表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

57/158

三十三話 喉笛の教え 1


 濃厚な伽羅(きゃら)の香りと、つい先ほどまでの情事の熱気が未だに籠る天幕の中。乱れた寝台の上に、一枚の地図が無造作に広げられた。赫燕(かくえん)は、自身の汗ばんだ逞しい肌を隠そうともせず、寝台の縁に腰掛けている。


 その隣で、体の火照りが収まらない玉蓮が、乱れた息を整えようと努めている。赫燕は、玉蓮(ぎょくれん)が整然とした装いを取り戻すのを待つことなく、冷ややかな声を落とした。


「お前なら、この城を、この都をどう攻める?」


 何度目かわからない、その問いかけ。玉蓮は、散らばっていた衣を手にして急いで羽織ると、すぐに体勢を正し、深く息を吸い込む。思考を研ぎ澄まし、脳裏に刻まれた兵法書の知識を、現実の地図の上に重ね合わせる。


「……三重の包囲網を敷き、土塁どるいと物見(やぐら)を築きます。そして、兵器での城壁攻めで、門が開くのを待って——」


 ——トン。


 玉蓮の言葉を遮るように響いた音。それは、赫燕が地図に描かれた城を叩く音だった。赫燕は、玉蓮の瞳を捉えることなく、その力強い指を、城の中心から外へ向かって、ゆっくりと、まるで何かの軌跡を描くようになぞる。


「待つ、か。お前が三重の包囲網なんてものを悠長に築いてる間に、敵の援軍が俺たちの背中に集まってくる。お前の《《王道》》はな、敵に『どうぞ俺たちを包囲してください』と教えてやるようなもんだ」


「では——」


「待つな。待たせろ」


 地図に描かれた城ではなく、その周辺に広がる村々や水源に兵の駒が置かれていく。


「城の周りの村を焼く」


「なっ……」


「畑を潰し、井戸に塩を撒く。敵の領地を、城の外から腐らせていく。そうすれば、城の中の者たちはどうする?」


「……領地を腐らせれば、我々が手に入れた時の益も損なわれます。それは、覇者の道ではありません」


「覇者? 笑わせるな」


 赫燕は鼻で笑うと、地図の上に置かれた玉蓮の「兵」の駒を、指先でピンと弾き飛ばす。駒がコロコロと乾いた音を立てて転がっていく。


「勝たなきゃ、益もクソもねえ。死人に口なし、敗者に領地なしだ」


「ですが——」


「お前が城壁の前で律儀に陣を張り、攻城(こうじょう)(やぐら)を組み立てている間に、敵の援軍に背後を突かれ、食い物がなくなり、兵が倒れ、士気が落ちる。そのくだらん道とやらに従って、お前の兵が無駄に死ぬ」


 地図上の玉蓮の兵の駒が次々と薙ぎ倒されていく。


「いいか、玉蓮。城壁を殴り続けるだけの鈍重(どんじゅう)な戦など、俺はやらねえ。真の戦場はこのだだっ広い平原と国そのものだ」


「……国、そのもの?」


 彼の指が、地図の上を滑るように、動く。


「決まった形を持つな。敵が前方を守れば、その後ろを。敵が後方を守れば、その前を食い破る。あの城を、あの都を堕とすなら、敵が疲弊し、飢え、内側から腐り落ちていく機をつくる……」


 冷たく昏い瞳が、玉蓮を捉えた。そこに宿るのは、どこまでも深い闇。


(かなめ)を壊せ」


 赫燕の言葉は、どろりとした毒のように、玉蓮の耳から入り込み、腹の底へと落ちていく。吐き気がするほど残虐な論理。なのに、どうしてだろう。指先が痺れるように熱い。


「要を……壊す」


 復唱する自分の声が、歓喜に震えているように聞こえた。身を乗り出している自分がいる。地図を指す赫燕の次の言葉を、乾いた喉で待っている自分がいる。


 その事実に、玉蓮は己の唇を噛み切らんばかりに強く結んだ——だが、地図の上を滑る赫燕の指先から、視線を離すことができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