほど、戦乱の世は甘くはない。
孫権は波才を実の親の仇を見るような、虎の如き鋭き目を彼に向けていた。
自分の姉を認めさせる男。
この世界では男よりも、女の方が活躍している。そんな中で聞こえたのは黄巾を駆ける『波才』という存在。
名に聞こえたとしても、それを受け入れられるかは別の話。それも自分が目標とする姉に任せられていると知っては、内心彼女は面白くなかった。
甘寧は孫権ほどでは無いものの、好意的には接することは出来ない。
風評はよくとも、孫策からの信頼を得ていたとしても。腹に一物抱えた味方ほど恐れるものは無いのだから。
「それで単経殿。此度の戦い、私の姉である孫策はいかなる行動を私達に求めたのかしら?」
「はい、兵の一点集中。全てはこれにつきます。出し惜しみをせずに今ある全てを集中し、袁術を出し抜くと」
その言葉に波才以外の三人はそれぞれ決意を新たに頷いた。
もとより決起の機会は一度のみ、二度目を夢見る時点で策は成らぬと見て良い。孫家の飛躍の機会はこれ以降は訪れない。ならば全兵力の投入は当たり前のこと。
「しかし、周瑜様及び陸孫様はこれにもう一手いれるようで。ここにいる全兵力はいかほどですかな?孫権殿」
「合計二千ほどだが……」
「ではそのうち千をここにいる将で引き連れて向かうとしましょう」
「あ、あの」
波才の発言に思わず周泰はおずおずと声を上げる。
振り向いた彼を見てびくっと一瞬振るえた彼女であったが、なんとか顔を引き締める。
「それでは孫策様の命令と矛盾するのでは?」
「各地で反乱が起きているように見せかけるのです。袁術は自ら進んで出陣などという事はめんどうくさいとかでいつも通り孫策殿に任せるでしょう。これで自由の身となった孫策様は反乱に偽装している呉の兵力と合流、そのまま転身して袁術を滅ぼす。迅速に全てを治める事が可能な周瑜様と陸孫様らしい策ですね」
その策に孫権は舌を巻いた。
すごい、これならば時間をかけること無く。下手に勘ぐられることもなく兵を集めることが出来る。
他の二人も内心の高揚を抑えきれないのか笑みを隠し切れていない。
自らも信頼する二人の軍師は、確かな光を孫呉に与えてくれている。そう思うと嬉しさが込み上げてくる。
「ですが、このままでは不十分」
だがそんな事は知らないとばかりに水をさす者が居た。いわずとしれた波才その人だ。
一転して呉の陣営の空気が怪しいものへと変わってしまった。
当然であろう、自らが信じるもの、託したものの考え出されたもの全てを彼は台無しにしてしまった。むしろそうならないとは彼自身も思っていないだろうに。
「確かに、孫呉の兵はこれにて袁術の兵を上回ります。例え守りを固めても勝利を得ることが出来るでしょう。なんせ孫呉の兵は精強、かたや蜂蜜中毒の阿呆の軍。忠義は互いにあれど、練度の差は明白」
「……あやつらと我らの兵を比べる必要も無い」
甘寧が目を閉じながら肯定の意を示す。
それに波才は頷きながらも肩をすくめた。
「甘寧さんの言う通り。でもそれでも被害は出てしまう。時間はかかってしまう。私達にとって多角から見れば一の資産は、十にも百にも価値があるというに」
「じれったい、ようするに何が言いたいのだ」
そんな事は百も承知。孫権は苛立ちを抑えきれない。その価値がある時間がないことを目の前の男は解っているのだろうか。
睨みつけるも仮面のせいで表情を読み取れない。それがなおのこと彼女を苛立たせる。
「つまり」
「そ、孫権様!」
波才がいよいよ本題に入らんと口を開いたちょうどその時だ。
