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三話 純粋なる花

◇◇◇ 劉永(りゅうえい) ◇◇◇


 膨大な図書を収めた荘厳(そうごん)な堂。先ほどまで父に叱られて肩を落としていたはずの玉蓮(ぎょくれん)が、今は隣で熱心に書物を読み耽っている。


 高い窓から差し込む午後の陽光が、宙を舞う金色の塵をきらきらと照らし出している。その光の粒の中に、玉蓮がいた。長い睫毛(まつげ)が落とす影、書物を持つ白く細い指先。古書の枯れた匂いと、日向の温かい匂いが混じり合うこの静寂の中で、彼女だけが発光しているかのように美しかった。まるで、外界の(けが)れなど一つも知らない、天上の花のようだ。


 静かな横顔を眺めているうち、劉永(りゅうえい)はふと、この澄んだ空気を少しだけかき混ぜてみたくなった。口の端が、自然とつり上がる。


「玉蓮、これがどういうことか分かる?」


 劉永(りゅうえい)が広げて見せたのは、男女が睦み合う姿が描かれた「春宮画(しゅんきゅうが)」だった。流れるような筆致(ひっち)で描かれた、絡み合う四肢と、恍惚(こうこつ)の表情。十歳の少女には毒すぎる代物だ。だが、玉蓮は眉をひそめ、真剣な眼差しで絵の中の男女を見つめると、コテンと首を傾げた。


「……なるほど。『美人計(びじんけい)』の図解、ですね?」


「……え?」


 玉蓮は眉ひとつ動かさず、澄み切った声で言った。恥じらいも、照れもない。ただ、獲物の弱点を探るような眼差しで。


「敵将を籠絡(ろうらく)し、骨抜きにするための。ですが(えい)兄様、玉蓮は疑問です。これほど無防備に肌を晒しては、逆に隙を作ることになりませんか? 懐に刃を隠すなら、もっと衣を残した方が……」


 とん、と玉蓮の細い指が、絵の中の女の胸元を無造作に突く。


 そのあまりに真剣な、そしてあまりに殺伐とした分析に、劉永(りゅうえい)は言葉を失い、次いで、堪えきれずに吹き出した。玉蓮はさらに不思議そうな顔で小首を傾げる。劉永は、胸の奥から込み上げてくる温かい何かを持て余すように、思わずその濡れ羽色の黒髪に手を伸ばした。


 手が髪に届く寸前——


劉永(りゅうえい)様! 姫君にまたそのような不埒なものを! このじいの首が百あっても足りませぬぞ!」


 けたたましい叫び声とともに、扉が弾け飛ぶ勢いで開き、劉永(りゅうえい)の世話役である温泰(おんたい)が飛び込んできた。その顔は蒼白で、よほど慌てたのだろう、額には脂汗が滲んでいる。


「姫様は、まだ(とお)なのですぞ!」


 温泰(おんたい)は一目散に劉永(りゅうえい)と玉蓮の間に割って入り、玉蓮を背中に庇うように立つ。


「あ、じい。そこにいたの」


 悪びれもせず、けろりとした顔で笑い、頭を抱えて深いため息をつく温泰(おんたい)を横目に流す。


 視線の先では、騒ぐ温泰(おんたい)の背中から、玉蓮がひょっこりと顔を出していた。きょとんとした、星空を閉じ込めたように澄んだ瞳。そこには、一点の曇りも、血の色も映っていない——ように見える。


(ああ……)


 劉永(りゅうえい)は、緩む頬を隠すように口元を手で覆った。その瞳の奥に、どれほどの修羅が棲んでいようとも構わない。この場所だけは、彼女が帰れる陽だまりであり続ける。そう、静かに誓いながら。

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