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十二話 束の間の自由 2


 しばらくすると、静かなるその空間で、微かな足音が玉蓮の耳に届いた。草を踏む乾いた音、そして、小石が転がるような小さな音。徐々に近づいてくるその音に、玉蓮は弾かれたように視線を巡らせた。


 急いで立ち上がり、自身の天幕に向けて足を踏み出した瞬間、その足音が大きくなる。


「おい、女がいるぞ」


 物陰から数人の兵士が影を伴い現れる。


「娼婦か?」


「とっ捕まえたやつが逃げ出したんじゃねえか」


 さらに後ろからも野太い声が届き、笑い声が追い打ちをかけるように響く。


 咄嗟に懐の短剣へ手を伸ばす——だが。


「うぁッ!」


 鋼のような腕に手首を掴まれ、視界が反転した。


 ——ドスン!


 背中に走る衝撃。舞い上がる土埃と、口の中に広がるジャリリとした砂の味。のしかかってきた男の重みは、岩のようだった。鼻をつく強烈な酒と脂の悪臭が、思考を白く塗りつぶす。


(——蹴り上げて、喉を突く!)


 頭の中では、長年叩き込まれた(かた)が浮かんでいる。なのに、体が鉛のように重く、指一本動かない。練兵場とは違う。これが、殺意と欲望に塗れた、本物の暴力の重さ——。


「っ——」


 耳の奥で心の臓の音だけがやけに大きく響き、男たちの下卑た笑い声は、分厚い水の底から聞こえてくるかのように、遠い。開いた唇からは、喉元で途切れるような悲鳴だけが漏れた。


(動け、動け、動け——!)


 その時だった。風を切る音と共に、男の一人がくぐもった(うめ)き声を上げて崩れ落ちる。倒れた兵の影の向こう、音もなく一人が立っていた。


 夜風の匂いを纏った男——朱飛(しゅひ)


 彼は泥人形のように転がる男を一瞥(いちべつ)もせず、残りの男たちを、まるで汚物でも見るかのような冷え切った目で見つめる。


「お前ら、誰のモノに手を出している」


 地を這うような鋭い声。


「そいつは、お頭の所有物(モノ)だ」


 その言葉を聞くよりも早く、男たちの顔から血の気が引いた。将軍の所有物(しょゆうぶつ)。それに手を出したとすれば、待っているのは死のみ。酔いなど一瞬で冷めたのだろう。男たちは悲鳴にも似た声を上げ、蜘蛛の子を散らすように闇へと逃げ去った。


 朱飛(しゅひ)は、男たちを追うこともなく、玉蓮に手を差し伸べた。


 差し出された手は、武人らしく硬く、節くれ立っていたが、彼女の腕を掴むその指の動きに、一切の乱暴さはない。代わりにあったのは、目の前のものを壊さぬよう、慎重に持ち上げるような、確かな力だけ。


「言ったはずだ。軽率な真似はするな、と」


 諭すような、それでいて少しだけ呆れたような朱飛(しゅひ)の言葉に、玉蓮は唇を噛みしめる。嗚咽(おえつ)が喉にせり上がるのを、必死で押し殺す。

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