扉を開けて一人の兵士が軍議の場へと駆け込んできた。よほどの事なのか、額から汗を飛ばしながら息を荒く声を飛ばす。
そんな兵士を見とがめて甘寧はギロリと睨みつけた。兵士は状況を察し、すぐさま体裁を整える。
孫権は片目で波才の仕草を追いながら、兵士に声を理路整然とかけた。
「騒がしい、何があったの?」
「っは!ただいま入った報告なのですが」
■ ■ ■ ■ ■
「な、何じゃと!?」
「え~それって何かの間違いとかじゃないんですかぁ!?」
突如自らの兵がもたらした凶報。
袁術はつい先ほどまでものの見事に舞い上がっていた。
なんせ皇帝の皇帝たる証、玉璽を手に入れたのだ。これで自分はこの大陸一、あの姉であり何かと自分よりも目立っている袁紹を超えた存在になったも同然。
何を恐れる必要があるものか、帝。そう帝なのだ。絶対の権力者、絶対なる王。それが自分なのだから。
何よりこれで毎日いくら蜂蜜を食べてももんくを言う人間はいないだろう。
そう機嫌をよくしてこれからの優雅な日々を妄想していた、そんな矢先に入ったこの凶報。
ああ、なんて言ったのだろうか目の前のこの……。
えと……。
そのなんだ。結構自分にこのように情報を届けてくれる一般兵よりも上の立場にいる、その、この兵。確か名前を聞いていた気もするのだが。なんだ、まぁいいや。皇帝がこんな一兵士に気を使う必要など無いのだから。
ってそうではなくて。
隣にいる張勲、真名は七乃。自分の何よりの側近であり、常に一緒と言っても過言では無い彼女でさえも、突如舞い降りた凶報にてんてこ舞いになって目を回している。
頭に被った帽子がずれ込み、そのたわわな胸が彼女が飛び跳ねるごとにはずむ。それを見て何故かとても嫌な気分になる袁術。何故そうなったのかは自分の胸を見下ろせば分かるが、今はそれどころではない。
『呂布の軍がここへ目掛けて進軍。それに乗じて各地で反乱が勃発』
兵士が慌てふためきながら伝えた一報。
それはまさに天から引きずり降ろされたような思いを袁術にあじあわせることになった。
連合にて天下無双の武を見せつけ、消息不明となっていた飛翔呂布。
その恐ろしさは目にせずとも、耳には嫌というほどに聞こえていた。そう、その呂布が今、なんと、ここ目掛けて進軍中?なにそれ、冗談で言っておるのか?え、本当?そう……嘘なら今正直に言えば許してあげないこともないのじゃ?
え、本当?あほちゃうか。
加えて江東の各地を十万の農民達が占拠しつつこの城に向かっている。今後更に増えていくことだろう。
「何でも黄巾の乱の時に一人で三万の人間を殺したらしいわよ、今向かって来ている呂布って」
「ふ、ふえ~七乃~呂布を追い払ってたも~!」
「む、無理で~す!私なんかじゃとてもじゃないけれど勝てませ~ん!」
その場に居合わせた孫策が面白げに二人に声を掛ければ、二人は涙を流しながらがくがくぶるぶると体を恐怖に震わせ、ついには互いに抱き合っている。
「そ、それに他の反乱もどうにかしないといけないなんて無理ですよ~!呂布さんだけだったら立てこもっていれば何とかなるかもしれませんけど、それだと反乱を起こした人達の収集がつかなっちゃうし!」
「そ、それは大変ではないか!?七乃、早くなんとかするのじゃ~!」
「だから私じゃ無理ですってば~!私ってば基本的に城攻め専門?大量に生産した衝車で城門目掛けて一気にドーンッ!って戦い方しかできませんし?」
これが国のトップの現状だ。
ぶっちゃけよく持った方ではないか。むしろこのまま滅ぼされるべきではないのだろうか。
もっとも、今現在滅ぼされようとしているのだが。
「あ~もう。しょうがないわね、私が何とかするわよ」
