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黄巾無双  作者: 味の素
女難の章
52/62

第三十九話 告白せずして、何がヒロインか

愛する人が死ぬなんていうことは、絶対にありえない。

愛は不滅のものであるから。


~エミリー・ディキンソン~

 漢という国が機能しなくなり、大陸の幽州は公孫賛が実質支配していた。


 かつては民に『え~公孫賛?』『きも~い』『公孫賛が主君として許されるのは、三国時代前までだよね~』と言われて名のある人材に避けられてきた幽州。


 しかし商人達には極めて人気の公孫賛軍。

 史実と同様にこの世界でも公孫賛である白蓮は多くの商人との談合を計り、信頼を集めて独自の市を築き上げ、商人の誘致に成功していた。


 そのため白蓮の居城では、毎日多くの物資が行き交っており、店や屋台が所狭しと大通りには開かれていた。

 主君や軍師すらお昼時にはやってくる食の街道。そこには公孫賛軍の将軍達の姿があった。


 

 「オヤジ、ラーメンカタメスクナメ。カラメマシマシニンニクマシマシヤサイ」


 「……へっ?」



 聞き慣れない呪文を繰り出した明埜に、思わず華雄は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。



 「……ラーメンアブラヌキ。ニンニクスクナメチョモランマ」


 「……は?」



 続いて普段無口である琉生でさえも、流暢な口調で明埜と同じように呪文を発言。

 華雄は店主に視線を向けるも、店主は当たり前のように『へいっ』と呟いてメモをとっている。


 なんだ、なんだこの店は。


 額から汗を流す華雄をよそに、明埜は早くしろよと注文を急かす。琉生と店主はただじっと華雄を眺めている。



 「オイ、サッサト頼メヨ」


 「そ、そのだな。ラーメン大盛りで、頼む」


 「……もしかして、ゼンブマシマシチョモランマですかい?」



 その言葉に華雄は首を縦に振った。

 よくは分からないが、たくさん食べられるのだろう。



 「う、うむ。それだっ!」


 「「……っ!?」」


 

 その言葉に隣に並んだ明埜と琉生は目を見開き驚いたように華雄を見つめる。

 二人の視線に不思議そうにする華雄。店主はそんな三人に不適な笑みを残して店の奥に消えていった。



 「な、なんだっ!何か私に言いたいことがあるのかっ!?」


 「イヤ、オ前ヨク食エルナ。アレ」


 「……」



 感心したように華雄を眺める明埜と、何度も頷く琉生。

 何か嫌な予感がしたが、それを振り払うように華雄は話を切り出すことにした。



 「ま、まぁいいではないか。それよりも本当にあれを放っておいて良かったのか?」


 「良イワケネェダロ。マサカアイツラニ監視ヲマカレルトハ……思ッテモミナカッタワ」


 「へ?あの女達に監視をつけていたのか?」


 「旦那ノ要望ナンダワ、最近ハ人員割ケナクナッテ一人ダッタケドナ。旦那モソレデイイッテ言ッテタカラ問題無ェト考エテタンダガ」


 

 包帯で顔の表情は分からないが、疲労の色が隠れ切れていない。

 ぶっちゃけ明埜はあいつら全員変なキノコ食って死んでくれないか、とさえ思っていた。

 


 「……ヤッパ戻ルワ。何人カ残シテキタガ不安デシカタガネェ。琉生?頼ンダヤツ食ベテクレネェカ?」


 「………」



 苦虫を噛み締めたような顔で明埜を睨みつける琉生に、華雄は仕方が無く手を上げた。



 「むぅ、琉生の代わりに私が食べても構わんぞ?」


 「……吐クナヨ」



 明埜の意図が分からず頭上に疑問符を浮かべる華雄を残して、明埜は席を立つと足早にのれんをくぐって店を出て行った。

 背後から『な、なんだこれはっ!?』と非常に切羽詰まった華雄の驚きの声が聞こえたが、あえて聞こえないふりをして城へと急ぐ。


 ちなみに彼らが入った店は「ラーメン三郎」と言う、大陸一をのれんに掲げるほどのボリュームと大味の店であり、ある種の中毒性を秘めたラーメン店である。

 後に『飛翔』こと呂布が華雄と同様のものを注文したが、三杯食べて他に何も食べられなくなった事で知られている。







 ■ ■ ■ ■ ■


 

 波才はただただ呆然とその場に佇んでいた。

 ああ、今自分が見ている光景は現実なのだろうか。



 「ははは、第一ね。貴方って何かすぐ死にそうな顔しているのよ。友達に散々利用されたあげく、たった三行ぐらいにまとめられてはい死んじゃったみたいな残念臭がするんだ。そんな残念臭がする人と波才さんを一緒にしていられないよ。波才さんに移っちゃうじゃない」


 

 ああ、天和様。

 大変お元気そうで何よりです。でも元気の方向性をどこか間違っているんじゃないかい?

