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百話 天の涙 3

 ゆっくりと段を降りて近づいてくる太后の足元が見えた。絹擦れの音が広間に響く。彼女が近づくにつれ、濃厚で甘ったるい香りが鼻腔(びこう)を突き刺した。


 ——伽羅(きゃら)


 むせ返るようなその香りに、奥歯が強く噛み締められる。


「褒美を考えねばならぬのう、崔瑾殿。白楊の華以上の褒美は、用意できぬかもしれぬがな。……ああ」


 何かに気づいたように、太后が声をあげ、口元を歪めた。その瞳には、獲物をいたぶる冷酷な愉悦の色が浮かんでいる。


「そういえば、あの華は元々、その赫燕とやらの軍に属していたのであろう? 有能な将であったと、輿入れの際にも騒いでおったな」


 崔瑾の眉がぴくりと動く。太后はさらに満足げに目を細めた。


「かわいそうに。かつて属していた軍の大将を討ったと、そなたは愛する妻に報告せねばならぬのか」


 太后の声音は、どこまでも慈悲深く、そしてどこまでも残酷だった。言葉の毒が、耳の奥で無数の蟲となって這い回り、思考を掻き乱していく。崔瑾は、思わず拳を握りしめた。力を込めすぎているのか、それが微かに震える。


「軍の絆は、時に血縁を凌駕(りょうが)するほどに強いと聞く。嫁いだとて、その想いは消せぬであろう。赫燕軍は壊滅か……それを成し遂げたのが己の夫とは、な。ふふ」


 蜘蛛の毒が回るように、視界が白く(かす)んだ。


「悲しみのあまり華が散らねばよいが……二人の愛に亀裂が入らぬことを祈っておこう」


 こみ上げる吐き気を飲み込み、崔瑾は震える拳を隠すように袖を引いた。


 太后から視線を外し、一礼して扉に向かう。重い扉の向こうでは、雨が石段を叩く音が、細く、絶え間なく続いていた。


 玉蓮の待つ部屋へと続く長い回廊(かいろう)。一歩進むたびに、心が(きし)む音がする。懐の石が、まるで赫燕の心の臓そのもののように熱く、そして鉛のように重い。


 崔瑾は何かを引きずるかのように、重い足取りで歩き出した。

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