第三十四話 大人になるって、悲しいことなんだな
あなたの才能ではなく、あなたの態度が、あなたの高さを決めるのだ。
~ジグ・ジグラー~
波才は明埜に導かれるままに、ただ一心に壊れ打ち砕かれた洛陽の街を走っていた。
本音をいえば、彼は休みたくてたまらなかった。
体は人並みであり、ましてやこの世界のチート共と同じように特別では無い。現に今、波才の体は緊張の連続で疲労が精神・肉体共に蓄積していた。
言うなれば、帰宅直後に布団に入ってそのままお休みコースだろう。
それにもかかわらず今こうして休まずに走っている、いや走らざるをえないのにはわけがあった。
玉璽。
分かりやすく簡潔にまとめれば「帝たる印」だ。
中国の歴代王朝および皇帝に、代々受け継がれてきた玉璽(皇帝用の印)。
どこかの猿がこれを得るや、皇帝を名乗ったこともあるぐらいだ。
現代日本ならお前はお前、玉璽は玉璽だろ?何でお前が調子のんだよって冷静につっこまれかねない。だが代々の皇帝が受け継いできたという歴史と信憑性は、信心深いこの地の人間にとって馬鹿にならないほどの威光をかもし出すのだ。
取り合えず、持っていれば威光が半端無い。
だが、場合によってはとてつもない毒になってしまうのもまた事実。
冷静に考えて欲しい、過ぎたる物は人を滅ぼす。神が使う神器を人が扱えばどうなるか予想がつくのではないだろうか。
今言った例えが、例えにならないぐらいのやばさをあれは持っているのだから。
「(っべーわ。マジベッーワ。どうするのよ、どうするのよ俺」
あまりにもこれはイレギュラー過ぎる。
はっきり言えば忘れてしまっていた。この世界に孫堅はいない、一体誰の手に渡り何が起こるのかなど想像が出来ない。私達が得たとしても活用し切れん。
仮に自分が手に入れたとしても……どうしよう。不確定のSSSランクのパンドラの箱を持ち帰るなど、どうなるのか想像もつかない。
隣のに袁紹でもやって暴れさせるか?そうすれば……いや、周りがどう動くのか分からない。それ以前に誰かに譲渡すれば問題が山ほど溢れ出てくる品物だ。
……下手すれば、予定していた計画が崩れ去る恐れも出てくる。
「(ああ、まったく!!清々しく何で終われないのだ!?)」
怒ったところでしょうがない。
場合によってはFateの聖杯よろしく破壊してしまおう。いらないものなど壊してしまえばいい。
■ ■ ■
「………」
「………」
「明埜?」
「ナンダ?」
「あれって、下からスポットライト照らしていません?」
「旦那、ヨク意味ワカランガ落チ着ケ」
私は今見ている光景が全く信じられない。
光っている。井戸の口から光が溢れている。もうあれだ、どっかのテレビ企画でおもいっきりやらせをしているのではないかと疑ってしまうぐらいだ。
もの凄いこの井戸の周辺を照らしているんですけど……昼間なのに。
玉璽って何だっけ。冗談で言ったつもりだったが、本当に聖杯だっけ?
私が知らない間に聖杯戦争行われたんでしょうか?いつの間に他のサーヴァントを倒したのだろう?
「旦那、目ヲ背ケタクナルノハ解ガ……」
「……あ、ええ。解っていますよ」
もう、何でもいいや。何でもありなんだよこの世界。
なんか沸き上がる熱が、凄い勢いで冷めていきましたよ。ええ、冷めましたよ。
虚しくなり、頭が痛くなり、思わず頭を抱えるが……こんな状態に玉璽をしておくわけにはいかない。
……本音を言うと、もう触れたくもないし、関わりたくないし、嫌な予感もするがここは潔く諦めようと思う。
「……あれを回収してください」
「了解ット、オイ、オ前取ッテコイ」
「っは!!」
明埜は側にいた部下である包帯を顔に巻いた男に命じて取りに行かせる。
明埜の真意は知らないが、彼女は自らの部下にも包帯の着用を命じていた。
そして想像してみて欲しい。この場にいるのは怪しげな麻袋を被った男、包帯を巻いて逸脱した声を持つ女、その配下の包帯男達。
……どう見ても不審者です。ありがとうございました。
もうこれどこからどう見ても仮面ライダーとかに出てくる悪の組織じゃないですか。しかもお宝を回収中とか……うわぁ、なんか嫌な予感がしてくるんですけど。もしかしてドラクエのいどまじんとか出てこないよね?
