第三十七話 泣く彼女のためのセプテット
最良の葡萄酒が強烈に酸っぱい酢に変わるように、どんなに深い愛であっても、まかり間違うと、恐れるべき憎悪へと変貌する。
~ジョン・リリー~
人が賑わう幽州の北平城。
幽州の要とも言えるこの街は、改革と異民族との同盟により多くの人と物資が流れる富んだ街へと生まれ変わっていた。
多くの出店が開かれて人が行き来し、商人の声や町人の声、さらには元気に駆け回る子供の声で賑わっている。その表情は皆笑顔であり、善政が敷かれていることが伺えた。
もっとも、その分間諜も増えてきておりほぼ毎日数人の他国からの間諜がつるし上げられていたりする。
最近は曹操に加え、頭が愉快なドリルもこちらを気にし始めている。恐らく顔良あたりががんばっているのだろう。少なくとも本人には間諜を回すなんて、そんな頭は無いはずだ。
そんな北の町並みに佇む少女が三人。
見ればその顔は皆美しく整っており、何とも言えない魅力を放っていた。誰もが一度は振り返る美貌。いや、もはやそれは魔貌といっても過言では無いだろう。
歩け気踏みしめる大地の音は、彼女達への賛美歌。口ずさむ歌声は天界の乙女の呟き。すれ違いざまに匂う花の香りは、男だけではなく、女性すら魅了した。
だが誰もが目にした次の瞬間には、既に目を逸らしている。
見れば誰もが一度は振り返るものの、気まずげに、あるものは足早に彼女達から離れていった。
「ふふふふふふふふふふふふ……みんな!!天和はは「姉さん、単経だからね」……単経さんの所に帰って来たよ!!」
それはこのように関わったら駄目な人種へと天和が変わっていたからであろう。
冷静にツッコミを入れた人和だが、全く悪びれず元気に笑う天和に頭を痛そうに抱えた。
ここに来るまであれほど波才と呼ぶなと注意してたのにこの姉は……。
そんな人和をよそに天和はまるで鼻歌を歌いそうな
「かな~しみの~(以下nice boat)♪」
歌い出した。
そして彼女は何故この歌を知っているのだろうか。意味を分かって歌っているのだろうか。どう考えても彼女が望む結末には行かないであろう曲だ。
上機嫌な天和とは別に、妹二人の心には暗雲が立ちこめられていた。
「(ねぇ人和……波才に止められているのに来て良かったの?)」
「(いいわけないじゃない……でも一号さん達が全身複雑骨折してる以上、誰も止められないのは地和姉さんだって判ってるでしょ?もう講演会も断っちゃってるからしょうがないわよ)」
「(だけどこのまま波才と会わせたら……なんか波才が危ない気がするんだけど。それにこのままじゃ私達の恋だって……)」
「(大丈夫、天和姉さんの危険な動きは部下の美須々さん達が止めてくれると思う。逆にこの状況は絶好の機会……)」
「(絶好の機会?)」
「(今の姉さんは波才さんへの思いが強すぎて暴走している暴れ馬、だから周りが止めにかかるけれど……私達はその姉さんの影に隠れて動ける)」
人和は眼を細くして波才と同じように温度のない、蛇の笑みを浮かべた。
実に良い笑みであった。彼女に誘われたもの全てがなで切りにされるような笑みである。はっきりいって天和といいとこどっこいだ。
現に本人は気が付かないようであったが、それを見ている地和は頬が引き攣っている。
「(裏から優しく、笑顔で、お淑やかに、清楚に、儚さを持って波才さんを仕留めるのよ。残念だけど今の波才さんは私達を『主君』としてしか見ていない。でもね、忠義の思いが恋に変わる事もあるのよ?地和姉さん。波才さんから聞いた祖国の大和撫子の姿そのままに、いえ、それ以上に私達は波才さんに溺れるように見せて溺れさせるのよ)」
「(れ、人和……?なんか天和姉さんが二人いるように思えたんだけど?)」
「(あんな頭が一年中春な姉さんと一緒にされたら困るわ。天和姉さんが持つ胸も、波才さんはお尻が好きらしいから意味がない。お尻の線が綺麗に出るもので攻めるわよ、地和姉さん)」
