第四十話 格付けし合う乙女達
恋人のいる人間に友情を注ごうとすることは、喉の乾いている人間にパンを与えようとするようなものだ。
~ムーア~
「え~つきましては、昨夜の天和様との会話の内容をですね」
「別に必要無い」
言葉を遮られたからか、それとも純粋にイラッときたのかは解らないが、波才は顔を顰めた。
天和が幽州の居城に突入してから早くも一日経過した。
その間、白蓮は詠と徹夜で仕事をこなしていたが、天和が訪ねて来た翌日になって波才が何やら話す事があるという。
ふざけるな仕事をしろと激昂する詠をよそに、彼女は嬉々としてこの場に馳せ参じた。しかし波才の切り出した話題を耳にしたとたんに、その顔は苦い薬を拒む子供のように変わる。
白蓮はただ一言そう呟いて、入れ立ての熱い湯気が昇るお茶に手を伸ばした。
口に含むもやはり熱くて耐えられなかったのか、白蓮は激しく咳き込むこととなる。
「随分と落ち着いた回答ですが、行動が些かそれに相応しくないようで」
「うるさいっ!」
白蓮はじろりと波才を一瞥した後、火傷した舌を痛そうに口から出してちょいちょいと指でつつく。
真っ赤になった舌、案の定痛かったのか体を一度びくりと震わせて涙目になった。
「大体のことは既に明埜から聞いているよ、これ以上は必要無い」
「はぁ……。しかしそうは言っても」
前屈みになり、肩をすぼめて睨みつける白蓮。その姿はさながら嫌いなものを威嚇する猫の姿と相違ない。
この様子ではこれ以上話し合うのは難しい事かもしれないが、かといって引き下がれるような問題ではないと波才は考えていた。
今現在、波才が仕えている君主は白蓮。間違っても天和では無い。
幽州の頂点に存在する白馬将軍(笑)に彼は仕えているのだ。
加えて己の立場は軍のNO,2。というか軍部に関しては99%掌握しているといっても過言では無い。
そんな自分が『痴話喧嘩』を持ち込んだのだ。
曹操やら孫策やら劉備やら、あとおーっほっほっほが暗躍している最中に、国家の重鎮が痴話喧嘩を持ち込んだのだ。
はっきりいって某国の某大臣ならば、即刻マスコミにバッシングされてTVと新聞で報道。野党からのヤジと世論に押し流されて辞任に追い込まれてもおかしくはない。
現実問題、国の№1と№2の中が不仲になるほど、国にとって面倒な話はない。
波才は覚悟を決めた。
今、この時期に白蓮と仲違いになる。彼女が自分を疎ましく思い、策を聞き届けることが無くなるのであれば、決して袁紹には勝てないだろう。
いくら馬鹿とはいえ、その兵の数は十万にあと少しで手が届く。元来、戦とは大軍をもって小敵を滅ぼす事をいうのだ。真っ正面から戦ったのでは勝てるわけがない。
だからこそ、その信を問うために彼は腰にある隠し刀へと手をかけた。
「白蓮。もし貴方が私の忠義をお疑いになるのであれば、私の腕や足の一本や二本、この場にて切り落としましょう。王への忠義を尽くした要離の如く、例えかたわになろうともこの手で敵将を殺して見せます。」
彼が先ほど述べた要離の名は、孫氏にて登場する。
要離は酒屋の店主であったが、ある時彼が住んでいる呉の国へ慶忌と呼ばれる勇将が攻め込んできた。
大軍と精強な軍の前に国は滅亡するかと思われたが、孫氏は策を彼に授けた。
その策は自らの妻と子を王に殺させ犠牲にし、復讐を誓う烈士として敵に潜り込めというもの。
しかし彼はその策を受け入れた。だが自らの妻と子の復讐をさせてくれという彼の言葉を慶忌は疑う。
要離はその場で自分の腕を切り捨てた。
その後信頼を得た要離は敵将慶忌を殺害、国を救った。しかし妻を殺した自責の念から自らの命を絶ったのである。
白蓮は劉備と同じく私塾にて、勉学を幼い頃から積み重ねている。
それ故にこの話にはいろいろと思うところがあるだろう……。
「アホか」
一言で済んでしまった。
「何が悲しくてお前の腕とか足をもらわなくちゃいけないんだ。そんな暇があるのなら、書類のひとやまぐらいかたずけろ」
その言葉に、波才は思わず涙腺が熱くなった。
体が小刻みに震え、目頭にたまった涙が静かに流れ落ちる。
「……腕を切らせてください、お願いします」
「腕を切ってまで仕事したくないのかお前はっ!?」
いやなのだ、もうあの書類都市群は見たくもないし触りたくもなかった。
折角、詠という手駒……もとい雑用係を手に入れたというのに。
地獄に堕ちるのは、詠だけでいいのだ。そう、詠だけで良いのだっ!