嫌な汗をかきつつ待つこと数分後。
明埜に命じられた男が、井戸から顔を出した。
その手に持つのは光り輝く……。
「(なんと……これが玉璽か)」
波才一同、内心驚嘆の声を上げた。
見た瞬間解るこの宝の価値、精巧に作られた龍が印の上に鎮座し、その姿は今にも動き出しそうなほどであった。さらに最も驚くべき事はこの玉璽を見た瞬間、今までこれに抱いていた悪感情が全て忘れ去ったのだ。惹き付ける宝、不思議な魅力を放つ宝。これが……代々皇帝が受け継ぎし玉璽。
さて、どうする。
波才はこれを見て覚悟を固めた。危険だ、危険すぎる。前に神が扱う神器を人は扱えないと言ったが、これは人が扱えるからこそ危険すぎるのだ。
それこそ明確な『知』と『自己』を確立していない人間がこれを得たら人が変わるのではないか。
天下の宝の魅力を見誤っていた。
確かにこれを持つことでメリットが大きい、反面デメリットも大きく何が起こるのか矮小な人間たる私には想像も出来ない。
ここに来るまで、袁紹にこれを渡すことで『二虎共喰の計』の策の助けにでもするかと僅かばかり考えていたが……止めだ。下手すれば白蓮がこれに魅入られるぞ。袁術の二の舞なんざごめんだ。
本当にどうする。
やはり聖杯戦争よろしく破壊するか、エクスカリバーじゃなくて明埜カリバーだがいけるか?そう考えていた矢先。
「この辺で……!?あ!!」
「……遅かったか」
耳に飛び込んできたのはどこかで聞いたことがある声。
なんとも言い難い嫌な予感と共に振り向くと、そこには。
「あ、波才じゃない」
孫策を先頭に、江東ご御一行が波才達を苦虫を噛み締めたような顔で見ていた。
……いや、孫策だけが満円の笑みで手を振っていた。
というか孫策さん、なんであんただけそんなに楽しそうなの?あんた何あっさり正体ばらしてくれてんの?誰もいないけれど、誰かいたらあれだよ、俺死んじゃうよ。
「今は単経です……何で貴方だけそんなにマイペースなんですか?」
「天界の言葉はわっかんないな~♪」
「私は貴方が解りません」
隣にいた眼鏡の女性……思い出した、この人醤油、じゃなくて周瑜だ。
孫策が街でお酒飲んでいると、毎回連れ戻しに来る人だ。あと黄蓋が街でお酒を飲んでいると連れ戻しに来る人だ。
……多分呉一の苦労人です。
今も頭に頭痛がするのか手をやっています。そりゃストレスで血を吐いて死ぬわなぁ。
波才自身も舌打ちと苛立ちを飲み込む。
孫策御一行の中で比較的友好的なのは主君の孫策だけだ。周瑜、それに忍者スタイルで頭にナルトみたいな額宛をした長髪の少女は間違いなく自分たちの事を心よくは思っていないだろう。
それはそうだ。これを見るに彼女達は玉璽の回収に来たようなのだから。
孫策軍は袁術の支配下の下に置かれている、今が一番辛く我慢の時期なのだ。だがこの乱世という雄飛の絶好の機会を迎え、そのビックウェーブに乗るために現在は奮闘している真っ最中。
私が今持っている玉璽は、そんな彼女達にとって咽から手が出るほど欲しい一品なのだろう。
求心力を得るなり、利用して蜂蜜馬鹿から独立するための布石にするなり、彼女達にとってこの玉璽はまさに孫策軍が、呉を取り戻すための重大な一手の一つとなりえるのだ。
それをまず私は持っているのだから警戒し、顔をしかめるのも無理がない。
そしてこれが最も、というか一番だと思うが元黄巾党出身で悪の軍団っぽい私達を警戒しないなど、もう人として駄目だ。我ながら悲しくなるが現実だ。
むしろ劉備にしろ孫策さんにしろ、彼女達がおかしいのだ。まだ孫策は警戒を心隠してしているので解るが……劉備の場合は……その、まぁあれも魅力の一つなのだろう。
「……ヨオ、久シブリダナ小娘」
「……貴方まだ生きてらしたんですか」
明埜が袖から手裏剣、孫策陣営の忍者娘が背中の刀に手をかける。
……なんでこの二人、こんなにも仲が悪そうににらみ合っているのだろうか?