妹のあまりの変貌ぶりに地和は呆然として立ちすくむ。
あのかわいくて真面目で冷静な妹はどこへ消えたのだろうか、あののほほんとして優しかった姉はどこへ消えたのだろうか。
なんだか胸が痛くなってきた……が。
「(解ったわ、早く波才を落としましょう。ただし夜は折半ね)」
「(流石姉さん、物わかりが早くて助かるわ)」
本人も至って乗り気だった。
駄目だこの姉妹、早く何とかしないと。
■ ■ ■
晴れた幽州の空を眺めつつ単経、波才は手に持つ筆を滑らせる。
例え戦があったとしても、幽州の問題が都合を読んで無くなってくれるわけではない。世界は常に回り続ける、よって仕事も回り続けるのだ。
だがその表情は以前と比べて天国と地獄の差があった。
董卓軍の人材を吸収した結果、あの異常なマーチは無事終わりを波才に告げたのだ。 既に大方の企画をやり終えていたということもあるが、確実に彼女達のおかげであるのだろう。
董卓、賈駆の両名は流石にそのままではいけないだろうと、改名の話を持ちかけたら真名で呼んで欲しいと頼まれた。……真名、そんな手があったか。
せっかく用意してのになぁ……のほほんさんとか、つん子とか。
そして董卓さんなんですが……ぶっちゃけあれでした。武の方面で活躍してもらおうと思ったらそんなに強く無かった。いや、一般兵よりは強いのだが……。
なので、なんもしなくて良いよと軽い戦力外通告まがいの事を言った。ぶっちゃけ見ていて危なっかしいのだ。余計なことされたら困るというのが、紛う事なき波才の本心である。
だが彼女は芯は強く、義をなによりも重んじている人間だ。
はっきりってニート生活をのほほんと送れるような人間ではない。
「わ、私家事が得意です!!」
とまさかの方向での自己アピールが波才に届けられた。
彼女は恐らくは必死になって考えたのであろうが、明らかに方向性は間違っているとしか思えない。
しかしものは試しである。茶を入れてもらうとこれが誠に美味であった。すげぇお茶って入れ方一つでここまで味が変わるんですね、と波才は大変感心させられたのであった。
何より下手に元君主様に口出しされるのも、不味いと考えていた。だからこそ考えてみればみるほど彼女の申し出はありがたいものだと分かる。
公孫賛軍で認められた彼女はそれ以降、侍女長として彼女は就任した。
よって今日、波才の側には侍女の姿でお茶入れる董卓の姿があることは何もおかしくはないのだ。
「どうぞ単経さん」
「ありがとうございます月さん」
メイド服を纏い、私にお茶を差し出す彼女に礼を言いつつ、波才はお茶を受け取ると口を付けた。
ああ、うまいな。こりゃ一家に一台月さんだ。
……メイド服、なんであるんだろう。いや考えたら負けだな。
「仕事はどうでしょうか?」
「ええ、すこぶる順調です。貴方の親友の詠さんのおかげで最近は私も楽なんですよ」
そう言いつつ微笑む。
旧董卓軍の人間が来てから仕事が楽になったのは言うまでもない。
今まで血眼になりながらこなしていた仕事がいまや10分の1もない。それでも多い事は多いのだが、あの地獄に比べればどうということもない。
「それは嬉しいです」
恥ずかしそうに、嬉しそうに笑う月だったがその笑顔に影があることに波才は気が付いた。
何かあったのだろうか。
「どうかなされたんですか?何か悩みがあるように見えますが」
「……実は」
最初は遠慮していた月であったが、波才は先を促す。ついに悲しそうに目を伏せながら月はぽつりぽつりと語り出した。
「最近詠ちゃんの様子が変なんです」
「変?」
「はい……前まで張りがあった肌が荒れているし、艶があった髪も何だか傷んでいて、目が充血していてたまに誰もいないところを見ながらぶつぶつと何か話しているんです」
「それは……」
「私……もう心配で。声をかけたら何故だか解らないけれど「単経のやつ尻から真っ赤な鉄の棒突っ込んでそのまま焼いてやる」って言ってて」