「そ、そうじゃ!孫策がいるではないか!」
「そうそう、こういう時は孫策さんに全部任せるべきで」
「いや、二人にもでてもらわないとダメじゃない」
「「……へ?」」
固まった二人をよそに、孫策は込み上げてくる偏頭痛を必死に押さえつけた。
「あのね、皇帝を名乗るんだったら今ここで追い払うぐらいの気構え見せないと兵がついてこないわよ。どうせ袁術ちゃんが皇帝になれば周りの連中が攻めてくるんだから。ここで一回ぐらい前線に立ってないと、貴方の姉である袁紹に馬鹿にされちゃうわよ?」
「っむ、むぅ。それは嫌なのじゃ。でも呂布と戦うのも嫌なのじゃ……」
「大丈夫よ、私もついていくから。今まで姿を隠していたのに、ここで出てきたっていうことは大方食料などの物資がなくなってきたんでしょう。ここまで表だった噂はなかったわけだからね」
まるで親身に寄り添う配下のように、孫策は耳辺りのいい言葉を目の前の愚か者達に語りかける。
「つまりよ、相手の士気はそこまで高いわけじゃない。むしろ今までの放浪生活で下がっていることに間違いはないわ。いくら呂布が強いからって、軍全体が機能しなければそこまで脅威はないもの」
「でも呂布さんは三万の黄巾兵を皆殺しにしたって言ってたじゃないですか!?」
「所詮は民衆の反乱じゃない。正規の軍でもなく、まして訓練さえされていない連中。結果は二人も見たでしょう?私達は違うわよ。それに、これは良い機会じゃない。天下無双の呂布の軍を滅ぼして、『皇帝袁術ここにあり!』って大陸中に知らしめればいい。私達はいくらでもその為に協力してあげるわ」
「そ、孫策。流石じゃぞ!」
「じゃぁ、他の反乱を起こした人達はどうするんです?」
「確かに、そこまで回せる兵はないわよね」
執拗に追求する張勲にのらりくらりと言葉を返す孫策。
同じ状況で何故ここまで違うものなのか。
「そこでね、袁術ちゃんにお願いがあるんだけれど」
「妾に?なんじゃ」
「私の、孫呉の兵達を呼び戻しても良いかしら。そうすれば、この問題は全て解決よ」
「なんじゃ、それぐらいなら構わん!」
その言葉に孫策は深い笑みを浮かべ、拳を握りしめた。
そして両手を上げ、終わりとばかりにくるりと回って出口へと歩き出した。
「それじゃ、早速準備してくるわ」
■ ■ ■ ■ ■
「って感じだったわ……」
「それわぁ、まぁ……」
「何とも言えん。我々は今までそんな馬鹿に使われてきたのか……」
あまりにもあっさりと罠にはまった袁術。
もう拍子抜けどころではなかった。何だったんだろう、今までの苦悩は何だったんだろう。
そんな陰鬱とした思いが三人の間を無限に回り続ける。
孫策は頬を引き攣らせて苦笑い。
陸遜はいつものんびりとしており、その様子は今も変わらないように思える。が、よく見れば眼鏡がずれていた。
周瑜は嘆かわしいとばかりに、心労に耐えないその心を更に疲れさせられた。額から流れ落ちる汗が輝く。
「確かにそれはもう十分あれですけどもぅ、まぁ結果よければ全てよしということで」
「ん~そうなんだけどね。せめてもう少し骨があったほうがいいじゃない?」
「雪蓮、お前は本当にあの小童どもにそれを求めていたとでも?」
「……まぁ結果よければ全てよしね」
「……ふぅ」
「あははぁ」
三人は互いに目を合わせ、何とも言えない笑いをこぼし合った。
「にしてもだ、雪蓮。いくらなんでもやはり早計だったのではないか?」
「ん、そうねぇ。確かに動き出すには少し早い気はするけれど、曹操がこれからのし上がっていくことを考えれば少し遅いくらいじゃないかしら」
