九十六話 獣たちの宴 2
視線の先で、牙門が、巨大な獣のように吼えている。
「うおおおおおっ! 道を開けやがれぇ、雑魚どもがァ!」
丸太ほどもある巨大な矛を振り回しながら突き進み、その一撃は、玄済兵の盾を、鎧を、そして骨ごと砕いていく。
「お頭の邪魔をすんじゃねえ! 俺たちの王の道だ!」
彼の周りには、瞬く間に、血と肉片の山が築かれていく。だが、その獣の前に、山のような巨躯が立ちはだかった。
「……貴殿の武勇、見事。だが、ここまでだ。馬斗琉、参る!」
「うるせえ! でくの坊が!」
二つの巨体が、激しく激突する。
——ゴォォォオオン!
凄まじい金属音と衝撃波が、周囲の空気を震わせる。
(あれは、手練れだ——!)
だが、助けに行く余裕もこちらにはない。怒号と、鼓膜を劈くような硬質の衝撃音が続く。いくら牙門が剛の者といっても、相手の体躯はさらに二回りほど大きい。
「——ここだ!」
牙門の咆哮が轟く。
(捉えたか! 牙門!!)
朱飛が敵を斬り伏せながら視線を向けた、その瞬間——。牙門の大矛が相手の甲冑を叩き割るのと同時、その脇腹を、敵の猛烈な一撃が深く抉っていた。信じられないほどの量の血が、堰を切ったように噴き出す。
「がっ……!」
牙門の動きが止まる。朱飛の喉からは、ヒュ、と空気が潰れたような音が漏れた。
「牙門!!」
牙門が、血に濡れた目で、こちらを——いや、朱飛の後ろにいる、主の姿を見つめていた。
「……お頭ァ」
その唇の動きだけが、やけに鮮明に朱飛の目に焼きついた。巨体が、ゆっくりと、大地へと崩れ落ちていく。
「牙門ッ! てめえら……よくも……!」
朱飛から少し離れた場所で、魂を削るような絶叫が響き渡った。刹だ。
「刹、よせッ!」
朱飛は本能的に叫んだ。だが、それは届かない。
刹は、憎悪に満ちた鬼のような形相で、愛用の大弓を、軋むほどに引き絞る。大男めがけて飛んで行った矢が、寸前で空しく盾に弾かれる。次の瞬間、敵の陣形から、一斉に放たれた無数の矢が、刹の細い体に吸い込まれるように、次々と突き刺さった。
視界の端で、馬の首に縋りつくようにして、その体がゆっくりと、抗うこともできずに傾いでいく。朱飛の全身から血の気が引く。
「クソッ!」
朱飛の中で何かが弾け飛ぶ。敵の槍を乱暴に払いのけ、強引に刹の元へ馬首を向けた。
一瞬の隙。その背後で、敵兵の槍の穂先が煌めく。反射的に首を捻って躱し、剣を横薙ぎに閃かせる。敵兵の右腕が肘から先を失って宙を舞い、鮮血が空に散った。
だが、視線を前に戻した時には、進路はすでに潰されていた。重装の四騎が朱飛を囲む。四方から槍と剣の穂先が殺到した。
(まずい、囲まれる——!)
すでに一人の剣が、朱飛の頭を打ち砕こうと、凄まじい速度で上段から振り下ろされようとしていた。
「くっ!」
朱飛が剣を受け止めようと構えた、まさにその時——
——ダン! ダン! ダン! ダァンッ!!
風を切り裂く鋭い音と共に、朱飛を囲んでいた四人の兵士の胸元、顔面、そして首に、次々と矢が突き刺さった。その威力は凄まじく、重装甲の上から深々と肉に食い込み、四人は糸が切れた人形のように馬から転がり落ちる。
「刹!」
朱飛の視線が、矢の大元へ飛ぶ。そこには——口から大量の血を溢し、呼吸さえままならないはずの刹がいた。落馬寸前の体勢で、弓を構えたまま、最期の力を振り絞って朱飛に笑いかけている。その胸には、無数の矢に加え、銀色の刃が深々と突き刺さっていた。
「貸しだぞ……」
確かに、刹の唇はそう動いた。音のない言葉を残し、刹の手から弓が滑り落ちる。そして、刹はずるりと馬から崩れ落ちた。
「牙門、刹……!」
朱飛は奥歯が砕けるほど噛み締め、大きく目を見開く。涙で視界を曇らせるわけにはいかない。二人の最期を、その目に焼き付けるために。さらに前に進むために。