「……月さん、人は誰でも辛い現実があると誰かを恨まずにはいられない」
そういいつつ波才は立ち上がり窓の外を見る。外にはどこまでも青い空が広がっており鳥が自由に飛び回っていた。
「そうしなきゃ人は正気でいられないんだ。自分を保つためには自分以外の誰かを犠牲にしなくちゃいけない。あの戦いはそういった傷を残していったんだと思う」
そんな波才を見て堪えきれなくなった月が、思わず悲痛な声を上げる。
「で、でも!!単経さんは私達を助けてくれました!!なのに……なのにそんなのって」
涙ぐむ月。優しい彼女には何故恩人である波才をそこまで憎むのか分からないのだろう。
そんな彼女を見て波才は手を伸ばして彼女の頭を優しく、諭すように撫でる。
「構わないさ。私が犠牲になるだけで彼女が救われるのなら。詠さんもそれはよく理解しているはずだ、頭がいいからね。だからきっといつの日か彼女が自分を見つめて、いつの日かそれが笑い話として話せる。そんな日が来ることを信じているからね」
いかにも主人公な事を話している波才だが真実は自分の仕事の9割を単純に彼女に押しつけているだけだった。
しかもそれを巧妙に隠しながら彼女に仕事を押しつけていたのだからたちが悪かった。詠は気づいてはいるのだが証拠を無駄に巧妙に隠されているために、現在マーチのど真ん中だ。
ちなみに波才が担当する残りの1割の仕事も単純な物ばかりなのだが、そこにはあの名軍師たる賈詡すら気がついていない。
そのスキルを生かせば何も詠が鬼にならずとも実は済む。それになんとなく気が付きつつ、波才はめんどくさいので彼女に捌いていた。
やっぱり彼はたちが悪かった。
「だから……月さんも彼女を信じてくれないか?」
そう振り向いた愁いを帯びた顔。仮面をしているので本来はそれは解らないのだが、それを感じさせないほどの演技力を彼は持っていた。
ハリウッドスター並みの無駄な演技力だ。
「……はい!!」
一見知らない人から見れば温かい場面だが、その裏は真っ黒一色であった。
だがそんなダークサイド一色を振り払うが如く、彼らがいる執務室の扉がノックも無しにバタンと勢いよく開いた。
「た、大変や!!」
そう飛び込んできたのは張遼こと霞。
「たいへ」
「大丈夫です、私は解ってますから」
そう落ち着かせるように波才は霞を諭す。
「ほ~ら深呼吸です。吸って~」
「す~」
「吸って~吸って~吸って~吸って~……」
「す~す~す~す~って苦しいわアホ!!それどころやないんや!!実は」
「大丈夫です」
そう霞に微笑む波才。
少なくとも霞には先ほどのような悪意は感じなかった。だが、本人が単に悪意を悪意と思ってないだけだった。
「その似非関西弁を使うキャラ立ちに無理を感じて来たんでしょう?」
「意味が解らへんけどとりあえず殴ってええか?」
「暴力はいけませんよ?」
「言葉の暴力って知っとるか?」
「すいません、私中国語解らないんです」
「日本語や」
何故現代社会で問題になっている教育問題を霞が知っており、和の国の未来の国名を知っていて、あまつさえそもそも三国志の世界観を粉砕するような事を知っているか。 波才は解らなかったが、彼は純粋に彼女のキャラ立ちを心配していた。
それ以前にさらし&ふんどしの彼女の将来を純粋に心配していた。
いったいどんな人生を生きれば下着が存在するこの世界で「さらし&ふんどし」という異端者どころかイエスとユダがタップダンス踊っている境地にたどり着けるのだろうか。
先の言葉といい、『結婚』の二文字は彼女の彼方に存在しているだろう。
「それで~何があったんですか?女の子の日なんですか?出血大サービスですか?」
「へぅ……」
「あ~月?あれ見たらあかん、あれはただの変態や」
「紳士っていうことですね。で?本当になんなんですか?」
「そや、忘れてた!!実は……」
■ ■ ■
数十分前。
晴れた日の城の練習場にて。二人の武人が対峙していた。
今この場で行われているのは一種の交友会であった。