「明埜、知り合いですか?」
「アア、一回コノチンチクリント殺リアッタ事ガアッテナ。コイツガ油虫ノヨウニ逃ゲチマッタセイデ、未ダ決着ガツイテネェンダ」
出会い頭にゴキブリ呼ばわりって……。
明埜はやたら意地が悪い笑みを浮かべて目の前の少女を嘲笑する。
「よくいいます。正面から来ずに、あまつさえ部下を盾にして闘い、よくそこまで誇れるものです!!」
一方売り言葉に買い言葉、忍者娘も負けず劣らずに彼女へ向けて侮蔑の表情を浮かべて激昂している。
この言葉の応酬で、この場の気温が急速に低下していくのを肌で感じた。少なくとも女性の口げんかほど男が苦手で辛いものはあるまいて。
「ッカ!!シッポマイテカサカサ逃ゲタ油虫ガヨク言ウゼ。大方、コレヲ見付ケテ報告シタノハテメェダロ?残念、悪ィガ俺ハテメェミタイニヌルクナインデネ、先ニイタダイタヨ油虫」
「ふん、そのような稚拙な言葉に惑わされる私ではありません!!」
「稚拙ナノハテメェノ体ダロウガ」
「っな!?」
「オ前ノオ胸ハドコデスカ?ツカ何デ背中ヲ俺ラニ向ケテルンダ?ン?アア、失敬失敬。オ前ノ胸ガ板並ミニ無イモンダカラ間違エチマッタワ」
明埜の謝罪という名の彼女の体をとぼす発言に、少女は顔を赤くし「な、な、なぁ!!」と震えている。
……なにこれ、怖い。なんか明埜の雰囲気がいつもと違うよ。マジだよ、マジだよこの二人。
明埜は顔が引きつる波才に気が付かず、少女を哀れみの視線で見ながら、鼻で笑う。
「あ、貴方だって私と似たようなものじゃないですか!!」
「残念、俺ハ着ヤセスルンダヨ。服ノセイデモアルカラ分カリヅレェガ、結構出ルトコ出テンダヨ」
……え?
私は思わず明埜の玉璽を持ってきた部下へと目で問いかける。すると彼は何故か深く、神妙に何度も頷いて私の問いに答えた。
……マジ?
まったく私知らなかったんですけど。
「む、むむむっ!!べ、別に胸がなくたって魅力的な女性はいますっ!!」
「デモアッタ方ガ魅力ハアルダロ?ソレニソノ言イ方ダト自分ハ駄目ダッテ認メテマスッテ言ッテルヨウナモンダゾ、チンチクリン」
「ううううぅぅぅしゃーっ!!」
ついには忍者娘は涙目になり、猫のように威嚇を始めた。
……女の争いってすんごい怖い。なんか、関係ないのに胸が痛い。
というかこれ、怖くて突っ込まなかったけど本題からずれているよね?
「ねぇ、ちょっといいかしら」
孫策さんが止めに入る。この空気中で一人堂々と切り込んでくる様は、流石王と言うべきか。
いつもはおちゃらけていても締めるところは締める。それでこそ江東の小覇……
「……単経は胸についてどう思うの?」
おい、この女つまみ出せ。
なんてこと言いやがるんだよ。見ろ、周瑜の引きつっていた頬がさらに引きつってやがる。
それになによりも明埜と忍者娘の矛先が、こちらにむきかけてるんですけど……。
そ・れ・に!!
