十五話 混淆(こんこう)の男 2
「我々は捕えられたのだ。この身がどうなろうと、拷問されようと文句はない。それは武人として当然の結末」
縄に繋がれた手首のまま老将の背筋は崩れず、声はひとつも震えない。瞳の黒は濁っていなかった。
「だが、一つだけ、将軍に願いたいことがある」
赫燕は、その言葉を黙って聞いていた。瞼の線は動かず、杯の縁にかけた指は止まったまま。
「捕えられた兵の中に、まだ年端もいかぬ少年兵がいる。このような甘さを敵に願うなど、武人の風上にも置けぬ行為であることは重々承知している。しかし、どうか、あの少年だけは助けてはくれないか」
「……あの薄汚れたガキか」
「あれは、戦争で焼け落ちた村で拾った孤児だ。それさえ叶うのであれば、この命、惜しくはない」
赫燕の、杯を持つ手がピタリと止まった。
「あんた、名のある士族だろう」
「そうだ」
「なぜ、下僕などを助ける」
「……わからぬ……ただ、あの子の手を取った時、生きてほしい、そう思ったのだ」
頼む、そう呟くように告げて頭を下げる老将を、赫燕が黙ったまま見下す。そして、その瞳が、ほんの一瞬、どこか遠くを見つめた。
「……老将でありながら、その馬捌きと武は凄まじかったと聞いた」
赫燕は一度、言葉を切った。一度、何かを考えるように外された視線が再び老将に戻る。
「降るなら、助けるぞ」
「……その温情に心より感謝する。だが、私は、総大将に大恩がある」
「総大将……大都督・崔瑾とか言うやつか」
「そうだ。主を裏切れぬ。殺してくれ」
老将の顔から懇願の色が消え、代わりに、晴れやかな光さえ宿り、その皺深い目元は穏やかに緩む。
赫燕は、老将を真っ直ぐに見つめ、そして次の瞬間、彼は自らの杯を酒で満たすと、その老将の前に差し出した。
「……お前のような忠臣が、あの愚かな国に仕えているとは、惜しいな」
「将軍……」
「あの子供は、助けてやる」
赫燕はそう言うと、部下に視線を投げる。
「この男に甲冑を着せ、馬と剣を与えろ。牙門の精鋭兵と戦わせろ」
「は、はい! ですが、お頭、それは……」
赫燕は答えなかったが、老将は真意を悟ったのか、かすかに目を伏せ、深々と頭を下げた。それは、処刑ではなく、武人としての名誉ある死を与えるという敬意。
「……かたじけない」
玉蓮は、その光景に目を見張った。「降将にも容赦なし」——塾で誰かがそう言っていた記憶が、ふっと浮いたからだ。
この男は、戦場においては、冷徹にして残虐な采配を振るう将軍のはず。捕らえた敵将であっても、その処遇は常に苛烈を極め、情け容赦のない決断を下す、と。
だから、いつからか「殺戮将軍」と呼ばれ始めた。
しかし、今、眼前で繰り広げられている光景は、聞いていた赫燕の印象とはかけ離れている。捕らえた敵将を丁重に扱い、その忠義に敬意を払う。その最期まで。
(この男は……)
だが、老将が兵士に連れられていき、その背中が見えなくなった、まさにその瞬間。赫燕は、残された捕虜たちに、まるで虫けらを見るような目を向けた。
「——片付けろ」
氷のような命令。部下たちが、命乞いをする捕虜たちを天幕の外へ引きずり出していく。直後、外から聞こえてきたのは、悲鳴と、ドサリと何かが崩れ落ちる重い音。
断末魔が響く中、赫燕は表情一つ変えず、いや、それどころか笑いながらゆっくりと杯の酒を飲み干した。
(この男は一体なんなのだ……)
玉蓮の目の前、天幕の中の光と影が、まるで水の中のように歪んで見える。どちらが、この男の本当の顔なのか。残虐な獣か、気高い王か。あるいは、そのどちらもが本当の顔なのか。
玉蓮が感じたのは、激しい眩暈。自分が立っている大地そのものが、揺れているようだった。