互いの実力を認め合い、その腕を認め合うというものである。ここに姿が無いのは詠と月と波才、彼らは文官の働きをするが故に仕事から離れるわけにはいかない。
代わりに君主である公孫賛が直々に取り仕切っていた。
もとよりこの交友会は武人達の手合わせ会であるために、波才は特に見る気もなく、詠ははめられたために仕事から抜け出せず、月は波才に相談するためにここへ来ていない。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!『ざ○がんけ~ん』!!」
美須々は気を棍に込めて、急加速で一撃を放つ。
……ぶっちゃけただ棍を薙ぎ払っただけである。だが一応岩は砕けたり、切れていたりするので斬岩剣で間違ってはいないかもしれないが……。
ちなみにこれは波才仕込みであることは言うまでもない。
「おのれぇ!!ならば『燕返し』!!」
「あ!?それ私が主に教えていただいた技ですよ!?しかも全然違うじゃないですか!?」
「ふん!!けっかおーらいとかいうやつだ!!」
「貴方、絶対意味解っていないでしょう!?」
対する華雄はそれをいなして逆に反撃する。
ちなみに彼女は美須々が目を輝かせて波才の話を聞いている中、その隣でふんふんと感心しながら聞いていた。
教えられた燕返しの内容は一段攻撃と見せかけた二段攻撃である。決して返し技ではない。
それがいらついたのか、頭に怒りの四つ角を浮かべて美須々は言い放つ。
「そんなんだからいつまで経っても華雄なんです!!もう新作でないから貴方はずっと華雄なんでしょうねぇ!!華雄さ~ん真名はどこに置いてきたんですか!?」
「五月蠅い!!お前の真名だって『なんとなく』で生まれたんだろうに!!それに比べればまだ無い私の方がマシだ!!」
「ぬかせぇ!!最初はあっという間に死んだ出落ち猪がぁ!!真になったら生存したからって調子乗るんじゃありません!!」
「ほざけぇ!!お前だって最初は曹操軍や劉備軍の引き立て役で直ぐ死ぬはずだったのだろうがぁ!!作者が無駄な情に囚われなければそのまま消えていたものを!!」
「レッツパァリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!」
「ハァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
ついには触れてはいけない部分に触れだした。
これはいけない、世界の真理が壊れる。
二人はお互いの触れてはいけない所に触れてしまったのか、もはやお互いの腕を確かめ合うものではなく殺し合いにまで発展している。
周りを囲んでいる兵達の顔は、その熾烈な激戦に目を見開き、驚きに固まっている。反対に、それ見る将の面々は呆れている者と頬が引き攣っている者に別れていた。
「オイオイ、アイツラ何意味ノ解ンネェコトヌカシテンダヨ」
「……(チャキ)」
「オイ琉生!?何デオ前殺気ソンナ出シテ武器構エル!?……ハ?コレ以上ハイケナイ?世界ノ法則ガ乱レル?……オ前疲レテンナ、今日ハモウヤス」
休めと言おうとした明埜の頭の上に、琉生の双剣の柄が飛来する。
思った以上に力が込められていたのか、明埜は「グォォォォォォ」と唸りながら頭を抱え込んだ。
更に執拗に何度も彼女の頭に連打する。
「オイ!?チョット止メッテ痛!!」
彼女達がいわゆる呆れている面々であった。逆に頬が引き攣っている連中というのは……。
「あ、あははは。みんな元気だな」
「ほ、ほんまやな。……あれうちと戦った時より早い気がするんやけど?」
白蓮と霞である。
白蓮はだいぶ波才の常識に触れてきてなれてきた……慣れてはいけないのだが慣れてしまった故、このように精々頬を引き攣らせる程度で済ませている。
霞にいたっては、自分と戦った時以上の気迫で戦っている美須々に汗が流れ出ている。
