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五十三話 紫水晶の誓い


 赫燕(かくえん)軍・本陣。最奥の天幕。そこは、血と汗と薬草のむせ返るような匂いが満ちていた。


 玉蓮は震える手で汗を拭いながら、軍医が赫燕の深い傷口を縫合する様を、息を詰めて見守る。鋼のように鍛えられた背中の筋肉が、針が通るたびに引き()るのが見て取れた。


 治療が終わり、軍医が去った後も玉蓮は動けずにいた。やがて、彼女はそっと赫燕の額に触れ、汗で濡れた肌を拭う。彼の唇から荒い息が何度も漏れる。


「どうして、ですか……見捨てる、と」


 自分の声が、か細く、そして(すが)るように響く。その声に反応するように、赫燕の顔がゆっくりとこちらに向けられた。仄暗い天幕の中、瞳だけが爛々(らんらん)と輝き、玉蓮を射抜く。


「……お前は、俺のものだ。勝手に死ぬのを、許すとでも思ったか」


 低い声が玉蓮の耳に届く。


「お前が言ったんだろうが。必ず戻る、と」


 赫燕は傷のない左手で、ゆっくりと自身の首元を探った。そして、常に身につけていた革紐を力任せに引きちぎると、そこから二つ連なった紫水晶のうちの一つを、指先で外した。


 一瞬、彼は手のひらの上のその証を握りしめる。そして、それを、迷うことなく玉蓮の手に握らせた。ずしり、と。小さな石とは思えないほどの重みが、彼女の手の中に沈み込む。赫燕の肌から移ったばかりの熱を帯び、まるでそれ自体が鼓動しているかのような、微かな振動さえ感じる。


「持ってろ。俺の魂の半分だ。お前が死ねば、俺も半分死ぬ」


 彼の声は、いつもの全てを嘲るような響きを失い、どこか穏やかで、どこか苦しそうだった。まるで、自分の内側にある最も脆いものを、無理に喉から押し出すかのように。


 玉蓮が、その石を震える手で天幕の灯りにかざした、その瞬間。石の中に何かが揺らめいた。


「……龍?」


 紫水晶の、その深い闇の奥。光がある角度で差し込んだ時だけ、玉を掴んで天に昇る四本角の龍の姿が、妖しく浮かび上がる。玉蓮の声に、赫燕が一瞬だけ目を伏せ、そして、ふ、と笑う。


「……ただの、印だ。(いにしえ)の国のな」


 吐き捨てるように、彼は、ひどく掠れた声でそう呟いた。


 赫燕の血と汗が染み込んだ、あまりにも生々しい魂の欠片。玉蓮は、その滑らかで、硬質な石の重みを肌で感じながら、視界が滲む中で、なお目の前の男を見つめ返した。その呼吸は荒く、縫合されたばかりの傷口からは、滲み出す血が布に赤い染みを作っていく。


 ——違う。この男は、駒のためになど、決して傷を負う男ではない。命すらも、勝利のための道具として、弄ぶ男のはずだ。


 なのに、なぜ。手のひらの上の石の重み。背中の傷。その事実に、涙が溢れていく。


「泣くな」


 どこか面倒くさそうに、呆れたような響きで告げるその声が、胸の奥を締め付けて苦しい。赫燕が常に肌身離さず身につけていた紫水晶。その片方が、今、玉蓮の手に握られている。玉蓮は、それを己の命そのものであるかのように、強く、強く握りしめた。

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