■ ■ ■ ■ ■
「………」
「え、詠ちゃんどうしたの?」
「いや、その。何か無性に単経をぶん殴りたくなったっていうか……。というか何でこんなに沢山の仕事を私がしなくちゃいけないのよっ!これなんて太守がするべき竹巻じゃ……ってきゃぁっ!」
書類で都市部を再現している机の中心で、詠は思わず罵声を上げてしまった。おかげで周りの書類の展望台が、彼女目掛けて倒れ込み大変な事態になっている。
月は慌てて持っていたお盆を机に置くと、埋もれてしまって手だけが見えている詠をなんとか救出する。
だが助け出された詠の目は泥のように濁っていた。
「そうだ、月。単経をちょっとぶっ殺さない?」
「へぅっ!?詠ちゃんそんな自然に聞くような話じゃないよ!?そして私を誘わないでよ!?」
「月、私と月って友達だよね?」
「そんないい笑顔で頼んでも駄目だよ!?というか最近他人をどんどん巻き込んでいこうってところ単経さんに似てきているよ!詠ちゃん!」
「……え?」
■ ■ ■ ■ ■
「た、大変ですっ!詠様が首をつって自殺を図りましたっ!幸いにも月様が止められたようですが、混乱しており話せる状態ではないと」
緊急事態にに息を切らせて部屋に飛び込んだ衛兵。それを見て白蓮は眼をぱちくりと何度も瞬きをしている。
波才は一瞬で仮面を付け終えていた。
先ほどの衛兵の報告をようやく理解できたのか、白蓮は神妙な顔をして口を開く。
「ん?書類は全部終わっていたのか?」
「っへ?」
「書類だよ、書類。ほら、詠の部屋に山積みになっているやつ」
突然の問いに意図が分からず目をさ迷わせる衛兵。
だが先を無言の圧力で促す白蓮に慌てて姿勢を正すと、声を張り上げる。
「っは、はい!まだ数えきれぬほどの山がありました。しかしそれよりも詠様のご様態ですが」
「意識はあるのか?腕か足は動くのか?」
「っは!意識はありますが焦燥ぶりが激しく、話を聞くことも難しい始末でして。何やら混乱した様子で『嘘、そんなの嘘よ……』と繰り返していまして」
「じゃぁまだ働けるよな。っよし、休むなら全部終わらせてから休めって伝えておけ」
白蓮の言葉に思わず衛兵は抗議するべく口を開けようとした。が、白蓮の目を見て固まる。
その目は歴戦の戦士の目、幾多もの修羅場を乗り越えた女傑の目であった。
「なんなら、お前がやるか?」
「いえ、謹んで報告させていただきますっ!」
衛兵にだって、老いた母親がいるのだ。こんなところで無駄に命を散らす必要は無い。
世渡りのコツは至ってシンプル、『余計な事には踏み込まない』。
二人は互いにとてもよい笑顔で頷き合うと、衛兵は静かに扉を閉めて出て行った。
一方白蓮も静かに波才に向き直る。
「それで、さっきの続きなんだがな」
「はい」
「張角をどうするつもりだ?」
「その件なら既に済んでいますよ天和様方にはお帰りいただきましたから」
「……は?いや、あの様子だと意地でも帰らないと思ったが」
「薬盛りました。今頃馬車の中でゆっくりと寝ているでしょう」
「……お前ってさ、案外容赦がないよな」
「失礼な、手段を適切な事態にあわせて使い分けているとおっしゃってくださいな」
「それが容赦が無いって言うんだよ」
今頃馬車でゆっくりと寝ているであろう天和に、白蓮は同情せずにはいられなかった。
しかし、この男もこの男だ。おそらくこの件はこれでは終わらないのであろうと彼女は予感した。自分と仮にもあそこまで戦った女傑だ、ただでは退くまいし、帰るまい。
それを波才は解っているのだろうか。
白蓮はそう考えて波才の様子をうかがうが、彼もまた自分をどうやら見て何かを考えていたらしい。
普段似合わない神妙な顔をわざわざ作って口を開けた。
「白蓮は、天和様がお嫌いですか」
「感情的な部類を除いても、私はあいつが好きにはなれないかな」
「理由をお聞きしても?」
「あいつはお前の想いと考えを理解して、なおあんな事をしでかしている。好きにはなれないよ」