彼女は知らなかったが美須々にとってかたや誇り、かたや存在意義の戦いである。波才が関係しているとか関係していないとかではなく、そもそも存在しているかどうかの戦いである。
そりゃぁ気迫が違うし余裕がない。全力投球、背水の陣での戦いであった。
「それで?霞は琉生とはやらないのか?」
「あ~なんや」
そう言って霞が見た方向を白蓮も見てみると。
まだ琉生はまだ明埜を小突いていた。無表情でそれを続ける琉生に痛そうに頭を抱える明埜。
「ッチョ!?オマ!?イタイ!!痛イッテ……ッキャ」
「……!?」
思わず琉生は驚き小突くのを止めた。
明埜は今しがた自分が言った言葉を脳内で反復、出た結論は手に現れる手裏剣。包帯の下の顔は、羞恥により真っ赤に染まっていた。
「コンノアマ……殺ス」
ああ、確かにあれは無理だ。その先の展開が安易に予想出来たので視線を霞に戻す。案の定すぐに軽い金属音が隙間無く鳴り響き始めた。
……やっぱりなぁ。そう思い白蓮は立ち上がる。
「それじゃ、私はそろそろ戻るよ」
「ん、白蓮はやらないんか?うちはいつでもええで?」
そう言って霞は好戦的な笑みを浮かべて偃月刀に手を伸ばす。
だが白蓮は、右手を胸の前で左右にゆらしつつ、額から汗を流して笑う。
「おいおい……私を霞や美須々、琉生に華雄と一緒にしないでくれよ。私にはまだ仕事があるんだから」
「なんや、うち一人かいな」
霞はつまらそうに自らの偃月刀を肩に担ぎ上げた。そして立ち上がりかけていた膝を再度地におろして座り込む。
「あ~独り身はあかんて。お~い誰か酒持ってきてくれへん?あ、あと単経のやつが作ったつまみも頼むで」
「こんな昼間からお酒かよ……。あと勝手に食ったら単経に怒られるぞ?」
「昼間やから飲むんや。あとばれへんばれへんて」
侍女が持ってきた酒と波才のチーズをみて霞は嬉しそうに小さな歓声を上げる。そして肩を弾ませながら口に酒を含むと彼女の咽が上下した。
「っか~上手いなぁ幽州の酒は。お、このつまみ初めて食うたけど相当いけるで!!」
あっというまに飲んべえのできあがりである。
「はぁ。ほどほどにしておけよ~」
「解ってる、解ってるで♪」
白蓮は刺さりもしない釘を一応は刺しておく。
そしてその場で大きく背伸びをするとゆっくりと自らの執務室へ向けて歩き出した。
だが彼女は気が付いていただろうか。残された兵士達が助けを求めて彼女の背中に視線を浴びせていたことに。残された者、それは。
「来いお前の全てを否定してやる !!」
「ぬかせぇ小娘がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
互いに口汚く罵りあい、本気の殺し合いを始めた馬鹿二匹と
「死ネ死ネ死ネ!!殺シテ解シテ並ベテ揃エテ晒シテヤンヨ!!」
「……!!」(キンキンキンキンキンキンキンキンキン)
五月雨の如く手裏剣の雨を降らせる明埜に、それを無表情で両手の剣を振るい捌き続ける琉生。
「おお、ええでええで!!終わったら次うちな!!」
顔をうっすらと赤くしながら、その戦いを肴に酒を飲み続ける霞。この五人と兵士一同であった。
「「「「「(誰か止めろよ……)」」」」」
当然ながら一般兵である彼らにそれを止める腕など無い、言葉など無い。手段もない。
ただ見てることしかできず、かといって職務上逃げることも出来ず、たまに飛んでくる明埜の手裏剣に怯えつつ終わるのを待つしかない。
その場の兵士全員が大きなため息をついて頭を抱えた。
今日も公孫賛軍は混沌のど真ん中であった。
■ ■ ■
「賑やかになったもんだなぁ……うちも」
一人、白蓮は廊下を歩きつつ呟く。
波才、美須々、明埜、琉生、月、詠、華雄、霞、そして自分。主な将は自分を含めて八人。
一人だった頃に比べて想像も出来ないほど、私の軍は強くなり、人が増え、幽州は栄えている。
あの出会いが始まりだったのかな。
思わず立ち止まり外を眺める。どこまでも青く、雲一つ無い空だった。その空を一羽の雀が悠々と舞っている。
