婚約破棄? ありがとうございます、国家ごと潰させていただきます
王立魔法学園の大講堂は、夜会のシャンデリアの光で眩しく輝いていた。
卒業記念舞踏会。それは未来の国を背負う者たちが集う、華やかな社交の場であるはずだった。しかし、今のこの空間を支配しているのは、張り詰めた緊張感と、これから巻き起こる悲劇の予兆だ。
私は静かに、琥珀色のワインが揺れるグラスを傾けていた。
「アリア・シャルパンティエ!」
その声が響いた瞬間、美しい調べを奏でていた楽団の音がぴたりと止む。
大講堂の喧騒が霧散し、何百という視線が、一斉に私へと突き刺さった。
壇上に立っていたのは、この国の第二王子、カカオ殿下。そしてその隣には、扇子で口元を隠しながら勝ち誇ったような笑みを浮かべる侯爵令嬢ショコラ。
ああ、来た。
私は心の中で、誰にも聞こえないほど小さく、しかし深くため息をついた。
「貴様との婚約は、この場をもって破棄する!」
大講堂がざわめく。驚愕の声、好奇の眼差し、そしてここぞとばかりに湧き上がるヒソヒソ話。
――テンプレートみたいな台詞だな。
私は冷めた思考で、劇のような光景を眺めていた。
「アリア・シャルパンティエ! お前は平民上がりの成金の娘でありながら、純真なショコラを虐げ、さらには禁呪研究に手を染めた!」
カカオ殿下が、糾弾するように指を突きつける。その顔には、自分が正義の執行者であるという傲慢な自信が満ち溢れていた。
「まあ」
私はわざとらしく目をぱちぱちさせて、不思議そうに首を傾げた。
「禁呪研究、ですか?」
「すっとぼけるな! 証拠もある!」
カカオ殿下が勝ち誇ったように、一枚の羊皮紙を突きつける。
……その書類、偽造が雑すぎるのだけれど。インクの滲み方も、署名の筆跡も、私を陥れるためだけに用意された安っぽい小道具だ。
周囲の貴族たちは、カカオ殿下の声に乗せられ、手のひらを返したように私を罵倒し始める。
「やはり平民の血は汚れているな」
「金だけで侯爵家に入り込むなど、最初から間違いだったのだ」
「所詮、商人の娘。品位のかけらもない」
心ない言葉の礫。だが、彼らにとってはこれが「正解」の反応なのだろう。
私は持っていたワイングラスを、テーブルに静かに置いた。澄んだ音が講堂の静寂に響く。
ゆっくりと、口角を上げる。
「殿下。一つ、確認してもよろしいですか?」
「なんだ! まだ弁解の余地があるとでも言うのか!」
私は微笑みを深め、優雅に問いかけた。
「本当に、“私との婚約を破棄してもよろしいのですね?”」
私の問いかけに、カカオ殿下は迷いなく叫んだ。
「当然だ! 貴様のような悪女、二度と王家の敷居はまたがせぬ!」
その瞬間だった。
大講堂の正面扉が、重々しい音を立てて内側に開かれた。
現れたのは、夜の闇を溶かし込んだような黒銀の軍服を纏った騎士たち。彼らの胸元に刻まれた、双頭の鷲の紋章を見た瞬間、講堂の空気が凍りついた。
「……隣国、ヴァルディア帝国の近衛騎士団……!?」
誰かが恐怖に引きつった声で叫ぶ。
騎士たちの列の中央を、一人の壮年の男が悠然と歩いてきた。
白銀の髪。鋭い紅の瞳。一切の妥協を許さない峻烈な相貌。
圧倒的な質量を持つ威圧感。
ヴァルディア帝国大公爵。
“氷血公”アレクシス・レーヴェンハルト。
この大陸でその名を知らぬ者はいない。冷酷にして、帝国最強の軍師。
そんな男が、人々のどよめきを無視して私の前まで歩み寄り、そして――。
深々と、片膝をついた。
「迎えにきたぞ。愛しい我が孫、アリア」
場内から酸素が消えた。
カカオ殿下の顔から色が失せ、喉が引きつるように鳴る。
「……な、なにを、言っている……?」
「ご紹介いたします、殿下」
私はふわりとドレスの裾を摘み、淑女の礼をしてみせた。
「私の祖父です」
「は……?」
「正確には、母方の祖父ですが」
ざわり、と会場が波打つ。母はかつて、レーヴェンハルト公爵家の庶子として生まれ、この国へ密命を帯びて送り込まれた。