 白蓮の存在を消しにかかってるぞ、おい。



 「ははは、お前だってなんだ。事前の期待番付で袁術に人気負けしそうな顔をしているじゃないか。何だ、お前の言ういい女は袁術以下の女なのか?だとしたらずいぶんな女じゃないか」

 

 

 白蓮、お前ってそんな風に結構気が強かったんだな。

 うん、アイドルである天和様にとってそれは黒歴史なんで触れないであげてくれ。

 


 「単経さん……」



 うん、人和様。

 この人達が怖い気持ちは痛いほど分かるんだ。ただその抱きついている自分の腕が、きつく抱きしめられすぎて青くなってきてるんですけど。


 汗がにじむ顔で人和を波才は見つめる。

 そんな波才に人和は頬を薄く紅色に染めると、ちらちらと顔を窺いながら更に腕の力を強める。



 「波才さんだったら……いいよ?」


 「いや、何が?」



 思わず素になってしまった波才は恐らくは悪く無いだろう。

 何せ文脈がまったく繋がらないどころか四次元を経由しているような状況だ。はっきりいって関わりたくない。


 

 「あ、あの主?」


 

 聞き覚えがある声に振り向くと、そこには若干顔を青くした美須々の姿があった。



 「今北産業」


 「は、はい?」


 「いえ、なんとも。明埜と琉生は?」


 「街に、その、ラーメンを食べに行くと」


 「……私も行ってはいけませんか?」


 「疑問形になっている時点で、主は何をすべきか分かっておいでなのでは……?」



 おどおどしつつも厳しい指摘をやってのけた美須々に、思わず苦笑する。


 周りをよくよく見まわすと、唖然とする兵達の他に明埜の忍び達が複数ところどころに忍んでいた。

 関わるのは無理だと判断しても、しっかりと行き過ぎないように配下を置いていったらしい。


 確かにこの状況で下手には動けない。だがこの有様が他国に漏れても不味い。

 そこら辺の配慮は行ってくれていったらしい。



 「人和様、天和様はいささかご乱心のようですが。このような予兆はありましたか?」


 「ありすぎて困ったわ」


 「……そ、そうですか」



 何故それを教えてくれなかったのか、そんな質問は彼女の笑顔を見たことで出来なくなってしまった。

 例えるなら聞いたら奈落の底に落とされるような笑顔であった。



 「今は天和姉さんなんてどうでもいいじゃない、私がいるんだから」


 「はぁ……あの、では地和様はいずこへ?」


 「今は地和姉さんなんてどうでもいいじゃない、私がいるんだから」


 「……そ、そうですか」



 これはドラゴン○エストで、村の入り口の住民に声をかけるようなものだと無理矢理納得させる。

 あいつらは何を聞こうと「ここは○○の村です」としか答えない。今の人和様も同じ状態なんだ、そうに違いない。



 「あの、では悪いですがこの腕を放してくれませんか?」


 「波才さんは、私の事……嫌い?」


 「大好きですけど何か?」



 一切躊躇いのない回答であった。その言葉に満足げに人和は頷く。


 さて、これが天和であれば恐らく意地でも彼の手を離さなかっただろう。

 だが人和は彼女よりも計算が出来る、『デキル女』であった。



 「……仕方がないわよね。姉さんもあのままにしておくわけにはいかないもの」


 「その、申し訳ございません」


 「いいの。でも、私のためにいつか都合を付けてくれたら、嬉しいかな?」



 儚げに、かつ上目遣いに頬を朱色に染めて手を握りしめる。

 先ほどまであった積極性はなりをひそめ、一つ一つの言葉を噛み締めるように。そして強制ではなく、あくまで一歩退いたお願い。


 

 「……はい、休みが空き次第人和様にお付き合いいたします」


 