ああ、もう、こればっかりは言いたい。
「女性に胸なんて関係ないですよ」
「へぇ……」
「男は誰でも胸胸胸、まったく。なんでもっと見るべき物を見ようとしないのか。そんなものに自分を惑わされるなどあまりにも馬鹿らしく哀れ。私は違う、そんなものに惑わされない。見るべき所を見ているから……」
何故か忍者娘から尊敬の視線を受けている気がした。
周瑜も感心したように私を見ており、孫策は今にも口笛を吹きそうであった。
気分が乗ってきた波才はもうドガンと男らしく声高らかに宣言する。
「胸よりもお尻でしょう!!常識的に考えて!!」
「「「「……」」」」
一瞬で彼らの視線は侮蔑する冷たい目に変わった。
その場にいたものは皆、明埜までもが同じ事を思った。
……それ、どこの常識だ、と。
もしかして天の国はこんな奴らばかりなのか、と。
~周瑜 side~
まぁ……なんだ。人の趣味はそれぞれだ。
そして雪蓮、頼むからお前は少し黙っていてくれ。
そう目で伝えると、雪蓮は口を尖らせてつまんないと下がった。……今はつまる、つまらないと言っている場合では無いのはお前が一番解っているだろうに。
私達は未だ一歩踏み出したばかりだ。
その私達にとってあの男の持つ玉璽の価値は大きすぎる。
それにね、雪蓮。
「え?あの、なんで皆さんそんな冷めた目で私を見るの?あ、明埜?」
「……悪ィ旦那、俺ハノーコメントダ」
あの男を信用できない。
お前は解っているのか?いや、解っているのだろうな。
あの男はここらに兵を仕込ませている。それもただの兵ではない、あの包帯を顔に巻き付けたものが複数、それも私達を囲う形でだ。
それでいてあのように振る舞うことが出来るのだぞ?先に気づいていなければ、私でさえ騙されていたのかも知れん。
雪蓮があ奴らの注意を引いている間に数を調べたが……気配を隠すのが上手いな。それ程の者達が確認出来た数、十人以上に囲まれていると考えるとゾッとする。
「そ・れ・で、何用ですか?みなさん、こんな所へ来るなんて。聞いた話ではようやく最初の連合のお仲間がここに入ったらしいですよ?皆さん自分の軍を放っておいてこんな所に来るだなんて」
「それは貴方も同じではないのですか?単経殿」
私が口を挟んだその時、男は「ぐりん」と不自然な首の動きと共に私を見た。
袋に浮かぶ二つの光点、それが私の全身を射貫く。
「何ですか~周瑜さん、私だってあれですよ?若気のいたりで一人で飛び込んじゃったりするんですよ。ほら、主人公が後先考えずに飛び込むとかよくあるじゃないですか」
「……ふむ、真意を語るつもりはないと」
「いやいや、無いものを語れと言うのがそもそもの無理な話。ですがそちらの思いは明白ですねぇ、先ほどのそちらのお嬢さんがものの見事に答えを言ってくれたではありませんか?」
「ではそちらも目的は同じだと?」
「(っちぃ!!この腹黒狸が。それは肯定すればめんどくさいし、否定すればなおめんどくさいでしょうが。交渉術には一日の長がありやがりますね……)はて、私はあれです。主人公精神で飛び込んだらこんなものを見付けただけなんですよ~やっぱり主人公は重要なアイテムを見付ける定めにあるのです」
「(っち。何を言っているのかまるで解らん。これがこの男の交渉術か?未だ私はこの男の一端すら掴んだ気がしない……)ほぉ、ならればそれをどうなさるおつもりかな単経殿」
そう問うと、何を思ったのか。
肩を震わせて、面白おかしそうに両手を広げた。この状況で道化のような仕草を装うその様は、見ていて実に怒りを覚える。
「そうですねぇ……袁術にでもあげましょうかねぇ。なかなか面白い話が聞けそうだ」
袁術……あの小娘が玉璽を得る?