「違う、単経のことだ」
和やかでしまりのない空気が、一瞬にして張り詰められたそれへと変わる。
鋭き視線で周瑜は孫策を睨みつけた。
普段仲がよい、『断金の誓い』を結んだ二人だが、時節このように対立することは決してなくはない。だがそれは互いが互いを思い合えばこそ。だが今のこの空気はまるでそれらとは違う。
そう、今この場の二人は『主君』と『配下』となった。
「やっぱり、冥琳は反対?」
「ああ、私は反対だ」
そう、この件に関して二人は徹底的に意見が食い違っていた。
「私はそうは思わないわ。いずれ戦が取り柄じゃなくて、政の才能がある蓮華には孫呉の王になってもらう。その為には彼のような人間を見ておくべきなのよ」
「ああ、いずれかは必要となってくるだろう。だがな、私はまだ時期尚早だと見ている。あの男はまだ王という上に立つものであるのに対し、蓮華様は未だ家臣の域を出ていない。二人は対等ではないのだ」
波才のこの呉に対する立ち位置。これこそが彼女らの問題の種であった。
周瑜は孫策が妹である孫権の側に波才を送ると決めた時、顔を青くしてそれを咎めた。
『まだ、あいつを蓮華様の側に置くのは危険すぎる』
この言葉に対し、孫策は反論する。
『むしろ、今だからこそ波才を見せるべきなのだ』と。
「雪蓮、悪いが蓮華様はまだあの男と向き合えるように成ってはいない。あれは麻薬だぞ。一時の快楽と共に、狂気を振りまく。変わったのはあの男がいるからであって、あの男がいなくなればその効能を受けた人間は壊れるぞ」
「その麻薬程度飲み干す事ができずして、天下の後の世を任せる事ができるとでも?あの子とて孫家の虎の血が流れている。この私と同じ、母様と同じ血が流れているのよ」
そう言って手を握りしめる。血が手に集まり、白い肌が赤く染まる。
だがそれでもなお周瑜は食い下がる。
「その血は確かに流れている。だが目覚めてはいない」
「それを目覚めさせるのよ。今の今まで、袁術の目を隠すべく蓮華にはなにも教えることができなかった。だからこそあの子には強烈な匂いを嗅がせる必要がある。全てを目覚めさせるような、強い匂いが」
「目覚めるかもしれない。しかしそれが孫家に組するとは限らない」
それこそ周瑜が最も危惧していることであった。
その目覚めた蓮華は確かに強い心と信念を有することになる。そうなればもはや孫家自体に憂いはなくなるのだ。それだけであればわざわざここまで反対などしない。
だがその力を果たして孫家のために奮うであろうか。
周瑜は洛陽で見せつけられた光景を忘れてはいない。
あの異様な集団、そして死を構わぬ鮮烈な闘志、黒く歪んだ生きた死人達。
己の力で立つことを忘れた時点で、人は生きた死体と変わる。
自分の思いだと他者の願いを信仰し、恐れ敬う。牙の代わりに操り糸がついた剣を渡され、その全てを否定されて喜ぶ人形達。
見ていておぞましい、あれではただの洗脳ではないか。
あの一瞬で歴戦の将たる周瑜はその異常を見抜いていた。
確かにあれでは並の兵などかないはしない。まだ自らの命を捨てた死兵の方がかわいげがあるというものだ。
死兵は己の意志で立ち上がり、その命を全て預けるのだ。恐怖もある、苦しみも、痛みもある。だがそれすらも預けると値する者が存在するからこそ、全てを預けて彼らは戦う。誇りも、信念も、命も背負って戦ってくれる存在がいるからこそ命を賭して戦場で戦うのだ。
だがあの波才の兵達は違う。
意志も、誇りも、命も、信念も。全て無いのだ。
全てあの男に奪われ、空っぽになった中身にありったけの悪意を詰め込められただけ。