 故に何の迷いも無く波才は笑って頷いた。

 もっとも彼の目に移ったのは素直で可愛い人和の姿。ただその中身は姉以上に狡猾な兎であった。



 「……気をつけて、必ず帰ってきて。単経さんに何かあったら……私、私ッ!」


 「人和様……」



 一歩踏み出した波才の服の裾をつまみ、涙目で俯く人和。


 普通ならばここで終わりだが、人和は追撃の手を弛めない。

 自分の普段無い出番を最大限に生かすべく、戦争に出向く夫の帰りを待つ妻の如き演技を実行する。

 これにじーんと来ない男はいない。それは波才ですら例外ではないのだ。



 「単経さん、単経さんは……約束、破らないよね。あの時と、同じように帰ってきてくれるよね?」



 ……何気に共同戦線を誓っていた地和がいないときにFULLで行っているのは、意図的なのかどうかは定かではない。


 

 「大丈夫です、必ず、必ず戻って来ます。……まぁ、流石に二人同時は骨が折れるというか死ぬというか。あの間に入る度胸は無いので一人ずつ話し合うつもりです」


 「うん、がんばって」



 去り際にこれ以上ないくらいの男らしい顔で笑う波才。笑い返す人和。

 再び歩み出す一歩は実に力強い。


 そして波才は最後まで、背後で強かな笑みを浮かべている人和に気が付かなかった。


 

 「……計画通り」



 まるで新世界の神のように人和は笑いを隠せていない。

 くすくすと忍び笑いを溢す彼女に、美須々は頬を引き攣らせながら近づく。



 「その、人和さん。もしかして、全部演技?」


 「全部、本気で本当に演技しているの。それは演技じゃないと私は思っているわ」


 「……そ、そうっすか」


 

 良い笑みで笑い返す人和に美須々はただただ汗を流すばかりであった。

 もし現代に彼女が降臨していたならば、日本だけ、中国だけではなく、世界中を虜にする大女優へと姿を変えただろう。


  




 

 ■ ■ ■ ■ ■ ■





 「ようやく二人っきりになれたねっ波才さん!」


 「なれたというか、ならざるを得なかったというか」



 冷静に考えて、あの二人の間で右往左往していたら収集がつくわけがないのだ。

 そもそも油と水は何をしようと交わるものでは無い。無理矢理かき混ぜようが、何をやったって解りあえることはないのだ。


 だからこそ、彼らを中和できる酢を入れる必要がある。

 例えるのなら、餃子のたれを思い浮かべればいい。醤油とラー油だけでは、微妙な酸っぱと辛さのたれにしかならない。酢を入れることでようやくまとまった餃子のたれとなるのだ。



 「でも私はお酢が嫌いだから醤油とラー油だけでいいんですけどね」


 

 話をいきなり台無しにした。

 今にも鼻をほじくりそうな、なんともだらけた雰囲気を出す波才。しかし彼とは反対に天和は実に良い笑顔をしていた。

 まるで女神のような笑顔だ。



 「波才さん、せっかく二人っきりなんだから私だけを見て。他の路傍の石ころなんて私達の前じゃ粉々に砕け散るんだよ」


 「私達は何かの超兵器ですか天和様」


 「そうだよ、愛の力だよ」


 「愛って物理でしたっけ。重いとはよくいいますけれど」


 「愛があれば物理的に赤ちゃんができるんだよ」


 「愛が無くても赤ちゃんができることがありますよ」


 「私以外の女のひとだったらお腹裂いて確かめるから大丈夫」


 「OH,ナイスボート。答えになっていません」



 訂正しよう、アフロディーテ(愛と美)かと思いきやヘラ(嫉妬)だった。

 確かに愛と美しさは備えているだろうが、肝心の中身は暗黒面に落ちている。


 目が明らかに正気ではない、なんというか『選ばれし者だったのにっ!』とオビ○ンに叫ばれそうな目をしている。


 仮にこの状況を当てはめるとして、ベ○ダーは彼女でオ○ワンは波才だろう。

 ただ四肢を切り落とされるのは間違いなく波才だ、しかもそのままお持ち帰りされる勢いだ。



 「……はぁ」


 「ん?どうしたの単経さん」


 「周囲は明埜の私兵に囲んでもらっているので波才で構いません。それよりも、何で本当にこの時期にいらっしゃったんですか?私手紙に書きましたよね、今はやばいから来たら危ないと」


