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三十六話 光と闇の狭間で

◇◇◇


 赫燕(かくえん)軍の紫紺(しこん)に金の飛龍を配した旗の向こう、広い平原を隔てた並走路上に、藍に白い『劉』の旗が風を裂いて(ひるがえ)る。遠目にも、あの家の気配は一目でわかる。


 会談の場へ向かう道中、その異様さは際立っていた。


 片側には、奪い取った敵国の武具を己風に仕立て直し、思い思いの装飾を施した、派手で、しかし実戦的な甲冑(かっちゅう)を纏う赫燕軍。


 獣の皮を肩にかけ、その体からは汗と土、そして渇いた血の匂いが混じり合って立ち上る。聞こえてくるのは、不揃いな足音と野卑な笑い声、そして不規則に打ち鳴らされる猛々しい金属音。


 対する向こう側には、磨き上げられ、寸分の違いなく統一された意匠(いしょう)甲冑(かっちゅう)を纏い、一糸乱れぬ規律で進む、劉永(りゅうえい)が率いる劉義(りゅうぎ)直属軍。そこから聞こえるのは、大地を等間隔で踏みしめる統率の取れた行軍の音と、拍子を刻むように重なる硬質な金属音だけだった。


 玉蓮は、赫燕の馬のすぐ後ろに付き従いながら、その二つの全く異なる「白楊(はくよう)軍」の間にいた。かつて自分がいたはずの世界。劉永率いる、光の下を歩む軍の整然とした姿。その行進を見るたびに、胸の奥に、忘れていたはずの何かが(うず)いた。


 だが、すぐ隣からは、赫燕軍の何ものにも縛られない、剥き出しの生命力が匂い立つ。その匂いを吸い込むと、不謹慎にも血が騒いだ。心音は彼らの不揃いな足拍子に同調しようと高鳴る。


 光と闇、そのどちらにも属せないまま、二つの軍勢の狭間にいる。




 右からは、磨き上げられた(はがね)が擦れ合う、冷たく規則正しい音と、上質な革の匂い。左からは、獣じみた喚声と、汗と酒と、微かな血の匂い。二つの世界が、玉蓮の身体を境にしてせめぎ合い、その意識をぐらりと揺さぶった。


 玉蓮のすぐ側まで馬を寄せてきた子睿(しえい)が、横に一度視線を投げ、皮肉たっぷりに話しかけてくる。


「さて、明日は退屈な化かし合いですな。玄済(げんさい)崔瑾(さいきん)殿とやらが、どれほどの聖人君子か、お手並み拝見と参りましょう。せっかく、お頭が珍しくも捕虜交換などという会談に(おもむ)くのですから」


 玉蓮は、ふふ、と微笑(ほほえ)んだ。


「聖人君子ほど、腹の中は黒いものかもしれません」


 言ってから、玉蓮は口元を押さえた。まるで赫燕のような皮肉が、自然と口をついて出たことに驚いたのだ。だが、赫燕は珍しく大きな笑い声を漏らした。


「言うようになったじゃねえか、玉蓮。教育の賜物だな」


 まるで悪戯な少年のように破顔するその顔には一切の悪意がなく、純粋な愉悦が浮かんでいる。あまりに無防備なその笑顔に、玉蓮は思わず赫燕の顔をまじまじと見つめてしまった。


 その横から、子睿が「やれやれ」と呆れたように肩をすくめ、付け加える。


「姫様、少し顔色がお悪いのでは? お頭の寝所にまで及ぶ教育も、あまり根を詰めすぎると、お体に(さわ)りますぞ」


「寝所で、無理などさせた覚えはねえがな」


 赫燕は眉一つ動かさず、涼しい顔で答える。玉蓮は、咎める視線を送ったが、彼はそれに構うことなく、どこか愉しげに口元を歪めた。


「まあ、いつも泣かせてはいるか。お前は身体の方が素直だからな」


「お頭!」


 玉蓮は顔を真っ赤にして声を荒らげたが、赫燕は悪びれる様子もなく、豪快に笑い飛ばした。


 その高らかな笑い声は風に乗り、静寂を保つ隣の軍列にまで届いたかもしれない。玉蓮はハッとして、(あわ)てて劉永の軍旗の方角へ視線を走らせた。整然と進む光の軍勢。


 羞恥と背徳感で、玉蓮の頬が赤く火照っていった。

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