心なしか、あの日初めてであった空と同じような気がして、眩しくて眼を細めた。
あたたかく、何とも心地が良い。
陽気に誘われて雀は舞い上がり子供達が駆け回り、誰も彼もうきうきとしていて楽しげだ。
それにも関わらず、私は物思いに沈むばかり……。
……あの森で出会い、私は自分を見付けて、道を見付けて。共に戦い、共に笑い、共に今まで道を歩んで。
出会わなかったらどうなのだろうか。今はそんな事は考えられないし、考える必要も無いのだ。ただ彼は私の隣にいて、私は彼の隣にいる。
私は頬が熱くなってきている事に動揺し、天から目を離してその場に座り込んだ。
……ずいぶんと柄にもないことを考えるようになったな私も。思わず吹き出してしまう。
ふと目線を僅かばかりに横にずらせば、花弁がいくつも重なった名も知れぬ花が咲いていた。
思わずその花と自身を重ねてしまう。この花と今の私は同じなのだろう。
この花の花弁がいくつも重なっているように、私のあの人に対する思いだって幾重にも重なっている。それなのに、この思いは通じることはない。
誰にもこの花は知られないのかもしれないのに、こんなに綺麗に咲いて……。こんなにもあの人を想っているのに。
彼は私に好意を持っているのだろうか。
思わず自分の胸を眺める。何も変わる事がない、大きくも小さくもない自分の胸を。
かつて塾に桃香と通っていた時は、誰も私に見向きもしなかった。まず私達を見る男の目は、全て桃香の胸にいっていたのだから。
桃香は気が付かないだろうが、多くの男はそこら辺の女性の特部には敏感だ。まず男ならどうしても顔より胸に目がいってしまうのだろう。
悔しいとは思ったが、大きくても困るしそもそも自分には必要も無いと思ったからそれ程気にはしなかった。
だけど、あの人はどうなのだろうか。やっぱり大きい方がいいいのだろうか。
そう思うと今まで考えてこなかった自分の容姿に目が行く。
顔は……桃香や曹操、星には及ばないがそれなりだとは思う。胸も、お尻も無いわけではない。
体は……その、綺麗だと思う。波才は入浴にも力を入れていた。我が軍のお風呂や美意識は大陸一だと思う。おかげで私の肌はつやつやで髪には光沢がある。
……でも、桃香達とは違って特別可愛く綺麗ではないのだ。私の容姿は。
そう思うと急に不安になってきた。
髪型はこれでいいのだろうか。服はこれでいいのだろうか。もう少し女らしくした方がいいのだろうか。その、あ、甘えた方がいいのだろか。
王としての自分はもう変わり様はない。彼だって何も口を出さぬ事から、これでいいことは分かる。
だが女としての自分は、果たして彼に認められているのだろうか。
昨日だって、せっかく化粧をしてとっておきの服を着たというのに。彼はあっさりと私を騙したのだ。
嫌だったのだろうか。私と一緒に、女としての私と共に町を歩くことが。
髪だっていつもは軽く整えるだけなのに、あの時は一刻以上時間かけて入念に整えた。服だって今若い女性で話題の、その、店員に勧められたとっておきの可愛らしい服を用意した。香水は幽州に流れてきた中で厳選したいいやつをほのかに香る程度にかけた。化粧は文官として働いている女性達に教えられた通りに、自分の顔が映えるよう施した。我ながら上手にできていたと思う。他の文官や兵に試しに聞いてみると、とても高評価を得ていた。
自信があった。もしかしたら、可愛いといってくれるかもと思うと夜も満足に寝られなかった。
でも、あんな形で断られた。
まだ言ってくれた方が楽だった。お前と歩きたくないって言ってくれた方が楽だった。原因を聞いて、必死に彼が好むような女性になろうと努力ができたのだから。
あれじゃ、何をやっても駄目って事じゃないか。
初めて自分の容姿を恨んだ。
桃香や星であれば、化粧や服など特別にしなくても十分に綺麗だ。でも私は化粧や容姿を例え整えたとしても、振り向いてすらもらえない。