 「私、『やばい』の意味が分からなかったから波才さんに聞きに来たの」


 「だったら『来たら危ない』の部分を重要視してください」



 むしろ『やばい』よりも『しすたーず』とか『格好いい』、『イケメン』を知っている方が違和感を感じる。

 思わずこの世界の基準はいったいどこに存在しているのだと、波才は頭を痛めた。


 天和は恥ずかしそうに頬を染めて、照れ笑いをしている。



 「まあ、本当は波才さんに会いたかったからなんだ」


 「そりゃあんなに叫ばれたら理解できますって。というよりあんな言葉遣いとか知識を一体どこで覚えて来たんですか?」


 「阿蘇阿蘇の連続恋愛劇『愛と憎しみ』、挿絵もあるんだよ」


 「ああ、年頃の娘さん達が間違った性知識とか身につける例のあれの部類ですね。よっし、お兄さんが出版者を明埜に頼んで潰して来てもらいます。というかあれ三国時代からあったのかよ、流石の変態日本もびっくりだよ」


 「ええ~凄く役立つ知識とかあるんだよ」


 「例えば?」


 「好きな人ができたら寝込みを襲え、薬と酒を盛るとなお良し」


 「まさかの肉食系女子!?ってかそれが役立つとか天和様何を考えてらっしゃるんですか!?」



 波才の心境は、手塩にかけて育てたかわいい娘がBLボーイズラブにはまったような複雑なものであった。

 娘が男同士の絡みをみながらはぁはぁ言っている姿を見つけたら、娘が『お父さんも読んで見てよ』とまさかの推薦を受けた気分だ。


 ようするに二重苦だ、一つだけでも救われないのによりによってダブルで特攻してきた。


 

 「まぁ私は襲われる事も悪くはないと思うんだ」


 「そんな天和様に襲うやからはいません、断言します」



 ヤられる前にやられてしまえばいい。

 事前に察知してぼこぼこにし、ゲイの集団に投げ込む男こそ波才である。ホモではなくゲイに投げ込むところが実に彼らしい。


 事実、何人か彼女達の知らないうちにファンの間でゲイが量産されていたのは、波才だけの秘密だ。


 

 「……その誰も、に波才さんは含まれているのかな?」


 「私は天和様を襲うなんて恐れ多いことは一切考えていませんよ」


 「ふーん、それじゃ」



 『私が襲って欲しい、そう思っていても波才さんは私を襲わないのかな』



 天和の言葉に波才の茶へと伸ばした手が止まる。

 戸惑いながら波才が顔を上げると、天和は僅かばかり頬を朱く染めながら、目を右へ左へとさ迷わせていた。

 だが決心したように自らの膝に握り拳を乗せると、身を乗り出して目を瞑り、今度ははっきりと声に出す。


 

 「うん、私は波才さんの事が好きだよ」



 自然な声だった。感情の起伏は僅かばかりふくまれていたものの、迷いがない。

 偽らざる彼女の想いであった。


 それを受けた波才は、伸ばしっぱなしになっていた手を戻すと、やや慎重な声で彼女に問いかけ始める。



 「愛している、ということですか」


 「うん」


 「信じられませんね」


 「何でかな?」


 「頼られはすれども、惚れられる要素が無い」



 短い言葉は彼の偽らざる本心であった。


 自分は間違いなく傲慢で、道化で、はっきりいって魅力が無い。

 主君や女性に対しての鼻につく物言いと考え方、そのくせ弱く愚痴や誤魔化しを入れて自分を偽っていた。

 間違っても、恋人に選ばれるような人間ではない。容姿は平凡極まりない凡人である。白蓮は自らの容姿を凡人と言ってはいるが、あれは美人の部類に入ること間違いない。それに比べて自分は凡夫だ。

 

 第一、波才と天和はあれ以来手紙のやり取りしかしていない。いわば波才は天和を厄介者として見捨てたような人間だ。事実、彼女の心配をよそに自分気ままに振る舞ってきた。

 はっきりいってヒモ野郎にも劣るだろう。



 「うん、私も最初そう思っていた。顔も好みじゃなかったから。あのね、波才さんに悪いけれどさ、最初波才さんに会ったときにいろいろ言われたでしょ?あれね、すんごい気持ち悪かったし、全然信じていなかった」


 「まぁそうでしょうね。あんな馬鹿な話信じてくれるわけないでしょうに」


 

 特に何事もなかったかのように受け止めた波才に、天和は目を白黒させた。


 