いつになく真面目に顔の白蓮に、波才はうなり声を短く怯んだ虎のように漏らしながら、ゆっくりと腕を組んだ。
「お前が守りたいもの、それが自分であることをあいつはよく理解している。だからこそ、それを利用して死に急いでいるお前を助けたいとあいつは考えた」
波才は話した拙い内容で白蓮は天和という人間を既に見定めていた。
仮にも一国をまとめる、見識を備えた王である。人を見る目ぐらいはそれなりに、それこそ普通に発達していた。
後は波才の話を聞けばおおよそ解ってしまうのだ。
おそらく孫策や曹操であれば、ただ見て話をある程度交わした段階でその人間を見定められるのだろう。だが部下を通してようやく解するというのは、実に彼女らしいと言える。
それが決して悪いことではない事も、波才は気が付いていた。凡人であるからこそ他の英雄に理解できない部分を彼女は考える事ができる。
「私はさ、死にたいヤツは死なせればいいと考えている」
「それだけ聞けば貴方の友達が相当怒りそうですね」
「馬鹿言うな、お前だから言っているんだよ」
呆れたように首を横に振る白蓮。
今日はいつもよりも気温が高い、開け放された窓から入り込む太陽を存分に浴びた風が、部屋の中を走り回る。
多少うっとうしさを波才は覚えた。むろん、白蓮ではなく風に対してだろう。
「やけになって死のうとしているやつなら止めようがあるが、覚悟を決めてるやつを止められる術を私は知らない」
呆れ果て、疲れ果て、そして一抹の悲しさを残してそう呟いた。
何故だろう、部屋の中は随分と温かく、心地よく。眠りを誘うのに十分な優しさを秘めているのにもかかわらず、何故か薄ら寒い。
「張角が語っている話は、所詮夢物語にしか過ぎない。何故なら、あいつはあいつの世界でしかものを語っていないからだ」
「天和様の世界……ね」
「まずあいつを見て解ったこと、それは張角は桃香と同じだってことさ」
「そう、つまり二人はキャラが被っていると」
「そういうことじゃねぇよ」
確かに見る人が見ればそう思うだろうが、中身はまったくの別物である。
中国版ドラえもんと正規ドラえもんの違いがある。
「あいつは特別って事だよ。私達凡人とは別物なのさ」
一目見た瞬間、白蓮は理解した。
溢れ出す精気、凡夫とは明らかに違う風格。あれは導かれる者ではなく、導く者だ。
劉備や孫策に曹操には及ばぬまでも、彼女らと共に歩む関羽や夏侯惇、周瑜と同じ力をかね添えていた。
「私達凡人は常に欠けている。産まれながらにして、どれだけ努力しようと泥を這いずり回って足掻こうとも、決して手には入ることが無い力。それをあいつは持っているんだ」
白蓮の目は波才を見定めるように細まる。
「お前は常に過去の亡霊に追われて生きているな、波才」
「今は天和様に追われていきいますけどね」
「まだ亡霊の方がマシだな」
「………」
「否定しないのな」
苦笑いを浮かべる波才。まるでいたずらに失敗した子供のような顔だ。
だがその裏に潜んだ苦労を、自分は理解している、理解せざるをえないと白蓮は静かに目を瞑った。
「私達は夢を見られない、何故なら夢は裏切る事を知っているから」
多くの者が夢を持っていた。
しかし彼らは次第にその夢を失っていく。何故ならその夢は自分の力では叶えられないと解ってしまうからだ。現実を生きていくために、現実の世界から飛び立つ事ができないために、人はいつしか夢を諦める。
夢は、凡人に魅せるだけ夢を魅せる。ただその夢は夜に輝く星と同じだ。
どれだけ、空に輝く星があろうと、それに憧れようと、決して手は届かない。
「私達は今しか生きられないんだよな。過去を、未来を生きる事ができない。泥臭く今しか生きる事ができないんだ。夢は私達には眩しすぎるんだよ」
英雄達は夢を受け入れることができる。どれだけ苦難を受けようと、世界が残酷で惨い仕打ちを彼らに与えようと、英雄達は夢をその胸に抱き続ける『力』がある。