確かに人間としての形をしている。笑い、泣き、ふざけ、怒る。
だがその芯は違う。あれは人ではない。
ただ、従い奪うだけ。一人の波才という人間に引きずられているだけ。
そうなってしまえば血も何も関係ない。孫家の絆に陰りが生まれてしまう。
孫家のためである前に、波才のために動いてしまう。まだ未熟な孫権はそうなってしまう恐れがある。
例え天下太平を迎えたとしても、そうであれば全てが狂ってしまう。
「大丈夫よ」
「雪蓮!!」
「それに、もし何か私にあってからでは遅いのよ。せめてあの子の隣に支えになってくれる、特別な人がいればわざわざ私だって波才を行かせたりはしなかった。でも、現実にそんな都合のいい人はいないのよ。現れはしなかったのよ、冥琳」
一人、一人でも孫権の支えになってくれる人間。それは知を持って支えるのではなく、武を持って支えるという意味ではない。
心を支える。傷つき、自信を失って目を曇らせている彼女のために心から支えてくれる人間。
もしそのような者がいれば、孫策とて波才を向かわせることは無かっただろう。
孫策の言葉に納得しかねていた周瑜であったが、やがて結論がでたのか。
困り果てたように頭に手をやり、悩ましげに吐息を漏らす。
「……はぁ。分かった、私の負けだ。どっちにしろ既に賽は投げられたのだ。いまさらどうこう言っている私がおかしい」
「大丈夫、冥琳が私達の事を想って言ってくれているのはみんなわかっているから♪」
気苦労が絶えない、そう肩をおろして笑う周瑜。その顔に先ほどまでの暗雲の影は存在しなかった。
「だが雪蓮、そのような自分の命を軽んじるようなことは言わないで。私の今の王は貴方、この周公謹が仕えるのは他ならない貴方なんだから」
「そうですよ~まだまだ雪蓮様にはがんばってもらうんですから」
「……そうね、この胸にしっかりと受け止めておくわ」
「受け止めがいがありそうですねぇ」
「穏、お前は……まったく」
朗らかに笑う陸遜。呆れたように微笑む周瑜。
そう、これこそが孫呉の絆。この絆こそ絶対、この絆こそ永遠。
それを信じるからこそ孫策は波才を動かした。悪いが、波才程度で揺るぎはしない。それはあの男とて分かっている。
まぁ分かっていてもちょっかいはだしそうだが。
「さて、孫呉の一歩。ちょっと他に後れを取ったけれど、私達も歩み出すとしましょう」
その言葉に信ずる臣下二人は笑い、頷く。
だが、栄光の光り輝く道の影に潜む化け物が存在する事を、彼女達はこの時点で想像もしていなかった。
『海翁、鴎を好む』という言葉がある。野心を持つ者には、誰もが警戒をするという意味がある。
しかし警戒をすり抜ける者が存在する事もまた事実。
その事に彼女らが気が付くのは、だいぶ後の事となる。
味の素です。
一刀くんが孫呉に来ると思った?残念、波才ちゃんでした!
さぁって、笑えない冗談はこれぐらいにしといて後書き後書き。
自分が子供の頃に初めて認知したヤンデレは『犬夜叉』の桔梗だと思うのだが、どうだろう?
今思えば犬夜叉の珊瑚って自分の好きなキャラに凄い当てはまるという……。ポニテに黒髪にじゃっかんツンで戦えるとか私得。
最近読んでオススメしたい漫画は押切蓮介さんの『ハイスコアガール』。ホラーとか書いている人なんで、絵柄がちょっと気になる人は多いかも。でも女の子がマジでかわいい。買いたくない人は、古本屋で一回読んで見ることをオススメします。
自分もこんな青春書けたらなぁ……。あ。
当方の作品は、笑いと涙と青春のサクセスストーリーです。フラグもぽんぽん立つよっ!
うん、間違ったことは言っていないはずだ!