 「どうかなされたんですか?」


 「……これを言ったら、気を悪くしちゃうんじゃないかって思ってたから」


 「顔に関しても話に関しても、事実ですからしょうがない。実際しばらくは避けられていた事を知ってますから」


 

 仮にも武芸を身につけたわけでもなく、あくまで歌を歌う芸人でしかない。

 そんな彼女達がこの不安定な時代を渡るのだ、腕に自信がない分、判断する知識と事情は分かっているはずだ。まずこんな得体のしれない人間の言葉を信じるわけがない。


 精々、ていの良い護衛と召使いを手に入れたぐらいの気持ちだっただろう。あの三バカは三姉妹のライブを何度も見に行っていたから顔を知っていただろうし、自分もその類なのだと思ったに違いない。

 いくらこちらの思いは本当でも、信頼を得られたわけではないのだ。都合が良い人間だったのだろう、あの頃の自分は。


 それでも共にいられるだけ波才にとっては救われるものであった。

 

 

 「でもさしばらく手伝ってもらっているうちに、この人は本当に自分のために尽くしてくれる人なんだって解ったんだ。だっていくら我が儘言っても言うことはしっかり聞いてくれたから。それに他のファンの人達とも違うって気が付いた。他のファンの人は私達が何してもそのままだったけど、波才さんはちゃんと忠告してくれたし、叱ってくれたから」



 我が儘……突然数十キロ先の都で新発売しているお菓子が欲しいとか、発売した阿蘇阿蘇をその日のうちに買ってこいとかその辺りだろうか。

 後は作った料理が不味いとか言われて何度も作らされた事とか?

 別にこの時代ではそれが当たり前だと思っていた。盗賊に身を堕としていた頃よりも実に健全で人間らしいではないか。


 

 「それで初めて波才さんの事が気になるようになったのは、私のせいであの乱が起こったとき」


 「あれは天和様のせいではありません。起こるべくして起こったものであって、貴方だけの責任では……」


 「それでも張り詰めてぱんぱんになった弓矢を引く事になったのは私でしょ。いいの、分かっているから」


 

 もはや諭すだけ彼女の心を痛めつけることになると分かった波才はそれ以上何も言わなかった。

 いや、それが理由ではない。目を潤ませながらも気丈に振るまう天和の姿に声が出なくなったのだ。


 女は強い、一度決めた事は男以上に現実を受け止める力がある。

 その気高さは、他の英雄達に劣らない美しさを兼ね備えていた。



 「あれでさ、本当に私達はもう駄目なんだって思ったんだ。自由に歌を歌えなくなっちゃったし、例え殺されなくたって誰かに利用されて生きていくんだろうなって」


 「………」


 「でもさ、そんな時に一人声を上げてくれた人がいたんだ」



 違う、あれは貴方達のためではない。過去の因縁を無様にも貴方達に重ね、恩知らずに勝手気ままに振る舞った傲慢な決意だった。

 そんな純粋なものではない、必要のない使命感に囚われて、凡人な自分を英雄に重ねた愚かで救われない人間がいただけだ。



 「その人はね、自分では知らなかったんだと思う。手がね、震えていたんだ」


 「最初はね、武者震いだと思っていた。実際そうだったら私達は何も思わずそのままに彼に全てを任せていたと思うの」


 「だってその人は戦いたくて戦っているんでしょう、だったら何も私達は何も考える必要がない。私達を祭り上げた人達みたいに好きにさせればいい、そう考えていたと思う」


 

 そうだ、彼女はしっかりとみていたのだろう。愚かで救われない自分の姿を。

 ならばこれは同情か。いらない、そんな同情はいらないのだ。それは恋をはき違えた彼女の幻想に過ぎない、それでは目の前の女性が救われないではないか。


 やっと自由になれたのに、そんな幻想に囚われていては幸せにはなれないではないか。


 波才自身は死んでも叶わない。既に自分は『波才』としての自分から逃れられない。曹操が憎い、自分より突出し名を残した者達が恨めしい。

 こんな馬鹿な人間を、この時代で幸せに歌うことができる人達に見せる事などできない。


 英雄ならば、張三姉妹に言っただろう。『私は君たちを守る』と言い切って見せただろう。そして彼女達を連れ添って幽州に訪れ、白蓮を正しい道に導き、明埜や美須々に琉生といった英雄の素質がある者達の名を後世に残しただろう。

 