私はこの男にさらなる嫌悪を抱かずにはいられなかった。
暴走は間違いないだろう。
自ら皇帝を名乗る可能性もあるか……そうなれば間違いなく私達は前線に出撃させられる。そうなる前に何とか旗揚げせざるを得なくなるが……駄目だな、こちらの望む時期に旗揚げが出来るとは限らない。
かといって反旗を翻さなければ、疲弊して独立だの言っていられなくなる。
まるで狐だな、この男は。
人の嫌な顔をこのような言葉で引きずり出す、なんと趣味が悪い。
私は背筋を這う語りようのない怖気を振り払うためにも、単経を睨みつける。
「確かに……面白いことになりそうだ。だが単経殿はそれが欲しいとは思わないのか?惜しくはないのか?」
「……そうですねぇ、確かに手放すだけというのは何とも言い難い。では袁術にこう頼みますかね」
そしてあいつはさぞ楽しそうに言い放った。
「玉璽の代わりにそちらの孫権様をいただきたいと」
「「っな!?」」
思わず私と明命はあまりの驚きに声を出してしまった。
周りを囲む我らの兵も、そのあまりの不遜ぶりに怒りを覚えるどころか唖然としてしまう。
今この男はなんと言った!?
「いやぁ~私もそろそろ嫁の一人でももらいたいお年頃でして。聞けば聡明なる孫呉の姫君はうってづけというわけでして……袁術様はお頼みしたらどうなさるでしょう?くれるかな?もらえちゃうかな?」
今や私はもはや溢れ出て止まらないこの男に対する嫌悪を隠せずにいた。
何をぬけぬけと言い放つのだこいつは。間違いなく私達の反応を楽しんでいる、それも最悪の形で。
袁術に玉璽と引き替えに蓮華様をこいつが欲すれば間違いなく、袁術はこの用件を必ずやのむであろう。
あいつらにとって私達の命などあってないようなものだ。それ一つであいつの望みが叶うなら、間違いなく私達の命を売り払う。
蓮華様は雪蓮が、「私にもしもの時があったなら」とごく最近まで中心から何かあってはよくないと遠ざけられていた。
孫家の全員が蓮華様を大切に思っている。それを売る?売ってまで私達の身を守れと?
「(巫山戯るな……!!)」
だが、そこで反旗を翻そうとも私達の勝機は極めて薄い。
それでも、それでも蓮華様を売り払うようなまねなど出来ようもない。
我らは孫策軍は家族以上の絆で結ばれている。むざむざと孫家の姫君を売り払う行為など、間違いなく兵達に不信感が募り、呉の軍を去っていく者もいるだろう。
孫家の姫君が売られたのだ、私達が売られぬわけがない、と。
仮にその後袁術を討伐できたとしても、その蟠りは二度と無くなることはない。
むしろ後に引き続けること間違いない。孫呉の統治、民心、交渉。全てにおいて信頼を失う、我らはもはや国としての姿を保てない。
つまり、間違いなくこの男が言ったことを実行されれば呉は……。
「……そこまでにしなさい、単経。流石にそれ以上は私も我慢できないから」
気が付けば雪蓮が一歩前に踏み出していた。
このことにより両陣営の緊張は、後一歩で殺し合いと言うところまで行く。
だがこの男はむしろそれを楽しむように笑っているではないか。
「おお、怖いですね。それで?孫策さんは一体なんのご用ですか?」
そうだ、雪蓮。
こいつは今解った。間違いなく毒だ。
人が思い付く最悪の事態を超える展開を思い付き、平然とそれを提案して相手の反応を楽しむ。
下手なことを言えば逆にこいつに踊らされるぞ?