だが、凡人にはその力は無い。無慈悲な現実の前に、人は立つことができず倒れ伏してしまう。夢を追い続けようとしても、足が前に進まない。血を流して這いつくばってでも進もうとして、涙を流し力尽きて倒れ伏す。
この世界を生きる人間は、夢を抱くにはあまりにも脆すぎた。
「お前は、他の数多の人間よりもその闇を解りすぎている。それなのに夢をお前は持った。その夢を否定できるほど、私は非情にはなれない」
「甘いですね。でもその甘さ、嫌いじゃないぜ?」
「そのキメ顔ウザイからやめろ」
波才はショックを受けたのか、肩を落として小さくなっていった。その普段からは考えられない姿は、なんともしおらしい。
だがそれはまちがいなく、純度百パーセントの演技だ。最近演技に細かい要素まで取り入れるようになってきた。
はっきり言って、うざい。
だがこのやり取りを何よりも愉しんでいる自分がいることも、また事実なのだ。
「項羽と范増の例がある。今の項羽が私、范増がお前だ。盲目になってお前を疑ってたんじゃ、項羽と同じ二の舞になり、勝てる戦も勝てなくなる」
「項羽ってほど貴方に覇気は無いですけどね。というかzeroコーラみたいにゼロじゃないっすか?」
「私は項羽ほど物わかりが悪くはない。項羽は強い、強すぎたんだ。だから見えるはずのものも見えない。だが私はそれを理解している、いや、お前に理解させられた」
「強すぎてもいけないですけど、弱すぎてもいけないですよね」
「私は、お前が私の事を裏切らないと信じている」
「今回も駄目だったよ、あいつは話を聞かないからね」
白蓮がやりきったように爽やかな笑みを浮かべると、一転して顔が般若へと変化した。
拳を叩きつけた机が、くっきりと拳の型ができて陥没する。
「お前真剣にやれやぁっ!折角の私の見せ所なんだぞっ!一応私だって女の子なんだぞっ!恋する乙女なんだぞっ!何が政だよっ、私をまつりあげろやこらぁっ!」
もうぐちゃぐちゃだった。白蓮の顔とか、白蓮の服とか、白蓮のプライドとか、白蓮のヒロインとしての立場とか。
いくら愉しんでいるといっても限度がある。
「何で前回あいつ(天和)があんなに女の子女の子していて私はこんな扱いなんだよっ!?」
「白蓮……天和様は千早、貴方は春香なんです。もしくは霊夢と早苗。ヒロインはヒロインでも、貴方は色物なんですよ」
「嘘だっ!私だって、私だって輝けるはずだっ!」
「いや、公式が華雄と同扱いしていた……」
「止めろっ聞きたくないっ!」
初代作品『恋姫無双』では、華雄と同じくCG無し。得点の小冊子にはエロCGがあったものの、華雄と抱き合わせであった。
はっきりいってまとめられた感が半端ない。
「ああ、もう取り合えずいいんだよっ!私はお前に賭けてるんだっ!お前が裏切ろうが私は構わないよ、お前に裏切られるんなら私もそこまでの人間だったってことだっ!」
「あの、私まで貴方の抱き合わせ商法に巻き込まれたくないんですけど……」
「そういう意味じゃねぇよ!その話第引きずるなよ!くそっもう知るかぁ、若本とでも絡み合ってろばーかばーかっ!」
「ちょ、なんですかその若本って!?」
涙ながらに扉から飛び出して行く白蓮。
何とも不吉な言葉を置き土産に置いていったが、見事波才にクリーンヒットした。
というかクリーンヒットし過ぎて笑えない状況になった。
「白蓮、いやぱいぱいちゃ~ん!……くそっもう見えなくなった。あの逃げ足をどうして他の労力に生かせないのか」
「旦那、旦那ガ言エルコトジャナクネェカ」
全て見ていたのか、明埜は呆れながら屋根裏の板を外して飛び降りてきた。
ちなみに降りた際に下着が見えるとかそういうサプラズは一切無い。彼女の服は常にだぼだぼだ。時たま歩くときに金属音が鳴り響く。
「旦那、ナンデソンナ残念ソウナ顔シテルンダヨ」
「いや、貴方にサプライズ求めるなんて。私も疲れているなぁと」
「サ……ナンダヨソレ」