分かっている。分かっているのだ。彼の心に私の姿など一つも無いことが。
あるのは『王』としての白蓮だけ。『女』としての白蓮なんぞに、かれは指の一つや睫毛一つ動かしはしない。
ただ、焦りだけが私を蝕む。
気が付けば、私に中にあの人はいた。
気が付けば、私の中であの人は大きくなっていた。
気が付けば、私の中であの人が中心になっていた。
そうだ……私は……あの人に。
なのに、あの人は私に振り向いてはくれない。
あの人は私なんかに手を伸ばさない。こんなにがんばって、努力しているのに見てさえくれないのだ。
それでも、今までは私だけを見てくれていた。
彼は明埜や琉生、美須々を女としては見ておらず駒と見ている。私は『王』としてみられているが、それでも見てくれているだけ嬉しかった。このままでよかった。
だが連合以降はそうはいかないのだ。曹操が、孫策が彼を求めている。
それに対し、王としての私は彼が裏切るはずがないとなんの波も見せずに告げていた。何もする必要がないと、気にする必要すらないと。
しかし女としての私はどうしようもなく心配だった。
彼の目に他の女が写り離れなくなったら。彼が去ってしまったら。後者はいい、だが前者は到底許容できるものではない。
先日だって口では彼を殺すといった。口だけでなく殺せる覚悟もできている。
だが殺した後に王ではなく、女に戻った私は自分を許せるのか。
「~!!」
思わず顔が真っ赤になり、必死に熱を冷まそうと激しく首を振る。彼を見るたびに胸の鼓動が早くなるのを自分は感じていた。
解っている、私は彼にとっての一番ではないと。だけど、それでも私は彼のことを想っているのだろう。
愚かだとは思う、叶わない願いだとは思う、届かない願いだと思う。だが、それで止まれるほど自分はよくできてはいないようだ。
そうだろう、この胸に渦巻く感情の激流に身を自ら投じたいと願っているのだから。
救えないな、ああ、本当に救えない。私は馬鹿だ。どうしようもない大馬鹿者だ。
救われようとは……思っているのだろうなぁ。いい年をして何を望んでいるんだ私は。
いい、いいのだ。
例え彼が、誰もが目をひく色鮮やかな花のように私にそんな素振りを見せてくれなくても……。私は、遠くからそっと彼の事を慕っていればいい。それで、いいんだ。
立ち上がり、彼と共に築き上げた町を見下ろした。
城から眺める町並みは、とても綺麗で美しくて。……良い眺めだと嘆息が出る。そしてなんと木々の萌えていることか。
私も彼らのように萌えているのだろう。やがて花が咲き実がなるように、私もこの幽州に誰もが羨む花を咲かせたい。
そして、その花をこれと一緒に見ることができたのなら……。
駄目だ、この思いは抑えられない。
秋の田の稲穂が一方だけに頭が垂れているように、私の思いも一つだけなのだ。
あなたに寄り添いたい、一緒にいたい。それだけだ。例えどんな人間に噂になろうとも……。
……ああ、それでは『王』ではない。
彼は、そんな事は望まない。私の想いは遂げられることがないのだ。永久に、永遠に……。
「……例え、叶わぬとも。私は波才の事が」
思わず零れる感情。
だがそんな想いも発せられることなく、聞き慣れぬ声に遮られることとなった。
「ちょっと天和姉さん!?流石に何も言わずに城に入るのはまず、ゴペっ!」
「……なんだ?何の音だ?」
骨がひしゃげるような音が聞こえた気がする。それに聞き流してはいけない言葉が含まれてもいたような。再度、耳を澄ませる。
「天和姉さん、地和姉さんの呼吸が止まってるんだけど……」
「あ、本当だ。えい!!」
次の瞬間、今度は肉が潰れるような生々しい音が辺りに鳴り響いた。
「がふぁあっ!!」
そして連なる女と思わしき者の声。
……気のせいではないようだな。声の方向へと向けて歩き出す。
「これで大丈夫だね♪」
「うん、何も顔じゃなくてもお腹とかで良かったと思う。あと力入れすぎ。ほら、呼吸はしているけど地和姉さん口と鼻から血を流しているわよ?……その呼吸もだんだんと弱くなっていってるし」
