二話 学び舎の異物 1
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白楊国・最高峰の学び舎。大都督・劉義が主催する私塾とその隣にある、土埃舞う練兵場。そこに漂うのは、男たちの蒸れた汗と、武器を拭う油の重たい臭気。そして、古い竹簡から立ち上る、乾いた墨の香り。
野心と欲望が渦巻く男たちの世界で、玉蓮は来る日も来る日も剣を振るい、骨の髄まで軍略を染み込ませていた。稽古着の袖は汗と泥で常に重く、腕には絶えず赤黒い痣が花のように咲く。だが、痛みなど感じない。玉蓮はそれが誇らしかった。胸の奥底で、どろりと煮えたぎる泥のような炎が、玉蓮の足を無理やりにでも前へ、前へと突き動かすからだ。
その日、行われていたのは、兵の動きを駒に見立てた盤上の模擬戦。玉蓮の対戦相手は、体格も良く声も大きい、いかにも武人といった風情の年上の兄弟子。十になり少し背の伸びた玉蓮よりも、はるかに上背がある。
彼は、自らの武勇を誇るかのように、力押しの戦法で玉蓮の陣を攻め立てていた。だが、玉蓮は、その一切に呼吸を乱さず、視線も揺らさず、ただ静かに盤面全体を見渡した。相手の僅かな駒の動きで明るくなったその隙間。風に揺れる柳の如くそこに駒を進めれば、盤を挟んだ向こうから、「ぐっ」と息が漏れたような音が聞こえる。
「な、にっ、貴様……!」
「——勝者、玉蓮」
教官の感嘆とも呆れともつかない声が響く。だが、周りから上がるのは称賛の声ではなく、ひそひそとした囁きと、あからさまな舌打ちだけ。それは、目の前にいる兄弟子も同様だった。
「ちっ、女の小賢しいやり口だ」
その言葉を聞いた瞬間、玉蓮は盤面から視線を上げた。立ち上がり、傍らに置いてあった、軍略囲碁に用いられる樫の木の固く重い棒を一本、手にする。
「……今の言葉、取り消してください」
棒の先端を突きつけると、兄弟子の顔が引きつり、頬の筋肉がピクリと震えた。だが、すぐに彼は虚勢を張るように口元を歪める。
「お姫様が、俺に剣で勝てると?」
そう吐き捨て、彼も同じように樫の木の棒を握って構えた。
「ええ。あなたのような猪武者には」
言葉が終わるか、終わらないか。玉蓮は地面を蹴った。兄弟子が力任せに振り下ろした棒が空を切る音よりも早く、玉蓮は懐へと滑り込む。狙うは一点、体重の乗った右脚の脛。ためらいも、容赦もない。全力の踏み込みから放たれた樫の棒が、肉の薄い骨を的確に捉えた。
——ゴ、キッ。
乾いた音が響いた。棒を通じて、骨がたわむ感触が玉蓮の手にまで伝わってくる。
「ぎ、————っ!?」
兄弟子は白目を剥き、空気の抜けた人形のようにその場へ崩れ落ちる。
「ぐ、ぁああっ!」
無様に蹲り、のたうち回る兄弟子。それを玉蓮は、冷ややかに見下ろした。勝負はついた。だが、二度と侮られぬように、刻み込む必要がある。表情一つ変えず、樫の棒を高く振り上げる——しかし、
「——そこまでだ、玉蓮」
静かで全てを見通すような声に、玉蓮は、はっとして振り返った。