 私はそんな事言えなかった。

 不安で不安で仕方がなかった。もう一度死ぬ事になると考えると苦しくて夜も眠れなかった。守れない自分の力にただ嘆くことしかできず、己を凡人だからと自己完結して終わらせた。

 白蓮を自分の都合のために、彼女の信念を書き換えた。明埜や琉生に美須々などの勇将達を泥の中に沈ませて腐られる。


 そんなに自分に彼女達を導く資格などあるわけがない。あっていいはずがない。



 「……その通りです、だから私はあなた方から離れました。結局好きに戦って死んだ方がいいのですよ、私のような過去に囚われた人間は」


 「波才さんが、過去に何があったかは分からない。でも何かを私達に重ねて戦っていたことは知っていたよ」


 「ならば、ここから去ってください。これ以上、私に惨めな思いを抱かせないでくださいませ」



 今すぐにでもこの場から飛び出して行きたい気持ちを何とか押し込み、途切れ途切れに言葉をなんとか紡ぐ。



 「やだ」



 あまりにもあっさりした一言に波才が唖然として固まっているうちに、天和のはゆっくりと波才の顔に手を伸ばしていく。

 優しく、まるで赤ん坊を扱うかのように差しだされた手の中には、いつの間にか波才が身につけていた狐の仮面が存在していた。


 自らの仮面が彼女によって剥がされたことを知ると、途端に羞恥の心がふつふつとわきがって来た事を波才は感じ取った。

 どんな情けない顔をしているのか想像もつかない。目の前にいる女性にそれを見せたくないと、おもわず服の袖で顔を隠そうとする。


 だが、天和はそんな波才よりも先んじて仮面を机の上に裏返しに置くと、彼の顔へ優しく撫でるように手を添えた。 



 「うん、その人はね、今の波才さんの目をしていたんだ。私と同じ目をしていたんだよ。戦いたくなんて無かったんだ、私達みたいに日々を穏やかに過ごしたかったんだよ。私みたいに泣きたかったんだ。それでも、その人は戦おうと立ち上がった」



 天和の視線がなんの遮る物もない自分の目を射貫いている。

 翡翠のような輝きを放つ瞳は、まるで静かな水面のようにゆっくりと揺れていた。


 

 「その時ね、その人が背負っていたものが、その人が最初私達に出会った時に分からなかった誓いがようやく理解できた。なんて悲しい誓いなんだって事に気が付いた。彼の望む世界に彼自身が存在しなかった、彼が幸せになって欲しい人達だけが笑っている世界だって気が付けた。それはとても残酷で、悲しくて、酷い誓いなんだよ。波才さん」



 目を逸らせない、今の天和は見るもの全ての心を奪う魔の輝きを瞳に宿している。



 「心の中で血の涙を流してさ、どんなに悔しくてもどんなに悲しくても必死に自分を偽って平気を装う。気取って格好付けて、無然として、いつも嗤っている。辛いだろうね、だって誰もそんな彼を理解してくれないんだから」



 まるで全てを見抜くような魔眼、しかしそれは伝説に残るような特別なものでは無い。人が生まれた時から、現代まで変わらない、誰かを想う乙女だけが得られる魔眼。


 

 「会ったこと無いけれど、曹操さん、孫策さん、劉備さんとか波才さんが手紙に書いていた人達には解らないよね。その人達、とっても強いもの」


 

 見ていた、送った手紙の内に秘められた彼の思いを彼女は見抜いていた。



 「波才さんを見ている人達も、解らなかったんだよね。解ってくれなかったんだよね。だってその人達はその言葉しか、姿しか見てくれない。波才さんを知ろうとはしてくれないんだよね」



 誰もが彼を誤解する。彼は小人であり、凡人だ。認められないときは無様になってでも取り繕う、演技をして誤魔化そうとする。だが彼が演じる姿は彼自身が望んだ姿であったために誰も疑わなかった。



 「そんな姿をさ、ずっと、ずっとあの乱の間に見せられてきたんだよ。見ているだけでも胸が張り裂けそうだった、気丈に振る舞うその姿が痛々しかった。それでもその人はいつも私達に笑顔を見せてくれていたんだよ。私もね、人和ちゃんも地和ちゃんもそんな彼に何も言えなかったんだ。駄目な姉妹だよね、止めてあげればまだ彼は戻れたのに、私達は止めて上げる事ができなかったんだ。最後の最後になってようやく体が動いたんだよ」