「え~と、三発目行くべきなのかな?」
「なんで死人に追い打ちをかけるのよ。……いや、冗談抜きでこのままだと地和姉さんが危ないわ。いったん戻って医者に地和姉さんを診せましょう。このままだと地和姉さん死んじゃう」
「え、やだよ。何で単経さんと会えてないのに帰るの?」
単経?自然と歩を進める速度が上がる。
「天和姉さん、普通に血を分けた妹を見捨てないの」
「ごめん、なんか最近のちーちゃんは敵って感じがしたから、それも良いかなぁって……」
「……妹思いのお姉さんって、単経さんから見て評価高いと思う」
「よし!!直ぐに行こう、地和ちゃん待ってて!!直ぐに良いお医者さんに見せてあげる!!絶対に死んじゃ駄目だよ!!」
「……うん、いろいろ言いたいことはあるけれど。取り合えず急ぎましょう。あんまりここにいたらばれ」
「いや、もうばれてる」
「「……」」
驚いた顔をしているのだが……流石にばれるだろうに。
私が見たもの、それは同じような黄色い服に身を包んだ三人の少女達。話から聞く限りでは単経の知り合いで姉妹と言ったところか。
……私の気のせいだろうか、青い髪の少女が痙攣して震えているように見える。
「お前ら波才の知り合いか……って聞く前に、その子どうにかしなくちゃな。うちの軍医に」
「あの、もしかして私の単経さんがどこにいるか解りますか?」
三人の中で一番背が大きく、胸が大きい黄色の髪の少女が、背負いかけていた青髪の妹を地面に放り出すと私に駆け寄ってくる。……頭から行ったぞ。
今は彼女の後ろなので姿が見えないが、眼鏡をかけた姉妹であろう人物が「うわぁ」と呟いているのがとても気になる。
いや、それ以上に今の私には気にかかっていることがあった。
■ ■ ■
「ア?旦那ノ主?アノオッペケペー女共カ」
「ああ、どんな姿をしてるんだ?」
「……マ、イッカ。髪ハ桃色デ長髪、デケェリボンツケテンナ。アト胸ガデケェ。ツイデニポワポワシテンナ。コレガ長女」
「ってことはまだいるのか?」
「オオ、三人イル。続キ聞クカ?」
「……いや、いいよ」
■ ■ ■
今私は相当怖い顔をしているだろう。目の前の少女は全ての条件に当てはまっている。そして後ろの姉妹が二人。
そうか……彼女達が。私は全てを理解した
理解した瞬間私も笑顔で応えていた。ああ、この時は人生で一番の笑顔を顔に張り付けたのを覚えているとも。
「ああ、私の単経なら今自分の執務室にいると思うぞ」
その場にいる全ての人間は、世界が軋み、悲鳴を上げる音を聞いた。
■ ■ ■
「……!?」(ゾクゥッ!!)
「単経さんどうなされたんですか?」
不思議そうな顔で月は単経に尋ねる。波才は突然顔が真っ青に染まり、首をひっきりなしに動かして辺りを見回している。
「あ、その。ナイスボートというか、なんというか」
「え?」
「いえ、気のせいでしょう。う~ん、こんなに仕事減らしてもまだ疲れているのかな(しょうがない、詠さんにもうちょっとがんばってもらおうか)」
単経に月が相談する、約三十分前の出来事である。
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『史上最高の弟子ケンイチ』
『少年陰陽師』
『屍姫』
『へうげもの』
その他不明。
母親は暇な時に実家の私の部屋の本を読んで楽しんでいたそうです。特にこれらがお気に入りだと……おい、小学校の先生が読んだらあるまじきものが入っているんだが。
父親は私が買ってきた本を勝手に見ることがあります。元々マンガが好きな父は、たまにハマってアニメを見るものがあるのだとか。……というか少年陰陽師とかエクソシストは俺だって見てないぞ、おい。
そんな父は小学校の校長……いやだからラインナップおかしいからねッ!?
今日も私の家は平和っぽいです。……たぶん。
あ、本編ですか。白蓮まじ乙女って事で。