目的は、この国の瓦解。腐敗した王家、無能な貴族の選別、軍事情報の掌握、魔法技術の回収。すべてを探るための「隣国の目」。
そして私は、その使命を引き継ぐために生まれてきた。
「私は、隣国の血を引く者です」
静まり返る会場。カカオ殿下は額に脂汗を浮かべ、後ずさった。
「ま、待て……それなら、シャルパンティエ商会も……!」
「ええ」
私は肯定の笑みを浮かべる。
「シャルパンティエ商会は、ヴァルディア帝国の資本と技術、そして魔導石のルートによって成り立っています。この国で流通する回復薬の八割、魔道具インフラの七割、そして転移装置の全権限。そのすべてを、私たちが管理しています」
私の言葉は、貴族たちにとって死刑宣告に等しかった。
彼らの優雅な生活は、私たちが供給する魔導技術の上にあったのだ。経済的にこの国は、とっくの昔に掌の上で踊らされていたことに、今ようやく気づいたらしい。
青ざめる者、震える者、今さらになって媚びるような笑みを浮かべようとする者。
遅い。あまりにも遅すぎる。
「ちなみに殿下」
私は首を傾げ、トドメの一撃を放つ。
「先ほど、禁呪研究と仰っていましたけれど」
「そ、それは……」
「その研究、そもそも王家主導ですよね?」
私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、この国の王家しか持ち得ないはずの重厚な印璽が刻印されている。
「違法人体実験。禁呪兵器開発。孤児院からの魔力適性者の不正徴収。そのすべてが記された、王家の機密書類です」
ざわめきが、悲鳴へと変わった。ショコラがガタガタと震え、卒倒しかけている。
「そ、それは偽物よ……!」
「残念。本物です。三年前から、証拠をすべて揃えておりましたので」
隣国のスパイとして。ずっと、この国の膿を出し切る機会を待っていた。
ルシアン殿下が、怒りで顔を真っ赤にして叫ぶ。
「き、貴様ぁぁ!! よくも我々を――」
「婚約破棄してくださって助かりました」
私は心からの安堵を込めて、そう告げた。
「おかげで、何のしがらみもなく、この国を――王家を、根こそぎ潰せますので」
その瞬間だった。
大講堂の屋根を震わせるほどの轟音が、王都の空に響き渡った。
窓の外を見上げた貴族たちが、絶望に顔を引きつらせる。
そこにあったのは、王都の空を塗りつぶすほどに密集した、帝国軍の飛空艦隊。漆黒の船体が、太陽の光を遮っていた。
「な……まさか、昨日……」
「ええ。国境沿いの要塞都市は、昨日をもってすべて陥落しました」
結界の設計者である私が、その脆さを誰よりも知っているのだ。
「そんな……私は……」
カカオ殿下が、膝から崩れ落ちた。もはや、王子としての威厳も、気高さもない。ただの哀れな敗北者だ。
「無能でしたね」
私は容赦なく突き放す。
「お飾りの王子で、女を見る目もなく、政治能力もなく、利用されていることにも気づかない。そんな男を支える価値など、微塵もありませんでした」
何も言い返せない殿下の横で、ショコラの耳元にそっと寄り添う。
「それからショコラ様。私を平民と馬鹿にしていましたけれど……あなたのお父様の侯爵家、うちへの借金で火の車ですよ。来月には差し押さえです」
「いやぁぁぁああ!?」
ショコラの悲鳴が講堂に木霊する。彼女の人生は、その一言で終わったのだ。
私は深く息を吐き、充足感に包まれる。そして、私の前に跪く祖父へと向き直った。
「おじい様。任務、完了です」
氷血公は、厳格な顔のまま、静かに頷く。
「見事だった、アリア。……あちらで、新しい家族がお前を待っている」
私は少しだけ目を見開いた。母はもうこの世にはいない。けれど、私には帰る場所がある。
振り返れば、崩れ落ちる愚かな王子と、泣き叫ぶ令嬢、そしてパニックに陥る貴族たち。
もう、どうでもいい。
私は背を向けた。
「では皆様、ごきげんよう」
黒い艦隊の影が王都を覆う中。
私は、敗北が決まったこの祖国をあとにした。
さぁ明日からは、新しい人生が始まるわ!




