表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
179/214

百話 天の涙 2


 夜明け前。河伯(かはく)(ほこら)に隣接する楼閣(ろうかく)の一室。外はまだ厚い雲に光を遮られ、闇は深かった。崔瑾は濡れた髪もそのままに、玉座の男に深く頭を垂れた。厳かな沈黙の中、王の冷徹な声が降る。


「戦は?」


 崔瑾は顔を上げず、床を見つめたまま答える。


「は。白楊(はくよう)国の軍を退(しりぞ)けました。赫燕(かくえん)軍は壊滅……大将軍・赫燕を討ち取りました」


 勝利の報告。だが、返ってきたものは、賛辞ではなく、苛立ちを含んだ小さな舌打ちだった。


「赫燕はどこだ。我が元へ連れて来いと命じたはずだ」


「すでに埋葬しております」


 崔瑾の言葉に、王の顔がみるみるうちに激昂の色に染まった。


「——ふざけるな!」


 雷鳴のような怒号が壁を震わせる。王は玉座から立ち上がり、荒い足取りで崔瑾に詰め寄った。


「あやつの首を飾るのだ! 美しき獣を! お前、王命に背いたというのか!」


 至近距離で浴びせられる罵声にも、崔瑾は眉一つ動かさない。淡々と、しかし毅然(きぜん)と言葉を紡ぐ。


「赫燕は、無数の矢を受け、全身が蜂の巣のようでした。さらにこの気温と湿気では、王都へ着く頃には(うじ)が湧き、()ちませぬ。大王の御目を汚すことになりますれば」


 ——魁偉(かいい) 龍姿(りゅうし)  鳳貌(ほうぼう) 赫然(かくぜん)


(あの男は最後まで——)


 壁を叩く雨音が、鼓動と重なる。懐に入れた紫水晶の冷たさが、己の決意を支えていた。瞳を伏せるようにして、頭を再び深く下げた。


「お前——!」


 王が拳を振り上げた、その時。


「——ふふ、ふふふふ」


 鈴を転がすような、華やかな笑い声が割って入った。



「は、母上?」


 王が気勢を削がれ、振り返る。


大都督(だいととく)よ、素晴らしい勝利である」


 太后はゆっくりと扇を閉じ、静かな眼差しでこちらを見下ろした。


玄済(げんさい)国を恐怖に陥れた軍を破った英雄です。敵国の将の首など、国が潤ったことに比べれば些事(さじ)に過ぎませぬ」


「ですが——」


「王よ」


 反論を遮るように、太后の声色が一段と鋭く尖る。


「雨も降り、白楊(はくよう)国の第一将を討ち取った。これ以上の吉事(きちじ)がございますか? それとも、我が王はそれがわからぬと?」


 突き放すような物言いに、王はたじろぐ。周囲の臣下たちが固唾を飲んで見守る中、彼は身体を縮こまらせ、太后に向かって頭を下げた。


「い、いえ……母上のおっしゃる通りでございます」


 そして、崔瑾に向き直ると、「よくぞやった。大功、しかと褒め称えよう」と投げやりに告げ、逃げるように玉座へと戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