止まらない汗を拭いもせず、私は雪蓮をただ見つめ続けた。
そして、彼女は口をゆっくりと開く。
「いや、その玉璽くれない?私達必要だし欲しいのだけれど?」
全てのものが……呼吸を止めた。
「……いや、流石の私もなんていうか。その、直球ですね」
「冥琳みたいに腹を探り合うのは苦手なのよ。それに、貴方は探ったら逆にかみつかれるからね。この方が貴方も良いでしょう?」
「……はぁ、本当に私は貴方に勝てないのですね」
そう言ってあいつは呆然とたたずむ配下の手から玉璽を奪い取ると、静かに雪蓮の下へと歩を進めていく。
私達は危惧して雪蓮の前に割り込むべきかと思ったが、雪蓮が手で制することでそれは叶わない。
雪蓮と向かい合う単経、一瞬にして再び空気が張り詰めるが、その次の展開にまた我らは驚き固まることになる。
「はい、どうぞ。いや、先ほどはすいませんね」
「ありがとう。分かってるわ、でも冗談にしても言い過ぎよ貴方」
「一度切り替わると止められないんですよ。これで損をすることも多くあります」
「でしょうね~、治した方が良いと思うわよ?どうせこれも扱い困ってたんでしょう?」
「……なんで分かるんですか貴方は」
何事もなく、まるでお菓子を譲るように国宝品を簡単に手渡した。
更にまるで先ほどの事が嘘のように談笑する。
……もはや頭痛すら通り超して呆然としてしまった。
駄目だ、こいつらの会話はまるで見えん。
「それじゃ、そろそろ行きますね。私達は一足先に帰って、いろいろやらなくちゃいけないんで」
「あら、ちょっとぐらいおじゃましてお茶でも飲んでいったら?」
「いや、私達もあなた方同様いろいろやることが多くてですね。それにしばらくしたらお手伝いに行きますよ、独立の」
「そう、助かるわ。それにしても蓮華が欲しければあの時その誘い受ければよかったじゃない」
「……孫策さん意地悪が過ぎますよ?謝っているではありませんか。私心弱いんですよ?チェリーボーイ並ですからね」
「それに嫁が欲しいのならここに超優良物件が」
「お断りします」
「……なんだか妹二人よりも早い返答ね」
「私、お酒苦手なんですけど。付き合わせられる気が、はんぱないぐらいしましてね」
「飲めば慣れるわ」
「その過程でどれほど飲まされるのか、考えるだけでも頭が痛いんですけど」
「気のせいじゃないかしら?」
「……今これが気のせいじゃないと理解しましたよ」
そう言って単経は大きくため息をついた後、踵を返した。
心無しか足運びが重くなっているような気がする。
「あまりそうやって周瑜さんを困らさないで上げてくださいね」
「っむ!!そんなこと無いわよね、冥琳!!」
「……今回ばかりはその男に同意させてもらいたい」
「ガーン……」
雪蓮、そう思うならば仕事を抜け出して酒を飲まず、真面目に仕事して欲しい。
「それでは皆様。思うことはあるでしょうが、これにて失礼」
「うん、またね」
「はい、また会いましょう」
単経が歩き出すと、その周りにいた者達もこちらを若干警戒しつつ、後退し始める。
「チンチクリン、次ニ会ウ時ハソノ綺麗ナ目玉ヲ抉ル時ダト、心底願ッテオクゼ」
「……それ以前に、次ぎに会うときが無いことを祈らせていただきます」
「ッカ!!ヌカスゼ」
途中包帯で顔を覆った、妙な響きの声を発する女が明命と言い合い、それ以降は特に何事もなく彼らは去っていった。
……にしても先ほどのやりとりはどうも腑に落ちない。
玉璽の価値を知らぬ輩でも無かろうに。それを渋らずに明け渡すなど……それも何の交渉も無く。
「雪蓮、あなたは」
「冥琳、あの子を相手にするときは下手な勘ぐりは止めなさい。あれは子供と同じ、ただし噛み付けば、向こうはこちらの首目掛けて噛み付いてくるから」
私の声を遮り、未だあの男が去った方角を未だ優しい目をしながら見つめる雪蓮。
子供?あの毒蛇のような男が子供?
「子供と評すには多少毒が強すぎる気がするが」
「……冥琳は気が付かなかったか。あの子、私達に怯えていたわよ?」
怯えていた……?
私は雪蓮の意見に思わず呆気にとられた。
こちらはむしろ、あの男の手の中で好きなように踊らされていたのでないのか?