時たまトリップする馬鹿二人に付き合うのが疲れたのか、明埜はため息混じりに自身の部下が知らせた報告の内容を述べ始める。
自分のご主人様がこのような奇行を白日の下に晒すのは、いつも通りのことだ。はっきりいって止めて欲しい。
だが、今波才に聞くべき事はそんなどうでもいいことではない。
明埜は爛々と輝いた目をぎょろりと見開くと、無邪気な子供のようにケラケラと笑う波才に詰め寄った。
「旦那、鞍替エシネェ?」
「鞍がぇ?」
「ソウ、鞍替エ」
明埜は現在の波才のあり方に危機感を募らせていた。
現在公孫賛軍の状況は非常に悪いものである。この乱世を行く抜くためには、どんなに汚くとも血と泥に手を染めるということが定石だ。
にも関わらず自身の主君があがめている女のなんと愚かな事か。色恋沙汰に目がくらみ、なおかつ偽善とも呼べる行いを自ら進んで行っている。
これが劉備であれば自分は恐らくは許せたのであろう。なぜならば、彼女は自らの行いに何の疑いも持ってはいないからだ。こころからそれを『正しい行い』と信じている。
他の者達も同じだ。彼女らは自らの信念に乗っ取り、『己独自の正義と定義』を持って動いている。そこに微塵の迷いも存在しないのだ。
だが公孫賛に到ってはうじうじと悩み、苦悩し、その上で自らも納得できないような結果を自ら教授している。
じれったい、実に見ていて馬鹿らしいものだ。理解しているならば、納得すればいい。解っているのであれば、行動すればいい。
なのに公孫賛は自分を時に裏切り、時に覆い隠して判断を下している。それが正しいと信じながらも、どこか疑問を覚えているのだ。
それはなんとも馬鹿らしい話では無いか。
「アンナヤツニ付キ合ウノモ実ニバカラシイ話ダ。コンナ見捨テテトンズラココウゼェ。ミタイ人間ナラ他ニモ山ホドイルジャネェカ。ナァニ、アイツニ必要ナコマハ用意シテヤッタダロウガ。後ハ枠外カラタノシモウゼェ」
「私がその案を飲むとでも?」
「飲ムワケネェダロ馬鹿ラシイ」
鼻先まで近づけていた顔を話すと、その場でくるりと回る。
さながらそれは壊れた人形のように空虚で、定められた動きを繰り返す歯車のように正確な回転だった。
「俺ガコノ世界デ、一番ムカツクコトハ『公孫賛シカ旦那ト一番近イ存在ガイナイ』ダトイウコト。アノオ気楽年中春頭ノアホ姉妹デモ、曹操デモ、孫策デモ、劉備デモネェンダ。『公孫賛』ッツウ馬鹿シカ旦那ガ心許セルヤツガイネェッテ事ガ、ドウシヨウモナクイラツイテショウガネェ」
それは明埜の偽りのない本心であった。
例え天和が波才の事をその命投げ出してまで救おうとしたとしても、彼女もまた劉備や曹操と同じ種別の人間でしかない。天和もまた舞台の上で演ずる役者の一人だ。
魅力が人々を魅了して崇拝させ、ごく一部の人間しか上り詰める事ができない頂きに立つことができる人間の一人なのだ。
それに対し、波才はあまりにも格が低すぎた。
確かに彼自身が持つ知識はこの世界においてとてつもない力を持っている。
波才の政略や知識、武具や兵器に加え戦略、農耕や経済に商業。そのどれもがこの時代には無い天下へ到る可能性を秘めている。
1800年後の知識はそれまでの偉人や歴史が積み上げた『龍』と呼ぶべき力を持っている。
だがしかし、その知識は所詮いずれか人が辿り着く『積み重ねられた力』でしかない。
国を幾多も滅ぼした王。何万人もの飢餓を救った研究者。古くからの言い伝えや伝記により積み重ねられた伝承。進化し続けて生きた技術。
決して、それは波才自身が生み出したものでは無い。あくまで彼はそれらの数多の人間達が生み出し、造り上げてきた歴史を教授されたに過ぎない。
それらの知識は波才本人の『人間としての格』を示すものではない。波才本人の魅力を表した功ではない。
幾千、幾万、幾億の英雄と凡人達の結晶ともいうべき宝を、彼はただ使っているだけなのだから。
そこに波才というべき確固たる存在は何もありはしない。ただ波才という『凡人』が、それを振り回しているだけに過ぎないのだ。
