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五十一話 絶体絶命 2

◇◇◇ 朱飛(しゅひ) ◇◇◇


 天幕の中に、張り詰めた空気が満ちていた。朱飛は、刻一刻と過ぎる時間に、顔を(しか)めていた。まだ戻らぬ玉蓮たちを思うと、苛立ちが腹の底で渦巻く。


 その時、一人の兵士が、息も絶え絶えに転がり込んできた。甲冑(かっちゅう)は無残に砕かれ、顔は血と泥にまみれている。彼は、ごぼり、と黒い血の塊を吐き出しながら、それでも必死に言葉を紡いだ。


「玉蓮が……玉蓮の隊が、敵に包囲されました!」


 その一言が、朱飛の思考を貫いた。息を吸うことを忘れ、全身の血が指先から急速に引いていく。目の前が、一瞬だけ白く(かす)む。隣で、牙門(がもん)が卓を殴った。


「なんだと!!」


 牙門の咆哮(ほうこう)(あお)られるように、腹の底から、赤黒い、灼けつくような衝動だけが込み上げてくる。気づけば、己の拳は、骨が(きし)むほどに強く握りしめられていた。


「……斥候(せっこう)、いや遊軍か。こちらの奥深くに」


 子睿(しえい)がか細く呟く。(じん)(せつ)の、信じられないという表情。朱飛の頭の中から全てが消え去って、怒りにも似た嵐のような風が巻き起こる。すぐさま己の部隊を率いて飛び出そうと一歩踏み出した。しかし、その時。



「——自業自得だ」



 赫燕は、椅子に座ったまま、他人事のように、いや、盤上の駒の動向を眺めるかのように、興味なさげに言った。


「死ぬぞと言ったろ」


 あまりにも冷たい声が、朱飛の全身の血を、一度、凍てつかせた。


「お頭!」


 衝動のままに、怒号が喉から(ほとばし)る。



 誰も息を呑むことさえ許されぬような張り詰めた空気の中で、赫燕の椅子の(きし)む音だけが響いた。その男は、何も聞こえていないかのように、傍らに立てかけてあった大剣に平然と手を伸ばす。その指先が、龍の彫刻が施された剣の(つか)を強く握りしめた。


「——じゃあな、子睿」


「……は?」


 赫燕は、呆気(あっけ)に取られる子睿をそのままにして、ゆらりと立ち上がり、(かたわ)らで控えていた迅と数人の精鋭たちに向けて顎を軽くしゃくった。


「本陣は、任せたぞ」


 言うが早いか、彼は疾風のように天幕を出ていく。


「お、おい! 行くぞ!」


 迅が吠え、彼が率いる精鋭兵士たちがその後を追う。


 嵐が去った後のような静寂が、瞬時に天幕に戻る。後に残されたのは、呆然と立ち尽くす側近たちと、拳を握りしめてその背中を見送ることしかできなかった朱飛だけだった。

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