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四十話 侵攻と傷跡 2

「止まることはない、そういうことですか?」


「お前たちこそ、止まることなどないだろうが。王族どもを止められるとでも言うのか」


「今まさに侵略を受けているのは、私たちです」


 その瞬間、ガタンッ、と赫燕の椅子が大きく音を立てた。その目は大きく見開かれている。


「よく言うぜ。その侵略を最もあくどくやってきたのは、お前たちだろう。お前らが自分の国だと言っているその領土と民は、元は他の国のものだ」


「血と汗を流して、先人が勝ち取った地。それはすでに我が国だ。国とそこで暮らす民を守るためならば、(あらが)うのは必然。それは、我らが掲げるべき正義だ」


「——正義、だと?」


 獣が唸るような低い声と共に、烈火の如く殺気が膨れ上がった。



 そばに控えている両国の兵たちから、「ひっ」と小さな悲鳴が上がる。


 肌を刺すような殺気が、天幕を支配している。戦場であれば、確実に首が飛んでいる。そう思うほどに、重苦しく強い圧が赫燕から放たれている。


 呼吸が浅くなる。全身の毛が逆立っている。まるで、見えない刃を、喉元に突きつけられているかのように。


 そんな中で、崔瑾だけが視線から逃れることなく、真正面から受け止め、表情を動かさない。


 玉蓮は、どうにか顔だけを動かして赫燕を見つめた。彼の瞳を視界にとらえた瞬間、玉蓮の脳裏にあの嵐の夜が(ひらめ)く。そこにあったのは、あの日と同じ、絶望を呑み込んだような色。


 震えるほどの怒りの圧を放っているはずの男の瞳は、なぜか泣き出しそうに見えた。


(怒り、だけではない——)


 これは、慟哭だ。血塗られた過去の亡霊たちの悲鳴が、彼の瞳の奥で渦巻いている。



 名前を呼ぶこともできないまま、玉蓮は思わず手を伸ばし、血管が浮かび上がったその腕に触れる。硬く強張った筋肉の下で、彼の魂そのものが震えているのが伝わってきた。


 その瞬間、ふっと赫燕の唇から本当に小さく息が漏れた。


 崔瑾を射殺(いころ)さんばかりだった瞳から、すっと殺気が引いていく。ようやく逸らされたその視線は、玉蓮を捉えると、わずかに色を戻した。


 玉蓮に応えるように、赫燕の大きな手が、彼女の頬をゆっくりと撫でた。武骨な指先の感触。玉蓮はその手のぬくもりに安堵しているはずなのに、なぜか、涙が滲みそうになる。


 卓を挟む向こう側から、ふうと大きく息を吐く音がした。視線をそちらに向ければ、崔瑾が椅子に座り直している。


「……失礼いたしました。あまりにも本題から逸れてしまいましたね。公主の御前であるにもかかわらず、感情的に言葉を(まく)し立て、誠に申し訳ありません。そろそろ、本題に戻りましょうか、子睿殿」


 その後、いくつかの事務的な取り決めが交わされたが、一度張り詰めた空気は戻らない。会談は、互いの腹を探り合っただけで、物別れに近い形で終わりを告げた。

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