明埜は決してそれを馬鹿にはせず、笑うこともしない。
むしろ波才は凡人の中でも特に傑出した凡人であった。持つべき知識を適当に使いこなし、利用するべき力は躊躇いもせず実行する。
『王』という存在に、たかが『学び通した知識』だけで渡り合ってきたのだから、波才の血の滲むような覚悟が見て取れる。
されど人間としての『格』は、産まれながらにして決まっている。いくら努力をしようとも、同じ人間は一人として存在せず、故に『格』は決まってしまう。
努力して大成する者もいる。だがそれはそういう人間であったからだ。成るべくして成っただけなのだ。
「ソノ公孫賛スラ、モウ旦那ト同ジトコロヲ飛ビダシチマウ。所詮、俺ラニアガル舞台ナンザアリハシナカッタノサ、旦那。俺ラハアマリニモ『コノセカイ』デ孤立シテイル。ダガナ、ソレデモ俺ヤ琉生、美須々ハコノセカイニ立ッテイル。居場所ガアンダヨ」
かつては白蓮も波才と同じ存在であった。
だが白蓮には劉備や曹操、孫策ほどではないものの、波才にはない『格』を持っていることに波才は気が付いていた。
董卓や袁紹と同じ、舞台の上に上がるだけの『格』を持っていたのだ。
「ダケドヨォ、旦那ニハソノ居場所スラネェダロウガァ。俺ラミタイナ泥ト糞ニ塗レテ死ンデイクヨウナ女、踏ミ台ニサレテ死ンデ逝ク雑兵ニスラ居場所ガアルノニ旦那ニハネェ。ナァ旦那、旦那ハイッタイ何ガシテェンダ?居場所ガネェ人間ガ、コノセカイヲ楽シメルワケガネェ」
明埜は今まで隠し続けてきた疑念を波才に打ち明けた。
この男は異常なのだ。誰にでも存在する価値や意味があるというのに、波才自身にはそれがない。まるで落丁した本のページの如く、このセカイという本から彼のページだけが抜け落ちている。
『つけたされた存在』ではない、『抜け落ちている存在』なのだ。
だとすれば、この男はこのセカイで真の意味で孤立している。
だがそうであれば、その精神を正常に保てるはずがない。普通でいられるわけがないのだ。
「……死人に居場所なんてあるわけないでしょう」
『死人』、その言葉に明埜は激しい違和感を覚えた。
自分が知る『死人』と彼が語る『死人』では、そのニュアンスに激しい差が感じられたからだ。この男が語る『死人』は間違いもなく、ただ一片の曇りもなく『死』に染まっている。生者が語る『死』ではない。
ならば自らの主君は死んでいるというのか。生き方や人間としてではなく、確固たる『死』を得ているのか。
そんな馬鹿げた話などあるわけがない。人間は殺したら死ぬ、殺されたら死ぬ。死して生ける屍などあるはずがない。
体験したことのない寒さが、背中からゆっくりと頭部に込み上げてくる。
これまで幾度となく感じた死の境界線が、急に曖昧になった感覚。白と黒の汚濁。
咽の渇きを覚える明埜に、波才は笑いのない笑いを浮かべた。
「明埜、貴方はとどのつまり私に何をして欲しいのですか」
「……公孫賛ノ妄言ニ耳ヲ貸サズ、旦那ノヤリ方デアイツラヲ殺ス(・・)。絶対ニソノ領域デハ俺ラガ勝ツ」
『戦う』ではない、『殺す』。
戦いとは結局のところ『正道』にのっとり戦うこと。英雄達や傑物達の土俵に上がることを意味している。
そこに凡人の居場所など無い、『格』を持たぬ者達に『正道』は『忌道』でしかない。まず勝てるはずのない戦いである。
英雄同士、傑物同士の戦いならまだしも拮抗する事すらできずに死んでいくことだろう。
だが、そんな英雄達が何故英雄同士の戦い以外に敗れてきたのか。
答えは簡単である。『忌道』を持って『格』を持たぬ者は英雄達を殺してきたのだ。力を持たぬ者は、力を必要としないやり方で英雄を殺し貶めてきた。
天下に覇を唱えんとした小覇王孫策は暗殺された。毒を用いることで、落とせぬ巨星を堕とした。
日本の最高峰である鬼、酒呑童子は酒を飲まされ、騙されて寝ている間に首を切り落とされた。