 天和はいっけんちゃらんぽらんとしているが、人一倍感情の流れや人を判断する目を持っていたのかもしれない。

 それ故に他の姉妹に一歩先駆けて彼女は動く事となった。



 「そして、自分の想いにもようやく気がつけたんだ」


 

 最後の最後、彼女は波才を止めることができたのだ。

 泣き叫んで、体全てを使って彼を受け止めようとして。


 だがそれは彼が死ぬ事を止める事はできても彼が壊れる事を止められたわけでは無かったのだ。あまりにも、遅すぎたのだ。



 「波才さんがいなくなった理由も解る。解るから私はちょっとおかしくなっちゃった。波才さんが望んだ世界には波才さんがいないんだって解ったときに心がどうしようもなく苦しくなって、お酒を飲んでも、歌を思う存分歌ってもそれは収まらなかった。だからたくさんの人に迷惑をかけちゃったと思う」



 天和の話の『誰か』は『波才』へはっきりと姿を変えていた。


 既にこの乱世に張角の影を追う者はいない。それぞれが思い思いの道を定め、進み始めている。

 だからこそ、群雄達が道の終わりに辿り着かぬ間に、張三姉妹の足跡を全て消すしかない。今は横道にそれる余裕が無くとも、終わりを迎えれば必ず疑心に残った問題の始末を付けるだろう。


 特に曹操や孫策などといった連中は、それらの後始末に躊躇いと迷いがない。間違いなく彼女達は残った痕跡から張三姉妹を捜し出し、殺すか利用する。


 だからこそ黄巾の全ては波才が背負った。

 既に単経が波才であることは多くの者達に知られ始めている。だがその全ての話が悪として認知されていないことは、流石の波才も想定外であった。この時代の任侠と義賊という考え方を彼が知らなかった事が原因である。


 しかし、おおよその予想通りにその全てが決まってしまっていた。



 「馬鹿だよ、馬鹿だよ波才さん。なんで波才さんは自分の事を大切にしないの?波才さんは波才さんが思っている以上に、たくさん想われているんだよ?」


 「馬鹿だ、馬鹿だと言われてもそういう生き方しかできないんですよ」


 「できるよ、できるのに波才さんはそれをしないだけ」

 

 「できるできないの話ではありません。私はそれを選ばなかっただけです」


 「私達の想いは?全てを無視して勝手に?」


 「はい」


 「我が儘だよね、波才さん」



 既に二度目の、下手したら三度目の人生だ。


 一度目は思うがままに、ただ生きるべくして生きて、死ぬべくして死んでいった。今考えてもなっても納得できる死に方ではない、それでもあれが結局は自分の終わりだった。

 

 二度目は誰かのために生きた。獣のような生き方ではなく、人として自由に生きられた。素晴らしい日々だった、沢山の面白いものに出会えた。思想に歴史、文化に技術。どれもが教養のない自分には目新しく、そしてどれも素晴らしいものだった。

 多少、自分の趣味に行き過ぎたおかげで今の人格がおかしくなった気がしないでもない。オタク、といったところか。まぁはまるほどにゲームもマンガも全部愉しかった。勉強も今までしたくてもできなかったから、倒れるまで思う存分やった。


 三度目。これはまさに天が与えてくれた好機だった。過去の自分が清算できなかった思い、その全てを終わらせるための命なのだと解釈した。


 

 「私はとても嬉しく、楽しく思えます」


 

 ただ一言、そう言って彼は笑った。

 心の底から、何の偽りもなく純粋に笑っていた。


 天和が波才の願いに気が付いたときは既にどうしようもなくなっていた。

 波才の望む世界は天和達が笑っていられる世界だが、そこに波才の姿は無い。それが自分たちを助けてくれた、何よりも自分が想う男の願いだ。


 

 「認められないよ、波才さんの未来。私はね、波才さんがいるからあの日々は愉しかったんだって解った。他の誰でもない、波才さんがいたから愉しかったの」


 「……貴方は、まだ若い。私のように取り返しがつかないところまで堕ちた男に、そこまで入れ込む必要はありません。きっと貴方を私以上に想ってくれる殿方が現れてくれるはずです」


 「うん、それは無いと思うよ。私のために、この国に喧嘩を売って帝に反旗を翻す。私のために、捨てた剣をとって命を投げ捨てて戦ってくれる。私のために、曹操さんと雌雄を決する。私のために、全てを本当に投げ捨ててくれている。そんな人貴方以外にいない、絶対に」


