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九十六話 獣たちの宴 3

 その直後、すぐ隣の戦場で双刀を振るう(じん)の姿が目に入った。彼の体はすでに無数の傷で覆われている。左肩からは鮮血が噴き出し、ひび割れた右の籠手(こて)も赤く染まりきっている。動きが鈍ったその一瞬、敵兵の刃が迫る。


 ——ガキンッ!


 振り下ろされる刃を、朱飛が寸前で受け止めた。


「おい、迅! 何してる!」


 迅の視線の先を見れば、少し離れた場所で、軍師であるはずの子睿(しえい)がいた。落馬したのか、地を這いながらも、自ら剣を抜き、奮戦している。だが、その体はすでに数カ所を深く斬られ、顔は白く、唇からは血の泡がこぼれている。


「ったく、あの馬鹿軍師! おい朱飛、手を貸せ」


「おう」


 二人同時に馬を駆った。風が髪をなびかせ、土埃が舞い上がる。二人は阿吽の呼吸で、敵兵を蹴散らして子睿の元へ切り込む。


「子睿! 何やってる!」


「見ての通りですよ。最後の、思考実験です」


 血を流しながらも、子睿は、いつもの皮肉な笑みを浮かべていた。


「馬鹿言ってんじゃねえ! 乗れ!」


 迅は叫ぶと同時に馬を寄せ、子睿の襟首を掴んで強引に自らの馬の背後へ引きずり上げた。


「お前と二人乗りなんてな」


「迅さん、気持ち悪いのは私も同じです」


「うるせえ! 黙って、剣、振ってろ!」


 馬は再び、玄済(げんさい)兵の波へと突っ込んでいった。(ひづめ)の音が大地を震わせ、砂塵(さじん)を撒き散らした。


 先ほど牙門を討った大男——馬斗琉(ばとる)が叫んだ。


「近衛、盾を詰めろ! 崔瑾様、右へ!」


 重なった盾が、ガリリと鳴り、輪が一段と狭まった。さらに無数の敵兵が押し寄せ、彼らの行く手を阻もうと槍を構え、刀を振り上げる。怒号と金属がぶつかり合う音が、戦場に響き渡る。



 迅の双刀が、風を切り裂くような鋭い軌跡を描き、次々と敵兵を薙ぎ倒していく。子睿は迅の背後を守り、的確に迫りくる敵を(ほふ)る。二騎の道を切り開くように、朱飛が剣を振るい、次々と敵兵の首を斬り飛ばしていく。


 だが、その直後。乱戦の怒号を割って、ごぼりと血を吐く重い響きが、朱飛のすぐ隣から聞こえた。


「……全く、無茶が、すぎる……」


「……おい、子睿」


 迅の焦燥を含んだ呼びかけに、返事はない。子睿の体が馬からずり落ちそうになる。迅はとっさに、空いた片腕でその体を抱き寄せ、自らの背へと強く押し当てた。


「迅」


「ああ」


 朱飛の呼びかけに、迅は短く答えただけだった。だが、その声には、半身を失ったような喪失感が滲んでいる。戦場の喧騒が、一瞬だけ遠ざかる気がした。


「子睿、俺もすぐに行くぞ」


 迅がそう呟いた次の瞬間、朱飛の目は、赫燕が敵兵に囲まれていく姿を捉えた。その姿は、まるで荒波に呑まれるかのように、幾重もの人垣の向こうへ消え去ろうとしている。


「朱飛! お頭の元へ!」


 迅の、魂を絞り出すような絶叫。


「ああ」


 朱飛は短く応え、馬の腹を蹴る。だが、その行く手を阻むように、敵兵の槍兵が立ち塞がった。


「邪魔だ!」


 迅が、動かなくなった子睿を背負ったまま、朱飛の前へと躍り出る。朱飛を狙う無数の槍。迅はそれを躱す素振りも見せず、盾の如く自らの身を投げ出し、無理やり道を抉じ開けた。



——ズ! ズドッ!



 鈍い音が響き、数本の槍が迅の甲冑(かっちゅう)を貫く。溢れ出した赤が、馬のたてがみを無慈悲に塗り潰していくのが見えた。


「朱飛ッ……っ行け……!」


 致命傷を受けた馬が、苦しげに(いなな)き、大きく体勢を崩す。迅の口の端から鮮血が溢れた。もはや、声は音にならない。けれど、その目は確かに朱飛を射抜き——笑っていた。いつもの、悪戯が成功したときのような顔で。


「じゃあ、な」


 迅と子睿の体は、互いに支え合うように重なったまま、一つの塊となって大地へと沈んでいった。


「く!!」


 朱飛は剣を強く、強く握りしめて、再び馬の腹を蹴った。振り返ることは許されない。彼らが命を賭して(こじ)開けた血路を、ひたすらに駆けるだけだ。

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