ローマ帝国の帝政を築き上げた王、ガーイウス・ユーリウス・カエサルは己の配下達に裏切られたことによりその命を奪われた。
無敵の軍を持つのであれば、その将を暗殺すればいい。暗殺できぬのであれば、兵達に毒を盛ればいい。毒を盛れぬのであれば、その将や兵の家族を盾にすればいい。
正面から『正々堂々』などと戦う必要などありはしない。そしてこの土俵においては、『格』などというものは何の役にもたちはしないのだ。
「今ノ旦那ナラソコラ辺ハ容易イダロウゼ。袁紹ノ警備ハザル、顔良ト文醜モ寝込ミヲ襲エル。孫策、劉備モイケルゼ。アイツラソコラヘン甘ク見テヤガル。唯一曹操ハ難シイガ、不可能ジャネェ。全部殺セレバ、後ハ馬骨バカリダ。小石ニ躓クホド俺ラハ弱クネェカラナ」
明埜はこの『忌道』においては、他のどの軍にも劣らぬ力を持っていると確信していた。
自分が率いる忍びに加え、波才の持つ知識はこの面において勝る者はいない。いかなる存在であろうと、眠らず食べずでは生きられぬ。
毒でも良い、刃でも良い。この『忌道』において公孫賛軍に勝る者はこの大陸にはいないだろう。
「却下」
「ダト思ッタヨ」
予想通りの回答に明埜は降参と両手を挙げた。袖からにゅっと現れた腕は、病的に真っ白であり、まるで雪原のような透明感があった。
「白蓮がやれっていうのならともかく、そんな事勝手にしちゃいけんでしょう?常識的に考えて」
「ワッカンネェナ。アイツニソコマデイレコム必要ナンテアルノカヨ」
「私、彼女の事好きですから」
その言葉に思わず明埜は唖然として固まってしまった。棒立ちになったときに服の中の留め具が外れたのか、何本かの棒手裏剣が落下して独特の金属音が辺りに鳴り響く。
「私は嫉妬深い。あの天和様ですらそのような色眼鏡で見てしまう。そんな私が気兼ねなく接する事ができるのが彼女であり我が主君。まぁようするに」
気に入ってるからしょうがないじゃないですか。
波才が心からの思いをそのままに声に出して明埜に伝えた。
明埜は波才が言っている言葉が想いを秘めているわけではないと分かると、安心して硬直した筋肉が緩くとけていくことを感じた。
そして同時に言いようのない楽しさが込み上げてきて、思わずクスリと笑いが零れてしまう。
「……気ニ入ッテイル、ソンナラショウガネェワナァ」
「ええ、しょうがないのです」
どうやら自分はとんだ見当違いの考えを起こしたものだ。
波才は公孫賛が普通で無くなろうとも、自分よりも上の『格』に成ろうとも、公孫賛自身を気に入っているからどうでもいいらしい。
何とも腑抜けた答えではないか。しかしこれ以上に自分の主の口から飛び出す言葉が、不思議と見つからないこともまた事実。
何だかんだ言って、結局二人は仲が良いのかもしれない。
呆れてものも言えない明埜に、波才は嬉しそうに両手を広げて微笑んだ。
「我 人に背くとも 天下の人 我に背かせじ」
波才は結局のところ、セカイのことなどどうでもいいのだろう。
何人にも理解されず、何人にも犯させない覚悟。それは一度死んだ故に手に入れた唯一の愉悦。
「この乱世においては、強者のみが仁義を語れる。ならば私達が仁義を語る必要など何も無い」
弱い、弱いが故に見えている境地がある。
社会的弱者にだけ見せつけられる現実が存在する。
「もし白蓮が仁義を語るのであれば、私の首を切るべきだった。それを壺に入れて都に送れば千金がもらえたものを」
白蓮は結局のところ、清濁併せ持つ事を選んだのだ。
実に人間らしい答えではないだろうかと波才は語る。
「ナァ旦那。旦那ハ忠義ノ志カイ?ソレトモ奸悪ノ徒カ?」
「昔からよく言います。大奸は忠に似て、大義は真に似ると。忠義も奸悪も上辺だけでは理解できまいて」
「ナァ旦那。モシ公孫賛ガ旦那ヲ見誤ッテイタトシタラ?」
「出会った森で私を見誤り、今日また彼女が私を見誤ったとして。私は同じ、どう思われようとも構いません」
「ソコマデ考エナガラモ、ナオ旦那ハ物語ノヨウナ理想ヲ求メルノカイ?」