「あの子は怯えている、私と初めて会った時もそう。あの子自身が気が付いているかは知らないけれど」
雪蓮は手に持つ玉璽をいじりながら楽しそうに笑った。
「波才……ってこれを言ったらあの子は怒るわね。単経はとっても臆病よ。私も、冥琳も、明命も、曹操も、劉備も、あの子にとって全てが怖いみたい。だからそれを隠すために、必死に単経は何かを被る。顔を隠す袋、まるで思いを伝わらせない捻った言葉、演技がかった行動・仕草。まるで自分自身を覆い隠すかのようにね」
「それにしては私達を恐れず、ずいぶんなことを言い放ったが?」
「冥琳……単経は臆病よ?でもね、彼が持つ覚悟は本物なのよ。単経は自分が持つ願い・思い・信念にかけては曲がることはないわ。それに誰かが手を伸ばしたとき、単経はあらゆる手段でそれをたたきつぶそうとするの。臆病だから必要以上にね」
大きくため息をついて雪蓮は再び、単経が去った方角を眺める。
「まるで平和な世で育ったお子様。そしてその子供が覚悟を決めているのよ?確かに最初は私も分からなかったけれど、分かってしまえば単経がどう思っているのか分かってくるわ。知ってる?あの子前見たとき以上に困っていたのよ?」
そしておかしくてたまらないといわんばかりに、彼女は微笑む。
明命はそれを不思議そうに見ている。私だってそうだ。
あの男のどこからどこまで雪蓮は読み取れたのだ?
「すごく分かりにくいけれど、分かるわ。単経が玉璽を持ってる時、彼すごい困った顔してたのよ。まるで厄介者を見るように国宝を、私達が欲している物を見ていたのよ?私はおかしくて仕方がなかったわ」
「だから、雪蓮様はあのようにおっしゃったのですね?」
「ええ、でも本当にもらえるとは思ってなかったわ。何かしら条件をつけられるかと思ったんだけどなぁ。……っま、どうせうちに来るみたいだし、その時に聞けばいいわね」
「え!?あの人来るんですか!?」
「ええ、来るわよ。彼自身そう言っていたじゃない」
明命がその目をかわいらしくぱちくりと瞬きをする。
だがこれには冥琳は同じく口を思わず開けて驚く。
「……雪蓮」
「大丈夫、あの子私達に対して敵対心持ってないから」
そう雪蓮笑うが……これは笑えないぞ?
大丈夫大丈夫と雪蓮は手を振ると、これを手に入れたと言い回して、大陸中から迷信深く有能な兵達を集めてはどうかと提案してきた。
最初の戦いでの武勇伝もあることだ、この案に私は同意し、直ちに各地へとこちらの手の者を飛ばした。
「さて、それじゃそろそろ戻りますか。蓮華も首を長くしていると思うし」
そうだな、姉思いのあの方のことだ。本当に首を長くしていることだろう……ん?ちょっと待て。
その蓮華様を雪蓮は……。
「……待ちなさい、そう言えば自分を単経に売り込んだわね」
「ん?まぁそいうのも面白いかなぁって。結果として面白い単経の姿も見られたことだしね」
「……その後に言った他の妹二人とは、蓮華様と小華の事に間違いないわよね」
「あ……」
「……雪蓮、貴方私の知らないところで何をしようとしたのかしら?」
冥琳の背後から何か黒く蠢く気が辺りに溢れる。
それを汗を流しながら雪蓮は目を逸らし、何かを思い付いたように目を輝かせた。
「……妹の婿捜し?」
その後、洛陽にまるで落雷のような怒号が響き渡り、波才は思わず汗を流して振り返ったというのはまた別の話。
~波才 side~
「旦那、アレ、ヨカッタノカ?」
「あんな厄介な物は無いに限ります。孫策には借りがありましたが、あれで多少は返せたと思えば十分」
「ッデ?孫権ノ下リハ本気ダッタノカ」
「売るわけ無いでしょう。あの人達が」
不機嫌が隠せずにぶっきらぼうに言い飛ばすと、明埜はくぐもった声で笑った。
本当の世界ならば、ぶっちゃけ売るどころか斬り殺す可能性すらあっただろう。
