表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/48

二話 学び舎の異物 1

◇◇◇


 白楊(はくよう)国・最高峰の学び舎。大都督(だいととく)劉義(りゅうぎ)が主催する私塾とその隣にある、土埃舞う練兵場。そこに漂うのは、男たちの蒸れた汗と、武器を拭う油の重たい臭気。そして、古い竹簡(ちくかん)から立ち上る、乾いた墨の香り。


 野心と欲望が渦巻く男たちの世界で、玉蓮(ぎょくれん)は来る日も来る日も剣を振るい、骨の髄まで軍略を染み込ませていた。稽古着の袖は汗と泥で常に重く、腕には絶えず赤黒い(あざ)が花のように咲く。だが、痛みなど感じない。玉蓮はそれが誇らしかった。胸の奥底で、どろりと煮えたぎる(どろ)のような炎が、玉蓮の足を無理やりにでも前へ、前へと突き動かすからだ。


 その日、行われていたのは、兵の動きを駒に見立てた盤上の模擬戦。玉蓮の対戦相手は、体格も良く声も大きい、いかにも武人といった風情の年上の兄弟子。(とお)になり少し背の伸びた玉蓮よりも、はるかに上背がある。


 彼は、自らの武勇を誇るかのように、力押しの戦法で玉蓮の陣を攻め立てていた。だが、玉蓮は、その一切に呼吸を乱さず、視線も揺らさず、ただ静かに盤面全体を見渡した。相手の僅かな駒の動きで明るくなったその隙間。風に揺れる柳の如くそこに駒を進めれば、盤を挟んだ向こうから、「ぐっ」と息が漏れたような音が聞こえる。


「な、にっ、貴様……!」


「——勝者、玉蓮」


 教官の感嘆とも呆れともつかない声が響く。だが、周りから上がるのは称賛の声ではなく、ひそひそとした囁きと、あからさまな舌打ちだけ。それは、目の前にいる兄弟子も同様だった。


「ちっ、女の小賢しいやり口だ」


 その言葉を聞いた瞬間、玉蓮は盤面から視線を上げた。立ち上がり、傍らに置いてあった、軍略囲碁に用いられる(かし)の木の固く重い棒を一本、手にする。


「……今の言葉、取り消してください」


 棒の先端を突きつけると、兄弟子の顔が引きつり、頬の筋肉がピクリと震えた。だが、すぐに彼は虚勢を張るように口元を歪める。


「お姫様が、俺に剣で勝てると?」


 そう吐き捨て、彼も同じように(かし)の木の棒を握って構えた。


「ええ。あなたのような猪武者には」


 言葉が終わるか、終わらないか。玉蓮は地面を蹴った。兄弟子が力任せに振り下ろした棒が空を切る音よりも早く、玉蓮は懐へと滑り込む。狙うは一点、体重の乗った右脚の(すね)。ためらいも、容赦もない。全力の踏み込みから放たれた樫の棒が、肉の薄い骨を的確に捉えた。


——ゴ、キッ。


 乾いた音が響いた。棒を通じて、骨がたわむ感触が玉蓮の手にまで伝わってくる。


「ぎ、————っ!?」


 兄弟子は白目を()き、空気の抜けた人形のようにその場へ崩れ落ちる。


「ぐ、ぁああっ!」


 無様に(うずくま)り、のたうち回る兄弟子。それを玉蓮は、冷ややかに見下ろした。勝負はついた。だが、二度と侮られぬように、刻み込む必要がある。表情一つ変えず、樫の棒を高く振り上げる——しかし、



「——そこまでだ、玉蓮」



 静かで全てを見通すような声に、玉蓮は、はっとして振り返った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