「いいではないですか。物語の、それこそ夢物語のような現実があったとしても。もしそのような現実が信じられぬと言うのなら、それは信じられないその人間自体の理想が貧相だったということですよ」
「チゲェネェナァ」
いずれか、旦那は破滅を迎えるのかもしれない。何が救いであるかももはや旦那の目には解らないところまできているのだろう。
だったら、自分がその破滅を看取ってやるのもいいのかもしれない。
たった一つの切望する願いさえも叶わないセカイならば、それはこのセカイが間違っている。
少なくともこの人はセカイを愛しているのだ。にもかかわらず裏切られるのならば、そんなセカイは認めない。
「(……マァ、例エ旦那ガセカイカラ裏切ラレヨウト、アノ二人ダケハ裏切ルコトハナイダロウ。案外、ソレガ旦那ノ救イナノカモシンネェナァ)」
そこまで考えて、馬鹿らしいと心のどこかに投げ捨てた。
とてもじゃないが、そこまで面倒は見る必要はないだろう。
「それで?明埜は何故ここへ?それだけじゃないのでしょう?」
「アア、本題ニ入ルカ。曹操ト馬鹿ノ間諜ガ多スギヤガル。……ソロソロデカイ動キヲミセルヨウダ」
「曹操の狙いは?」
「十中八九、西涼ダナ。ドウヤラアノゲジマユニ食指ガ動イタラシイゼ、アイツノ頭ハ天竺辺リニマデブットンデヤガルカラナ」
「そりゃあの子と馬鹿の二択だったら間違いなく馬超を選ぶでしょうに。誰だってそうする、私だってそうする」
「マァ、馬鹿ノ方ハ髪型ガトチクルッテルカラナ。俺ハテッキリ同族意識デ馬鹿ヲ狙ウト思ッタガ」
楽しげに会話をする二人、だがその中身は相当黒い会話であった。
見ていて実に胃が痛くなる。心なしか、窓から差す光に陰りが伺えた。
「ッデ?ゲジマユハドナイスンノ?コノママジャ曹操ニ滅ボサレルコトニナルガ」
「ポニテ娘は確かに貴重ですが、今は放っておくしかない」
「イイノカヨ、妨害グライハデキルゼ?」
「下手にこちらのやり方を知られるのは不味いんですよ。あの子、多分同じ方法は二度も通じない人間です。実に面倒くさい」
「胸ト同ジク頭モカラッポダッタライインダケドナ」
「ですよね~」
互いに声を出して盛大に笑い転げるが、内容は本人に聞かれたら斬首どころか一族郎党皆殺しだ。
「仕込みは?」
「馬鹿ノ方ハ済ンデル。曹操ハナァ……同ジ変ナ髪型ナノニコウマデメンドクサイトハ」
煩わしそうに首をかく明埜に、波才は苦笑した。
この姿だけ抜き出せば、ただの少女と同じ。年齢的にも明埜が一番年下であり、現代であればまだ高校半ばほど。
だがその話は持ち出すだけ野暮というものであろう。決意と信念に年齢などと言うものは一切関係がないのだから。
「んじゃ、猿方面はどうでしょう?」
「猿?アア、馬鹿二号カ。問題ネェヨ、元々馬鹿ガ二乗サレタヨウナヤツラダ。問題ハソノ下ノ連中ダロウガ」
「あ~孫策さん達?今どんな感じですか?」
「猿ニ一芝居打ッテヤガル。ソロソロ動ク」
「ふ~ん。……そうなんですか~」
あ、こりゃ絶対連中にとって良くないことが起きるな。そう思い明埜は微笑んだ。それは良い笑顔で。
波才がこのような意味深い響きを含ませた声を漏らすときは、十中八九何か悪いことを考えている時だ。
「旦那、イヤイヤイイナガラ結構戦ウノ好キダロ?」
「失礼な、小悪魔的要素の戯れ程度です」
悪魔に小さいも大きいもあるのだろうか?
次回からは孫呉に波才がお刺身を食べにいきます。
そういえば、友達に二次創作って何が好き?と聞いたら『なのは』のクロス系と答えました。じゃぁ『されど罪人は竜と踊る』でクロス合うよなっていったら止められました。
皆さんは、なのはクロスは何と合うと思いますか?
『型月』だったら友達Aと仲良くなれるでしょう。
『テイルズ』だったら友達Bと仲良くなれるでしょう。
なのはだって言っているのにハイスクールD×Dと女神転生のクロスってよくね?とか抜かしている人は作者です。