儒教の概念はつまるところ「小事は大義を為すためには仕方がない」と言っている。妻を殺して劉備に食べさせたなんて、実にそれらしい、演義らしい概念じゃないか。曹操が親の義兄弟である呂家を殺し尽くし、『俺の為すことは正しい』と言ったのもそうであろう。孫氏は恩人の右腕と妻を犠牲に、埋服の計を成功させた。これら全てが当時の中国の価値観なのだ。ぶっちゃけ暗殺など万々歳である。
しかしだ、この世界はどうもそこら辺が近代思想に基づいていると感じる。
考え方も中国よりではない、むしろ……日本、それも近代の日本よりだ。あそこまで命と絆と信頼関係を重んじるなど、あり得るはずがない。はっきり言って甘すぎるのだ。
この有様では、政略結婚一つで文句が溢れんばかりに出てくる事だろう。ましてや暗殺なんてもっての他だ。実にやりにくいことこの上ない。
周瑜にしても、非情になりきれていないように思えた。
私は孫権との婚姻の権は、むしろその話を盾に何かを押し迫るか、またはそれを槍に切り返してくるのかと期待していた。
だが結果は呆然と呆気にとられるのみ、まるでまったく予想もしていなかったかのように、いや予想していなかったのだろう。
むしろ当然ではないだろうか、国宝を差しだしてまで女を求める愚か者の話など飽きるほどあるだろうに。
これも性別がとって変わった弊害なのだろうか。この世界に来て初めて本当にため息を吐き出した。
甘い、甘すぎる。
暗殺を実行し、民の不満を爆発させて地盤から崩そうとした私の声に、反対しだした白蓮には唖然としたものだ。しかしそれすらも可愛いものだったのか。
いや、逆にこれは一種の縛りプレイなのだろう。戦国時代のシュミレーションゲームに、戦闘飛行機をチートととして使って入れ込んだとしてもなにも面白くない。結果は見えてつまらないものだ。
むしろ今あるもので、この世界のルールで戦う事でより強い快感を得ることができるのかもしれない。だとすればこの土壌に乗っ取り、あくまで規律の範囲内で動き戦えばいい。多少の穴ぐらいはひ弱な身と頭なのだ、見逃してもらっても良いだろうに。
限られた範囲内で生きるからこそ面白いのだ。人間が人間らしく生きるからこそ面白い。
うん、そう考えると元気出てきた。
そう考えると玉璽は渡りに船だったと言わざるを得ない。
なんせ孫堅の代わりに孫策が現れたのだ。結局は太極に沿って流れているということが分かったことは大きい。
「ともかくこれで終わりです、なんていうか早く帰って寝たい」
「俺モ早ク帰ッテ一杯ヒッカケルカナ、旦那モドウダイ?」
「そうですね、たまには祝い酒も悪くないでしょう。みんなで盛大にやりますか」
「ケケケ、ソンジャ行コウゼ。旦那」
「はい、行きましょう」
董卓連合は終わり。
群雄割拠の訪れだ。英雄が闊歩する時代の訪れだ。
まずは袁紹か……やることは多くあるな。
まぁ、まずは一杯飲んで寝ましょう。
こんな日に月を見つつ一杯やるのも悪く無い。この世界の月は綺麗ですから。
……そうなるとつまみもいるな。
「……ピザ、作るか」
「旦那、気ノセイカネ?コノ連合以上ニ気合イ入レテネェカ?」
「明埜!!貴方は分かっていない!!カレー中毒にチーズ中毒というのがあってですね!!」
「ア~ナンツウカ黙レ」
五月蠅く騒ぐ波才、五月蠅そうに顔をしかめる明埜。
騒がしく響く戦の後の空。
未だ黄天は爛々と輝いている。
基本この小説を書いている時の音楽は、『Qべぇの営業のテーマ』とか、『FFのケフカのテーマ』で固定されています。
なんだろう、この二つは異常に書いていて執筆欲が湧いてくるんですよね。
……うん、絶対この小説もどきの中身に影響していると思います。
みなさんもよければそれらを聞きながら読んで見てください。たぶん間違いなくバッタもんの香りがするでしょう。
自分は作業の時はあんまり歌入りの音楽は聞かないタイプです。