 「それは貴方を真に支えているわけではない。貴方が心壊れ苦しむ時に側にいてあげられない、助けを求めているのに顔すら合わせない。そんな男、私でなければ即刻切り捨てております」


 「いくら波才さんの願いでもそれは許さないよ、だってその人は私が愛している人だもの。絶対に私が殺させはしない」


 「しかし……」


 「ねぇ、その人が死んじゃったら私は幸せになれないよ。それでも良いのかな?」



 顔から手を放し、呆然と口を開けている波才をおかしそうにクスクスと笑い始める天和。

 そんな彼女を見て何を思ったのか、波才も苦笑し頭をかき始める。


 愉しい。とても、とても愉しい。


 だからもう笑うしかない。ただ笑うしかないのだ。



 「天和様は……我が儘ですね」


 「うん、私は我が儘だよ。波才さんと同じ、だからここにきたの。他の誰にだって波才さんは渡さないよ、だって波才さんと一緒にまた歌を歌うことが私の幸せなんだもの。言ったよ、言ったよ波才さん。私は今言った。私の本当の幸せを波才さんに伝えた」



 波才は天和が言わんとすることをようやく頭の中で理解できたのだ。

 そうか、だからこの人はわざわざここに自らの足で来たのかと。なんて、なんて壊れた人だと。目の前の幸せにこの人は手を伸ばさなかった。確かな幸せをその手ではね除けた。

 馬鹿だ、大馬鹿だ。ああもうおかしくてたまらない。


 ああ、霞。ようやく君の言うことが理解できた。

 私は確かに女を解っていなかった。こんなにも女というものは考えて動く事ができるのか。何が感情で動く生き物だ、馬鹿らしい。

 なんて女は、いや、この人は狡猾な生き物なのだ。



 「絶対に、失望させてみせます。私を嫌いになってもらいます」



 好きだからこそ、波才は譲れない。天和の想いを認める事ができない。



 「絶対に、認めさせてあげる。他の誰にも、波才さんは渡さない」



 愛しているからこそ、天和は譲れない。波才の願いを認める事ができない。



 歪んだ二人の決意、互いを想い合うからこその拒絶。

 そんな二人の想いを扉越しに密かに聞いていた明埜は、部屋の向こうの彼らに聞こえないようわざとらしく盛大なため息を一つついた。



 「メンドクセェ……」



 だが、その顔はどこか嬉しげで晴れ晴れとしたものであったことは、彼女自身も知らない。

 



 ■ ■ ■ ■ ■




 「なぁ……」


 「駄目よ」


 「……いや、まだ何も言っていないんだが」


 「あんたが今出て行ってもなんも変わらないわ、それよりも目の前の書類を終わらせなさい。どうせ明日全部あいつから聞かせて貰えるんでしょう?」


 「いや、今出るかでないかで結構私の未来が変わる気がする」


 「あんたの未来よりも月がいるこの国の未来よっ!とっととこの竹巻仕上げちゃってっ!」


 「ああ、私ってこういう役回りは変わらないんだな。なんか泣けてきた」


 「ちょっと!?できた書類に涙落とさないでよ、滲んじゃうじゃないっ!」


 「す、すまん」



 二人が決意を新たにしている頃、白蓮は詠とともに書類に追われていた。

 すっかり頭に昇った血は書類によって冷めたらしい。嗚咽を漏らしながら異常な速さで書類を仕上げていく。



 「な、なぁ。やっぱりちょっとだけでも」


 「駄目っ!」



 わたしって、ほんと馬鹿。

 何故かそんな言葉が頭に浮かんだ白蓮。彼女の夜はゆっくりと過ぎていった。

 

 キスとか、二人が恋仲になるとか、そんな甘い要素はこの作品にありません。でも愛があればよくね?後ろから刺される愛でも(おい

 そういえば黄巾無双で前書きがこれ以上に機能している話もないですね。

 

 最近やっと車の免許とれてもう忙しくないわとか思っていたら、次は引っ越しの準備に入りました。東京の兎小屋って、マジだったんだなと頭が痛くなります。いや、家賃は安いんですけどね。おい、部屋に溢れたラノベとマンガ九割九分持って行けないぞおい。泣くぞ。


 また更新は遅くなると思いますが、止めることは無いので大丈夫です。

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