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二十四話 誓いの道 2

 (まぶた)の裏にこびりついたように、この手で命を奪った敵兵の眼差しがいくらでも蘇る。戦場に出たことを悔やんでいるわけではない。あの男の喉に刃を突き立てるのだから。ただ、溢れ出てくるこの黒い炎の行き先がわからない。


 玉蓮は、手の先にある土を握りしめた。


 赫燕(かくえん)の足音が静かに近づいてきて、やがて玉蓮の視界にその足元が見えた。そして、玉蓮の目の前まで歩み寄ると、すっとその場に膝をつく。


「——!」


 玉蓮の顔が跳ねるようにして上がった。


 外套(がいとう)がはだけ、月明かりの下に晒される、あまりにも無防備な素肌。幾多の戦を生き抜いてきた、その肉体に刻まれた古い傷跡。その傷跡から立ち上るかのような、生々しい男の熱。その全てが、今、玉蓮の足元に差し出されている。


 見下ろすのでも、見下されるのでもない。ただまっすぐに、深淵(しんえん)が深淵を覗き込むように、瞳が交錯する。


「姉がどう思うか、だと? 死んだ人間のことなんざ、俺が知るか」


 冷たい言葉を放つ、赫燕(かくえん)の瞳の奥。そこにあるのは、嘲笑(ちょうしょう)でも、憐憫(れんびん)でもない。ただ、静かで、深い光。まるで同じ痛みを知るかのような。


「だがな、お前が今感じている、その腹の底が(ただ)れる憎しみ。それだけは本物だ」


 赫燕(かくえん)の指が、玉蓮の涙を乱暴に拭う。優しさとは程遠く、まるで邪魔な汚れを払うかのように。長年にわたり剣を握り続けてきたとわかる、硬く、節くれだった指が、一瞬だけ玉蓮の頬を包んだ。


 なぜ、こんなにも荒々しい指先に、温もりを感じてしまうのだろう。なぜ、この温もりがこんなにも心を乱す。その矛盾に、さらに涙が溢れていく。目の前の漆黒の瞳を、見つめ返す。夜の闇そのものを閉じ込めたかのような瞳を。


「迷うな。その憎しみの行き場が欲しいんだろう」


 彼は立ち上がり、玉蓮に背を向ける。


「お前が望むなら、俺が道を作ってやる」


 見上げた先、闇のように深く、どこまでも孤独な男の背中と静かに輝く月があった。赫燕(かくえん)はそれだけを告げると、再び闇の中へと消えていく。


 その背が消えた先にあるのは、月すら飲み込むほどの(くら)い道。そして、その道の入り口に、ただ一人、玉蓮だけが残されていた。




 冷たい風が吹き抜け、衣擦れの音が(むな)しく響く。涙を拭う間もなく、気配が差し込んだ。見上げれば、朱飛(しゅひ)が闇を踏みしめて立っていて、銀色の耳飾りが鈍く、優しく輝く。


「……行くぞ」


 いつもと変わらない低い声が、玉蓮の張り詰めていた意識を、現実に引き戻していく。


「……朱飛(しゅひ)


「なんだ」


「あの人は……あの人は、なんなのです。道を、作るなどと」


 玉蓮は、絞り出すような声で呟いた。朱飛(しゅひ)が、ただ黙って、その震える肩を支えてくれる。彼の指先から伝わる微かな温もりに、張り詰めていた玉蓮の体の力が、ほんの少しだけ抜けていく。






◇◇◇ 朱飛(しゅひ) ◇◇◇


 朱飛(しゅひ)が、彼女を天幕へと送り届けている間も、玉蓮は口を開くことなく、朱飛に寄り添うように歩いていた。


 天幕の入り口で、そっと玉蓮の肩から手を離せば、玉蓮は振り返ることなく天幕の中へと消えていく。


 残された朱飛(しゅひ)は、夜空を見上げた。


 光を求めるどころか、より深い闇へと自ら飛び込もうとしている姫と、全てを飲み込み、孤独に進む主。


「……喰らい合うか」


 互いを焼き尽くすことだけを宿命づけられたような二つの炎。燃え尽きた後に何が残るのか。


 月が一瞬、厚い雲にさえぎられ、闇がすべてを覆い尽くした。

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